196.公爵家
ちょっと待った!
何で私が?
私、まだ学生なのよ?
メダルも3つしか頂いてないし(泣)。
「教授が学生を兼ねてはならないという規則はございません」
しれっと言う侍女見習い。
それはそうかもしれないけど。
「でも私、誰かに何かを教えるのは無理です」
「この場合、特任教授は采配を振るうのがお役目でございます。
実際の講義や研究は配下の助教が行います」
「それについては私共がお役に立てるかと」
ライラ様が割り込んだ。
「私は歌劇を通じて芸術方面にコネがございます。
外交の支援という名目で芸術・芸能の技能者を育てる講座を開設したく」
ライラ・シストリア様は既にいくつかの歌劇に出演している歌姫だった。
そっち方面に進みたいのか。
「外交というのなら私のコネが使えるかと」
モーリン様が勢い込んでおっしゃる。
「祖父が辺境伯ですので、外国との交渉もお役目でございます。
私も将来はそちらに進みたいと」
「私は軍関係なら」
ユベニア様のお父上は王都第三師団の師団長だものね。
何てことだ。
テレジア公爵家の侍女見習い、もの凄い集団だった。
「……というような提案なのでございますが、いかがでしょうか?」
ルミア様のお父上は国王陛下の懐刀だ。
つまり、この提案? は既に王政府に承認されている。
判りました。
いいでしょう。
「……良いと思います。
進めて下さい」
そう言うしかないよね。
私は喜んで案山子になります(泣)。
「「「ありがとうございます!」」」
「ただ、予算などの兼ね合いもあると思いますから家令に」
「ご命令通りに」
既に根回しが済んでいる臭いな。
多分、テレジア公爵家だけじゃなくて王政府とかからもお金が出るんだろう。
そうしないと公爵家の独占事業になってしまう。
その辺りは任せていいか、というよりは私は知らん。
「よろしくお願いしますね」
「「「お心のままに」」」
それ言っておけばいいと思ってない?
まあいいけど。
侍女見習いの方々が一斉に礼をとった後、嬉々として去るのを尻目に私はぐったりとソファーにへたり込んだ。
すかさずグレースが冷たいグラスを差し出してくる。
有り難い。
なぜか喉がカラカラだ。
「お見事でございます。
さすがは古き青き血の」
もういいよ!
その後も単調な毎日が続いた。
領地の視察は延期になった。
王家直轄地からテレジア公爵領に移行するに当たってゴタゴタが続いていて混乱状態らしい。
平民はともかく貴族やお役所関係では大規模な人事異動の最中で、とてもぽっと出の新任公爵の相手をしている暇がないとか。
いや直接は言われてないけど。
私としても、別に急いで領地を見たいとか思ってないから喜んで承諾した。
そもそも行ってもよく判らないだろうし。
領地貴族って、本当言えば幼い頃から現地で修行して当地に根付いた平民や重要な人達と親しく語らい、先行者について見習いを続けてやっと独り立ちするものだ。
間違っても元孤児で男爵家の庶子だったような奴があっさりなれるような立場ではない。
そもそも公爵ともなれば普通は直接領地を統治したりはしないらしい。
寄子の侯爵以下の貴族がいて、その人たちに全部丸投げする。
侯爵や伯爵は自分も領地貴族なので、さらにその寄子の子爵以下の下位貴族に代理統治させる。
あとは良きに計らえということで。
だから本当言えば寄子や現地のお役所のトップさえ知っていればいい。
そういえば王国史や礼儀の講義で習ったんだけど、テレジア王国の公爵の立場は他の国とはちょっと違っているそうだ。
テレジア王国は二百年ばかり前に、この辺りで勢力争いをしていた豪族? たちが連合して立ち上げた国だ。
その際、一番強力だった勢力の長が王家を名乗って他の連中は公爵家となった。
つまり当時は王家と公爵家は主人と臣下という関係じゃ無くて、むしろ仲間というか対等に近かったみたい。
代々のテレジア国王は国内をまとめるために、王妃を必ずいずれかの公爵家から娶った。
また積極的に王子や王女を臣籍降下(嫁)させた。
そのために二百年たった今ではみんな近い親戚になっているそうだ。
だからこそ、私の祖父上がやらかした時にあっさり王位を譲ることが出来たわけで。
そして旧王家の継承者がテレジア公爵家を立ち上げた。
これって見かけは王位簒奪とか禅譲に見えるけど、実際には王家と公爵家の支配者グループ内でのトップ交代でしかなかったと。
なので、よその国みたいに王家と公爵家の確執とか対立とかはまずないみたい。
ちなみに他の国では王族が臣籍降下する場合、公爵家を立ち上げることが多いけど、テレジア王国では禁止されている。
臣籍降下する場合は公爵家に婿入りするか、あるいは侯爵以下の爵位を得るだけだそうだ。
だから公爵家は増えも減りもしないし王家に反旗を翻すこともない。
家令に聞いてみたら頷かれた。
「すると反王党派って?」
「トップは侯爵家が主ですな。
そもそも反王家というよりは貴族内での勢力争いのようなものでございます。
反乱や簒奪に至るようなものではございません」




