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引き出し  作者: スズカ
3/12

1-3) 16歳の肖像 「アルバイト」

 事務所を通り抜けて通用口から通路に出ると、すぐ目の前に従業員用の出入り口があり、ここを出ると隣の建物との間の路地に出られる。左手には景品交換所のプレハブのドアがあり、ノックして鍵が開く音を待ってドアを開けた。叔母の清水真理恵が入口で「おかえり」と出迎えてくれた。真理恵は小さい頃に失踪した父の姉で、母が亡くなった後真を引き取ってくれた。家族は他に、単身赴任の養父と中学生の義妹雫がいる。清水家を出るまで、仕事が無い日は家でこうして「おかえり」と迎えてくれたが、今はここでしか言われない。ここで真理恵の「おかえり」という声を聞くと、真は嬉しいようなくすぐったいような気持になる。ほんの数か月前までは何とも思わなかったのに不思議だった。

「学校どうだった?」真が荷物を置いて準備を始めるのを見ながら真理恵が尋ねる。

「普通。数学が難しくなってきた」制服のネクタイを畳みながら真が答えた。ベルが鳴り、真理恵が窓際の回転椅子に戻ると、客が引き出しをこちらに押してカードを送ってきていた。カードを置いた客が待っているのを気付けなかったようだ。真理恵がカードを数え、金額を表示し、金をトレイに乗せて送り返した。

「集計できてるから確認して」真理恵の言葉に、真は金庫を開けてカードを数え始めた。白、赤、青。枚数を数え現金換算してメモを見る。残っている現金を金庫の上の札勘機と500円玉のチェッカーで数えて集計する。その間も客が来て、少しずつ数が変わっていくが、直して合わせると丁度500万円になった。最初は目の前の500万円という金額に驚き、尻込みした。もし何かあったらと思ったが、外から誰かが侵入する事ができないこの閉ざされた空間の中にいる限り、自分が余計な事を考えなければ何も問題ないと思い直した。それからはこの大量の現金を見ても、なんとも思わなくなってしまった。

「合ってた。席代わる」真が伝えると、真理恵が「ありがとう」と言って笑顔を見せた。

 通学用のリュックから筆記用具と課題のプリントを出して勉強を始める。2次関数のプリントだった。f(x)=2x-3について、次の関数の値を求めよ。今日の授業で真もやっている。①f(2)=1。②f(3a)=6a-3。③f(a-1)。ちょっと悩んでから6a-3と答えを書いた。

 勉強を始めた真の背中を見ている真理恵が「真」と声を掛ける。真は真理恵に向き直って「なに?」と返事をした。

「ごはんちゃんと食べてる?」

「うん。今日は晩飯おにぎりにした」

 真は冷蔵庫の上に置いたコンビニの袋を指さした。

 真理恵はそれを見た後、「いつでも帰ってきていいんだからね」と告げる。

 真は「うん。ありがとう」と、仄暗い気持ちを精一杯抑え、少しだけ微笑んで真理恵に答えた。


 交換所を出て事務所に入り、真理恵はモニターを見詰める男に「交代しました」と声をかけた。男は真理恵のほうを見向きもせず、

「雫は元気か?」と答えた。真理恵は

「一応元気よ。真がいなくなって、少し不安定だったけど、ようやく落ち着いてきたわ」

 と答えた。男は何も言わずモニターを見続けている。そうする事で、真理恵に何も言わせまいとする様に。それ以上何も言おうとしない男を少し見つめた後、肩を竦めてひとつ息を吐き

「じゃ、雫が待ってるから帰るわね」真理恵は事務所を後にした。

 真理恵が出て行くドアが閉まる音を確認した後、真理恵と良く似た仕草で男は息をひとつ吐き出し、手に持ったペットボトルのお茶をぐびりと飲んだ。


 10時を過ぎ、閉店まで粘っていた客が一斉に交換所に並ぶ。店舗の上層階がマンションになっていて、駅前繁華街の割に閉店時間が早かった。真は次々とカードを現金に交換していく。最後の客のカードは、赤と青のゴムにまとめられた束になって出されることになっていて、それを見て真は今日のアルバイトが終わったことを知る。

 真は引き出しの上に「本日は閉店しました」と書かれたプラスチックボードを置いて引き出しを送り出し、引き出しを押せない様に角材を組み合わせたストッパーで固定した。

 カードを数え、集計用紙に記入し、現金も同じ様に集計と記入をする。合わせると丁度500万円になったのを見て、真は大きく息を吐いた。毎回この瞬間が一番安堵する。単純な作業で間違いようがないはずなのに、集計中は合わなかったらどうしようと不安になるのだ。単純な作業だけに、勘違いや数え間違いがあるらしい。100枚入るカードホルダーに99枚しか入っていなかったり、ホルダーにしまったつもりで落としていたりなど、この中で済めばなんとかなる。客に間違った金額を出してしまった時だけ取り返しがつかない。

 複写になった集計伝票の2枚目を切り取り、カードと現金と伝票を金庫にしまう。金庫の施錠を確認し、流しやトイレをチェックして、粘着テープのローラーで簡単に掃除を済ませた。荷物を持って、警備会社とオンラインで繋がった警報装置の警備開始ボタンを押す。電子音が30秒鳴っている間に、電気を消し小部屋の外に出て施錠する。

 事務所ではチーフマネージャーの斉藤さんが札勘機で売り上げの集計を行っていた。

「終わりました」と声を掛けると、鍵と伝票を受け取って「お疲れ様」と返してくれた。

 閉店後の店内は、台の電子音が営業中よりやや抑えられているものの、スピーカーから流れるBGMと掃除機の音でやはりやかましかった。作業服姿のおばさん達が、フロアに掃除機を掛けたり椅子を直したりしている。カウンターの中では、若い男性スタッフが片づけをしている小柄な女性スタッフに話しかけていた。駐車場側の出口に向かい、カウンターのスタッフに向かって「お疲れさまでした。お先に失礼します」と少し大きな声であいさつをする。片づけをしていた女性スタッフが、声に気付いて「シンくん!」と小走りでやってくるのが見えた。

