第三十八話「冷たい体、熱い感情」
その日、施設はやけに騒がしかった。
「ねぇ、起きてイリス」
姉さんに体を揺さぶられ、オレは目覚めた。
むくりと寝起きの重たい体を起こす。
大人たちがバタバタと走り回っている。
目の前では泣きじゃくるオレ達と同じ実験体の子供が無理やり連れていかれる声が聞こえる。
異常な場所ではあったけど、ここまで乱暴な様子は初めてだ。
「なんの騒ぎ……」
「なんかここの場所がバレたみたいで朝からこんな感じ」
「そっか……」
オレは思いのほか落ち着いていた。
無理やり連れていかれる子供の反応や聞こえてくる大人の話的に、計画を早めて移植手術を行うらしい。
つまりオレは今日死ぬ。
ただそれだけ。
しばらくするとオレ達の部屋の扉が開く。
オレ達の生みの親が、いつものように何の愛情も感情もない視線を向ける。
「ついてきなさい」
冷たい言葉。
オレと姉さんは素直に従ってついていく。
抵抗したところで逃げられないのは確実だし、オレも覚悟は出来ている。
姉さんはいつもならこの時も質問してたり能天気そうにどこかを見ていたりしていたのに、今ではオレと同じようにつまらなそうにしている。
さすがに死ぬかもしれないと分かれば姉さんもいつものようにはいかないのか。
見慣れた実験室。
ここほど機材やデータの揃った施設はなく、別に施設を移してもまた見つかるのは時間の問題。
ならここで本番に踏み切ろうということらしい。
オレと姉さんはベッドに寝転ぶ。
ネームタグを確認し、すぐに書類と向き合った。
実親を含めて数人の大人が手術の準備をしている。
オレは隣で寝転ぶ姉さんを見た。
何もかもを諦めた、まるで鏡でも見ているかのように寝転んでいる。
あれだけ外の世界を楽しみにしてたのに、この状況では希望に縋らないのかよと少し呆れた。
「これよりイリスの魔力葯をマリスに移植します。麻酔を始めて」
まぁいいや。
どうせオレは今日死ぬし、あとのころは気にしないようにしよう。
そしてオレは麻酔を打たれて意識を閉ざした。
――――熱い。
――――痛い。
全身の皮膚が燃えるような感覚、頭を掴まれて強引に振り回されているように脳が揺れて、内臓のすべてが体の外に飛び出そうと暴れだしているようだ。
「あ゛あぁあ゛あ゛あっがあぁあ゛あ゛ぁあああ!!!!」
体中の拘束が肉に抉り込んでも暴れる体を抑えられず、喉から血が出ても叫ばずにはいられない。
何人もの大人がオレの体を押さえつけて、口に布を突っ込んで舌を噛まないようにしている。
全身から汗が吹き出し、口を押えられて唾液と血が布に染みこむ。
視界が酩酊して、鼓膜からくるすべての音が頭の中で銅鑼を打つように反響する。
「あぁあ゛ああああああ!!」
体が重く、怠い。
暴れまわり体中の水分が抜け落ちたのか、酷い脱力感と記憶ががっぽり抜け落ちたように頭が回らない。
いつの間にか拘束は外れていて、部屋は薄暗く少し寒い。
起き上がり周囲を見渡し、あまりの光景に思わず吐いた。
「お゛ぇええ゛ぁえええッ!!」
大人たちは肉体を氷に貫かれ、部屋の壁は冷気を発した薄氷で覆われる。
ところどころ赤黒いシャーベットのようなものが地面に広がり、おそらく悍ましい臭気が出ていたのかもしれないけど、凍てつく冷気で鼻が利かない。
あれだけ何もかも出したというのに、オレの体から信じられないくらいの吐瀉物が出てきた。
それすらもすぐさま凍って固まり部屋の一部と化している。
何が起こっていたのか分からなかった。
なぜオレが生きているのか、この状況はオレが作り出したものなのか。
ただでさえ回らない頭では理解できなかった。
隣のベッドに居た姉さんはどうなったんだろうか。
薄暗い部屋ではここからじゃよく見えない。
おぼつかない足取りで姉さんのところに行った。
凍り付く血の通っていない白い肌、身体には臓器が取り出されたように切り開かれているのに、横たわっているその表情は安らかで、落ち着いていて、薄く笑みを浮かべているようだった。
オレはそこでようやく理解した。
オレの体には姉さんの魔力葯が移植されている。
計画では逆だったはずだ。
手術前にちゃんとネームプレートも確認して――――。
「……なんで」
オレの首にかけられているのは姉さんのネームプレートだった。
オレと姉さんは見た目は瓜二つ。
つまり実の親でさえこのネームプレートなしではどっちがどっちか判断できなかったということだ。
ネームプレートは常に首にかけていた。
入れ替えることが出来るとすればオレが寝ている間に姉さんが付け替えるしかない。
最初からそのつもりだったんだ。
手術前のあの様子も絶望したからじゃなく、バレないようにオレのふりをしてた。
意味が分からない。
やりたいことも知りたいこともあったはずなのに、自ら犠牲になることを選んだ。
こんな場所では愛情なんてないと思っていた。
親の愛も向けられないこの場所では、当然、姉妹の愛情なんて無いと。
「うっ、ううぅ…………」
心臓がきゅっとしまり、こみ上げてきた熱い何かを吐き出すように。
掻き切れた喉も気にならないほど咽び泣いた。
少なくとも姉さんはオレを愛してくれていたんだと、そしてオレも姉さんが居なくなって悲しむほどには情があったんだとこの時ようやく理解した。
もっと早く分かっていれば、もう少し違った形で姉さんと過ごせたはずだったのに。
けれどもう遅い。
もう何もかも遅かったんだ――――。




