プロローグ
ヒロインとして乙女ゲーム世界に転生。
確かめた限りでは、覚えている小説と寸分違わない設定。
私の立場も小説通り。
でも、あれ?
とうとう、来てしまった。
私は絶望しながら立派な門を見上げた。
ここはテレジア王立貴族学院。
私はこれから新入生としてここに通うことになる。
自分で言ってて馬鹿じゃないかと思うんだけど、ここは私が前世で読んだ「愛は白き輝きと共に」というダサい題名の小説の世界だ。
私には前世というか、21世紀の日本という国で生活していた記憶がある。
女子高生、という種族だったみたい。
もちろん、私はその記憶の持ち主というか日本で生きた人自身ではない。
ただそういう思い出があるだけだ。
「思い出」で片付けるには詳しすぎるけど。
私はテレジア王国から爵位を頂いているサエラ男爵家に引き取られた孤児だ。
何でも亡くなった前サエラ男爵様がちょっと訳有りのメイドに手を出して生まれてしまった女の子が私だったのだが、そのメイドは手切れ金を受け取って私を生んだら教会に預けてどっかに消えてしまったそうな。
私が13歳になって、そろそろ孤児院から出ていってくれないかな~という視線をシスターから向けられ始めた頃、今のサエラ男爵様が代替わりしてからそのことを知って、わざわざ引き取ってくださった。
血の繋がった妹がアレになっていくのは気分が悪いということで。
幸いにしてサエラ男爵様の奥方様やお子様たちもとてもいい人たちで、私の事はちょっと変わった親戚くらいに思ってくださっている。
私には感謝しかない。
だって孤児院出身の女の子の行く先ってほぼ決まっているでしょ!
酒場の女給ならマシな方で、大抵は2階にある個室でお客さんをもてなすお仕事に就くことになる。
孤児院にいた先輩たちからそこら辺は詳しく聞いていたりして。
尚、娼館とか修道院とかはあり得ない。
だってそういう場所に入るには教養が必要だから。
孤児院ではかろうじて自分の名前が書ける程度は教えて貰えたけど、紳士方や貴族のお相手が出来るほどの知識やマナーは無理だ。
教育ってお金がかかるんだよ。
なので、実は男爵家に引き取られて促成栽培で貴族としての最低限度の礼儀や一般教養を教えて貰えた私なら、かろうじて高級娼婦として娼館に入れるかもしれない。
そうならないためにも頑張る必要があるわけで。
私の腹違いの兄であるサエラ男爵様(ナイスミドルなおじさま)からは、別に政略とかないので進路は好きにしていいと言われている。
どっかの下級貴族を捕まえても良いし、何なら平民に嫁ぐのもいい。
何にしても男爵家から持参金付きで嫁に出して貰えるそうだ。
学院でいい成績をとってお城やお役所の女官や事務官に採用されるのも可。その時は身元保証して頂ける。
就職や婚姻が駄目でも下級貴族の師弟向け家庭教師や貴族家の侍女になるのに後ろ盾になってくださると言われている。
私なんかがそこまで厚遇されていいものだろうかと疑ってしまうレベルなんだけど。
ちなみに私の前世の人の記憶によれば、物語によっては貴族の娘が平民墜ちしてたくましく生きていったりするらしいけど、それはあり得ない。
いや、やろうと思えば出来ないことはないと思うけど、あまりにももったいなさ過ぎる。
だって貴族だったんだよ?
