五章 トラウマ
五月に入り、涼恵も寮生活に少しずつ慣れてきた。
「すず姉、慣れたか?」
弟に聞かれ、「まぁ、なんとかね」と笑った。
「すずちゃんが慣れたみたいでよかったよー」
啓がニコニコと笑った。恵漣と佑夜が警戒心マックスで睨んでいる。
「涼恵は渡さないからな、このスケコマシ野郎」
慎也も涼恵を抱きしめながら睨んだ。
「すけこまし……?どうしたの?慎也君」
「涼恵は知らなくていいことだ」
「??分かった……?」
何も知らず首を傾げている涼恵に、ほかの人達は苦笑いを浮かべていた。
学校に着くと、黒髪の男装している少女に声を掛けられる。
「涼恵ちゃん、久しぶり」
「あ、蓮ちゃん!本当に久しぶりだね!」
そう、同じく名家のお嬢様である成雲 蓮だ。
「ここでも男装しているんだね」
「まぁね。涼恵ちゃんもなんとか外に出ることが出来てよかったよ」
二人で話していると、周囲からコソコソを声が聞こえてきた。当然だろう、あの名家のお嬢様たちが話しているのだから。
「ここだと目立つな。後で話そうか」
「そうだね」
そう言って、二人は自分の教室に戻った。
昼休み、書庫に行こうと廊下を歩いていた。すると、同級生達の会話が聞こえてきた。
「なぁ、森岡達って、もしかしてよ……」
「いやいや、そんなわけないって」
「あの犯罪者の子供じゃね?」
その言葉を聞いて、涼恵は顔を青くした。ギュッと手を握り、その場を去っていく。
「……え。涼恵」
自分を呼ぶ声にハッと現実に戻ってきた。今は寮の書庫に、怜と一緒にいたのだった。
「どうしたの?昼ぐらいからずっとボーッとしているけど」
「あ、いえ、その……」
怜に聞かれ、涼恵は「……何でもないです……」と答えた。
しかし、それで引き下がる怜ではない。
「……近くのカフェに行こうか。ケーキでも奢ってあげるよ」
「あ、えっと……ありがとう、ございます……」
怜は気分転換にと涼恵を連れて外に出た。まだ夕食の時間は来ないので、少しはゆっくりできるだろう。
カフェに入り、ケーキとコーヒーを注文する。それが来た後、怜はもう一度尋ねる。
「何かあった?俺に言えないことなら、なんかあったみたいだって恵漣に伝えておくけど」
彼女にとってはまだ他人なのだ、言えないことだってあるだろう。そう思って提案したのだが、
「……いえ、その……私達の正体を知られている気がして、怖くて……」
小さなその声に、なるほどと怜は思った。涼恵は過去の事件のせいで引きこもりになってしまった。不安にもなるだろう。
「そうなんだね。何かあったら、すぐに言ってくれていいからね」
怜は優しく笑う。今はまだ、自分も彼女達の正体に気付いていることを勘づかれてはいけないのだ。
(後で情報共有だな……)
そう思いながら、怜はコーヒーを飲んだ。
その夜、怜は涼恵と希菜、奈子以外の人達を集めて夕方のことを話した。
「なるほど……道理で表情が暗かったわけです」
やはりきょうだいや幼馴染達も気づいていたらしい、しかし聞くタイミングを逃していたようだ。
「やめてほしいよねー。何が原因かは分からないけど、それで傷ついたのは確かだからねー」
「あいつらだよな……毎度余計な地雷を踏みやがって……」
啓と蘭がため息をつく。何度かそんなことがあったため、なんとなく犯人は分かっているのだ。
「殴ってやろうか?」
「脳筋思考やめてくれません?」
孝が拳を握ると、佑夜が止めた。
「涼恵のためだ、やろう」
「それか実験台にしようよ。実は新しい薬が出来たばかりなんだ」
「やめろって言っているだろ?」
慎也と愛斗の言葉に佑夜はキレ気味で止めた。
「じゃあ佑夜はどうするんだよ?涼恵に何かあったら」
兄が尋ねると佑夜は黒い笑みを浮かべる。
「涼恵に何かしたら跡形もなく消すよ、そいつら」
(こいつが一番やばかった……!)
