第八十一話「アリシアの側仕え」
――使用人の朝は早い。
朝陽が昇ったばかりの時間帯、あたしはカーテンを開けて太陽の光を浴びる。
体に染み込む日の光が、寝起きの体に喝を入れて全身に血液を巡らせる。
最高の朝と呼べるが、ゆっくりしている時間はない。
客人の前に出ても主に恥をかかせないような身だしなみと立ち振る舞いが求められる。
ベッドメイキングを終わらせて、用意された服に懐かしさを感じながら着替え、鏡の前で念入りに確認する。
ロングスカートの黒いワンピースに白いエプロン、頭にはカチューシャ。
そのどれもが一切のシワ、シミが許されない。
靴は丁寧に磨き、カーテンが開けられた窓から差し込む光を鏡のように反射させる。
「頭よし、顔よし、服装よし、足元よし。うん、ばっちり」
デートに備える気持ちで鏡に映るあたしを指差しながら確認していく。
久しぶりに使用人姿の自分を見て、あたしはエネミット王国に居たころを思い出す。
拾われて孤児院で過ごし、孤児院運営の足しになればと伯爵家の使用人として働いた。
そこで出会った伯爵家の一人息子――ウィリアムと親交を深め、分不相応ながら婚約までした。
だけど、あたしの背中に刻まれたユリリア人の花紋を見られ、あたしは追われる身となり当然ながら婚約は破談。
捕まったあたしを護送中にアリシアが助けてくれて、こうして今は無事にユリリアで暮らしている。
まだ数か月しか経ってないけど、その記憶は昔のように懐かしい。
「よし、今日は頑張るぞ」
鏡に映る自分に呼びかけるように喝を入れてあたしは部屋を出た。
赤いカーペットの長い廊下。
十分すぎると感じるくらい幅のある廊下だけど、ところどころ花瓶だったり絵画だったり置いてあって歩くのに少し緊張感が出る。
もらった屋敷の案内図を頼りに、あたしは屋敷の使用人が集まる大広間に向かった。
あたしが広間につく頃には大多数が揃っていて、何かしらの法則に則って並んでいる。
すでにいる先輩使用人に聞きながら、あたしは一番左の列、その一番後ろに整列した。
そして全員が前に立つ容姿端麗な一人の女性に注目し、その瞬間に空気が引き締まる。
この場にいるのはざっと数えて三十人ほど。
その全員の身だしなみをチェックするように見渡すその眼光は鋭く、藤の花のような明るい紫色の髪は耳の下あたりの長さで切りそろえられている。
前に立つだけあって、服装や振る舞いはもちろん完璧、加えて本人から出てくる貫禄やオーラが凄くて、あたしを含め全員にいい緊張感を与えている。
昨日聞いた話によると、あの人がこの屋敷のハウスキーパー、つまりは家政婦長にあたるウィステリアさん。
男の人がいないユリリアにおいて、実質的には家令、全使用人を束ねる最高責任者だ。
十五歳の頃から勤めて十年。
まだ潤い十分な肌からその役を担うには若すぎるとも思えるけど、短命なユリリアにとっては十分年長で大ベテランだそうだ。
「本日の朝礼を始めます。まず本日の予定ですが――――」
ウィステリアさんはスケジュール帳を片手にテキパキと指示を出していく。
その指示を一言一句聞き逃さないようにメモを取りながら頭に叩き込む。
そして一通り指示を出し終え、ウィステリアさんはあたしの方に目をやる。
その射抜くような視線はアレクシア先生に負けず劣らずの迫力で、あたしの心臓が緊張で強く打つ。
「それとサラさん、本日はアリシアお嬢様のご命令で専属使用人としてお側についてもらいます。貴女は経験者に加えて、一日限定の側仕えですので細かい所は良いと伺っておりますが、お嬢様のお世話をする以上、粗相の無いように節度と品格をもって務めてください。いいですね?」
「わ、分かりました!」
