アーマイゼ・フォン・ハーメルとして
窓から見える空は夜と見紛う程に暗かった。
天候は雷雨なのか、雷鳴が響き、雨が窓を強く叩いている。
横になっていた体を起こす。眩暈がしたが、目を閉じて数秒待つと治まった。
自分の体を見下ろす。見覚えのない寝巻を身に付けている。
周囲を見回すと、見覚えのない部屋。
何が有ったかを思い出し、深くため息を吐いた。
「どうしたのだ」
音もなく、豪奢な衣装を身に纏った一人の男がふらりと現れた。
適当に返しながら眠っていた間の事を訊ね――短かったアーマイゼの時間を振り返った。
アーマイゼ・フォン・ハーメル。
それが自分の転生先の名前。公爵家の長女で精霊の愛し子。現在十歳。
先祖返りの影響か、両親に似ない容姿で髪と瞳の色も違った。両親はともに金髪碧眼。嫡男の兄も同じ。黒髪黒目はハーメル家が公爵の爵位を授かった時の当主夫妻の色彩。
国王も『先祖返りの影響』と認めているのに、家族は誰一人として認めなかった。
公爵夫人は不貞を疑われ、自害しようとして夫に止められた。精霊具と呼ばれる特殊な道具の一つを使って『身の潔白』は証明されたが、公爵夫妻は納得しなかった。国王立ち会いの下で証明されたにも拘らずに、だ。
当然、公爵夫妻の評判は下がり、産まれたばかりの赤ん坊に当たり散らすようになった。当時幼かった兄も『両親が苛立つ存在』として怒り苛立った。
名前も付けずに放置し無視し続け、ある日、赤ん坊が精霊の愛し子で有る事が発覚した。
ハーメル家で魔法が使える人間は生まれて来ない。勿論、精霊に愛されるような存在も生まれて来ない。
にも拘らずその赤ん坊は精霊に愛される存在だった。
これを知って喜んだのは国王。精霊の愛し子がいれば、国が実り豊かに発展する。
公爵夫妻は良い顔をしなかった。苦い顔をして間違いではないかと何度も訴える程に。
王子との婚約話は当然のように出て来たが、『突然変異の子供の血を王家に混ぜる訳にはいかない』と公爵は断固として反対し、話しは立ち消えた。
下がって行く家の評判。広がる陰口。公爵はどうすべきか考え、有る事を思い付いた。
「蟻のように働いて公爵家に尽くせ。お前にそれ以外に価値はない。尽くし続けると言うのなら、お前を娘として認める」
六歳の子供に向かって言う台詞ではない。言い放った台詞を知った国王に咎められても公爵は言い分を撤回しなかった。
蟻のように働けと娘に鞭を打ち、罵る。食事は残飯を与えるだけ。国王に苦言を呈されても『国に尽くさせているだけ』と扱いを変える事はない。
公爵令嬢として一度も扱われる事もなく、四年後に運命の日がやって来た。
産婆に取り換えられてしまったと言う『自称』ハーメル公爵の娘が現れた。
髪と瞳の色彩は公爵夫妻と同じだ。顔立ちは似ていないが整っている。
ここに第三者がいたら、誰もが思っただろう。
国王立ち会いの下で親子と証明されたのに、今になって蒸し返すこの馬鹿は誰だと?
馬鹿は公爵一家も同じだろう。『本当の娘が帰って来た』とその場で喜び――その日の内に、アーマイゼを殺して山に捨てた。
アーマイゼの記憶はここで途切れている。
「謀った報いを受けろ」
「漸くこの汚い子供が捨てられるのね」
「醜い子供はさっさと死ね!」
家族だったもの達からの罵倒。利用するだけ利用して、『認めてやる』と嘘を吐いたもの達がどうなっていようが興味はない。
家族ではないと言ったのは向こうだ。助ける必要性はないだろう。
男に聞いた公爵家の状態はまさに自業自得だった。
喜びに溢れる公爵家だったが、アーマイゼが『精霊の愛し子』である事を忘れていた。
精霊の愛し子を害すると国が亡びる。
御伽話として子供の頃に誰もが聞かされる話しの一節だ。そして、この一節は現実となった。
国中の植物が枯れ果てた。収穫間際の農作物も、花壇の花もだ。
川の水は消え、ありとあらゆる場所の井戸から水が消えた。
山は禿山となり、凶悪な魔物が大挙して出現し民を襲い喰らう。
僅か数時間の出来事を知った国王はハーメル公爵を呼び出した。確信があったのだろう。アーマイゼの身に何かが遭ったと。
呼び出しに応じた公爵は、暢気な事に嬉々として『真の娘』を紹介して、アレは殺して王都郊外の山に捨てたと説明し、怒り狂った国王から特大級の雷を落とされた。公爵は王の怒りに訳が分からないと反論するが、居合わせた宰相が懇切丁寧に説明し、顎を外す勢いで愕然とした。