綺麗な笑顔がまた怖い……。この男、涼恵のためなら火の中水の中だ。
「ま、まぁ、あたしたちの方でも気にかけておくよ」
麻実がそう言うと、「お願いします」と恵漣が頼んだ。
しかし、数日後。涼恵が中庭で兄達を待っている時にそれは起こった。
「あ、いたいた」
男子生徒が涼恵を見て、近付いてきた。涼恵は怯えながら「な、なんですか?」と聞いた。その男子生徒は卑しい笑みを浮かべて、言い放った。
「君って、あの犯罪者の子供でしょ?」
それを聞いた瞬間、涼恵の頭にハンマーがたたきつけられた衝撃が襲った。
「いやー、かわいそうだねぇ。まさか両親が祖父母やおじを殺すなんてね。君達きょうだいも本当にかわいそうに」
それ以上は、聞くことが出来なかった。
涼恵は脱兎のごとく、その場から走り去る。隣を通る兄の姿すら、認識出来なかった。
しかし、恵漣は気づいた。涼恵が泣いていることに。
「涼恵!どうしたんですか!?」
必死に呼び止めようとしたが、すでにその背は見えなくなっていた。代わりに、弟が走って兄のもとに来た。
「兄さん!すず姉どうしたんだよ!?泣いてたぞ!?」
「分かりません……私も呼び止めようとはしたのですが……」
二人が戸惑っていると、ズルズルと何かを引きずってくる音が聞こえてきた。そちらを見ると、愛斗が黒い笑顔を浮かべて先ほどの男子生徒を無理やり連れてきていた。
「あははー、こいつが涼恵さんをいじめたんだ」
愛斗は遠くから、涼恵と男子生徒が話しているのが見えていた。しかし、駆け付ける前に涼恵が走って行ってしまったのだ。
「なるほど……記也、慎也と佑夜を呼びなさい。血祭です」
すっごくきれいな、黒い笑顔をしながら語尾にハートマークでもついていそうな声で弟に指示を出す。記也も同じように黒い笑顔を浮かべて、
「了解」
とすぐに佑夜に連絡した。
「あ、もしもし、佑夜兄?実はすず姉をいじめたやつがいてさ、こっち来てくれるか?」
『すぐ行くよ……兄さん、涼恵がいじめられたってさ』
『へぇ……?命知らずがいたもんだなぁ……』
フフフフフフ……と電話越しからでも分かるほどの怒気に、男子生徒は恐怖を覚える。
数分後、五人に囲まれた男子生徒はオオカミに狙われたウサギのようになっていた。
そのころ、涼恵は寮の自分の部屋に閉じこもっていた。
「……もう、やだぁ……」
膝に顔をうずめ、涙を流す。
ほかの寮生たちは、昼の授業に涼恵がいなかったためどうしたのだろうと首を傾げていた。
数時間後、ドアをノックする音に涼恵は反応する。
「涼恵、ご飯ですよ」
兄の声だ。涼恵は小さく「……いらない……」と答えた。
「……涼恵……」
妹の心の傷の深さは、ずっとそばにいた兄がよく分かっている。そしてだからこそ、何も出来ない自分に腹が立った。
「恵漣君、事情は聞いたよ。私が話してみるから、君は先にご飯を食べておいで」
「……はい。すみません、お願いします」
雪那が来ると、恵漣は一度食堂に戻る。雪那はドアによりかかかり、
「涼恵、私と少し話そうか」
ドア越しに、そう声をかけた。
「……はい」
小さく返事が聞こえ、雪那はひとまず安心する。
食堂に行った恵漣に、記也が「兄さん、すず姉は……?」と不安そうに尋ねた。
「今は雪那先生が話してくれています」
「そうか……」
「なぁ、記也、何があったんだ?」
蘭が聞いてきたので、昼間のことを話すとみんなが憤慨した。
「へぇー、俺達も呼んでほしかったなー。女の子を泣かすなんてねー」
「俺も殴ってやったぜ?顔の原型をとどめないぐらいにはな」
啓と孝がどす黒い笑顔を浮かべながら告げる。
「ど、どうするの?」
怜が尋ねる。恵漣は少し考えて、
