第七十四話「役割」
バタバタしてて少し期間が空いてしましました。
――ブレイドらしく前に出てみろ。
この言葉はフローレンスにとって呪いのように脳裏にこびりつく。
「学園で悠々と過ごせる貴女にわたくしの苦労なんて分かるはずはありませんわ。この世界には与えられた役割を果たせない人もいるということを」
怒気の籠ったフローレンスの言葉が、イリスの中になぜか深く刺さった。
フローレンスの種器から氷で身を隠しながらガルディアの攻撃を捌く。
今のところ体の動きが止められてはいない。
鏡が認識するのはあくまで魔力を含む映った個体。
氷の奥が透けて見えようとも、あくまで止められるのは遮蔽物である氷のみ。
となればフローレンスを氷で囲えば話は早かったが、仮にもブレイドであるフローレンスを閉じ込め切るほどの氷は今の魔力量では全然足りない。
「ふんがぁ!!」
ガルディアの攻撃がイリスを襲う。
彼女はシース、本来メインで戦う立場じゃない。
それでも彼女の攻撃や動きは付け焼き刃のものじゃないほどに洗練されていた。
ガルディアの動きに合わせて、フローレンスはイリスを鏡で捉えようと動き回る。
フローレンスの種器——凍鏡の力はガルディアにも影響する。
ガルディアを映さずに、傍で戦うイリスのみを鏡に映す。
それを行うには二人の息の合った動きが必須。
「ブレイドが戦うべき、シースは支える側。お前らのいう果たせない役割はこのことか?」
イリスはフローレンスに投げかける。
今のイリスはあくまで陽動、二人の意識を集める必要がある。
「魔法不適合障害というのはご存じで?」
「魔法不適合障害……。確か、魔法が自分の身体に悪影響を及ぼす症状だったか」
様子を伺うようにガルディアは距離を取り、フローレンスはイリスとの間合いを図る。
「私の魔法、凍鏡は鏡に映った対象の動きを固定します。ですがその際、私の心臓の動きも止まる」
「心臓の……。そうか、それで効果が消えるまでの時間に差があるわけだな。下手をすれば仲間の動きも止めてしまう魔法に、使用中は自分の身に危害が及ぶ。難儀なもんだな」
「この魔法のせいで私は養成施設でも邪魔者扱い。シースが支え、ブレイドが戦う。生まれた時に与えられたブレイドという役割を私は果たすことが出来ません」
「……確かに軍人のブレイドとしては難しいかもな。だが軍人が生き方のすべてじゃねぇだろ?」
「軍人としての生き方がすべてでしたわ。私の家系は代々軍人として名を馳せた名家。姉様もユリリア陸軍少将として活躍する現役軍人。私はこの魔法で成績が振るわず、周囲からは姉様の欠陥品とまで言われましたわ。それでも私は姉様の恥にならぬよう精一杯精進してまいりました。ですが魔法不適合障害であることが知られると姉様はすぐに私を捨てましたわ。戦えないブレイドなどこの世界に必要ないということですわね」
これはあくまでフローレンスの気を散らすための問答だ。
だがフローレンスの過去はイリスにとって他人事とは思えなかった。
「ガルディアもまた同じですわ。幼き頃に親に捨てられ山の奥で一人生き抜いてきた彼女はシースとしての生き方など知るはずもなく世間からは除け者扱い。実に腹立たしいですわ。健全に生まれたというだけのくせに、環境に恵まれただけのくせに、周囲は私達を嘲笑い、忌避し、排除した。貴女にこの疎外感が理解できて?」
「…………あぁ、そうか。お前らは違った世界のオレなんだな」
イリスの納得にフローレンスは意味が分からず固まる。
この怒りが、この疎外感が理解できるはずもない。
学園で悠長に過ごしている連中に簡単に分かられてたまるものか。
「貴女に私達の何を分かったというのですか?」
「……分かるさ。その疎外感も、孤独感も、周囲に抱いた怒りも、全部分かる。オレも同じだったからな。魔法複合計画の実験体、親は犯罪者、魔法複合計画の後遺症で魔力制御が拙く、不本意な魔力暴走がきっかけで周りとも軋轢が出来た。好き勝手に言いやがってなんてよく思ったからな」
自分から実験体になったわけじゃない。
姉を犠牲にしてでも生きたかったわけじゃない。
精一杯やって、それでも魔力は暴走したブレイドとしては欠陥品。
なんでも他人のせい、周りのせいにするのはダサいことかもしれないが、それでも自分は悪くないと、そう思ってしまうくらいの環境にはいた。