教育にどれだけのお金がかかっていると思っているのよ。
商家の下働きとかそこら辺の店の店員なんか教養がありすぎて拒否されてしまう。
何より雇って貰えない。
誰が自分よりデキる配下を雇いたいものか。
なので、働くとしてもどうしても後見人というか保証人がいるようなランクの職場になる。
それは有り難くお受けするとして、私としては充分なんだけど。
そこで私の前世とやらの記憶が邪魔するのだ。
その記憶が蘇ったのはサエラ男爵様に引き取られてお屋敷に行った時だった。
見覚えがあった。
男爵様や奥方様じゃなくてお屋敷に。
「ここ、知ってる」
思わず呟いてしまったけど誰にも聞かれなかったのは幸運だった。
そう、ダサい題名のあの小説の口絵に出てきたのだ。
ヒロインが孤児院から引き取られて初めて貴族のお屋敷に入るシーンの。
私の前世? の人は女子高生という種族だったんだけど、自分自身についての記憶はほとんどない。
ただやたらに異世界とやらを舞台にした小説や絵物語、というかよく判らないんだけど絵が音付きで動く娯楽を嗜んでいて、そのうちのいくつかを鮮明に覚えていたのだ。
「愛は白き輝きと共に」の粗筋はこうだ。
孤児院で育ったヒロインは男爵家の庶子であることが判って引き取られ、テレジア王立貴族学院に入学する。
そこで出会うのは様々な悩みを抱えた貴公子たち。
ヒロインは元孤児ならではの身分を越えた天真爛漫さでその貴公子たちと親しくなり、彼らの悩みを一緒になって解決していくことで、彼らの愛と尊敬を勝ち得ていく、という。
無理でしょう!
まず第一に身分はそんなに簡単に越えられないって!
越えるとしたら夜の怪しい場所で紳士と娼婦としてくらいだ。
そもそも小説に出てくるテレジア王立貴族学院の設定自体がナンセンスだ。
王家や高位貴族のご子息と男爵家の娘が一緒に学ぶとかあり得ないでしょう!
教育内容自体、全然違うんだよ。
そんな授業はテレジア王立貴族学院にはない!
マナー教育で知ったんだけど、テレジア王立貴族学院は文字通り王家が配下の貴族を教育するための機関だ。
成人して実際に社交界にデビューする前の貴族の子弟をビシバシ鍛えるための場所で、だから身分制度はバリバリだ。
間違っても高位貴族の御曹司と庶子な男爵令嬢が親しくつきあえる環境じゃない。
しかもだ。
小説に出てくる貴公子たちは全員、異常なほど過酷な環境で育ったせいで拗れまくっている。
それぞれ状況は違うけど、よく学院入学どころかこれまで無事に育ったな、と感心してしまうくらい酷い過去があるのよ。
例えば兄弟のうち一人だけ髪と瞳の色が違うために母親が不貞を疑われて自殺し、本人は物置で残飯を与えられて育ったとか。
産褥で母親が亡くなったために母親を溺愛していた父親に無視されて育ち、嫡男の立場を狙われて親戚縁者から絶えず暗殺されかけていたとか。
黒目黒髪だったために親兄弟から悪魔呼ばわりされ、使用人も荷担して飢え死しかかった所を心優しいメイドに救われたけど、そのメイドが何者かに陵辱されて殺されたとか。
武で有名な家系で親類縁者すべてがゴリゴリの筋肉系なのに一人だけ華奢な見かけだったために、生まれてからずっと見下されて続けてきたとか。
そんな残念で悲惨な人たちだけど、身分だけは高い上に貴族名鑑に正規の貴族の令息として登録されているためテレジア王立貴族学院に入らざるを得ない。
テレジア王立貴族学院は身分がものを言う。
なので拗らせまくったその人たちには誰も近寄らず、怖い者知らずというよりは無知なヒロインだけが声をかけるのだ。
いや、小説のヒロインはそれやれたかもしれないよ?
