309.船酔い
配膳が終わるのを待ってちょっとお祈りしてから食事する。
このお祈りはミストア神聖教のもので孤児院で覚えさせられた。
教会付属の孤児院だからというわけではなく、平民は普通にやるのよね。
貴族はまた別の方法があるんだけど、やるかどうかは人次第みたい。
ところでミストア神聖教って宗教というよりは慈善団体、いやむしろ福祉財団みたいなものなので、特定の神を信仰しているということはない。
漠然と「大いなる神」みたいな概念があって、祈りと言っても日々の恵みに感謝しましょうという程度だ。
大昔の大帝国時代には何か別の信仰があったらしいんだけど、今は廃れてしまって歴史の本にしか出てこない。
神に祈っても助けてくれない。
ミストア神聖教は困ったら相談に乗ってくれるけど、神聖教って特定の神を信仰してないのよね。
どうも初代巫女が無信仰者だったらしくて、一神教も多神教も流行らなかった。
教会も庶民に信仰を押しつけたりしてないし。
まあそんなことはいい。
食べてる最中に気がついた。
私、船酔いしてないのでは。
「グレースは大丈夫なの?」
「殿下の薫陶を頂きまして」
いや私は何もしてないんだけど。
船の揺れは収まってないどころかだんだん振幅が大きくなっているみたいだけど、私の身体は自然に揺れに合わせている。
食欲はあるし食事は美味しい。
気分は爽快だ。
助かった。
食事を終えるとグレースが手早く食器を回収してワゴンに乗せて去った。
入れ替わりに専任侍女が来たので聞いてみた。
「皆様はどう?」
「その……大半の方は寝込んでおられます。
それを予期して乗船し次第、ベッドに潜り込んだ方も多く」
やっぱりか。
王女様方ってメロディやロメルテシア様と同様に、テレジアに来るときは船旅だったはずなのよね。
陸路ではなかなか来られない方も多い。
だとすると事前にこの洗礼も経験済みのはずだ。
本当言うと二度とご免な方もいらっしゃったと思うけど、私がミストアの御用船で行くと決まってしまった以上、是非もなかったんだろうな。
悪い事をした。
「貴方も大丈夫みたいね」
「殿下のお側に控えさせて頂くためにはあらゆる障害を打ち破るのは大前提でございます」
サンディも変になっちゃってるなあ。
昔はそうでもなかったのに。
最初から変だったのはグレースの方で、サンディはむしろ覚めていたと思っていたんだけど。
「これまでずっと殿下のお側に控えさせて頂きました。
調伏されるのは当然でございます」
サンディ、あんた悪鬼羅刹の類いだったんかい!
冗談はさておき、私は船酔いしないとは言っても書類を見たりするのには抵抗があるからぶらぶらして過ごした。
甲板にも出てみた。
風が強くて波が荒い割には天気は快晴で気持ちがいい。
若干暑い気がするけど許容範囲内。
外に出ると揺れが実感出来る。
だって水平線が目に見えて上がったり下がったりするのよ。
それも前後左右に結構大きく揺れてたりして。
専任メイドと専任侍女に加えて女性近衛騎士が私が倒れでもしたら庇おうとくっついてくる。
なので舷側には近寄らないで適当に引き上げた。
ここで万一海に落ちでもしたらどんなことになるか。
想像もしたくない。
このまま客室に戻るのも何なので御用船の中央にある広い部屋に行ってみた。
家で言えば居間だ。
ソファーが配置されていてちょっとした飲み物が作れるように小さなキッチンがついていたりして。
さすがミストアの御用船。
豪華だ。
「マリアンヌ様」
先に来ていたらしい数人の王女様たちが迎えてくれた。
「皆様、お元気で」
「はい。
我が国は海洋国家でございますので」
誰だったか、いかにも俊敏そうなショートカットの茶髪の王女様が元気よく答えてくれた。
「我がエンテリィの国民は歩くより速く泳ぎを覚えますし、立てるようになれば海に出ます」
さいですか。
凄いですね。
「私のモンドラは海なし国なのでございますが」
こちらは銀色の長い髪を流した麗しい王女だ。
私の前世の人の世界で言うと北欧神話の誰かみたい。
あるいはエルフとか。
「国中に巨大な湖とそれを繋ぐ運河がござまして、国内の交通は船頼りでございます。
天候によっては湖面が荒れて」
「ああ、それで慣れていらっしゃると」
「はい。
王家の者はこの試練に打ち勝たなくてはならぬと先祖伝来の申し送りがございまして」
モンドラの姫君はレイラ様とおっしゃるのだが、いくら王家の者だと言ってもみんながみんな最初から船酔いしないわけではないそうだ。
大半の者は初めて湖面で嵐に遭遇すると胃液まで吐いて酷い事になるとか。
「レイラ様もご経験なさったのでございますか」
この麗しい姫君が顔を歪めて胃液を吐き散らす様子は想像出来ないけど。
「はい。
最初は死ぬかと、というよりは何度か死んだと思いました。
その後も似たような状況が続いたのでございますが、次第に慣れまして」
今ではどんなに荒れても平気でございます、と誇らしげな姫君。
そういう矜持もあるのね。
ていうか死にそうな姫君を何度も船に乗せるってモンドラ王家は鬼か。
よその国の事だから別にいいけど。




