第三章:「佐伯和子 ― まっすぐな気持ち、揺れる午後」
第三章:「佐伯和子 ― まっすぐな気持ち、揺れる午後」
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和子は自分がこの場にいることが、今もどこか不思議に思えていた。
人がたくさんいる場所はあまり得意じゃない。
それでも今日、福祉センターのお茶会に足を運んだのは、あの日の出会いが心に残っていたからだ。
――中原朋子さん。
あの病院で、ふと隣に座っただけだったのに、どうしてあんなに印象に残ったんだろう。
あの笑顔、落ち着いた声、静かな存在感。
若い頃は誰かに恋をしてドキドキするなんてことがあったけれど、もうそんな気持ちはずっとしまい込んでいたはずだった。
「…また会えた。」
そう心の中で呟いたとき、朋子がこちらに気づいて、小さく手を振った。
その仕草に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
隣の席に座った朋子と軽く言葉を交わす。
それだけのことが、なんだか大きな出来事に思える。
自分がこんなふうに、誰かとの再会を嬉しく思うなんて――そういうことが、まだ自分の中に残っていたことに驚いていた。
朗読が始まり、和子は自然と声のほうに顔を向けた。
マイクの前に立っていたのは、若くて聡明そうな女性だった。
ハキハキとした声で読む「銀河鉄道の夜」の物語は、どこか寂しさと優しさが入り混じっていて、和子はいつの間にか物語に引き込まれていた。
ちら、と横目で見ると、朋子も真剣な顔で朗読に耳を傾けていた。
その横顔を見ているだけで、和子の胸の内にある“なにか”がゆっくり、ほどけていくのを感じた。
終わりの挨拶があり、会は拍手で包まれた。
帰ろうと立ち上がりかけたとき、ふと、朗読していた女性――石井梨花が、こちらを見ていた気がした。
視線が交差し、一瞬だけ時間が止まったような気がした。
和子は心の奥で、なにかがゆっくりと動き出しているのを感じていた。