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賢者の決意と力の解放

エリアーナを救うため、ついに正体を明かしたレクス。その圧倒的な力で魔王の残党を殲滅するが、儀式はすでに最終段階にあった。魔王の魂は、王都の地下水脈に解き放たれ、汚染された水から無数の魔物が生まれてしまう。愛着の湧き始めたこの世界の「平穏」を守るため、レクスはついに人々の前で、真の力を解放することを決意する。

静寂が、魔王復活の儀式が行われていた地下遺跡の広間を支配していた。魔王の残党たちも、そして、囚われていたエリアーナたち宮廷魔術師団も、目の前の、ありえない光景に、思考が停止していた。

三歳の幼児。愛らしい熊の飾りがついた服を着た、小さな子供。その口から、およそ幼児のものとは思えない、威厳と、そして底知れない魔力を秘めた言葉が、はっきりと放たれたのだから。

「…雑魚が」

俺は、ゆっくりと、魔王の残党たちのリーダーである男に、視線を向けた。

「き、貴様…!一体、何者だ…!?」

リーダーの男は、恐怖に顔を引きつらせながら、後ずさった。彼は、本能で理解したのだ。目の前の、この小さな存在が、自分たちとは、次元の違う、絶対的な上位者であることを。

俺は、答える代わりに、ただ、右の人差し指を、静かに彼に向けた。

「…消えろ」

その一言と同時に、俺の指先から、不可視の衝撃波が放たれた。それは、前世で俺が好んで使っていた、極めてシンプルな、しかし、それ故に防御不能な、純粋な魔力の塊。

リーダーの男は、悲鳴を上げる間もなく、その衝撃波に飲み込まれ、存在そのものが、塵となって消滅した。魔法を使った痕跡さえ、どこにも残らない。完璧な、消滅だった。

残りの残党たちが、恐怖に絶叫し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。

「逃がすかよ」

俺は、床に落ちていた、儀式用の短剣を、足で軽く蹴り上げた。そして、その短剣に、一瞬で、多重の『誘導』と『加速』の魔法を付与する。

短剣は、紅い閃光と化し、まるで生き物のように、広間の中を縦横無尽に飛び交い始めた。そして、逃げ惑う残党たちの心臓を、一人、また一人と、寸分の狂いもなく、正確に貫いていく。

阿鼻叫喚の地獄絵図。それが、完全に静寂に帰すまで、わずか、十秒とかからなかった。

広間には、絶命した残党たちの骸と、床に突き刺さって震える短剣、そして、呆然と立ち尽くすエリアーナたちだけが、残された。

俺は、ふぅ、と一つ息をつくと、エリアーナの方を振り返った。

彼女は、膝をついたまま、信じられないものを見る目で、俺を見上げていた。その瞳には、畏怖、混乱、そして、ほんの少しの安堵が入り混じっていた。

「…レクス…様…。あなた、は…一体…」

「その話は、後だ」

俺は、初めて、彼女に向かって、はっきりと、俺自身の声で言った。「それより、問題は、こっちだ」

俺の視線の先には、残党たちが命懸けで守っていた、儀式の中枢、巨大な魔法陣があった。リーダーを消滅させた後も、魔法陣は、不吉な紫色の光を放ち続け、その輝きは、むしろ、勢いを増している。

「…まさか…!」

エリアーナも、その異常事態に気づいた。

「儀式は、もう、止められない…!?彼らは、自分たちの命そのものを、最後の贄として、儀式を完成させたんだ…!」

その通りだった。

魔法陣の中心に置かれた、禍々しい宝珠――魔王の魂の欠片が封じられた『魂魄の珠』――が、甲高い音を立てて、砕け散った。

そして、中から溢れ出した、凝縮された魔王の魂は、霧状の瘴気となって、広間全体に、急速に拡散していく。

しかし、その瘴気は、俺たちを襲うことはなかった。

それは、まるで水が低いところへ流れるように、床の石畳の隙間へと、吸い込まれていったのだ。

俺は、魔力探査で、その瘴気の行方を追った。そして、最悪の事態が起きていることを、悟った。

「…地下水脈だ。あいつら、王都の地下を流れる、巨大な水脈そのものを、魔王復活の『器』にするつもりだったんだ…!」

王都アストリアは、豊かな地下水脈の上に築かれた都市だ。その水は、井戸を通じて、民衆の生活を支え、大地を潤している。

その、生命の源であるはずの水脈が、今、魔王の魂によって、根こそぎ汚染されようとしていた。

ゴゴゴゴゴ…ッ!!