何しろ、奴隷の如く使い倒していた子供を殺しただけで国が滅亡しかけているのだ。それも、僅かな時間で、でだ。
「国王公認の下で証明された結果を無下にし、精霊の愛し子を殺した。これから国が亡びる。貴様らの愚行のせいでな」
その場で使用人を含む公爵一家に『国家反逆罪』による身分剝奪他諸々と極刑が言い渡され――魔物除けの生餌として放逐が決まった。
自称真の娘は、その場で正体が明かされた――と言うよりも、死にたくない一心で自ら暴露したのだ。
正体は、ハーメル公爵家の政敵たる侯爵家の隠し子だった。敵の庶子を娘と可愛がっていた事を知り、ハーメル一家は絶望の表情を浮かべた。
国王は馬鹿な事をした侯爵をハーメル家と同じ罪状で捕えさせ、同じ処罰を下した。
何故こんな事をしたのかと、侯爵に問えば、余りにも馬鹿げた回答が返って来た。
己の庶子と入れ替えて、精霊の愛しい子を手に入れる。そして、王家と繋がりを得ようとした、と。
これ以上馬鹿に付き合えぬと、王は罪人を連行させ、アーマイゼの捜索を命じた。
見付かったアーマイゼには精霊がまとわりついて傷を癒している最中だった。
馬車に乗せ、慎重かつ大急ぎで王城に運び込まれ、傷の治療を受けて、現在に至る。
激しく雨が叩き付けられる窓から空を見る。丁度、雷鳴と一緒に稲光が走った。悪天候はいつまで続くのか。
雨音で気付かなかったが、耳を澄ますとドアの向こうから怒声が聞こえて来る。
今になってここはどこだろうと思うが、これまでの男の説明を聞くと多分王城だ。
王城にいて、目を覚ました。誰かが入って来たら、王に連絡が行く。
そして、懇願されるのだろう。精霊の愛しい子として精霊王に祈りどうにかしてくれ、と。
無関係な人間に害が出るのは良いと思えないが、搾取されるだけだったあの四年間を思うと、助けるのはどうかと思ってしまう。
けれど、ここから離れるには滅亡寸前のこの国をどうにかしなくてはならない。
どうするかと考え、隣に立つ男に視線を向ける。
これまでずっと何気なく会話をしていてすっかりと忘れていたが、この男は精霊だ。それも、精霊の王。アーマイゼとして一度だけ会っていたので覚えていた。
「どうした、愛しい子よ」
「この国から離れるには、現状のままだと難しい」
「人間共の自業自得だ。少なくとも、其方が気にする事ではない」
確かにそうだろう。
「人間は精霊に対して、傲慢になりつつある。此度の件は良い薬になるだろう」
この世界で人間は精霊と共に発展して来た。しかし最近、精霊が見えない人間が増えた為、感謝の気持ちが薄れ始めている。
精霊王はそれを嘆いていた。
「今の内に去れば、誰も気付かぬだろう。いないと発覚しても、精霊が連れ去ったと解釈させる」
「何をするの?」
物騒な物言いに思わず尋ねる。『解釈させる』って何をする気だ。
「心配は要らぬ。『愛しい子は我ら精霊が引き取った』と告げるだけだ」
それはそれで騒動になりそうだが、今がチャンスなのもまた事実。
精霊王の手を取り、自分は精霊が暮らす世界に向かった。
それから、人が住む世界は大いに荒れた。
かつての祖国を始めとして、大陸各地で祖国と同じような状態になる国が続出した。
水と食料が減り、人間は奪い合いを始め――奪い合いは戦争に発展した。
戦争は続かず共倒れになった。しかし、口減らしとして何度も起きた。
事の発端として、祖国は大いに責め立てられた。
王家の人間は精霊王に救いを求める生贄として、王都の塀に磔にされたが、そんなもので精霊王が助ける筈がない。
結果として、魔物に生きたまま喰い殺された。
精霊王に教えられたが、最初に生餌にされた面々は、魔物除けどころか『魔物寄せ』になってしまったようで、遺体は残らなかったらしい。
最期までアーマイゼと、自称娘を罵っていた。罵るべきは自称娘の方だろうに。反省心のない奴らだ。
精霊が住む常春の世界で、人が住む地上を映す池を眺めている自分は『悲しみ』が感じられず、どうしたものかと悩んでいた。
――やっぱり、少し前の過去で『自分の母親を手にかけた記憶』が影響している。
これまでも、実の家族に殺された記憶は有る。実の家族を殺したのはあれが初めてだ。
地上を見る事を止め、目を閉じてゴロリと寝転ぶ。
オルネラだった頃の記憶は色褪せるどころか、鮮明になっている。
あの男にまつわる事ではない。
母親を手にかけた事だ。
あの頃も認めて欲しくて必死に努力したが、容姿を理由に貶された。
『出来て当然だ。褒める価値はない』
