王宮お披露目と偽装工作
王都に召喚されたレクスは、国王と宮廷魔術師たちの前で再度の魔力測定を強いられる。前回の失敗を反省し、前世の知識で編み出した「魔力循環偽装」の魔法を発動。結果を「少し優秀な幼児」程度に抑え、ひとまずの平穏を確保する。
王都へと向かう揺れる馬車の中、俺――レクス・フォン・アルストロメリアは、父であるアルストロメリア子爵の腕に抱かれていた。生後、わずか三ヶ月。本来であれば母の腕の中で安眠を貪っているべき時期に、国家の一大事であるかのように王都まで連行されている。原因は、言うまでもなく俺だ。
(はぁ……、なんでこうなった)
父の腕は緊張でガチガチだ。辺境貴族が王城に招かれるなど、よほどの功績か、さもなくば反逆の疑いをかけられた時くらいだろう。今回は前者、いや、それ以上の「神童発見」という、父にとっては名誉極まりない理由なのだが、その原因が腕の中ですやすやと寝息を立てている(フリをしている)赤ん坊なのだから、落ち着かないのも無理はない。
「レクスよ、お前の未来のためだ…」
父の呟きが聞こえるが、俺に言わせれば余計なお世話だ。俺が望む未来は、名誉でも権力でもない。誰にも干渉されず、前世の知識を活かして自堕落の限りを尽くす、静かで平穏なスローライフなのだ。その崇高な計画は、俺の規格外すぎる魔力によって、開始早々頓挫の危機に瀕していた。
やがて馬車は、壮麗な王都の城門をくぐった。謁見の間へ通されると、そこにはいかにも王様然とした壮年の男性と、その隣に立つ、見るからに切れ者といった風情の痩身の老人が待ち構えていた。国王陛下と、宮廷魔術師長であろう。
「面を上げよ、アルストロメリア子爵。そして、その赤子が噂の…」
国王の視線が俺に注がれる。父は恐縮しきって俺を抱き直し、深々と頭を下げた。俺はと言えば、とりあえず愛想笑いでも振りまいておくかと口角を上げてみたが、うまく筋肉が動かず、変な顔になっただけだった。
「子爵、話は聞いている。貴殿の息子が、生後一週間で念話を、そして三ヶ月で測定用の水晶玉を砕いたとな。にわかには信じがたい話だが、真であれば我が国の至宝となりうる」
宮廷魔術師長が一歩前に進み、俺を品定めするような、鋭い視線で射抜いてくる。
「陛下、まずはこの目で確かめさせていただきたく。ここに、王家に伝わる最高純度の『星見の水晶』をご用意いたしました」
(来たか……)
侍従が運んできたのは、前回のものより二回りは大きい、透明度の高い水晶玉だった。これをまた粉々にしてしまえば、俺は研究対象として王宮に軟禁されるか、あるいは危険分子として秘密裏に処分されるか、ろくな未来が待っていない。
「さあ、レクス。もう一度、お前の力を見せておくれ」
父に促され、俺は水晶玉の前に置かれたクッションの上にちょこんと座らされる。周囲の大人たちの期待と好奇の視線が痛い。
(いいだろう、見せてやる。俺の完璧な魔力コントロールと、欺瞞の技術の粋をな!)
前回の失敗は、単純な出力ミスだ。蛇口をほんの少しひねったつもりが、ダムが決壊したようなものだった。この赤ん坊の身体は、魔力のバイパスが前世の俺とは比べ物にならないほど太く、そして純粋すぎる。だからこそ、今度はより高度な技術を使う。
前世の俺が、敵を欺くために編み出した高等魔法――『魔力循環偽装』。
これは、体内の膨大な魔力の大半を、完全に循環・停滞させ、外部からは存在そのものを感知できなくする結界を内包する技術だ。そして、ごく一部の魔力だけを独立した回路として動かし、あたかもそれが自身の魔力の総量であるかのように見せかける。オーケストラの演奏を、一つのヴァイオリンの独奏であるかのように誤認させるようなものだ。
俺は小さな両手を水晶玉にそっと触れさせた。そして、脳内で複雑な魔法陣を幾重にも構築していく。
(…よし、偽装回路、形成。主回路との接続を遮断。出力は…そうだな、神童と呼ばれるギリギリのライン、120あたりを狙うか)
俺は意識を集中し、偽装した魔力回路から、計算し尽くした量の魔力をゆっくりと水晶玉に流し込んだ。
すると、水晶玉は粉々になることなく、まばゆい青白い光を放ち始めた。謁見の間に、おお、という感嘆の声が漏れる。光は数秒間続いた後、ゆっくりと収束していった。
宮廷魔術師長が、驚きと興奮が入り混じった表情で水晶玉に刻まれた数値を読み上げる。
「…数値は、ひゃく、にじゅう…!なんと…!生後三ヶ月でこの数値は、我が国の建国以来、前代未聞でございますぞ、陛下!」
父は「おおお…!」と感涙にむせび、国王は満足げに頷いている。よし、うまくいった。神童ではあるが、測定不能のバケモノではない。「将来を嘱望される天才児」という、面倒ではあるが破滅的ではないポジションに落ち着けそうだ。
俺は内心でガッツポーズを決め、赤ん坊らしく「あうー」と気の抜けた声を出して勝利宣言をした。
しかし、その時だった。宮廷魔術師長だけが、俺から視線を外さずに、眉間に深い皺を刻んでいることに気づいた。彼の目は、まるで何か得体の知れないものを見るかのように、俺の存在の深淵を覗き込もうとしている。
(…ん?)
彼は、俺が魔力を流し込んだ瞬間の、ほんの僅かな魔力の「揺らぎ」に気づいたのかもしれない。偽装回路を起動する一瞬だけ、主回路の巨大なエネルギーが微かに漏れ出てしまう。常人には絶対に感知できないレベルだが、この老人は、どうやら相当な手練れらしい。
宮廷魔術師長は、やがて探るような視線を収め、国王に向き直って恭しく頭を下げた。
「陛下、レクス様は間違いなく国宝です。私が責任を持って、最高の教育を施す所存」
その言葉は、俺にとって新たな首輪がはめられたことを意味していた。
(…どうやら、こいつは厄かそうだ)
平穏なスローライフへの道は、まだまだ遠く、そして険しい。俺はとりあえず、よだれを垂らして全てをごまかすことにした。