44.ついていくのに必死
「先ほどの話ですが」
唐突に言われた。
「はい」
「お屋敷の音楽室には一通りの楽器が揃っています。
ピアノもありますよ」
「はあ」
領地伯爵家の屋敷だからなあ。
その気になれば広間で小規模とはいえ舞踏会が開けるくらいだ。
それはピアノくらいはあるでしょう。
「いいんですか?
私なんかが使って」
「実は、伯爵様から言いつかっておりまして」
真面目に言う執事の人。
そういえばこの人、名前はなんていったっけ。
いかん。
全然関心がなくて覚えてない。
「伯爵様が」
「サエラ男爵様からの大切なお預かりものですからね。
出来るだけ便宜を図れとのお言いつけです」
さようで。
やっぱり寄子の男爵様のことが気になるのか。
「ですが、今頃になってですか」
不思議に思って聞いたら言われた。
「最初はお気に止められてなかったようなのですが、末のお嬢様からあなたのことをお聞きになられたらしく」
「お嬢様が?」
何だろう。
未だに話すどころか見たこともないけど。
だって伯爵様のご令嬢だよ?
男爵の庶子ごときなんかご拝謁することすら無礼なのでは。
「学院で頑張っておられると。
失礼な言い方になりますが、以前は所詮孤児上がりの平民だと思っていらっしゃったようです。
ですが、気がついたら本科に上がってこられて」
どっかで見られていたらしい。
全然記憶にない。
「それは見苦しい姿を晒して申し訳ございません」
「いえいえ。
学業に邁進するあなたのお姿をご覧になって感銘を受けられたそうです。
暇さえ有れば図書室で勉学に励んでおられるとか」
あれか。
だって学院の講義って口述なのよ。
私の前世の人の記憶にある「教科書」なんかない。
紙自体が高価だし、生徒全員に同じ内容の本を配布するなんて狂気の沙汰だ。
何でも前世の人が読んだ小説では、悪役令嬢なる役割の人が私の存在が気にくわないからと言って教科書? を破いたり汚したりしたらしいけど。
そんなことをしたら一発で放校どころか犯罪だ。
本ってそれくらい貴重だから。
図書室から持ち出しただけで放校でしょうね。
鎖がついているから無理だけど。
万一やったら貴族籍も抹消で、実家もただでは済まない。
だから生徒は教授の講義を聞いて覚えるしかない。
特に王国の歴史とか、教授が言う事を必死で蝋板にメモするのが精一杯で。
講義が終わったら一目散に図書室行って歴史の本と首っ引きで調べていた。
それを見られていたらしい。
「ついていくのに必死で」
「判ります。私も学院出ですので」
ちょっと自慢げに言う執事の人。
名前、本当に何だったっけ。
「そうだったんですか。それはそうですよね。伯爵様の家臣であられるし」
「私には兄がいますので、最初は平民になる予定だったのですが。
兄が学院の伝手で王宮に採用されまして」
なるほど。優秀だったんだな。
「それで跡継ぎに?」
「いきなりでした。商人になるつもりで見習いを始めていたんですが、突然学院に行けと」
ああ、この人もそうか。
お父上が領地伯爵家の執事ということは、爵位はともかく貴族ではあるんだろうな。
少なくともその家系だ。
でも爵位はあったとしても下位だろうし、だったら跡継ぎは一人でいい。
つまり次男以下は平民になるしかない。
なのにその嫡男が王宮に出仕してしまったため、急遽お役目が回ってきたと。