『髪と目が黒い奴はね、褒める価値がないのよ』
今でも鮮明に思い出せる貶し文句。
『お前さえ、産まれて来なければ、こうはならなかったのに』
『何で産まれて来たのよ! 何で黒を持って生まれたのよ! 殺せば良かった。あの時、高熱で死ねば良かったのに。首を絞めた時に死ねば良かったのに。何で、何で生きてんのよおおおお!!』
己を否定する母の雄叫び。
あの人生で判明した事もある。
母に手を掛ける前の心の声は今でも覚えている。
『家族なんて、所詮は他人なのよ。血の繋がり何て、在ってないようなものよ。だから、簡単に捨てられる』
確かに、簡単に捨てた。今世でもどこの世界でも、簡単に捨てられた。
やっぱり家族は『最も身近な他人』なのね。
その結論に辿り着き、目を閉じて嘆息を零しかけ、気分の入れ替えとして深呼吸をする。
――ここは精霊が住む世界。精霊の愛しい子である自分がため息を零せば、精霊たちは心配して集まって来る。
心配されるのは嬉しくある。贅沢な悩みだが、過度の心配はどうにかならないものか。
う~ん、と悩んでいると、男の声が響いた。
「どうした?」
「昔を思い出してね。ちょっと憂鬱になっただけ」
昔と言っても『今世』の昔ではない。『前世』と言う意味だ。解説しても通じないだろうけどね。
体を起こして、やって来た精霊王と対面し――精霊に関して気になる事が有ったので訊ねてみた。
「どうして精霊はあたしに懐くの?」
不思議に思っていたのだが、精霊が存在する世界では例外なく『懐かれる』のだ。
疑問を精霊王にぶつけると、こちらを訝しみながら回答してくれた。
「知らぬのか? 精霊は『神と管理神に仕える存在であるが故に、神性を持つものに懐く』のだ」
意外な回答に目を丸くして驚く。
「お主は神性を持った神に近い存在であろう。精霊が懐くのはある意味当然と言える」
「知らなかった。そうだったの……って、あれ?」
その言葉通りであるのならば、精霊王とは何なのか?
「精霊の王とはな精霊を統べるだけの存在ではない。『精霊を産みだす神に近い存在』を指すのだ」
「精霊の産みの親なのね」
成程と頷く。
先の説明と合わせると納得出来た。
人が住む世界は荒れて行く。手を取り合った存在への感謝を忘れた結果がコレだ。
荒れ果てた先で、精霊に感謝と謝罪の気持ちを持てばいいのだが……難しい。
『当たり前』は手元からなくなって、初めて『大事な』ものであると気付く。
使い古された言葉だが、使い古される程に言われ続けた言葉でも有り――忘れやすい事。
当たり前がなくなって何も出来ない状態になってからでは遅い。
そんな状態になっている地上はこれからどうなって行くのか――定かではない。
人間が滅びるのだろうか。或いは、精霊の手を借りずに再び発展するのか。
その結末を見届けるまでこの世界にはいない。
この世界から去るのは、もう少し精霊たちと過ごしてから。
娯楽はないが、心静かに過ごす日々は、過去を振り返るのに丁度良いし、準備も滞りなく進められる。
時間を持て余す贅沢を甘受しながら、この世界から何時去るか悩み――そう言えばと幾つも有る悩みの一つを思い出す。
『真面目に対応するとどうも上手くいかない』
今回もそうだ。アーマイゼは真面目に努力した。努力の結果、家族に捨てられた。
過去を思い出す。
真面目に努力して結果を出しても疎まれる。
何故、認めて貰えないのか、疎まれるのかと、悩んだ。
疎まれても、それなりに上手く行った過去は確かに存在する。存在するが『余り真面目にやっていない』覚えがある。
真面目にやって失敗するのなら、そこそこ不真面目にやるのが良いのかもしれない。
それに、今思い出したのだが『頭がおかしい』と言われる程に、はっちゃけていた時の方が上手く行っていたな。
次からは少しはっちゃけて見るのも、悪くはなさそう。一度は『人生の楽しさの追求』をしてみるのも良いかも。過去にやった方が良いと言われた事も有るんだし。
次の人生の指針を決めて、軽く伸びをした。
Fin
ここまでお読みいただきありがとうございました。
かなり短いのに、胸糞鬱てんこ盛り。
でも、菊理が今後の方針を決めた話しでも有る。いきなり菊理の性格がおかしくなったと指摘を受けない為にも、ワンクッションとして書きました。
誤字脱字報告ありがとうございます。
永続転生記シリーズの各話のタイトルを変更しました。
今更過ぎる気もしましたが、やはり内容が判るタイトルの方が良いかと思い変えました。