「……私達でどうにかしますから、皆さんは心配しないで……」
「恵漣」
怜が兄の言葉を遮る。
「俺達に出来ることはないの?」
「え……」
「君達は自分で何とかしようとしているから、お互いにつらくなるんじゃないの?他人を頼ることだって大事だよ」
その言葉に、ほかの人達も笑いかけた。
「そうそう!私達だってすずちゃん大好きだもん!」
「そうだぜ。どんな事情あるか分かんねぇけどよ、それで俺達があいつを嫌うことがねぇってこと、覚えさせようぜ!」
舞華と孝が告げる。それを見て、恵漣は目を丸くした。
「……そう、ですね……」
そして、そう呟いた。
雪那が涼恵と話していると、兄が戻ってきた。
「恵漣君、もう大丈夫?」
「はい、すみません、雪那先生」
「ううん、大丈夫だよ。涼恵も落ち着いたと思う」
雪那は涼恵に「お兄さんと代わるね」と言って、立ち上がった。
「あとはお願いね。明日、また話に来るつもりだから」
恵漣にそう言って、雪那は食堂に向かう。兄は「……入っても大丈夫ですか?」と涼恵に尋ねた。
「……うん」
小さな許可を得て、恵漣はドアを開く。そして、うずくまっている妹を後ろから抱きしめた。
「涼恵、大丈夫。ここにはお前を害する人間はいないから。だから少しずつ立ち直っていこう」
強く、強く抱きしめ、恵漣は涼恵を安心させる。涼恵は声を抑えながら、涙を流していた。
次の日、寝間着から着替えもせずベッドに座っているとノックが聞こえてきた。
「涼恵、起きてるか?」
蘭の声だ。涼恵は「……うん」と聞こえるか聞こえないかの声を出した。
「学校、行けそうか?」
「……行きたくない」
そう答えると、「なら、今日は一緒に話そうぜ」と蘭がドアに寄り掛かった気配がした。
「今日、科学があるな。今度、一緒に聞きに行こうぜ」
声をかけてくる蘭に、涼恵もドアのところに来て、座った。
「そこにいんだな、涼恵」
それに気づいたらしい、蘭が小さく笑った気がした。
それから、みんなが話し相手になってくれた。
「……ねぇ、なんでそこまで構ってくれるんですか……?」
ある日、涼恵は怜に尋ねた。
「友達が傷ついたのに、そばにいてあげない人がいるの?」
怜が聞き返すと、「とも……だち……?」と復唱した。
「友達でしょ?俺達」
「でも、私、あんな男の血を引いてて……」
「君はお父さんとは違うでしょ?同じだったら、今頃涼恵も恵漣達もここにいないよ」
その優しい声に、涼恵はギュッと手を握る。
「……そろそろお昼だね。何か食べたいものある?」
怜は、いつものようにいらないと断られるのを覚悟していたが、
「……おにぎり……」
本当に小さな声で、そう答えたのが聞こえた。怜は微笑んで、
「おにぎりだけでいいの?」
「……うん……」
聞こえているとは思っていなかったのか、涼恵は少し驚いた声を出す。
「すぐ持ってくるよ」
怜は食堂に向かい、すぐにおにぎりと簡単なものを作る。そして、「できたよ」とドアの前で声をかけた。
「一緒に食べる?」
さすがにそれは早いかと思ったが、涼恵は小さく開けて、
「……うん」
そこから、顔をのぞかせた。「いいの?」と確認すると頷いたので、怜は「失礼します」と中に入った。
(……ちょっと痩せたな……)
引きこもってから、兄が作ったものを少ししか食べていないので仕方ないことだろう。怜は一緒にベッドに座り、昼食を食べる。
夜、そのことを報告すると恵漣はほっとした表情を浮かべた。
「よかった……少しでも食べたのなら……」
「でも、やっぱり痩せてたね。顔色も悪かった」
そんな話をしていると、ペタペタと素足で歩いてくる音が聞こえてきた。