次の瞬間、王都全体が、激しい揺れに見舞われた。

俺たちのいる地下遺跡だけでなく、はるか頭上の、地上からも、無数の悲鳴が聞こえてくる。

俺は、探査魔法で、地上の様子を映し出した。

そこには、地獄が広がっていた。

王都の、あちこちの井戸から、地面から、そして、さくらが作った、あの上下水道の管から、汚染された黒い水が、間欠泉のように噴き出している。

そして、その黒い水溜りから、まるで悪夢から這い出てきたかのような、異形の魔物たちが、次々と、生まれていたのだ。

スライム状の魔物、骸骨の兵士、名状しがたい触手を持つ怪物。それら全てが、魔王の魂の残滓から生まれた、混沌の軍勢だった。

魔物たちは、手当たり次第に、建物を破壊し、逃げ惑う人々を襲い始める。

王都の騎士団や、学園にいた魔術師たちも、すぐに応戦を始めたが、数が、あまりに多すぎた。しかも、魔物は、水のあるところから、無限に湧き出てくる。

このままでは、王都は、数時間もしないうちに、壊滅するだろう。

「…なんて、ことだ…」

エリアーナが、絶望に顔を歪める。

俺は、静かに、天を仰いだ。

(…結局、こうなるのか)

俺が望んだのは、静かで、平穏な、自堕落なスローライフ。

だが、どうやら、この世界は、それを許してはくれないらしい。

前世で、俺は、世界を救うために、孤独な戦いを続けた。そして、全てが終わった時、俺の手には、何も残らなかった。だから、今世では、もう、誰かのために戦うのは、やめようと、心に誓っていた。

だが。

俺の脳裏に、この三年間で出会った、人々の顔が、次々と浮かんできた。

俺を溺愛してくれた、父と母。

俺に振り回されながらも、必死についてきてくれた、家庭教師のエリアーナ。

俺を一方的にライバル視してくる、面倒だが、どこか憎めない、ギデオン。

そして、国王陛下、宰相、学園の友人たち、屋敷の使用人たち。

彼らが、今、あの魔物たちに、殺されようとしている。

俺が、愛着を感じ始めていた、この世界の、ささやかな「日常」が、壊されようとしている。

(…ああ、クソ)

俺は、心の中で、大きく、悪態をついた。

(…仕方ない。仕方ないな、全く)

俺は、決意した。

俺が、この手で、終わらせる。

平穏なスローライフのため、ではない。そんなものは、もう、どうでもいい。

俺が守りたいと、そう、思ってしまったから。

ただ、それだけだ。

俺は、エリアーナの方を、振り返った。

「エリアーナ。お前たちも、地上へ出て、人々を助けろ。一体でも多く、魔物を倒し、一人でも多く、民を避難させろ。…ここは、俺が、片付ける」

「レクス様…!あなた、一人で、何を…!」

「いいから、行け。これは、命令だ」

俺の瞳に宿る、絶対的な意志を前に、エリアーナは、何も言えなくなった。彼女は、深々と頭を下げると、部下たちを率いて、地上へと駆け出していった。

一人、広間に残された俺は、ゆっくりと、空中に浮かび上がった。

そして、俺は、俺自身の魔力を、完全に、解放した。

三年間、ずっと、偽装し、抑制し続けてきた、大賢者の、本当の力を。

凄まじい魔力の奔流が、俺の小さな身体から溢れ出し、地下遺跡全体を、そして、王都全体を、震わせる。

空の色が変わり、大地が鳴動する。

世界そのものが、一つの、規格外の個人の存在に、悲鳴を上げているようだった。

俺は、静かに、目を閉じた。

そして、この世界に生きる、全てのものに、語りかける。

魔物たちに、そして、人々にも。

一つの、巨大な魔法を、今、この王都に、顕現させる。

それは、浄化の魔法。

魔王の魂に汚染された、全ての水を、原子レベルで、聖なる水へと、「転変」させる、奇跡の魔法。

その代わり、この王都に存在する、全ての「魔力」が、一時的に、消失するだろう。

それは、この世界の理を、根底から覆す、神の御業。

そして、俺が「大賢者」であることの、証明。

俺は、両手を、ゆっくりと、広げた。

「…さて、と。始めますか。俺の、二度目の、英雄譚、ってやつをな」

その日、王都アストリアの民は、目撃することになる。

空に浮かぶ、一人の、小さな子供の姿を。

そして、その子供が、世界を救う、奇跡の光を、放つ瞬間を。

大賢者(3歳)、静かに暮らしたい、という願いは、今、完全に、潰えた。

だが、その顔には、不思議と、満足げな笑みが、浮かんでいた。

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