四章 初めての授業
「……うん、これでいいかな?」
涼恵は姿鏡の前で制服を整える。部屋の外から「涼恵、準備は出来ましたか?」と兄の声が聞こえ、涼恵は「うん、今行くよ」と答えた。
朝食を食べ、みんなで教室に向かう。涼恵が座ると、やはり周囲に人が集まってきた。
「あ、えっと……その……」
涼恵は戸惑っていた。そこに入ってきたのは啓。
「ごめんねー。この後彼女と生徒会のことについて話をしないといけないからまた後にしてくれるかなー?」
「げっ……生徒会長……」
啓がニコニコしながら言うと、周りに集まっていた生徒は元の席に戻っていった。
「すずちゃん、記也君と一緒に生徒会室に行こうかー」
そう言われ、涼恵は頷く。
弟と一緒に生徒会室に案内され、椅子に座る。啓が女子生徒に飲み物を出すように指示を出し、お茶が出される。
「さて……さっき誰かが言っていたけど、俺が生徒会長ねー」
「……相変わらず軽いわね……」
ため息をつきながら、オレンジ髪の女性――秋川 もみじが二人の方を見る。
「あなた達、成雲 蓮の知り合いかしら?」
「え、はい……」
突然何を聞かれているのだろうか?すると彼女は、
「私は蓮のクラスメートなの。涼恵さんのことも彼女から聞いているわ。困ったことがあったら何でも相談してちょうだい」
彼女はニコッと笑ってそう言ってくれた。
「彼女は秋川さん。副会長で風紀には厳しいから、気を付けてねー」
「あら?一番乱している会長が何を言っているのかしら?」
啓がふざけた口調で言うと、もみじが威圧的に笑った。「おー、怖い怖い」とさして怖くもなさそうに啓はおどける。
「はぁ……まぁいいわ。ちなみに、この学園では外国の生徒とは生徒会が別になっているわ。そっちの生徒会長はかの有名な御曹司のユーカリね。あなた達なら知っているんじゃないかしら」
もみじの言う通り、その名前は知っている。その妹であるシンシアと仲がいいからだ。
さて、ここまで言えば分かるだろう。涼恵は本物のお嬢様なのだ。しかも特別な力を持つために次期領主として期待されている、れっきとしたご令嬢。
「校則さえ守ってたら、俺からは何も言わないよー」
「そうね。私も寮にいるから、いつでも相談してちょうだい」
「あと、しばらくここにいたらいいよー。生徒会室には好き好んで来る生徒なんていないからねー。恵漣も呼んでくるしー」
啓が立ち上がると、部屋から出た。数分後、兄と廉人が入ってくる。
「今日はここで授業しようか」
「はい、お願いします」
「じゃあ、私は教室に戻るわね」
もみじが教室に戻ると、三人だけの授業が始まった。その途中、ガラッと扉が開き、
「おねえちゃーん!」
「亜花梨ちゃん」
三人の妹が入ってきた。姉に似た彼女は真っ先に姉に引っ付く。
「こら、亜花梨ちゃん。今は授業中だよ」
廉人が苦笑いを浮かべながら、彼女にそう言った。廉人は亜花梨のいわゆる教育係でもあるのだ。ちなみに雪那が任命した。
「えー?いいでしょ?」
「またあとなら構わないよ」
「亜花梨ちゃん、一緒にやろうか」
姉の言葉に、妹は顔を輝かせた。涼恵の膝を占領し、満足そうにしている。
「ずるい!オレもやりたい!」
「記也は私より大きいんだから無理でしょ?」
「なんなら、私の上に座りますか?」
兄の提案に「いいのか!?」と弟は座る。弟の方が少しばかり高いのであまりよく前が見えていないが、満足そうならいいかと思うことにする。
「本当に仲がいいね……」
廉人は小さく呟き、授業の続きを始めた。
そのころ、保健室に来客が来た。今は授業中のハズなので、ここに来るのは体調不良者だけだ。
「誰かな?」
仕事をしていた雪那が扉を開けると、そこにいたのは優等生である怜。
「どうしたの?具合悪い?」
珍しいと思いながら尋ねると、彼は首を横に振った。
「いえ、少し聞きたいことがあったので。先生には嘘をついてきました」
「嘘って……真面目な君がサボリなんて珍しい。私じゃないと、しかもこの時間じゃないとダメなの?」
「えぇ、どうしても誰もいないこの時間の方がいいです」
事実、怜は模範的な生徒でサボリなど聞いたことがない。むしろ体調不良の時でも休まないので担任がひやひやしているぐらいだ。そんな彼がここまでするのは理由があるハズだ。
「一応聞くけど、何について聞きたいの?」
