甦る魔王の脅威
平穏な日々の中、かつてレクスが浄化したはずの魔王の残滓が、再び活性化を始める。大陸の辺境で、局地的に、魔物が異常発生しているというのだ。エリアーナは、これが、十年前の、あの事件と、関係があることを、直感する。彼女は、リリを、王都に残し、単身、調査へと、向かう。
リリを、弟子として、迎え入れてから、数年が過ぎた。
エリアーナの生活は、彩り豊かなものに、なっていた。リリは、時に、生意気な口をきき、エリアーナを、困らせることもあったが、その、底抜けの、明るさは、常に、彼女の心を、和ませてくれた。
二人は、師弟でありながら、まるで、本当の、姉妹か、あるいは、親友のようでもあった。
リリの才能は、留まるところを、知らなかった。彼女は、エリアーナが持つ、「賢者の遺産」の、知識を、あっという間に、全て、吸収してしまった。そして、今や、エリアーナでさえ、思いつかないような、新しい、魔法の、地平を、切り拓き始めていた。
二人が、協力すれば、この国は、さらに、豊かになるだろう。エリアーナは、そんな、希望に満ちた、未来を、描いていた。
しかし、そんな、平穏な日々を、打ち破る、不吉な、報せが、舞い込んできた。
大陸の、北部辺境。人間が、ほとんど、足を踏み入れない、「嘆きの山脈」と呼ばれる、地域で、大規模な、魔物の、異常発生が、確認されたというのだ。
「スタンプード…ですか?」
エリアーナは、騎士団長からの、報告を、受け、眉をひそめた。
「ええ。それも、尋常な、規模では、ありません。出現している、魔物も、これまで、報告されたことのない、異形の、新種ばかり。まるで、悪夢から、這い出てきたような、連中です」
騎士団が、討伐隊を、派遣したが、全く、歯が立たず、多大な、犠牲を、出して、撤退したという。
その報告書に、添付されていた、魔物の、スケッチを、見た瞬間、エリアーナの、血の気が、引いた。
歪な、触手。非対称の、身体。そして、その身体に、刻まれた、禍々しい、紫色の、文様。
(…間違いない…。これは、十年前の…!)
あの、「大浄化の日」に、王都に、出現した、魔物たち。魔王の、魂の、残滓から、生まれた、混沌の、軍勢。
その特徴と、完全に、一致していた。
レクスが、放った、超位魔法は、王都の、汚染を、浄化した。だが、その時、浄化しきれなかった、ごく、微量の、瘴気が、地下水脈を、伝って、大陸の、最果てまで、流れ着き、そこで、十年という、歳月を、かけて、再び、力を、蓄えていたのだ。
「…私が、行きます」
エリアーナは、即座に、決断した。
「魔術師長自ら、ですと!?危険すぎます!」
騎士団長が、止める。
「これは、ただの、魔物の、スタンピードでは、ありません。十年前の、悪夢の、再来です。この件に、対処できるのは、あの事件を、直接、知る、私しか、いません」
そして何より、彼女には、守るべき、約束があった。
彼が、安心して、眠れる、平和な世界を、守る。その、約束を。
「リリ、留守を、頼みます」
エリアーナは、リリに、王都の、防衛指揮を、任せることにした。
「えー、やだよ。あたしも、行く」
リリが、不満そうに、頬を、膨らませる。
「だめです。あなたは、まだ、実戦の、経験が、浅すぎる。それに、万が一、王都に、何かが、あった場合、ここを、守れるのは、あなたしか、いません」
「…ちぇっ。わかったよ」
リリは、不満そうだったが、エリアーナの、真剣な、眼差しを、前に、しぶしぶ、頷いた。
エリアーナは、数名の、精鋭魔術師だけを、連れ、すぐさま、北の、嘆きの山脈へと、飛んだ。
彼女が、開発した、小型の、高速魔導艇を使えば、数時間で、到着できる。
現地は、報告以上に、悲惨な、状況だった。
山脈の、麓の、村々は、すでに、壊滅状態。そして、山脈全体が、魔王の、瘴気によって、どす黒く、染まり、まるで、巨大な、魔物の、巣のように、なっていた。
「…ひどい…」
エリアー-
ナは、小型艇から、その光景を、見下ろし、唇を、噛みしめた。
彼女は、部下たちに、周辺の、警戒と、生存者の、捜索を、命じると、単身、瘴気の、中心核へと、向かった。
瘴気の、発生源を、叩かなければ、この事態は、収束しない。