天真爛漫というよりは少し馬鹿なんじゃないかと思うけど。
でも私は駄目だ。
そもそも天真爛漫というタイプじゃないし、身分制度の恐ろしさについては男爵家で受けたマナー教育で思い知っている。
ていうか別に教育受けなくても普通に判るよね。
お貴族様と庶民は違うというか別世界の生物だ。
生きている世界がまったく違う。
簡単に言えば貴族は平民とは違ったルールで生きているのよ。
そしてマナー教育で習ったんだけど、貴族社会では身分が絶対だということだった。
それはもう、貴族と平民以上の差がある。
貴族といっても例えばサエラ男爵様は平民とも割と親しく話すし、多少の無礼やマナー違反があっても笑って流してくださる。
貴族からみたら平民は保護するべき対象であって、無知だったり無礼だったりすることは仕方がないと解釈されるからだ。
家畜が威嚇したり吠えたりしても飼い主がいちいち目くじらを立てないようなものだ。
あんまり吠えたり噛みついたりしたら始末されるけど。
だけど貴族同士の場合、同類同士だから文字通りの生存競争相手だ。
油断したら潰される。
それも自分だけじゃなくて「家」ごと。
だから貴族は身分を重視し、マナーによってお互いのテリトリーと影響力を確認しつつ付き合う。
王家を頂点とした厳正なる身分社会に組み込まれることで自分の立場を守るんだよ。
それが判っていない者は容赦なく排除される。
テレジア王立貴族学院がなぜ「王立」で「貴族」なのか。
若年の貴族を教育するだけではなく、どうしても過酷な貴族制度に馴染めない異物や反乱分子になりそうな者を予め摘発・排除するための機関でもあるからだ。
だから気をつけなさい、あなたは底辺の中でもさらに最底辺の身分なのだから、とマナーの先生がしつこく教えてくれた。
男爵家の庶子で員数外の女子なんか貴族に含まれるのかどうかすら怪しいくらいで。
でも男爵様が過剰な親切心を発揮したため、私も貴族名鑑に登録されてしまったからには学院に行くしかない。
行かないと謀反とか反逆を疑われるから。
はっきり言って恐怖しかない。
モブはモブらしく貴公子に関わろうなどとはしないでひっそりと隠れていたらいいんじゃないのかって?
出来れば私だってそうしたいわよ!
でも駄目な事情がある。
「愛は白き輝きと共に」のヒロイン(つまり私)は男爵と名も無きメイドの子ということになっているけど、実はこのメイド自身が某貴族家の御曹司とメイドの間に生まれた庶子だったりする。
王家に連なるその貴族家ではなぜか世継ぎに不幸が続き、とうとう正統な血脈が絶えてしまう。
そこで誰かが「そういえばあのメイドが産んだ娘はどうした」と思い出して追跡したものの、娘自身は行方不明。
だがその娘は消える前に当時のサエラ男爵との間に庶子を作っていたことが王家の影の調査で判明する。
余計なことしやがって!
私は訳が判らないデスゲーム的な小説のヒロインなんかやりたくない。
男爵家から裕福な平民の商家とかに嫁入り出来れば御の字なんだよ!
でも無理だ。
学院入学前に王家に目をつけられている。
サエラ男爵様は何も知らないから頼れないし、そもそも王家や高位貴族家に対して男爵ごときに何が出来るというのだ。
いや、それ以前に親切にしてくださった人たちを巻き込みたくない。
だから何も知らないふりをしておとなしく学園に行くしかない。
というわけで小説が始まる前から八方塞がりな私なんだけど。
明るい材料はないこともない。
例えばサポートキャラ。
乙女ゲーム小説らしく、ヒロインには学院に入学早々情報通のお友達が出来るのだ。
エリザベスという高位貴族家の悪役令嬢のような名前だが、その実商人として成功している男爵家の娘だ。
エリザベスの実家は貴族相手に手広く商売をしている。それも高価な宝石やドレスなどを扱うため、高位貴族家の情報に異様に詳しい。
そして何が気に入ったのかヒロインに攻略対象の情報を惜しげもなく教えてくれるのだ。
小説の後半で明らかになるが、実はエリザベスもいずれは高位貴族家に引き取られて大のお得意さまになりそうなヒロインを下心ありありで支援していたんだけど。
それでもサポートキャラの存在はありがたい。
私は前世の記憶とやらのために小説の設定には詳しいけれど、正直それだけで渡っていけるほど世間は狭くないだろう。