だからこそ、フローレンスとガルディアの苦痛はよく分かる。
もし『庭園』を復活させようとしている連中と出会っていたら。
もしサラと出会わなかったとしたら。
今、目の前でラミアの一員としてサラ達と戦っていたのは自分だったかもしれない。
「だからお前らの気持ちはよく分かる。よく分かるからこそ、オレはお前達を止めなきゃならない。つい最近まで魔力の存在すら知らず、周囲からだいぶ遅れたスタートでそれでも自分に出来ること必死にやってる奴をオレは知ってる。そいつの為にオレは今こうして自分に出来ることをやってる。生まれた瞬間に役割や立場も生まれることは否定しねえけど、結局は自分の役割っていうのは自分で決めるもんだ」
イリスは魔力を揺らす。
漏れ出す冷気は空気を張り詰める。
イリスとフローレンスを隔てていた氷の盾を溶かし対峙する。
「自分から身を晒すなんてやけにでもなりましたか?」
「いいや、これでいい」
自信に満ちた表情、硬い意思を感じた瞳。
冷たい魔力が何故か温かく包み込むように周囲を覆う。
「まあいいでしょう。これ以上の問答は時間の無駄です。決着をつけましょう!」
フローレンスは凍鏡を構える。
その大盾に埋め込まれた鏡がイリスを確かに捉えた。
「ガルディア!」
「うがぁ!!」
フローレンスが魔法を使う。
ドクンと心臓に掛かる負荷でフローレンスは苦痛に歪む。
それでも唇を噛みしめて動きを止め続ける。
この胸の痛みなど、今まで受けた痛みに比べれば造作もない。
動きを止められたイリスをガルディアが襲う。
身体はおろか、作り出した氷の剣も、魔力固定によって時間が止まったかのように動きを止める。
だが身体の中を巡る魔力は動く。
ガルディアの攻撃を氷の膜で身体を覆い
「――っな!?」
命のやり取りをして神経が研ぎ澄まされている今、僅かに草木の揺れる音は強く大きく鼓膜を揺らす。
イリスを鏡に捉えたまま、視線は背後の木陰から飛び出してきたイリスのパートナー——リーナに釘付けになる。
覚悟を決めた目、思い切りのいい踏み込み、手に持っている氷の短剣は冷たいはずなのにぐっと握り込まれている。
このタイミング、その様相で飛び出したのは授吻のためじゃない。
リーナが、シースである彼女がブレイドであるフローレンスを刺そうとしている。
今ここでイリスを鏡から外せばガルディアの身が危ない。
なら出来ることは――――。
「舐めないでくださいまし!」
鏡はイリスを映し、心臓を止めて魔法を維持したままリーナの一突きを片手でいなす。
前線で戦わずともフローレンスは仮にもブレイド。
たった一突きをあしらうことくらいなら出来る。
だが心臓が止まっている今、たとえ相手がシースだとしても相手し続けることは厳しい。
ガルディアがイリスから距離を取ってくれれば、フローレンスは標的をリーナに変えることが出来る。
と、いうのはこの場全員の共通認識。
ガルディアは咄嗟に距離を取り、イリスはガルディアを逃すまいと氷を体から伸ばす。
しかし氷がガルディアのつま先を捉えようとしたその時、氷の動きがピタリと止まり崩れ始める。
「っくそ、魔力が……」
ガルディアがイリスと距離を取ったのを見計らい、フローレンスはリーナと対峙する。
リーナは初撃をいなされ僅かに動揺するもすぐに切り替える。
話は全部聞いていた。
今のフローレンスはようやく心臓が動き出し、まともに魔法を使えるまで僅かに時間が空くはず。
背後からの不意打ちを防がれた今、真正面からフローレンスと戦った場合の勝率は五分。
同じ賭けというのなら――――。
「イリス!!」
リーナは自身に掛けられた魔力体に魔力を込めて身体能力を強化する。
氷の短剣をガルディアに投げて牽制し、強化した足でイリスの元へ駆け込むと同時にかかとで土を巻き上げてフローレンスの視界を妨害する。
行動の意図を瞬時に理解したイリスもまた一歩でもとリーナに駆け寄る。
ガルディアに妨害される前に、フローレンスの魔法で止められる前に授吻を終える。
もうここまで来たら賭けるしかない。
だがイリスの中では不安が残る。
戦闘において最大の隙とも言える授吻。
――――刹那の時間すらも惜しいこの状況で授吻を終えることが出来るのだろうか?
