38.結局は暗記
「でも全部暗記というのは酷い」
「そういう人のためにこんなものがあります」
エリザベスが出してきたのは両手で持てるくらいの木の板だった。
表面はすべすべしている。
「これは?」
「蝋板」
なるほど。
私も男爵家で使っていたっけ。
もっと小さかったけど。
木の枠に蝋が塗ってあって、鉄筆で文字が書けるのよ。
へらで伸ばすと消す事も出来るから、繰り返し使える。
「でもこれ」
「そう。結局は暗記になるわね」
ですよね(泣)。
まあしょうがない。
文字や計算もこれで覚えたんだから、出来ないわけがない。
でも私の前世の人が使っていたという紙のノートやペン、あと何かよく判らないけど自動的に字が書けたり画像や映像まで記録したり表示したり出来る魔法みたいな道具に比べたらショボすぎる。
言ってもせんないけど。
最終的に私が選んだのは王国の歴史と政治経済だった。
女性なのに何でと思う?
我ながら柄に合わないけど、エリザベスが言うには社交に絶対必要だそうだ。
まず王国の歴史。
これが判ってないとパーティやお茶会で話を振られたら即詰む。
政治情勢や経済状況は一見女性には関係ないように見えるが、考えてみたら相手はみんな貴族なのよ。
つまり王国の政治や領地に露骨に関係する。
例えばある貴族女性が○○卿のご息女だとして、○○卿はどこかの領地の領主だったり王宮や役所のお役人だったりするわけで。
領地貴族だったら地理的歴史的な情報なしでは怖くてお話出来ないし、お役人ならどこの何という部署で何をなさっておられるのか、朧気でも知らないと失礼になる。
「ま、実際には知らない人も多いけどね。
でも完全に無知だったら本当に相手にして貰えなくなるから」
「それはそうよね」
「後、自分の実家について調べときなさいよ。
それすら知らないとなると、もう問題外だから」
確かに。
社交を舐めていた。
「始まりの部屋」ではみんなある意味落ちこぼれだったから気軽にお話していたけど、パーティやお茶会では貴族同士の鍔迫り合いになる。
弱点を見せたらあっという間に食い殺されそう。
「当分はお勉強ね」
「肝に銘じます」
授業は毎日あるわけではないので、空き時間は暇になる。
その分、他の講座を受けてもいいんだけど一度にあれこれやると混乱するから、とエリザベスに忠告された。
学問的な講座は一度にせいぜい3つが限界らしい。
でも他にもあるのよね。
例えば語学。
テレジア語はもちろん周辺諸国の言葉や教会で使われている古代文字などの講座もある。
そこら辺は私の前世の人が女子高生だった時に受けていた授業と似たようなものらしい。
なので、いくつか試しに参加してみてテレジア語の読み書きとお隣のゼリナ王国の会話の講座に申し込んだところ、ちょっと試験されたけどすんなり参加を許された。
実を言えばテレジア語の読み書きは今更なんだけどね。
貴族でそれが出来ない人ってあり得ないでしょう。
実際、入学試験に合格出来たわけだし。
でも私みたいに試験に不合格で「始まりの部屋」経由で本科に来た人たちは自国語も怪しい場合があるのよ。
そういう人たちのための救済措置らしい。
後は外国から来ている人とか、嫁いできたとか。
なので参加者の大半はテレジア王国民じゃなかった。
ゼリナ語は、比較的交流が盛んで親しく付き合っている隣の大国なので会話くらい出来たらいいよね、という趣旨の講座らしい。
というよりは本当は必修に近いとか。
社交界では普通に使われていたりして。
ただ、私の実家のサエラ男爵家みたいに地方に引っ込んでいる貴族にはあんまり関係がない話なんだけど。
でも気楽に会話していればいい、という講座だからということで受講することにしたわけ。




