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第六章:「三好千代 ― 忘れたふりをしていた、ただ一つのこと」
人は、いくつになっても恋をする。
それが正しいかどうかなんて、関係ない。
そう言えるようになるまで、千代はずいぶん長い時間をかけた。
82歳。施設で暮らすようになってからも、彼女はよく笑った。
過去を聞かれても、ごまかした。
誰かを想っていたなんて、あの時代じゃ笑い話にもならなかったから。
けれど今日――朋子に再会してしまった。
記憶の底に沈めていたあの笑顔と、あの声と、あの瞳。
「朋子さん…ずいぶんと、お綺麗になって。」
笑いながらそう言ったが、心臓はまるで若い頃のように速く打っていた。
あのとき、自分がもう少し勇気を持っていたら――
この人と一緒に、どんな人生を歩めたのだろう。
でも、まだ遅くないのかもしれない。
今なら言えるかもしれない。「あなたが、好きでした」と。
千代は、ふと窓の外を見る。
空は高く晴れ渡り、風がそっとカーテンを揺らしていた。