確認すると、彼ははっきりと言った。
「涼恵のことについてです」
ここで、雪那は納得した。やはり、彼は頭がいいうえに勘もさえている。
「……なるほど。確かに今じゃないとダメだね」
どうぞ、と招き入れると、失礼しますと礼儀よく入ってきた。
雪那はお茶とお菓子を机に置き、怜に向き合う。
「……君のことだから、涼恵が何者か分かったんでしょ?」
「……えぇ。あの森岡家の息子夫婦の、長女ですよね。祖父母と兄弟を殺した、あの夫婦の」
怜が確認すると、雪那は「そうだよ」と答えた。
「それで、何について聞きたいの?」
「その事件の全容、そして涼恵に対する接し方を教えてほしいです」
なるほど、と雪那は小さく笑った。真面目な彼らしい。
「最初の質問から答えるね。元々、息子夫婦……つまり涼恵達のご両親は子供に虐待をするような人だったの。恵漣君と涼恵はいつも、記也君を庇っていた。おじいさん達はまともな人でね、いつも注意していたんだけど、それがカンに触ったみたい。妹が生まれて数か月後に、あの事件が起こったの」
つまり、ただの逆恨みかと怜は思う。涼恵は本当に、いい姉だったらしい。
「恵漣君はその時、学校に行っててね。涼恵が必死に弟妹を守っていたんだ。そこに恵漣君が帰ってきて、二人で庇っていたところに幼馴染達が来て、警察と救急車を呼んだんだ。でも、祖父母とおじは手遅れだった。涼恵も重傷で意識がなくて、正直助かったのは奇跡に近かったよ」
それも、ニュースで見た気がする。しかし、彼には納得出来ないことがあった。
「涼恵に対して、かなり誹謗中傷がされていましたよね?聞いている限りだととてもそんなされるところが見当たらないというか……」
「怜君の違和感は当たり前だよ。涼恵は本当にいいお姉さんだった。兄が帰ってくるまで、何度も刺されて痛いだろうに、弟妹を守っていたほどだから。でも、大人達は「虐待なんてしていない」「娘が悪いことをしていたんだ」っていう親の言うことを信じた。祈花家と高雪家の人しか、子供の言うことなんて信じなかったんだよ。もちろん後から嘘だって分かるんだけど、それでも心無い言葉を涼恵に浴びせる人達がいた。だから、目が覚めた涼恵はすべてに絶望したんだよ。外に出てもテレビの人間や動画を取ってくる奴に追いかけられて、家に物を投げられて、酷い言葉を書かれた手紙を入れられて。だから、涼恵は外に出られなくなった。
その時だったかな?祈花家のご両親に頼まれて、涼恵のところに行ったのは。初めて会った時のあの子は、私にすら心を開いてくれなかった」
今では考えられないと思うけどね、と雪那は笑う。確かに、雪那とはかなり仲がいいように見える。
「でも、それだけ傷ついたってことだよ。初めて会ってから一年間はロクに話もしてくれなかった。何か食べる?って聞いても、いらない、の一点張りで。
確か、心を開いてくれたのは涼恵が怪我をした時に手当をしたからだったかな。あの時初めて、私が自分を害する人じゃないって分かったんだと思う。それからは少しずつ会話もしてくれて、誰かと一緒なら外に出ることもできるようにはなったの。でも、一人で外に出ることはやっぱり出来なくてね。集団の中にも入れないから、学校にも行けなかった。だから通信制でやってきていたんだけど……」
「けど?」
「急に恵漣君から連絡が来てね。「涼恵が学校に行ってみたい」って。だから恵漣君や幼馴染達が先にこの学園に来て様子を見て、大丈夫そうだって判断したからカウンセリングを受けるって条件で涼恵も転校を許されたんだ。この学校なら私もいるし、何かあっても大丈夫なようにしているから」
それで、四人がここに来たのか……と怜は苦笑いを浮かべる。確かに、初日の涼恵はとてつもなく緊張していたから。「怜君にとっては当たり前に登校出来るかもしれないけど、涼恵みたいにここまでしないと出来ない人だっているんだよ」と雪那はお茶を飲みながら言った。
「傷ついた心は簡単に癒えることはない。私達はただ寄り添って、出来ることをしてあげることしか出来ない。……それがもどかしいよ」
その言葉に、怜はギュッと手を握り締めた。その通りだったからだ。
「あの、雪那先生」
怜は意を決して、尋ねる。
「俺が涼恵に出来ることって、なんですか?」
それに、雪那は目を見開く。それに構わず、彼は続けた。
