第四十六話「もう遠慮しない」
凍てついた空気に耐えられず、あたしは視界を白で埋め尽くさた目を思わず閉じる。
鼓膜をつねられてるような高音に耳を塞ぎたくなるけど、イリスから手を放すと衝撃と寒風に飛ばされそうでひたすら耐えるしかない。
そして数秒を経て、静寂に切り替わる。
おそらくまだ冷気が残っているんだろうけど、凍てつくような風がないだけでも体感的には温かく感じた。
「うそ、すご……」
パリッとまつ毛から乾いた音をさせて目を開いたあたしは、広がる光景に驚きを隠せない。
地面、建物、草木――あたし達を中心に数百メートルが氷の世界に変わっていた。
大気中に舞う氷がキラキラと輝き霧散する。
そんな氷の世界の中、氷漬けになった建物や、召喚獣よりも一点に目が行った。
「はぁっ……かぇ……ぁぁ……」
ライアさんを除く生徒は全員氷の結晶の中。
ライアさんも緻密な魔力制御による防御で完全に凍ってはいないけど、半身は薄氷に包まれ、白い息を吐き出し、小刻みに震え、意識を保つことに必死でまっすぐ前を見たまま固まり、頭上にいるあたし達を見ていない。
「これがイリスの解花……」
イリスの創造型の魔法と、イリスのお姉さんの変換型の魔法。
この二つが掛け合わされることで生まれた威力。
確かに、これだけのものなら組み合わせようと考え、実行に至る人が居ても不思議じゃない。
そして、イリスは吹っ切れたように薄い笑みを浮かべていた。
「オレ、解花になったのは初めてだった。安定した魔力をもらってもなれることはなかった。解花になった時、姉さんが傍にいたような気がする。改めて、ありがとうサラ」
「…………」
直球の礼に、あたしは思わず固まってしまった。
「どうしたサラ?」
「えっ、ぁいや、そんな素直に礼を言われると思ってなくて。クールキャラのデレ、良いね!」
「もう二度と言わない」
「あ~んごめんって」
サムズアップするあたしにイリスはそっぽを向いてしまった。
泣きつくあたしにイリスは呆れて笑う。
目つきは鋭く不機嫌そうで、それでいて優し気な笑み。
イリスらしいっちゃイリスらしい。
「さ、この調子で試験も合格しよう!」
「ああ」
ダブルペタル試験の時間も残りわずか。
障害だったライアさんはもう何もできない。
もうあたし達の邪魔をする人はいない。
そして――――あたし達は試験に落ちた。
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「サラちゃん……大丈夫?」
試験が終わった次の日の教室。
机に項垂れたまま動けないあたしに、メイリーは優しく声をかけてくれた。
あれだけ大変だった分、落ちた時のショックは大きい。
それも、落ちた理由があたしが任務指令書を失くしたからなわけで。
「ほ、ほら試験は後期にもあるから……」
「うぅ……」
ダブルペタル試験は後期に追試がある。
でもあれだけ発破をかけておいてこの戦犯はイリスに合わせる顔がない。
今回の試験がきっかけでパートナーを解消したところもあるほどだ。
これがまだどうしようもない理由だったら多少の言い訳は出来るけど、百パーセントあたしの凡ミス。
追試でイリスに断られてもあたしには何も言えない。
「あ、サラちゃん。あっち」
あたしの体を揺らして指を指すメイリー。
鉛のように重たい頭を上げて指している方を見ると、教室のドア付近でイリスがこちらを見ている。
というか睨んでいる。
教室中の視線を浴びながら、不機嫌な顔をそのままに顎をくいっとやってこっちに来いと訴えかけていた。
「こ、殺される……」
「だ、大丈夫だよ!? ほら、あの子いつもあんな感じだし」
小動物のようにビクビクしながらあたしはイリスについていった。
連れて行かれたのは校舎裏、道中に一切の会話無し。
呼び出された理由は明確。
こんな時はすぐに謝罪するに限る。
「誠にすいませんでした!!」
イリスに土下座するのは何度目だろうか。
イリスが足を止めた瞬間に地面に頭をこすりつけたものだから、イリスは驚いて固まる。
「急にどうした?」
「え、いやてっきり試験のことで絞められるのかと……」
「そんなことしねーよ。オレはただお前に礼を言っとこうと思っただけで……」
「お礼? あたしに?」
「オレ、この学園でやっていこうと思う。姉さんが託してくれた夢、オレがやりたいこと。今度は遠慮なく。そう思えたのはお前のおかげだ。だからありがとう」
「そんなの全然いいのに。こっちは試験での失態で怒ってるのかと思ってヒヤヒヤしたんだから」
「悪かったな目つきが悪くて。ホントは試験終わった時に言うべきなんだろうけど、お前心ここにあらずだったし」
試験終了時、指令書を失くしてたことに気が付いたあたしは完全に魂が抜けてたからあんまり記憶にない。
「だからその……追試も組んでくれたらって思って……」
恥ずかしそうに頬を掻いて視線を外しながらイリスは言った。
「次も組んでくれるの? あんなやらかししたのに?」
「不幸を一緒に乗り越えるためのパートナーなら、失敗を一緒に受け入れるのもパートナーだろ。まーお前が良ければだけどな」
「……――イリスッ!」
「っちょ!?」
あたしは思わずイリスに抱き着いた。
照れくさそうに引きはがそうとしてくるけど、あたしはホールドをやめず、次第に直立したまま抵抗しなくなっていた。
「あ、そうだ……」
思い出したかのようにイリスが呟いて、あたしは一旦力を緩める。
「礼だけのつもりだったけど、やっぱりやっておく」
「やっておくって何が?」
イリスは困惑するあたしの髪をかき上げて丸見えになった額に唇を当てた。
額に軽く触れるような感触が、衝撃となってあたしの体中に迸る。
「えっ、はぁえ何!?」
「言っただろ? もう遠慮しないって。んじゃな」
「ちょっとイリス!?」
何が何だか分からず動揺して固まるあたしを置いてイリスは先に行ってしまった。
心を縛るものがなくなったのか、はたまた別の事情か、ポッケに手を入れて冷静に去るイリスの足はやや速く感じた――――。