「あ……記也……まだ起きてたんだ……」
振り返ると涼恵の姿があった。
「すず姉!?大丈夫か!」
驚いた弟が姉に近寄り、その肩を掴む。
「う、うん……大丈夫。水を飲みに来ただけだし……みんなが起きてるとは思ってなかったけど……」
「ほら、そこに座れって」
記也はさっきまで自分が座っていた場所を指して言うと、涼恵は「え、でも、そこ記也が座ってて……」とためらった。
「オレのことはいいって!」
「ホットミルクを持ってきますよ」
兄が立って、キッチンに行った。結局、涼恵は記也が使っていた椅子に座った。
(どうしよう……)
本当に水を飲みに来ただけだった涼恵はソワソワしていた。その背に、舞華が抱き着いた。それに驚いていたが、
「……会いたかった……」
涙を浮かべている彼女に、涼恵は目を丸くした。
「あ、あの!ご飯は食べますか?」
希菜に聞かれ、最初は断ろうとしたが、
「……食べよう、かな……」
そう答えると、「だったら、近くのラーメン屋行くか?」と孝が提案した。
「いいな。涼恵、あんま外で食べたことないだろ?食べられなかったらまた作るからさ」
蘭もそれに乗る。兄がホットミルクを目の前において、
「外に行くのは構いませんよ。そうするなら、それを飲んだ後に着替えましょうか」
その言葉に、涼恵は「うん、わかった」と頷く。
外に出ると、「うー……」と涼恵は兄にくっついた。
「結構暗い……」
「涼恵は夜に出歩いたこと、あまりなかったですね」
恵漣は妹の頭を撫でる。涼恵は箱入り娘で兄達に丁寧に囲われていたため、夜に出歩くことはめったになかったのだ。
「涼恵さーん、着いたよー」
愛斗に言われ、前を見るとラーメン屋があった。思ったより近くにあったらしい。
店内に入り、メニューを見る。
「何でもいいよ。俺達が奢ってあげるからさ」
怜が言うと、涼恵は「……醤油でいいかなぁ……?ミニサイズで……」と答えた。
数分後、みんなの前にラーメンが置かれた。
「……思ったより多い……」
「それでも少なめだよ?」
「愛斗君、食べきれなかったらあげていい……?」
「うん、ボクがもらうから無理しないでね」
そんな会話が聞こえてくる。それを聞いて、店長が「いい子だな」と笑う。
「最近の奴は簡単に残すからな、残さないようにしてくれるだけでもうれしいもんだ」
「あぁ、あいつはホントにいいやつだぜ」
孝がラーメンを食べながら、答えた。
その帰り道、「明日は学校に行けそうですか?」と兄に聞かれる。
「……どうだろう……」
「無理はしなくていいですよ。今日はもう寝て、明日行けそうなら行きましょうか」
「すず姉、部屋まで送ってってやるよ!」
弟が涼恵の手を取ると、「ありがとう」と姉は笑った。
「本当に仲がいいねー」
「うらやましい限りだ」
啓と実弘が笑った。
寮に戻り、記也が涼恵の部屋に行っている間、恵漣は涼恵が引きこもりになった経緯を話した。それを聞いたみんなが憤慨する。
「最低ね、子供をなんだと思っているの?」
「周囲の大人もだな。いくら何でもやってることが酷すぎる」
ゆみと麻実が眉を潜ませた。
「子供と信頼できるやつだけで、それから涼恵を守っていたんじゃな……」
ゴウが呟く。事実、大人だと雪那や祈花家と高雪家しか守ってくれる人がいなかった。だからこそ涼恵は世間知らずのお嬢様になったのだ。
「そういうことなら、もっと先に言ってほしかったなー」
舞華が告げると、「涼恵の心も考えたら、どうしても言い出せなかったんですよ」と恵漣が答えた。
「だったらなおのこと、オレ達は味方だって教えてやらねぇとな」
蘭の言葉にみんなが頷く。それを見て、恵漣は「……ありがとうございます」と頭を下げた。