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第八十二話「姉妹」

「フフン、フンフン♪ こっちの方がいいかな」


 心地よい鼻歌を歌いながら、アリシアはクローゼットや鏡とにらめっこを繰り返していた。

 クローゼットから服を一式見繕い、体の前に合わせて鏡に映る自分に重ねる。

 あたしは側仕えとして、そんな姿を見守っていた。


 デートに行くわけでもあるまいし、何を着ても似合うんだからそんなに悩む必要あるかなという疑問は口に出さない。

 今日のあたしはアリシアの側仕え。

 街に出るとしても使用人の服でいいから悩む必要はないのは良かった。


 もし友達としてアリシアと街に出かけるのなら三日前から選び始めないと、半端な洋服でアリシアの隣に並ぶ度胸はない。


「よし、いい感じだ」


 アリシアは見繕った服を着て、鏡の前でくるりと回って最終確認。

 そして仕上がりに満足げな笑みを浮かべていた。


 白い刺繡が入ったネイビーカラーの膝下丈ワンピース

 ウエストを軽く絞って、アリシアのモデルのような体のラインを綺麗に強調、七分丈で透け感のある袖が季節相応の涼しさを感じさせる。

 五センチヒールのパンプスと小型のショルダーバッグが上品な雰囲気を醸し出している。

 そして全体的に落ち着いたクラシカルかつエレガントなコーデがあくまで脇役で居られるのは、絵に描いたような造形美のアリシアが着ているからだ。


 うん、本当に使用人服でよかった。

 あんなの隣に並ぶ服なんか持ってないし、持ってたとしてもあたしのポテンシャルじゃ服に着られる状態になる。

 

「待たせたねサラ。じゃあ行こうか」


 長いようで短いアリシアの支度も終わり、あたしとアリシアは玄関へと向かう。

 いまだに何も壊さないように注意深く歩くあたしと違い、アリシアの足はガンガンと進む。

 他の使用人はアリシアが通ると動きを止めて一礼する。

 そんなところをあたしも後ろに続いてるもんだから、少し気まずさを感じながら歩くことになる。


「今日は街で面白そうな劇をしていてね。学園も後期が始まると生徒会は色々と忙しくなるし、行くなら今しかないと思ったんだよ。楽しみだ」


 ルンルンと歩くアリシアを見ると楽しみにしていたのがより伝わってくる。

 アリシアはホワイトリリーの生徒会執行部に所属していて、学園では生徒の規範となっている。

 そんなアリシアの無邪気とも取れる姿にあたしは微笑ましく思う。


 アリシアには今まで色々お世話になった。

 今日のあたしはアリシアを全力で楽しませるように立ち回る。

 それがあたしの仕事であり、恩返しだ。


 玄関まで行くと、何やら使用人達がバタバタとしていた。

 まー仕事をしているのだから忙しいとは思うけど、それにしては少し慌ただしい。

 あのウィステリアさんですら、少し冷静さを見失っているように思えた。


「忙しいところすまない。今から出掛けてくる。夜には戻るから」


 アリシアは忙しいながらも立ち止まって頭を下げるウィステリアに外出の旨を伝える。

 ウィステリアさんは少しほっとしたような顔をしたかと思えば、まるで追い出すようなせわしなさで、


「それはそれは。サラさん、アリシアお嬢様を頼みましたよ。ではお気をつけて」


 その様子にあたしですら違和感を感じたのだから、アリシアが何も思わないわけがない。

 

