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第九話

 グレイガルは生まれた時から、美しさというものが理解できなかった。醜さというものが理解できなかった。

 それ故に、己の美に執着する者の気持ちも、美しい物を賛美し心奪われ自分の物にしたがる気持ちもわからなかった。

 己の醜さに嘆き悲しむ者の気持ちも、醜い物を罵倒し嫌悪して遠ざけたがる気持ちもわからなかった。

 そして、周囲はそんな彼の気持ちがわからなかった。

 だからグレイガルの周囲には、誰もいなくなってしまう。

 しかしそのことを、特に思い悩んだり、悲しむことはなかった。もっと言えば、どうでもよかった。

 彼は美醜が理解できないだけではなく、他の者に対する興味が薄くて情緒が乏しかったのだ。




(ああ、またか……)

 戦場を見守っていたグレイガルは小さくため息をついた。

 彼が見つめる先には一人の戦士がいる。

 戦士は破竹の勢いで、敵を殺していく。それだけだったら、彼が優秀な戦士であるということなのだが、グレイガルにはそうでないことがわかる。

「また随分と滅茶苦茶なものを与える……」

 その戦士にはある神の加護が付与されていた。それ自体はよくあることだ。

 敬虔な信徒に与えることもあれば、気に入った相手に与えることもあり、ちょっとした気まぐれで与えることもある。

 グレイガルも、極々まれに気に入った戦士に加護を与えることがあった。

 しかし、この加護というものは与えた相手を必ずしも幸福に導くものではない。時として破滅へと陥らせることもあるのだ。

 そして今、グレイガルが見つめる戦士も確実に破滅の道へと進んでいる。

 その鎧も武器も敵の血で赤く染まり、その顔には凄惨な笑みが浮かんでいた。怪我をして動けない相手も、降服する相手も関係なく剣を振るって殺し続ける。休むことも食事をとることもなく、ずっとずっと。もう日は落ち、戦が終わってもなお止まらず、周りの味方が見るに見かねて止めに入るも聞く耳持たない。その様はまさに狂乱。正気は一切見当たらない。

「……はあ」

 あの戦士は恐らく、もう助からない。彼の心が正常に戻ることはなく、暴れる続ける体はそれに耐えきれず壊れてしまうだろう。

 あれはもはや加護ではなく、呪いだ。

 しかし、与えている神はあくまで加護のつもりなのだから始末に負えない。

 グレイガルはあまり他の神と交流を持たないが、かの神とは同じ戦神として、いずれ話をしなければいけないだろう。

 そんなことを考えていると、不意に視線を感じた。

 顔を上げれば、そこには何もない。しかしグレイガルには、誰かがこちらを魔法を通して覗き込んでいるのが観えた。

 そして、その誰かと目が合う。

(……女神?)

 どうやら自分と同じ神らしい。

 何か用でもあるのかと問いかけようとするも、その前に女神は消えてしまう。

「……何だったのだ?」

 ぽつりと呟かれた疑問に答える者はいなかった。


 翌日、グレイガルは昨日と同じ場所にいた。

 その日もその場所で戦があったからだ。

 例の戦士の姿はどこにも見えない。彼は、体力の限界で動けなくなったところを敵に囲まれ、体の原型がなくなるほど叩き殺されてしまったのだ。

 多くの同胞を残虐な方法で殺された憎しみと恨みは、相当のものだったのだろう。

 彼は敵だけではなく味方にさえ手を出していたので、仲間は誰一人彼を助けようとすることなく見捨てた。

 そして、そんな光景を見るのは、初めてではない。

 どうしたものかと考えていると、また誰かの気配を感じた。

 察するに、昨日の女神だろう。

 なぜここにいるかは知らないが、昨日目が合っただけで消えてしまったことを考えると今回は振り向かない方がいいのではないか。

 そう考えたグレイガルはあえて気づかぬふりをしたのだが、どういうわけか彼女の気配は少しずつ彼に近づいてきた。

 それも、まるでこちらの様子をうかがうように息を殺して来るものだから、何か仕掛けるつもりなのかと警戒を強める。

 けれど、それは彼女の発言によって一瞬で解かされる。

『あ、あにょっ』

(……噛んだ)

 思わず振り返って、彼女をまじまじと見てしまったが、顔を真っ赤にした彼女があまりにも居心地悪そうになので、仕方がなしに声をかけた。

「昨日ぶりだな」

『え、え、ええ……そそ、そうですね』


 こうしてグレイガルはこの女神との交流が始まった。

 彼女はよく彼の前に現れ、少し時間を共にして消えていく。

 それが何度も繰り返される。

 最初は偶然だろうと思っていたが、何度も同じことがあれば流石に気づく。

 彼女は、自分を探して会いに来ているのだ。

 以前、見かけたら声をかけていいかと問われたことがあるが、あの時はたいして面白いことも話せぬ自分にわざわざ話しかけたいだなんて、ずいぶんと物好きだと思った。

 しかし彼女の物好きさは、その時の想像をはるかに超えるものらしい。

(俺なんかと一緒にいて、何がしたいのだ?)