厳しい物言いだけど、別に嫌っているわけではない話し方。
新人のあたしは精一杯強い返事でやる気を示す。
その返事に問題がなかったのか、ウィステリアさんはあたしを見据えたまま続けた。
「サラさんにはこの後動きを指示します。それではこれで終わります」
ウィステリアさんは場を締めるように手を叩き、その合図で使用人たちはいっせいに仕事に入る。
そして動き回る使用人を流れるようにかわしながら、あたしのほうへ歩いてきた。
「こちらが今回のサラさんのお仕事です。注意事項もまとめています。分からないことがありましたら聞いてください」
ウィステリアさんからもらった資料に一通り目を通し、その時点で分からないことを確認したのち、仕事に入った。
今更だけど、なぜあたしがアリシアの屋敷で使用人をしているかというと、例の罰ゲームだ。
特別訓練で行った南のリゾート地アステルの屋内プールにあったアスレチック。
ブレイドとシースでペアになり、最下位のペアが一位のペアの言うことを何でも一つ聞くという罰ゲーム。
そこでティアナ会長とペアだったあたしは見事に最下位。
一位のリサナ副会長とアリシアのペアの言うことを一つ聞かなくちゃいけない。
ティアナ会長は当日にリサナ副会長の犬となって無事? 罰ゲームを果たしている。
対してあたしは保留されていて、その罰ゲームが今執行されている。
今日一日、あたしはアリシアの使用人。
最初の仕事はアリシアを起こすことだ。
注意事項によると、アリシアはなかなか起きないらしく扉の外からノックして声をかけて起きることはまずないそうだ。
「アリシア~、ん、ここではお嬢様って言った方がいいのかな。アリシアお嬢様、朝でございますよー」
とりあえずダメ元でノックして少し大きめの声で起こしてみる。
返事がない、ただの寝室のようだ。
「お嬢様、入りますよー」
あたしは最後の呼びかけを終えて、アリシアの寝室に入る。
そういえば初めて授吻して気を失ったのもこの部屋だった、なんて思い出しながら上質で豪華なベッドに眠るお嬢様の方へ歩き、身体を揺らして声をかける。
「アリシアお嬢様、朝ですよー起きてください。起きてー」
ゆさゆさと身体を揺らす。
眠り姫と言うには王子様のような凛々しい寝顔で吐息を立て、アリシアに限らずみんなもそうだったけど下着姿で眠る姿はあたしを朝から変な気分にさせる。
ユリリア人は寝る時服を着ないなんて文化、昔は驚いてありえないと思ってたけど、今は何も思わないのはこの国での生活に馴染んだ証拠なんだろうな。
まーみんなの下着姿は今でもドキドキするんだけど。
「んん…………」
しばらく身体を揺らしながら声をかけていると、ようやくアリシアから吐息以外の声が出た。
やっと起きた、なんて安心したのもつかの間、アリシアはあたしの手を掴んでベッドの中へと引きずり込んだ。
「ちょ、アリシア!?」
ぐっと、抱き枕のようにあたしを抱きしめる。
服越しに分かるアリシアの体温、首筋に吐息がかかり、アリシアの奇麗な顔が視界を埋めて動悸が激しくなる。
そういえば初めての時もこんな感じだった。
本当は起きているんじゃ? と疑いたくなるほどアリシアはしっかりとあたしをホールドして離れない。
ほのかに良い香りが鼻をくすぐり、首筋を撫でるような吐息と耳元で響く呼吸音が、あたしの理性を着実に崩していく。
このまま身体を預けて楽になれよとあたしの中の悪魔が囁き、負けてはダメ、気をしっかり持つのよサラとあたしの中の天使が激を飛ばす。
アリシアに身を寄せられ包み込まれるような上質なベッドも相まって、あたしの抵抗力はその居心地の良さに徐々に弱まる。
今度こそ、このまま受け入れた方が…………
「って! やっぱダメだから!!」