「そんなに慌ててどうしたんだい? 何か――」


「いえ問題ありません。楽しんできてくださいませ」


 事情を聞くアリシアの言葉を遮ってまで、ウィステリアさんはアリシアを送り出す。

 その様子にあたしとアリシアは思わず目を見合わせて、


「……じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 ウィステリアは信頼に値するのだろう。

 彼女がそう言っているのならと、アリシアはそれ以上問い詰めず外へ出ようとしたその時だった。


「あら、出掛けるの?」


 ウィステリアさんの背後から人をたぶらかすような妖美な声がした。

 アリシアの家に住んでいるわけじゃないあたしが言うのもおかしいけど、少なくともあたしには聞き馴染みのない声。

 でもその声が聞こえた瞬間、ウィステリアさんの表情は固くなり、アリシアの足は止まる。


「アリシア?」


 背中越しでもわかる明らかな動揺。

 顔を覗き込むとさっきまでの楽しそうな笑顔から打って変わり、怯えるように瞳が揺れ、ワナワナと唇が震えている。

 でもそれはたった数秒。

 アリシアはすぐに表情を取り戻し、頬の筋肉で無理に口角を上げるような笑顔でウィステリアさんの背後から靴音を響かせて来る人と向き合った。


「帰ってきてたんですね……姉さん」


 アリシアの、お姉さん?

 あたしはウィステリアさんで隠れている後ろの人を確認しようと体を傾ける。


 コツコツと高そうな絨毯が敷かれた廊下を歩く黒髪の女性。

 暗闇に溶け込むような黒いドレスのような軍服は、軍政国家ユリリアの権威と格式を感じさせる。

 アリシアのお姉さんみたいだけど、身長はあたしと同じくらいか、なんなら少し低い。

 艶のある長い黒髪は腰あたりで毛先を揺らし、大きい瞳と玉のような肌は幼さを感じさせつつ、長い睫毛や真っ直ぐ美しい鼻筋、そして余裕と威圧感が入り混じる眼光で大人びた雰囲気を持っている。


 美麗で美人で、アリシアのお姉さんと言われるだけある。

 もし普通のアリシアのお姉さんならあたしも綺麗だなという感想で終わってたと思う。

 だけどアリシアやウィステリアさんの反応、そしてあたしでも感じる笑顔の奥に隠れる底の見えない何か。

 裏があると思えてしまう声に、心の中を見透かされてるような眼光、あらゆる分野において自分の無力さを強制的に感じさせるような存在感。


 いろいろ相まって、警戒感があたしの中から消えてくれない。


 噂には聞いてたけど、実際見てようやく存在に納得した。

 ユリリアにおいて最高戦力と称される大輪七騎士(セブンスリリー)、その第一席。

 つまりはユリリア最強――、黒鴉姫(レイヴンリリー)のウルカさん。


「姉さん、帰るなら帰ると言ってくれれば出迎えの準備も出来たんだけど」


 アリシアは少し詰まったような声で言った。

 緊張しているような、怯えているような、どちらにしてもアリシアには似合わない声。


「自分の家に帰るのにそんな必要はないわ。それに今日は官邸に用事があったから寄っただけよ。夕方には出て行くわ」


 ウルカさんの言葉にウィステリアさんはほっとしたような感情が顔に出る。

 嫌われてる……訳ではなさそうだけど、この妙なぎこちなさに実質部外者のあたしが口を挟めるわけもなく、気まずい雰囲気の中ただただ状況を見守るしか出来ない。


 しかし、ウルカさんはあたしを傍観者にはしてくれないようで、アリシアの後ろで気持ち隠れるように控えていたあたしに視線を移す。

 

「あら久しぶり……ではなかったわね。初めまして、サラさん。ワタシはアリシアの姉、ウルカです。そして後ろの彼女がワタシのパートナー兼侍女のミルフィよ。よろしくお願いするわね」


