184.書類にサイン
すると控えていた専任侍女が言った。
「家令のお話では、近い将来にこの離宮で貴顕のおもてなしをする予定だということです。
なので」
「ああ、そうね。
晩餐会を開催することになるのか」
しかも外国人の可能性が高い。
本格的な宮廷料理を提供する必要があるかもしれない。
「家令に任せると」
「お心のままに」
専任侍女がうやうやしく言った。
これで私のお仕事は完了。
書類にサインするのと同じで、私が許可しないと物事が動かないらしい。
もっとも実際にはとっくに料理人の手配は済んでいると思うけど。
事後承諾を許さないと時間がかかってしょうがないのよね。
儀式みたいなもので、それでも確認が必要だ。
食べ終わったら専任メイドに指揮されるメイドの集団にお風呂に連れて行かれて洗われた。
その後、髪を乾かしながらコーヒーで一服していると家令が来た。
「失礼します」
「構いません。
何か?」
「早急に決裁して頂く必要がある書類がございます」
あちゃー。
言われてしまった。
正式に公爵に叙任された以上、そういうお仕事からは逃げられない。
でも食事が済んでお風呂に入った後で持ってくる?
「高位貴族は皆似たようなもので」
「判りました。
執務室に行く?」
「お願い致します」
というわけで私はまた着替えさせられ、夜中までかかって書類にサインし続けたのだった。
何の書類なのか判らなかったけどいいのだ。
それが貴族。
結局一区切りついたのは夜も更けてからだった。
昼間にたっぷり寝たから眠くはならなかったけど疲れた。
お風呂は断って夜食をちょっと摘まんでからベッドへ。
「おはようございます」
専任メイドが天蓋付きベッドのカーテンごしに呼びかけてくる。
「おはよう」
「入浴の用意が出来ております」
「わかりました」
朝風呂も基本になってしまった。
そのうちにこれが当たり前になっていくんだろうな。
ベッドから出てご不浄に行ってからお風呂場へ。
湯船は猫足付きの豪華なものだけど狭いのよね。
もう少し待つと離宮の大浴場が使えるようになるらしいけど、使うためには事前予告が必要だそうだ。
大量のお湯を沸かすのって大変だから。
お風呂から上がって髪を乾かしながらテラスで朝食を摂っていると家令見習いが来た。
「おはようございます」
「おはよう」
「本日のご予定ですが」
アーサーも公爵家に馴染んできている。
感情を見せなくなっているのよね。
ミルガスト伯爵家のタウンハウスで軽口たたき合っていた頃が懐かしいけどしょうがない。
「午前中は執務室にて決裁をお願いします。
昼食後、この離宮で雇用する使用人の面接を予定しています」
「使用人ですか」
「はい。
御身の身近に侍る者については相性というものがございます。
とりあえずは仮採用の形で働いて頂きますが、その前にご確認下さい。
ご不満があれば解雇致します」
ああ、そういうことか。
使用人といっても上級というか、貴族階級の人たちだ。
下働きの下僕やメイドの雇用については公爵が口を出すことじゃないけど、侍女や側近は貴族籍を持つ事が多い。
というよりはほぼ貴族。
ただの使用人じゃなくて専門家みたいなものだしね。
家庭教師の人に教えて貰ったんだけど、テレジアではかなり前から高位貴族家の上級使用人は学院出でなければ採用されなくなっているそうだ。
いくらコネがあっても、例えば侍女になるためにはそれ相応の講座のメダルを持っていないと弾かれる。
下位貴族家はそうでもないんだけど、それでもメダルがあった方が有利。
おかげでテレジア王国全体で貴族家使用人の質が向上しているとか。
仕事の技能には直接には関係ないはずのダンスの先生たちも学院出じゃないと雇って貰えないと言っていたものね。
テレジア王国って学歴社会なのよ。
あー良かった。
私、もうメダルを3つ持ってるから焦らなくてもいいんだ。
「判りました」
「では」
というわけで私はデザートのコーヒーを飲んだ後、執務室に連行されて書類のサイン三昧。
急ぎの書類は昨日片付けたらしくて、本日の案件は執務担当者に簡単に説明して貰いながら進めた。
専任執事によれば、これは私の訓練でもあるというので手は抜けない。
でも正直、何とか河の浚渫工事とか何とか街道の補修とか言われても判らないのよね。
ふんふんと聞いているふりをして、終わったらサインするの繰り返しだった。
それでもずっと続けていると朧気にだけどテレジア公爵領の状況が判ってくる。
聞く限りにおいてだけど、上手く回っているみたい。
代理領主の人が優秀なのか、使用人が凄いのか。
両方だろうね。
何てったって元は王家の直轄領だ。
代理領主以下使用人も優秀な人が選ばれているだろうし。
汚職なんかは厳しく摘発されて清浄な状態だとみた。
私が領主になって崩れなければいいけど。
そのためにも頑張らないと。




