二章 怖いぞ、この子
涼恵の朝は早い。
四時に起き、髪を整える。そして動きやすい服に着替え、部屋から出た。
「おはようございます、涼恵」
「おはよう、兄さん」
偶然、兄と顔を合わせた涼恵は目を輝かせた。
「これから運動ですか?」
「うん。一緒にする?」
誘うと「いいですね」と付き合ってくれることになり、兄と一緒に五階のトレーニングルームで運動した。そのあと、汗を流すためにシャワーを浴びる。
服を着替え、食堂に行くと、佑夜と蘭が朝食を作っていた。
「あ、おはよう、涼恵さん」
「おはよう、佑夜君」
何か手伝おうか?と涼恵が聞くと、座っててくれて構わないと蘭が答える。
「そういや、涼恵はご飯がいい?パンがいい?」
不意に聞かれ、涼恵は「どっちでも大丈夫だよ」と兄が買ってくれたリンゴジュースを飲みながら答える。実際、涼恵は食べられたら何でもいいという主義の人間だ。
みんなが来て、それぞれ席に座る。そんな中、走ってくる音が聞こえてきた。
「すず姉ー!おはよー!」
記也が姉を後ろから抱きしめたのだ。もちろん慣れている涼恵は「おはよう、記也」といたって普通にあいさつした。
(いやスキンシップ激しい……!)
双子というのはこんなものだろうか?いやもう一組の双子(こちらは男同士だが)はそうではないし、下の階にいる成雲姉弟もこんなスキンシップが激しいわけではなかった。
「おー、やってるなぁ」
「あれ、いつものことなの!?」
慎也の発言に、怜が驚く。愛斗が「見慣れたら名物だよ」と笑った。佑夜もコクコクと頷く。どうやら幼馴染にとっては当たり前らしい。それでいいのかお前らは。特に佑夜、お前まで言い始めたらおしまいだぞ。
朝食を食べ、恵漣は弟妹と女性陣を連れて買い物に出かけた。
「うー……外は慣れない……」
「大丈夫ですよ、何も怖いことはありませんから」
結果論だが、女性陣が来てくれてよかったかもしれない。さすがに女性ものの下着やエチケット用品は恵漣も抵抗がある。いつもなら雪那が買ってきてくれたり一緒に行ってくれていたが、学園生活となるとそうもいかない。
「涼恵さん、一緒に行きましょ!」
「え、あ、その……」
羽菜に誘われ、戸惑っている妹に「行っておいで」と恵漣はその背を押す。
「さすがに兄さんが女性ものの下着を一緒に買うわけにはいかないでしょう?」
「そ、それは……確かに……」
兄に説得され、涼恵はみんなと買い物に行く。
「すず姉、慣れるまでにもう少しかかると思ったけどどうにかなるもんだな」
「そうですね。もう少し様子を見てもいいでしょう」
二人は合流するまでの時間、他の買い物をすることにした。
同時刻、怜は書庫で小説を書いていた。
「怜君」
後ろから声をかけられ、怜は振り向く。そこには雪那が立っていた。
「雪那先生、なんですか?」
「君に頼みたいことがあってね」
頼みたいこと?と首を傾げていると、
「涼恵のことでね」
買い物も終わり、寮に戻ってくる。記也が先に食堂に行こうとすると、
「ちょ、待てってお前ら!」
蘭の声が聞こえてきて、目を丸くする。そして走って向かうと、
「あ、記也!こいつら止めてくれ!」
……食堂が大惨事になっていた。止めているのは蘭と佑夜だけで、ほかの人達は大暴れしている。ちなみに怜は書庫に行っているためこの場にいない。
(なんでこうなった?)
遠い目をしていた記也だったが、
「記也ー?どうしたのー?」
姉の声が聞こえ、ハッとなる。
「す、すず姉!疲れたろ!?書庫で小説でも書いてくれば!?」
この状況を見られるわけにはいかない……!
あの姉はきれい好きなためか、散らかっていたり酷い汚れがあると途端に人が変わったようになってしまうのだ。
「うん?……じゃあ、そうしようかな……」
涼恵の足音が遠くに行ったことを確認し、記也は戻ってくる前に片付けようと手伝った。
涼恵はノートと筆箱をもって書庫に向かう。そして小説を書いていると、
「やぁ、涼恵」
声をかけられたと同時に肩に手を置かれ、涼恵はビクッと震えた。振り返ると、怜が立っていた。
「あ、え、えっと……」
「ごめんね、驚かせちゃって」
隣、座るねと言われ、涼恵は頷く。
「雪那先生に聞いたよ。涼恵も小説を書いているんだって?」
「は、はい。一応……」
「涼恵さえよければだけど、一緒に書いてみない?」
その提案に、涼恵は目を丸くする。
「え、でも、怜さんが迷惑じゃ……」
「迷惑だったら、提案なんてしないよ」
怜が笑うと、涼恵はジッと見つめて、
「や、やって、みたい、です……」
頬を染めながら、小さな声でそう言った。怜はニコッと笑い、
「じゃあ、さっそくやろうか」
そう言って、しばらく二人で話をしていた。
夕食の時間になり、二人は食堂に向かう。
「ありがとう、ネタが思い付きそうだよ」
「い、いえ、私の方も勉強になりましたから」
二人でそんな話をしていると、食堂から何かやっている音が聞こえていた。なんだろうと覗き込むと、
「あ……やべ……」
掃除をしている記也と目があった。佑夜と恵漣は「終わった……」という顔をしている。
涼恵は固まっていた。いくら呼び掛けても反応すらしない。
「嫌な予感……」
冷や汗を流しながら佑夜が呟くと同時に、涼恵は倒れる。そして、ムクッと起き上がると、
「おい、記也」
低い声で名前を呼ばれ、弟はビクゥ!と身体を震わせる。
「今すぐ掃除道具を全部持ってこい。大掃除の時間だぁ」
「は、はいぃい!」
(((ひぃいいい!鬼が来たぁ!)))
後ろに鬼神を引き連れている涼恵に、三人は声なき悲鳴を上げた。
数時間後、涼恵が作ってくれた遅めの夕食を食べながら「今日は早く終わってよかったな」と記也が苦笑いを浮かべた。
「あれで早いの!?」
「一日中やる時もありますからね……涼恵は綺麗好きですから……」
「一日中!?何やったの!?」
兄の言葉に怜が驚く。本当に何をしたらそんな事態になるんだ。
「涼恵をあまり怖がらせないようにしよ……」
蘭が呟くと、「滅多に怒らないから大丈夫だぜ」と弟が答えた。
「そういや、怜さん。すず姉と一緒だったみたいっすけど……」
記也が尋ねると、
「ちょうど書庫にいてね。小説を書いていたんだ」
「あー、そうなんすね」
「あんなことになってたなら呼んでくれてよかったのに」
「いや、むしろ書庫にいてくれて助かったっす。あの状態は見せられなかったんで」
マジで死にます、という言葉に「本当に何やったの……」と苦笑いを浮かべた。
次の日、食堂がかなりきれいになっていたそうな。