 ウルカさんの存在感で見えてなかったけど、ウルカさんの少し後ろで控える一人の女性。

 肩くらいの少しボブっぽい空色や水色といった澄んだ髪の毛には、あたしやウィステリアさんと同じ白いカチューシャをしている。

 同じ使用人服を着ているはずなのに、あたしとは気品さが違うのは本人のポテンシャルによるものだろう。

 その目は眠たそうな、何も考えてなさそうといえなくもないけど、侍女として感情を殺しているといえば説得力がある顔をしていた。


 そんな彼女はウルカさんの紹介を受けて、軽くスカートをつまみ上げて一礼する。

 その所作はとても綺麗で、まるで人形のようだ。


 あたしはウルカさんの心臓に悪い視線を受けながら一歩横に出て、ミルフィさんと同じようにスカートをつまみ上げて頭を下げる


「は、初めまして。え、名前なんで?」


 あたしはこの人と面識はないし、アリシアやクレアみたいに学園で有名というわけじゃない。

 緊張で上手く回らない頭だけど、ウルカさんから出たあたしの名前を聞き逃したりしなかった。


「妹の交友関係くらい把握してるわ。貴女がエネミット王国で拾われたことも、ホワイトリリーでの活躍も――」


 ウルカさんは軽い足取りであたしに近づき、その柔らかそうな口を耳元に近づけて、


「貴女が応化特性者であることも」


 意識の隙間をかいくぐるような足運びで、あたしはまったく反応できず、突然耳から脳を射抜くような声が囁かれる。

 透き通り凍みるようなその声は本来なら心地よいものだけど、言葉の内容と抱いている存在感が首元にナイフを突きつけられたような背筋に来る感覚があたしを襲う。


 思わず近付いてきたウルカさんから逃げるように後退る。

 そんなあたしを庇うように、ウルカさんとあたしの間にアリシアが割って入ってくれた。


「姉さん、あまりサラにちょっかいをかけないでくれると助かります」


 今までアリシアがあたしを庇ってくれることは何度もあった。

 アリシアの背中はとても頼もしく、どんな状況も切り抜けるような安心感があった。

 だけど今、アリシアの背中に安心感が感じられないのはなぜだろうか。


「妹の友人と親交を深めて何がいけないのかしら? まーいいわ。この後庭でティータイムを楽しもうと思うの。良い紅茶を淹れてくれる?」


「かしこまりました」


 ウルカさんのお願いをウィステリアさんは頭を下げて承諾した。

 しかしウルカさんは納得せず、


「あー違うの。ウィステリアに言ってないわ。ワタシは貴女にお願いしたのよ――サラさん」


 突然の指名にあたしは驚きのあまり言葉も出なかった。

 動揺に固まるあたしをウルカさんは待ってくれず、続ける。


「その服を着ているということは貴女も使用人なのでしょう? なら家主のお願いは聞いてくれるわよね?」


「ウルカお嬢様。彼女は今日一日だけの使用人。ウルカお嬢様のお口に合う紅茶を淹れるのは――」


「別に構わないわよ素人でも。ワタシは貴女の淹れた紅茶が飲みたいの」


 あのウィステリアさんの助け舟も、ウルカさんの前では笹舟と化す。

 あたしの返答を待つウルカさんの視線に戸惑ってしまう。


 アリシアのお姉さんで大輪七騎士(セブンスリリー)の第一席、加えてこの屋敷の主。

 アリシアよりも上位の権限があるのは間違いない。

 でもあたしは今、アリシアの側仕えとして働いている。


 それに今からあたしはアリシアと――――。


「……サラ、すまないが姉さんに紅茶を淹れてくれるかな?」


「え、でも……」


「……頼む」


 アリシアのお願いする顔は劇を楽しみにしていたさっきまでの顔とは比べものにならないほど悲しそうなものだった。

 でも、ウルカさんだけでなく、アリシアからの命令となればあたしに逆らう権限はない。


「……分かりました」


 あたしは納得いかない気持ちがありながらも了承するしかなかった。

 その返事に満足したのかウルカさんとミルフィは庭へと歩いていった。

 

「……アリシア、劇は行っておいでよ。ウルカさんの気が済んだらあたしも向かうから」


 あたしに出来るのはこのくらい。

 あれほど楽しみにしてたんだ。

 一緒にはいけないけど、アリシアには楽しんできてほしい。

 それに気分が落ち込んでいる今こそ気分転換は必要だ。


 だけどアリシアの足は外ではなく部屋の方へ向かった。


「悪いが急に気分が優れなくなった。少し部屋で休んでいるよ。ウィステリア、サラを頼む」


「……承知しました」


「でも――」


「サラさん……仕事に戻ってください」


 アリシアの背中に手を伸ばすあたしをウィステリアさんは止める。

 ウィステリアさんの表情はあたしに耐えるよう訴えかけていた。


 だけどウィステリアさんが何もしなくても、事情を知らないあたしが部屋へ戻るアリシアを止めることなど出来るはずもなく、アリシアの苦しそうな、寂しそうな背中をあたしはただただ見送るしか出来なかった――――。

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