「っほぁ?」
あたしは息を吹き返した魚のように飛び跳ねて離脱する。
そこまでしてようやくアリシアは目を覚まし、身体を起こしてまだ重たそうな瞼を擦り、ぐっと腕を伸ばして凝り固まった体をほぐす。
「おはようサラ、良い朝だね」
「何がいい朝よ! 朝から凄い目にあったんだけど?」
「おや、サラは今日一日、友人ではなく私の使用人のはずだ。主に対してその口の利き方はいけないな。これはお仕置きが必要かな?」
「ぐぬぬ……申し訳ございません、アリシアお嬢様。もうすぐ朝食の時間ですので早く着替えてください」
「ハハハ、君のメイド姿は中々板に付いているじゃないか」
アリシアはベッドから出て用意してあるシャツに袖を通しながらあたしのメイド姿を見て微笑む。
このままペースを握られたままなのは癇に障る。
あたしはせめてもの抵抗を試みる。
「お着替えお手伝いしましょうか、アリシアお嬢様」
今日は使用人だとしても、昨日までは友人。
友達に着替えさせてもらうなんてさぞ恥ずかしかろう。
ニシシと心の中で笑うあたしに、アリシアは目を丸くしたと思えば得意げな笑みを浮かべた。
「ほう? ならお願いしようかな」
「え?」
一度出た言葉は無かったことにはできない。
あたしは得意げな笑みのアリシアにドキドキしながら服を着せた。
完全敗北という言葉があたしの頭に刻まれる。
今日はアリシアを出し抜こうなどと考えないようにしよう。
そんなこんなでアリシアの着替え、髪のセットも終わり、食堂へと向かう。
食堂には十数人が同時に食事できるような長テーブルがあるけど、そこに用意された食事は一人分。
パンが二つにベーコンエッグ、サラダとスープが一皿。
美味しそうだけど、当然ながら食事に手を付けることは出来ないし、一緒に食べることも出来ない。
これほど使用人に囲まれながら一人で取る食事。
アリシアはもう慣れっこだろうけど、あたしは少し寂しく感じる。
食事を取り終わったアリシア。
普段は習い事だったり勉強だったりと忙しいそうだけど、今日は一日オフにしているらしい。
まー忙しい日の側仕えを一日限定の使用人に任せるわけにもいかないだろうから、その辺りは配慮してくれたんだろう。
じゃあ何をしているかっていうと――――、
「ぁ、んんっ……サラなかなか上手いじゃないか。とても気持ちいよ」
「ここが良いんですか? じゃあもっとしてあげますね~」
アリシアは甘美な声を出し、あたしは囁くように答える。
ベッドの上であたしとアリシアは息を切らす。
アリシアの少しだけ乱れた服、指先に感じるアリシアの体は柔らかくも引き締まった絶妙な感触。
「んぅっ! そこは優しく頼む……」
あたしが指を動かすと、アリシアからは聞いたことのない声が出た。
甘く小さなその声で庇護欲と背徳感が同時に押し寄せる。
それでもあたしはアリシアの気持ちい所を探して指を動かした。
――――もちろん、マッサージの話だ。
うつ伏せで寝るアリシアの背中を、あたしは少し前かがみになってツボを刺激する。
体調管理や風呂上がりの柔軟体操もしっかりしているアリシアだけど、その体には消化しきれない疲れが溜まっているようだった。
孤児院の院長からゴッドハンドと呼ばれ、ちょこちょこ孤児院に遊びに来てた無職のお兄さんからはいろんな意味で金が取れると言わしめたあたしのテクニックを見せてあげる。
ちなみにそのお兄さんは何故か院長にめちゃくちゃ怒られてた。
「今日は、んっ……午後から街に出かけようと、ぁっ……思ってるから、よろしく頼むよ」
「分かりましたお嬢様。パシリでも荷物持ちでも何でもやりますよ、っと」
「んんっ!」
ぐっと指を押し込み、アリシアから撫でるような声が出た――――。




