第三十九話「信頼の授吻」
イリスは過去を話してくれた。
手術後、イリスは当時軍に所属していて施設に突入してきたアレクシア先生に保護された。
この実験は世間的にも話題になってたらしく、捕まった研究所の職員が洗いざらい話したのでイリスの親がこの計画の考案者ってことも知られてるっぽい。
子供の中で数少ない生き残りだったイリスはしばらく軍が運営する孤児院に預けられ、先生の計らいで養成施設に通うことになった。
けどこの事件は思いのほか広く知られたらしく、養成施設でイリスが溶け込むには難しかったみたい。
イリスの親は人体実験を繰り返していた犯罪者、イリスは無意識とはいえ研究所で多くの人の命を奪った。
養成施設で過ごすのは子供ばかりで、そんな子供がイリスを恐怖の対象とするのに条件は十分だった。
「こんなオレでもかわいそうだからと関わってくれる子がいたんだ。けどオレはその子にも怪我をさせた」
「もしかしてそれが魔力暴走の……」
イリスはコクリと頷いた。
「オレの体に姉さんの魔力葯があるせいか、オレは無意識の魔力制御能力が欠落していて、その子と授吻したとき、周囲に氷の塊をまき散らした。幸い死人は出なかったけど、その子は怪我をして別の養成施設に通うことになって、ほかの連中もオレと関わることはなくなった。そりゃそうさ。オレの近くにいたらろくな目に合わないからな」
「でもそれはイリスが悪いわけじゃ……」
「でも原因がオレなのは変わらない。事情がどうであれ、オレは犯罪者の子供で、普通なら出来ることが出来ないのが原因なんだ。親の資産や地位を子供が引き継げるように、親の罪も子供に降りかかる。姉さんからもらった命、最初は姉さんのやりたいことをやっていこうと思ってたけど、次第にそんな気もなくなった」
「ライアさんはイリスの過去を知ってるって言ってたけど、イリスのことを知ってるのってホワイトリリーでどれくらいいるの?」
「養成施設時代からの知り合いは全員。後は事件が風化してることもあってそれほど深く知ってる奴は少ない。ライアはホワイトリリーにオレみたいな存在が居ていい場所じゃないってよく言ってたよ。今も言ってるけどな。ま、アイツの言うことはもっともだ。犯罪者の子供が国を守る騎士になるなんておかしな話だろ。姉さんならもう少し上手くやってたんだろうけどな」
「あの時、あたしと授吻しなかったのは、もしまた魔力暴走を起こしたらあたしが離れていくと思ったから?」
この数日イリスと関わってみて思ったイリスの印象。
人付き合いは苦手そうだけど嫌ってるわけじゃない。
ただ、イリスは再び孤独になることを恐れてる。
親しくなった人が離れていくのは辛いことで、イリスはそれを恐れている。
どうせ離れていくのなら最初からいない方がいい。
それが今のイリスが孤独になろうとする原因だ。
「お前はいい奴だ。世間知らずなのもあるだろうけど、こんなオレとここまで真剣に向き合ってくれたのは初めてだった。魔力が暴走してお前を傷つけた時、きっとお前はオレから離れる。お前がオレに近づくほど、いずれ来るその時が……恐い」
ここで、あたしはほかの子と違うというのは簡単だ。
でもそれを信じてもらえるほどイリスからの信頼は得られてないし、イリスの人間不信はそんな簡単に解決する問題じゃない。
「イリス、こっち向いて」
「なんだよ」
「向いて」
過去を見るイリスがあたしを見るように仕向ける。
「やっぱり今からイリスには授吻してもらいます」
「はぁっ!? お前、約束が違ぇじゃねぇか」
「土壇場でやったらまた拒否するでしょ。任務の一つは場所が分かってるし、ここでちゃんと授吻して特攻する。これがあたし達が出来る唯一の作戦でしょ?」
「それは……そうだけど」
ユリリア人にとって授吻とは握手とか挨拶のようなもの。
日常的に行われる信頼の証。
ならあたしとイリスが互いを信じるに授吻は必要不可欠だ。
「これは練習。大丈夫、あたしを信じて、ゆっくり、落ち着いて……」
あたしはイリスと額を合わせて言葉をかける。
もちろんこれはイリスだけじゃなく、自分にも向けた言葉。
今は戦闘中じゃない。
丁寧に、落ち着いて、ゆっくりと魔力を練る。
「じゃあ、いくよ……」
「あ、あぁ……」
鼻先が触れ、お互いの吐息が肌に触れる。
きめ細やかな柔肌、最初は怖かった鋭い目も今では凛々しくカッコいいと思える。
「「んんっ…………」」
アリシアやクレアと授吻したときはあたしが支えられていた側だ。
けど今回は違う。
あたしはもちろん、イリスも授吻には慣れていないことは魔力の流れで何となく分かった。
「「ぅん、んぁ……」」
最初は互いに様子を見ながら、そして次第に深く深く授吻する。
僅かな隙間から吐息が漏れて、あたしとイリスの舌が優しく絡まる。
魔力だけじゃなく、あたしの思いも一緒にイリスに流す気持ちで。
強張っていたイリスの体から力が抜ける。
あたしもイリスに体を寄せて支える。
そして練り上げていた魔力のほとんどをイリスに流し込み――――
「「ぷはっ、はぁ……はぁ……」」
顔を離し、あたしとイリスにかかっていた粘性の橋がプツリと切れる。
あたしから言い出したこととはいえ、やっぱり授吻は緊張するしまだ心臓が強く脈打っている。
「ど、どう?」
「あ、ああ。今のところ大丈夫。にしても授吻ってこんな感じだったんだな。久しぶりすぎて忘れてた」
「あたしの魔力の感想は?」
「うわ恥っず」
「急に冷静になるのやめて! あたしもちょっと恥ずかしいこと聞いた自覚あるから!」
「……感想、そうだな。優しくて温かい。それになんだかよく馴染む」
「お、おう……改めて聞くとやっぱり恥ずいね」
「――だな」
ちょっと微妙な空気になりつつも、あたしとイリスは目を合わせて笑い合った。
「さて、じゃああたしの魔力が消えないうちに攻めにいこっか」
「そうだな。時間帯的に向こうは野営の準備をしてるころだろうし、奇襲するにはうってつけだ」
ダブルペタル試験一日目の夜、あたしとイリスはようやくパートナーらしくなった。




