340.視察
「教授とかはやらなくてもいいの?」
聞いてみた。
テレジアの学院でも名誉教授だか特任教授だかにされたのよね。
何もしなかったけど。
「講座を受け持つわけではございませんので。
ただし、年に何度かは特別講義ということで何かをすることになるそうでございます」
何かって何よ。
神聖軍事同盟はこの大陸諸国の運命を背負う組織だ。
当然、そこに集まってくるのは超エリートというか才能の塊のはず。
そんなの相手に私が何か言ってどうする。
「神聖軍事同盟盟主のお言葉でございます。
同時にミストア神聖教の巫女。
その英知の一端なりと示されれば」
サンディ、本気で言ってる?
あんた、私の正体知ってるはずなのでは。
テレジア公爵はともかく元は男爵家の庶子で更にその前は孤児なんだってば!
「にも関わらず聖下は」
駄目だ。
もういいよ。
それから私は暇に任せて色々やった。
巫女という立場はミストアでは無敵だ。
願えば何でも叶う。
だからといって贅沢やり放題というわけにはいかないけど、何か見たいとか行きたいと言えば大抵は通った。
巫女が行幸したいとか言えば大騒ぎになるので、変装した上で少数精鋭の護衛を伴ってあちこち見て回る。
ミストア神聖教は改めて観てみるともの凄い宗教、というよりは団体だった。
千年間続いているのよ。
しかもその歴史は途切れたことがない。
つまり、千年の間に何が起きて誰が何をしたかという記録や事績が全部残っている。
歴史博物館みたいな施設もあって、観光コースになっていた。
巡礼の定番みたいで、私は大陸中から集まってきた方々に交じって色々見学して回った。
例えばとある巫女が不便さと不潔さに耐えかねて導入したという最初の水洗トイレや公共浴場。
下水道と合わせて作られたという原型がまだ残っていた。
ローマンコンクリートだからあまり劣化していないし、途中から史跡として保護されてきたらしい。
「約八百年前のものでございます」
説明役の人が言っていたけど、それにしては妙に見覚えがある。
今はミストアだけじゃなくて大陸中に似たような設備があるけど、これって私の前世の人が使っていたトイレとそっくりなのでは。
「それはそうだろう。
巫女は前世持ちだからな」
私と同じように下位貴族の令嬢に変装したメロディが言った。
そう、この人は私が何か見たいとかどこかに行きたいとか言うと、どこからか嗅ぎつけてきてしれっと混ざるのよ。
諜報員がいるな。
まあいいけど。
「さすがに○ォシュレットは無理だったみたいね」
「それはそうだろう。
今でもまだ実現出来ていない」
巫女って前世は女子高生だからなあ。
文明の利器を使うことは知っていても、それを自分で開発したりは無理だったのね。
「それにしてはトイレや下水道は出来ているけど」
「こういうのは簡単な図でも書いて担当者に渡せば何とかなるものだ。
出来る事が判っているブツを開発するのは難しくない」
メロディが言うには完成形が判っていれば、後は逆算してそれに近づけていくだけでいいそうだ。
リバースエンジニアリングっていうの?
もっとも電気回路とか半導体とか、あるいはガソリンエンジンなんかはまだ無理。
金属加工技術や精錬技術が発達していないと作れないものは作れない。
「それも試行錯誤で何とかなるんだがな。
ある程度まで出来たら一気に進むはずだ」
「どういうこと?」
メロディが説明してくれたところによると、例えば今までより硬かったり丈夫だったりする金属が試行錯誤の末に出来たとする。
その製法が再現できれば、次はその方法で今までより高温や高圧力に耐える部品が作れる。
この場合、作るのは製品じゃなくて工作機械の部品だ。
その工作機械を使ってこれまでより高品質な金属や部品を作る。
その繰り返し。
「ああ、そういう」
「そうだ。
製品を作るのは工作機械や工場だからな。
その工場を作る工場を作る。
最初はヨチヨチ歩きでも、それをくり返していけばいずれは」
なるほどなあ。
技術の発達ってそうやって進むのか。
「だったらこのトイレは?」
「これは完成形が判っていて、なおかつ当時の技術水準でも作れたから再現出来たんだろう。
水洗トイレも下水道も、突き詰めれば単なる水路だからな」
メロディ、どこからそういう知識を持ってくるんだろう。
私なんか前世の人が理系というわりには全然無知なのに。
「理系だからじゃないか?
論理的に考え過ぎるとこういう発想には至らないというか、そこまで行かない気がする。
私の前世は文系だったらしいから、かえって一足飛びに理解していたんだろう」
文系恐るべし。
確かにあんまり理詰めで考え過ぎると行き詰まるよね。
何かをコツコツやるのは理系に向いているけど、大胆な発想とかぶっとんだ思考とかは文系頭脳の得意分野だとか。