 田中真由美という女性スタッフで、お腹が痛くなった真に鎮痛剤をくれた事で話をするようになった。化粧をしていて二十代半ば位かと思っていたのだが、実は17歳で真とあまり変わらないと聞いてとても驚いた。本来は違法なのだが、22:00と同時にタイムカードを印字し、その後の超過分は別の名目で支払われていると聞いた。後で薬の礼を言った時、「私、生理痛ひどくていつも持ってるから。欲しかったら言って!」と、あっけらかんと言われ、顔が熱くなった。それ以来、真はなんとなく真由美の顔をまともに見る事が出来ないでいた。

 真由美は真のところにくると、「お疲れ様!」と腕をつかみ、出口に向かって一緒に歩き出した。カウンターで真由美と話していた男性スタッフが真をにらんでいる。真由美は身長のわりに胸が大きく、それを真の腕に押し付けるようにして歩くので、真は焦りながら「どうしたんですか!」と尋ねた。顔が熱くなってくるのがわかる。

 真由美は心底嫌そうに「あのヒトしつこくてさ、お酒飲めないのにこれからバーに行こうって誘ってくるの」と答え、真と一緒に駐車場まで出てきてしまった。

「仕事大丈夫なんですか」真が腕を振り払おうとしながら訪ねると、真由美はその腕を余計に強く抱き込むようにして

「佐々木さん、全然働かないで話しかけて来るんだもん。手伝ってくれたらもうとっくに終わってるよ!」とぷりぷりした表情をした。こういう顔を見ると、真とあまり変わらないという真由美の本当の歳に見えてくる。女の人ってスゴイなと、真が時々思うことだった。

「シンくん真っ直ぐ帰るの?お腹すいてない?もう上がるからマック行こうよ。おごってあげるよ」

 真由美は腕を掴んだまま上目使いで真に言う。真は腕に当たる感触をどうにか頭から追い払おうと、必死で「いや、もう遅いですし」と返すが、

「お願い!シンくんが一緒に来てくれないと、佐々木さんに送り狼されちゃうの!」

 と必死で懇願してきた。真は「えーっ!」と驚いた声を上げた。

 中学生の頃、バスケ部で活躍していた真を慕う女の子は結構多かった。呼び出されて告白されたことも少なくなかったが、真はそれを全部断ってきた。女の子に興味が無かったわけではない。今は精一杯バスケをやって体力をつける。勉強も頑張る。自分には女の子と付き合うとか、そんなことをしている暇はない。そうやって雑念を振り払っていたのだ。そうやって断っても真にアプローチし続けてきた女子生徒もいたし、中には積極的に誘ってくる強者もいた。だから、異性に迫られて困り果てる気持ちは痛いほどわかる。

「真由美さん。それ本当なんですか?」

「うん!今日、シンくんにほっとかれたら、佐々木さんに食べられちゃう!」

 真は、

「わかりました。じゃあ送っていきます」

 と答えていた。


 駐車場の奥、景品交換所の前で、真は真由美が出てくるのを待っていた。

 景品交換所を外からじっくり眺めるのは初めてだった。

 宝くじ売り場のような見た目と大きさの建物が、ビルにくっ付いてそこだけ飛び出していた。窓ガラスが壁と同じような建築材料のボードで塞がれている。景品交換所組合員の札と監視カメラが設置されていることを告知するポスター。営業時間。それだけだった。

 あまり使われることのないベルが、荷物置きの台の上に固定されている。引き出しの部分はこちら側に全部出ていて、先ほど真が置いた営業終了のプレートが乗せられている。試しに引き出しを動かしてみたが、意外にしっかりと固定されていて、木組みの抑えがちゃんと仕事を果たしていた。

 景品交換所そのものに、もちろんドアはない。隣の建物との間の路地に面した頑丈そうな扉が、警備の付いた従業員出入り口になっていて、真由美もそこから出てくることになっていた。

 路地の先はアーケード街で、時折サラリーマンの集団が通り過ぎるのが見えた。その向こうには、放課後にコンビニで会った亜耶達が今日行ったと思われるカラオケのビルがある。

 真由美が、佐々木に何と言って出てくるのかがちょっと気になった。真と一緒に帰ると真由美が言えば、先ほどにらんできた佐々木の事だ、難癖をつけてくるかもしれない。どうすればいいだろうかとも思うが、それほど気にはならなかった。佐々木が小柄で線も細く、バスケで鍛えてきた真にとってあまり威圧感を感じない相手だからだろう。

 着替えくると言っていた真由美は、どんな服装で出てくるのだろう。パチンコ店の女性スタッフの制服は、流行っているというメイド服をアレンジしたデザインになっていて、胸の部分がやや強調されたものになっている。腕に当たっていた真由美の柔らかさを思い出してしまい、真の顔が再び熱くなってきた。振り払うように頭を振って辺りを見渡すと、路地から人が出て来るのが見えた。

 真由美が出てきたのかと歩き出すと、それは見慣れた高校の制服を着た女子で、しかもコンビニで別れた亜耶だと気が付いた。亜耶は脱いだカーディガンと学校指定のボストンバッグを手に持ち、後ろを気にしながら息を弾ませていた。コンビニで会った時とは違う、余裕のない表情に小走りで。

 やがて真の存在に気付いた亜耶に

「何やってんだ、こんな時間に」と声をかけた。


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