パライダイムシフトの果て
この世界には稀にたった一人で人類の歴史を変えるような発明をする人間が現れる。
神父の前にいる博士もまたそんな天才の一人だった。
「パラダイムシフトマシーン?それで人類を救えるというのですか博士」
「私はそう考えています神父様。しかし実際は違うのかもしれない。
科学者というのは得てして自分の発明を過大評価するものですからね」
「それで私に相談を?残念ながら私は科学に詳しいわけではない。
お仲間の科学者に相談した方がよいのではないですか」
「それがそうはいかないのです。
何しろこの発明が与える影響はあまりにも大きく、悪用されれば世界が滅びかねません。
仮に私が記者会見でも行えば翌日には研究成果をめぐって大戦争が勃発しても不思議じゃない」
「なるほどそれで神の家を訪れたという訳ですね」
「えぇ。教会での相談は外部に漏れることはありませんよね」
「もちろんですとも。だからこそここへは毎日他人に明かせない秘密を抱えた人々が救いを求めて訪れるのです。
それでパラダイムシフトマシーンとは一体どんなものなのですか?」
「パラダイムシフトとは私たち人間が当然のものだと考えている認識や価値観が劇的に変化することを意味する言葉です。
通常パラダイムシフトとは長い時間の中で徐々に発生条件が整えられ、ある日を境に偶発的に発生するものですが
私はこれを科学的なアプローチで人為的に引き起こすことで人類を救済しようと考えているのです」
「うーむ、なかなか難しい話ですね。もう少し分かりやすく説明していただけますか?」
「具体的な例をあげて説明しましょう。
現代では貧富の差が世界的な社会問題となっています。
これは人類の大多数が「出来るだけ多くの富を所有することが幸福を手に入れ不幸を遠ざけることに繋がる」という価値観を信じていることによって生じています。
もしもこれを「必要最低限の富だけで生活できる人間こそが真に幸福で偉大な存在である」に変更すれば
人類全体の富の量に変化はないにも関わらず格差問題は一日にして解消されるでしょう。
数億人が餓死する横で100万年食べるのに困らない金を持つ大金持ちが無為に財産を増やし続けるようなことはなくなるのです」
「なるほどあなたが警戒する理由がよく分かりました。
もしもこのことを知れば大富豪たちは揃ってあなたに暗殺者を差し向けるでしょうね。
しかし本当にそんなことが可能なのですか?」
「慎重に検討と実験を繰り返しました。私が誇大妄想狂の狂人でない限りは可能です。
実は昨日ようやく装置を完成させたのです」
「すると今日にでもパラダイムシフトは実行できるのですか」
「えぇ」
「いやはや驚きました。それで私は何をすればいいのですか?」
「このマニュアルには装置の具体的な操作方法と具体的にどの程度まで思想を変更できるかについて記してあります。
これを見ながら私と一緒にどのような思想を植え付ければ人類がよりよく生きられるのかについて考えて欲しいのです」
「ええ構いませんよ。ただし1つだけ条件があります」
「条件ですか?」
「考えるのは二人ではなく私一人です。さようなら博士」
そう言って神父はこれまでに何度かやってきたように神の家を訪れた迷える子羊を射殺した。
「ふふ、神よ感謝します。まさか私自身が神となる機会を恵んで下さるとはね。
今までも重大な秘密を口にした人間を口封じして甘い汁を吸ってきたが今回は桁が違うぞ。
上手くいけばこの世の全てを手に入れられるんだからな!!」
神父はさっそく博士の研究所に侵入し装置を起動した。
操作方法はマニュアルがなくても問題ない程に簡単だった。
10分とかからずに設定画面に辿り着くがそこで顔が曇る。
「うぅむ思ったよりも思想の操作には制限があるのだな。
残念だが私という個人を神として認識させることは出来ないようだ。
しかも装置は一度使用した時点で爆発し機能停止するようになっている。
博士は装置が悪用され独裁者を誕生させることをかなり警戒していたのだな。
とはいえ所詮は頭が良いだけの馬鹿な善人の考えた対策だ。この制限でも私が全てを手に入れることは十分に可能だ。
植え付ける思想は「持たざる者こそ幸福であり、持てる者は不幸である」でいい。
実行範囲はこの研究所を除く地球全域だ。これで金持ち連中は大喜びで金を捨てるに違いない。
あとは誰も拾わなくなった金を俺が独り占めするだけさ」
かくして装置は起動し神父の目論見通りとなった。半分だけは。
神父は研究所が停電したことでそれに気がついた。
「いや、そんなまさか」
そのまさかだった。パラダイムシフトした人々は金だけでなく電気も捨てたのだ。
電気だけではない。研究所の外は辺り一面が火の海となっていた。
人々は幸せになるために家を焼き、畑を焼き、文明を焼き払ったのだ。
こうして世界はパラダイムシフトを経て決定的に変化した。
残されたのは全てを失った幸せな人々と頭を抱えて泣きわめくたった一人の不幸な男。