 戦うことしか能のない男だ。一緒にいて得られるものなどないだろうに。

 本当に、変わった女神だ。

 それと同時に、あることを思う。

(彼女は、なんという名なのだろうか……)

 グレイガルはかの女神と何度も会話しているというのに、彼女の名前を知らないのだ。そしておそらく、彼女もグレイガルの名前を知らない。

 短い付き合いながら、彼女が自分の話を避けているのは気づいていた。

 何かしゃべりたくない事情でもあるのだろうと、グレイガルもあえて話をふらなかったのだが、最近は彼女の名前を知りたいという気持ちが強くなっている。

 そして、その意思と同時に、ある感情が彼の中で芽生えているようになっていた。

 彼女の傍にいる時には特に強く波打つ情動、それは彼が今まで抱いたことのない感情であり、何なのかわからなかったが、自分に理解できないものと言えば美醜である。

 だが、醜さではないだろう。醜い物を見ると、目をそらしたくなったり、傍にいるのも嫌になるというが、彼女に対してそのような行動を起こそうとしたことはない。むしろ逆に、もっと見ていたくなるような、傍にいたくなるような、そんな気持ちにはなる。

 ということは、これは美しいという気持ちではないだろうか。

 聞いた話によると、美しい物を見ると感動したり、心を奪われる、ということがあるらしいのだ。

 自分の状況は、もしかしたらこれではないだろうか。

 美しさを理解できないグレイガルでさえ、美しいと感じてしまう相手。

 一人だけ、心当たりがあった。

 美の女神・シュレイディアである。

 そして、彼女の髪と瞳の色も、噂に聞くシュレイディアの物と同じであることもその考えを補強した。

 神々にも人間にも慕われている引く手あまたな美の女神が、どうして血なまぐさくて野蛮な戦うことぐらいしか能のない自分に会いに来るのかわからないが、まあ、彼女は気まぐれだというからその一種なのだろう。

(……そういえば、シュレイディアには姉妹がいたんだったか?)

 いつだったか、そんな話を聞いたような覚えがある。

 しかし、グレイガルはその姉、あるいは妹の名を知らない。

(まあ、別によかろう。もしシュレイディアでないのなら、本人が教えてくれるだろうしな)


『そう、そうなの。シュレイディアよ』

 確認してみると、彼女はグレイガルの考え通り、自らをシュレイディアと名乗った。

 ようやく彼女の名前を呼べるのだ。そう思うと、柄にもなく口元が緩んでしまったことを覚えている。

 思えば、我ながら舞い上がっていたと思う。自分の神殿を教え、そこで落ち合うようにし、会うたびに彼女の名前を何度も何度も呼んでしまった。

 しかし、時間が経つにつれ彼女の顔がわずかに曇り、思いつめているような様子が見られた。

 自分がなにかやらかしたからでは、ないと思う。しかし、何かを耐えているのは間違いない。

 何か悩みを抱えているのは確実なのに、グレイガルにはそれがわからず、そしてどうすることもできない。

 自分と彼女の間にある途方もない距離。それは物理的なものだけではなく、精神的なものでもあった。

 彼女に近づきたい。

 グレイガルは初めてそう思った。






「おお! こんなところにいたのか! 探したぞ!」

 宴の会場に戻ったグレイガルに声をかけたのは一人の男神であった。

 橙の髪に山吹色の瞳。戦神のグレイガルと比べれは細身だが力強く、人好きする笑顔を浮かべている。

 彼は片手に持っている果実酒が入った杯を近くの給仕に渡して、グレイガルに近づく。

「タルナドか……」

 太陽神・タルナド。

 無愛想で無口なグレイガルと、明るくて社交的なタルナドは一見すると正反対なのだが、不思議と馬が合い、グレイガルにとっては数少ない長い付き合いのある神となっているのだ。

「それでどうだった? 約束していた相手とは会えたのか!?」

「ああ」

「それはよかった! いつもは興味すら持たない祝祭に出るというから、どういう風の吹きまわしかと思ったが、まさか逢引相手ができていたとはな! 教えてくれてもいいだろう! 水臭いぞ!!」

「そなたは相変わらず声が大きいな。近くでしゃべる時は、もう少し小さく話せ」

「む、すまん!」

 グレイガルの言葉を受け、タルナドは先ほどよりも声を抑えて謝罪した。しかし、長年の経験からすぐ復活するだろうとグレイガルは看破している。

「……それに、彼女は逢引相手などでない」

「!? なんと、ではまだ片思いだったのか……。そういうことなら、このタルナド、助力は惜しまん! 力になろう!!」

「声」

「すまん!」

 いつか自分はこの友人に耳をつぶされるのではないか。そんな懸念を抱きつつも二人は歩いていく。

 道すがら、グレイガルの脳裏に浮かぶのは一人の女神。

 顔を青ざめながら、妹……シュレイディアに連れていかれる彼女の姿。

 そう彼女は、シュレイディアではなかったのだ。

(どうしてだ?)

 どうして自分に偽りの名を教えたのか。自分を騙して、からかっていたのか。だとしたら、どうしてあんな思いつめるような顔をしていたのか。

 呼び止めて問い詰めようとも、名前すら知らない自分はそれすらできない。

(俺は、俺が思っている以上に彼女のことを知らなかったのだな)

 何度も会い、何度も言葉を交わすうちに、彼女のことをある程度知っていると思っていた。それはただの勘違いだと、ついさっき思い知らされたのだ。

(……………………)

 歩きながら、グレイガルは名前すら知らぬ女のことを考えた。



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