山脈の、奥深く。巨大な、火口のような、クレーターの、底に、それは、あった。
どす黒い、瘴気を、間欠泉のように、噴き出し続ける、巨大な、「亀裂」。
それは、この世界の、現実と、魔王が、潜む、異界とを、繋ぐ、「ゲート」だったのだ。
そして、そのゲートから、次々と、異形の、魔物たちが、這い出してきている。
「…あれを、塞ぐしか、ない…!」
エリアーナは、覚悟を決めた。彼女は、自らの、最大魔力を、解放する。
「《集え、四大精霊よ!古の契約に従い、我が声に応えよ!万物を砕く、怒りの鉄槌となりて、彼の地に、落ちよ!》――【天墜の星】!!」
彼女が、編み出した、最大威力の、攻撃魔法。
上空に、巨大な、隕石が、生成され、ゲートめがけて、落下していく。
轟音と、共に、隕石が、ゲートに、直撃した。山脈全体が、激しく、揺れ動く。
しかし。
土煙が、晴れた時、エリアーナは、絶望に、目を見開いた。
ゲートは、塞がっていなかった。
それどころか、隕石の、強大な、魔力エネルギーを、吸収し、さらに、その大きさを、広げていたのだ。
「馬鹿な…!物理的な、破壊では、なく、魔力そのものを、喰らっている…!?」
それは、エリアーナの、知識を、完全に、超えた、現象だった。
そして、その、広がったゲートの、奥から、ゆっくりと、一つの、人影が、姿を、現した。
漆黒の、鎧を、身に纏い、その手には、禍々しい、オーラを、放つ、大剣を、握っている。
その姿は、まさしく、「魔王」そのものだった。
しかし、その鎧の、兜の、隙間から、覗く、顔。
エリアーナは、その顔に、見覚えが、あった。
「…嘘…でしょう…?…ギデオン…様…?」
そこに、立っていたのは、十年前、レクスの、ライバルであった、あの、エリート貴族、ギデオン・フォン・アークライト、その人だったのだ。
彼の瞳は、もはや、人間の、ものでは、なかった。そこには、憎悪と、狂気が、渦巻いていた。
「…久しぶりだな、エリアーナ。いや、宮廷魔術師長殿、と、お呼びすべきかな?」
ギデオンは、歪んだ、笑みを、浮かべた。
「なぜ…あなたが、ここに…。そして、その姿は…」
「なぜ、だと?決まっているだろう。復讐のためだ!」
ギデオンは、叫んだ。「あの、忌々しい、レクスとかいう、化け物に、僕の、プライドは、ズタズタに、引き裂かれた!そして、あいつが、消えた後も、世界は、お前を、天才と、讃え、僕のことは、誰も、見向きもしなかった!許せなかったのだ!この僕こそが、最強であるはずなのに!」
彼は、その、歪んだ、渇望の、果てに、魔王の、力に、手を出したのだ。
彼は、自らの、身体を、器として、魔王の、魂を、その身に、降ろした。
彼は、新たな、「魔王」と、なっていた。
「お前も、世界も、全て、壊してやる!そして、その先に、僕だけの、世界を、創るのだ!」
ギデオンは、大剣を、エリアーナに、向けた。
その切っ先から、絶望的な、魔力の、波動が、放たれる。
エリアーナは、咄嗟に、防御障壁を、張る。
しかし、魔王の力は、あまりに、強大だった。
障壁は、紙のように、引き裂かれ、彼女の身体は、木の葉のように、吹き飛ばされた。
「ぐ…はっ…!」
意識が、遠のいていく。
(…ここまで…なのか…)
(約束…守れ、なかった…ごめんなさい…先生…)
エリアーナは、薄れゆく、意識の中で、一人の、少女の、顔を、思い浮かべていた。
(…リリ…)
その時だった。
彼女の、胸元に、仕込んでいた、小さな、通信用の、魔石が、淡い、光を、放った。
そして、その魔石から、聞き慣れた、焦ったような、少女の、声が、響いてきた。
『――もしもし!?エリアーナ!?聞こえる!?やっぱり、心配だから、こっそり、後をつけてきちゃった!今、そっちに、向かってるから!…って、うわっ!?何、この、禍々しい、魔力!?』
声の主は、リリだった。
王都で、待っているはずの、彼女が、なぜ。
エリアーナは、最後の、力を、振り絞って、叫んだ。
「…来ては…だめ…!…逃げなさい…リリ…!」
だが、その声は、もう、彼女には、届かなかった。
エリアーナの意識は、そこで、完全に、闇に、沈んだ。