貴族社会なんか地雷原みたいなものだろうし。
もっともこれまでのところ、私が覚えている乙女ゲーム小説の設定と現実にはいささかの違いもない。
設定は。
もちろん小説のキャラではなくて生きている人間なんだから、人の行動には小説と違いがある。
例えば私はヒロインじゃないし、あんなに健気な性格していない。
でも生まれや育ち、周りの環境なんかは小説の通りなのよ。
孤児院も男爵家も。
おそらく学院も同じだろう。
人の行動や関係は変化しても、「設定」自体は揺るぎもしていないんだよなあ。
多分、この世界は最初の乙女ゲーム小説の初期設定だけを切り取って始まったんじゃないかと思う。
そこから先はアトランダムというか、それぞれ現実の人間が個人ごとに勝手に動く。
でも元々の展開とあまり違いは出ない。
前世の記憶によれば、その世界にはRPGとかいわれるゲームがあったらしい。
そのゲームでは主人公がイベントごとに選択肢を選ぶことになっているとか。
最初はみんな同じ所から始めても、プレイヤーによって主人公の運命や進路、状況が違ってくる。
でも大前提が同じなんだから、大局的にみて全体の粗筋は似たようなものになるというか。
まあ、主人公が失敗したら死んじゃってそこで終わりになったりするかもしれないけど。
現実はもっと凄い。
だって選択肢があるのは主人公だけじゃなくて脇役やモブに至るまでそうなんだよ。
あらゆる人が勝手に動いて、その結果がまた他の人に影響を与えて。
なので細かいところには結構違いが出てるんじゃないかな。
攻略対象の貴公子の皆様はどうなっているんだろうか。
知りたくないけど。
それでも知らないままだともっと怖いので、私は入学式(これも小説とはかけ離れていた)の後、早速お友達になったエリザベスにそれとなく聞いてみた。
「あの……噂で聞いたんだけど」
「なになに? なんでも教えちゃうよ!」
言い忘れていたけどエリザベスは赤毛で小柄な可愛い娘だ。
活発そうで、実際にエネルギーに満ちあふれている。
美少女というよりは可愛子ちゃんというタイプ?
ギャルとかいうらしい。
いや私の前世の人の言い方だけど。
「ええと……学院の先輩に高位貴族の方々がいると聞いているんだけど」
「高位貴族家の方というと……ベネス侯爵家、フラニ侯爵家、それにトレナ辺境伯家かな? 伯爵家の方は結構たくさんいるけど高位貴族というわけじゃないし」
え?
「タラ公爵様やマリム侯爵様のご子息がいるって聞いたんだけど」
攻略対象とやらの貴公子は4人。
ラキア・タラ公爵子息はご兄弟がみんな豪奢な金髪碧眼なのに、おひとりだけ色違いの茶髪赤目で生まれてきてしまった方だ。
ロット・マリム侯爵嫡男は絶えず親類縁者から命を狙われている。
ソラルナ・ホイットコム侯爵子息は黒目黒髪。別名悪魔の子。
ユオ・レットルナ辺境伯子息は銀髪碧眼。兄弟姉妹の中で一人だけ華奢な見かけなために軟弱だと蔑まれているという設定だった。
でも身分は高位だから、それぞれ学院では「孤高の貴公子」と呼ばれているはずなんだけど、エリザベスが知らない?
みんなタイプは違えど美形なんだけど?
そのことを言うとエリザベスは軽く言った。
「ちょっと調べてみるね!」
数日後、エリザベスは困惑した様子で私を人気のない場所に呼び出した。
「調べてみたんだけど」
メモを見ながら言うサポート役。
「タラ公爵家のラキア様というご子息の存在は確認できなかった。箝口令が敷かれているみたいではっきり判らないけど幼い頃にご子息のお一人が亡くなったというような噂があって。
マリム侯爵家にはご養子が入られているわ。何でも嫡子は事故で亡くなったみたい。どんな事故なのかは判らない。
ホイットコム侯爵家は爵位が王家預かりになっていて、これも箝口令が敷かれているんだけど一族根絶になったという噂よ。
レットルナ辺境伯家には確かにユオ様というご子息がおられたみたいだけど、親族に重傷を負わせて出奔して行方不明。もう廃嫡されたって。
よく判らないから詳しく調べようとしてもタブーになってるみたいで、何かあったんだと思う。
……ねえ、この方々のお話って誰から聞いたの?」
小説がスタートする前に攻略対象が全滅してる!
これからどうなるのよ?
見切り発車です。
未だかつて無い乙女ゲーム小説を目指します(笑)。