「「んっ……」」
しかしその不安は杞憂であることをイリスはすぐに理解する。
唇を合わせた瞬間、空になった魔力葯にずっしりと重みが加わっていく。
リーナの特性は魔力濃度が非常に濃い特化型特性。
魔力濃度が濃いということは、少量の魔力でも高い能力を発揮する。
つまりは解花に至るまでに必要な魔力も比例して少なくなり、授吻の時間を短縮出来るというアドバンテージが生まれる。
フローレンスが舞い上がった土から視界を取り戻したのと同時、一気に空気が冷えて肺が凍える。
南の島の気候など一切感じさせない凍えた世界。
袖口や襟に毛皮の付いた白いロングコートを羽織って白銀の輝きを放つ髪をしたイリス。
荒々しく、それでいて冷徹な魔力にフローレンスは自分達の敗北を確信する。
「解花――氷外套。フローレンス、ガルディア……大人しく投降しろ。そしたら命までは取らない」
拘わらず
イリスはその身を危険にさらしてでも陽動係に徹した。
リーナはシースであるにも拘わらず攻撃に回った。
ブレイドやシースといった役割ではなく、各々が自分のやるべきことを全うした。
自分達が求めた答えの一つを見せられた気がして、もう戦う気すら湧かなくなっていた。
「自分の役割は自分で決める……。一つ伺っても?」
「……ああ」
「もし私が『庭園』に魅入られなければ、軍人という肩書に囚われなければ……私も今頃、貴女側に立ててたのでしょうか?」
「……さぁな。オレがこうしていられるのも結局は良い出会いがあったわけだし。だけど『庭園』を求めた気持ちも、周囲を見返したい感情も、別の方向に活かしていれば少しは違った結果になっただろうぜ」
「そうですか……そうですね」
フローレンスは種器を消す。
それは降参の意思と同意。
「……で、もう一人は?」
「大丈夫ですわ。ガルディアはもともと『庭園』に興味はありません。ただ私についてきただけ。私に戦う意思が無ければ何もしません」
証明するかのようにガルディアは胡坐をかいて待機していた。
「終わった……ってことでいいのよね?」
リーナは意外にもあっさりした終わりに困惑していた。
「だな。さて、とっととサラ達に合流しよう。悪いけどお前ら、降参したとはいえ野放しには出来ないから拘束させてもらうぞ」
「好きにしてくださいまし」
イリスは氷の檻を作り出し、そこにフローレンスとガルディアを幽閉する。
リーナの高濃度の魔力によって硬質に作られた氷の檻はシースのガルディアはもちろん、ブレイドであるフローレンスでも破るのは簡単ではない。
念のためフローレンスとガルディアの檻は分けて授吻出来ないようにもしている。
「正直、オレはお前らの気持ちも分かるから同情してやるけど、立場上お前らの処遇は司法に委ねるしかねぇ。だがせめてもの情けだ。騎士団に引き渡す前に望みがあるなら言いな。出来ることなら対応してやる」
「イリス、仮にも相手は犯罪者。あんまり下手なことは言わない方が……」
イリスの不用心な発言をリーナは咎めようとするが、イリスの真剣な眼差しとそれに向き合うフローレンスの表情に、これ以上の口出しは野暮なのだと理解する。
「そうですわね……一杯だけ、最後に美味しい紅茶が飲みたいですわね」
「肉! 肉が食べたいです!!」
「紅茶と肉か……。分かった、全部片付いたら持ってきてやるよ」
イリスが言うと、ガルディアは大きく喜び、フローレンスは小さく感謝の言葉を述べた。
そんな二人の反応に優しい笑みを僅かに浮かべた後、イリスは浜の方を見据えて口の端を引き締める。
解花状態とはいえ疲労が溜まっているものの、イリスとリーナはその先にいるサラ達の元へと急いだ。
そんな二人の背中を見守りながらガルディアは冷たい氷の床に寝転がり、フローレンスもまた氷の柵に背中を預ける。
疼く花紋、冷えていく身体は一切震えることはなく、二人は眠るように意識を落とした――――。