「俺は涼恵にとって、ただのクラスメートです。恵漣みたいに兄でもなければ、慎也達みたいに幼馴染でもない。そんな俺でも、何か出来ることはありませんか?」
その真っすぐな瞳に、雪那は小さく微笑んだ。
「そうだね……怜君はただ、涼恵のすべてを受け入れてくれたらいいんだよ。何もかも全部分かったうえで、今までと同じように接するんだ。それだけで、涼恵は安心できると思う。それは他人である君じゃないと出来ないことじゃないかな?」
涼恵はたくさんの人に、誹謗中傷という形で拒まれた。だから、身内でない誰かが受け入れてくれるなら、少しでも他人を信用出来るのではないか。雪那はそう言った。
「涼恵は他人を信じることが出来ないんだ。だから時には拒むこともあると思う。でも、根気強く聞いてあげてほしいかな。それから、事前に手を回していてほしい」
涼恵は拒絶反応が出やすく、どうしても他人を頼ることが出来ない。だから見ていてほしいと雪那が言うと、怜は頷く。
「ありがとう。時には恵漣君とか佑夜君達に聞いてもいいと思う。私の方から恵漣君達に話しておくからさ」
「そうですね、恵漣達なら涼恵のこともよく知っているでしょうから」
お茶を飲み、怜は笑う。
寮に戻ると、怜は「涼恵、小説書かない?」と誘った。
「え、でも、迷惑になるんじゃ……」
「前も言ったと思うけど、迷惑なら最初から誘わないよ。涼恵が嫌なら無理強いはしないけどね」
笑ってやると、涼恵は少し悩んだ後、
「……じゃあ、あとで書庫に行きますね」
そう言ってくれたので「うん、待ってるよ」と頷いた。
怜が書庫に来て数分後、涼恵もパソコンを持って書庫に来た。
「あ、すみません、待たせてしまって……」
「待ってないよ。気にしないで」
まだどこかビクビクしている涼恵を怯えさせないように、怜は手招きをする。涼恵は恐る恐る、怜の隣に座った。
「……涼恵」
「は、はいぃ!?」
「俺、そんなに怖い?」
冗談めかして尋ねると、涼恵は首を横に振った。とりあえず緊張しているだけだろうということが分かっただけでもいいことにする。
「そんなに緊張しなくていいよ。とって食いやしないんだからさ」
「と、とって食うって……」
涼恵が顔を赤くしてうつむく。怜はフフッと笑って「襲いはしないよ。恋人でもないのに襲ったら恵漣に殺されそうだし」と答えた。
「お、襲う?」
「うん?意味が知らないなら気にしなくていいよ」
箱入り娘ならまだ知らなくていい。実際、手を出したら彼女の兄に殺されそうだから。
「あ、怜さん。涼恵さんと小説書いているんですね」
「あ、佑夜。そうだよ」
佑夜が本を持って書庫に入ってきた。
数分後、佑夜が涼恵の隣に座っていた。
「……ねぇ、佑夜」
「どうしました?」
「君がいるのは別にいいんだけどさ。なんでそんなにべったり引っ付いてるの?」
「恵漣さんに守るよう言われてるので?」
「そんなに引っ付かなくていいと思うんだけど?そしてなんで疑問形?」
涼恵は特に気にしていないようだ。
(もしかして、これが日常茶飯事……?)
そういえば、彼女しか女の子がいなかった気がする。正確には妹もいるらしいが、その子は雪那のところにいると聞いている。そうなると過保護にもなるだろう。
「……まぁ、今はいいけど。あんまり過保護なのもダメだからね?」
「もちろん、怜さんを疑っているわけではありませんよ。でも、やっぱり引きこもりだった従妹を守りたいので」
……何言っても無駄そうだ。
怜も二人じゃないとダメというわけではないので、これ以上は何も言わなかった。
「佑夜君、そんなに心配しなくてもいいよ」
「だーめ。涼恵さんは可愛いんだからもう少し危機感を持たないと。怜さんは恋人にならないと手を出さないと思うけど」
……過保護通り越してもはや守護神だ……。
多分この人、自分に実妹がいたらめっちゃ甘えさせるタイプの人間だ。しかも男性を絶対に近づけさせない。ただの偏見だけど。
「あ、佑夜!ずるいよ、ボクも涼恵さんの隣に座るー!」
すると、なぜか愛斗が乱入してきた。
愛されてるなぁ……。
幼馴染達に愛でられている涼恵を見て、怜は小さく笑った。
さっき、間違えて来週投稿分の五章を投稿していました。申し訳ありません。
すぐに訂正したので引き続きお楽しみください。