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第八話

 祝祭の喧騒は遠く離れた窓辺に二人は並んでいた。

「なんだか、不思議な感じね」

「ああ。こうして実際に会うのは初めてであるからな」

 そして落ちる沈黙。

 いつもどうやって過ごしていただろうかとエルゼリカは自分に問いかける。

 けれど、あんなに何度も一緒に過ごしたのに、思い出そうとしても頭が真っ白になるばかりで何も浮かばない。

 二人を隔てていた鏡がなくなっただけでこのありさま。エルゼリカは自己嫌悪を強めた。

「あ、あのね」

 それでも勇気を振り絞り、彼に語り掛ける。

「ん? なんだろうか?」

「その、私、あなたと、こうして会えて、すごく嬉しいの」

 それは噓偽りない、彼女の本心だった。

 あれほど会うのを恐れていながら、実際こうして彼と会ってみればこの胸には喜びしかない。わがことながら現金なものだ。

「ああ、俺もだ」

「っ! 本当に!?」

 言葉少ない同意だったが、それでもエルゼリカは嬉しくてたまらない。

 彼も同じ気持ちだった。それだけで今日ここに来てよかったと思えた。

 興奮のあまり、エルゼリカは彼に一歩近づく。

「わ、わたしね、ほら、あんまりしゃべるの、上手くないでしょ? だから、退屈だったんじゃないかって、思ってて、だから話しかけてもいいって言われたのすごく嬉しくて。だから、その、えっと」

「落ち着け」

 感情が昂っているエルゼリカを落ち着けるように、グレイガルは彼女の背中を撫でた。

 それにより我に返った彼女は、はしゃぎ過ぎだったと自省する。

(な、何をやっているのかしら、私は……ちょっと幼稚すぎるわ)

「あ、ありがとう……」

「いや……」

 エルゼリカの背中に添えていた手は腰に回り、二人の距離を僅かに近づけた。

 恋人のような触れ合いに気づいて、エルゼリカの頬が赤く染まる。

「それだけ喜んでもらえるのは俺も嬉しいぞ……本当にそなたと会えてよかった」

「……グレイガル」

 二人は互いを見つめあう。

 夢心地を味わうエルゼリカだったが、それはグレイガルの一言で終わった。

「シュレイディア」

「――っ」

 まるで体中が凍ったように冷たくなる。

「? どうしたんだシュレイディア。何かあったのか?」

「な、んでもない。何でもないの」

 様子が変わったことに気づいたのだろうグレイガルの問いかけに、エルゼリカは取り繕う。

(しっかりしなさい、何ショックを受けているの……グレイガルは私をシュレイディアだと思っているのだから、シュレイディアの名前を呼ぶのは当たり前じゃない……そう、そうよ。私だって、わかっていて噓をついたんだから……)

 そう、今の状況は完全なる自業自得。自分に傷つく資格などないのだ。

 それなのに、エルゼリカの胸は血が流れているように痛む。痛くて痛くてしょうがない。

 あまりの痛みに、エルゼリカは自問する。

(本当に、本当にこのままでいいの……? やっと会えたのに、こんな風に自分の名前を呼んでもらうことも出来ない……私は、私の名前を呼んで欲しいのにっ)

 嫌だ。このままじゃ。

 心がそう叫んでいる。

「シュレイディア、本当に大丈夫なのか? 顔色が悪いぞ?」

 気遣うようにこちらを覗き込むグレイガルと目が合った瞬間、それまでの葛藤や躊躇いが嘘のようにすとんと気持ちが定まった。

(言おう……本当のことを)

 嫌われてもいい。失望されてもいい。何度でも謝ろう。それで、たった一度でいい。名前を呼んで欲しい。

「グレイ、ガル……」

「ん?」

「あの、あのね、私……実は」

 シュレイディアじゃないの。

 そう言いかけたその時、二人に駆け寄る者がいた。

 それは、いつまでたっても戻ってこない姉を心配してやってきたシュレイディアだった。

「姉さん! 何やってるの、もう奉納戦始まるわよ!」

 彼女の登場に、グレイガルは目を見開き、エルゼリカは顔面蒼白となる。

「あら? この神が姉さんと会う約束してた相手?」

 シュレイディアは不思議そうな顔をしながらグレイガルとエルゼリカ、交互に視線を送る。

「……シュレイディア?」

「なぁに? 私に何か用?」

 グレイガルが呼びかければ、シュレイディアが反応する。当たり前だ。それは彼女の名前なのだから。

 これだけで何か察したのだろう。グレイガルはそれ以上何も言わない。

 彼からの視線を強く感じながら、エルゼリカは顔をあげることができない。

「? よくわからないけど、早く行きましょうよ、姉さん」

 シュレイディアに手を引かれて、引っ張られるようにエルゼリカは連れられて行く。

 一度だけ振り返り、小さく「ごめんなさい」と告げる。

 それに対し、グレイガルは何かを言いたげに口を開いたが、何も言葉を紡ぐことなく口を閉ざした。


(ああ、もう駄目だわ……絶対に嫌われた。そうよね、自分にずっと噓をついていた女なんて、誰だって嫌よね。当たり前だわ……)

 エルゼルリカは体中から血の気が引いていくような、足元が崩れていくような感覚に襲われる。シュレイディアに手を引かれていなければそのまま倒れていただろう。

「ねえ姉さん、奉納戦を観るの初めてよね。今回はなんと、って姉さん!?」

 シュレイディアはエルゼリカの顔を見てぎょっとする。姉が両目から涙を流していたのだから。

「え、何っ!? どうしたの、姉さん! あ、もしかしてあの男神から何かされたの!?」

「違う……違うのよ」

 ぽろぽろと涙を流しながら、エルゼリカが首を横に振る。

「全部、私が悪いの」

 噓を言って騙して、そのくせ自分の願いを叶えようだなんて、身勝手なことを考えたことの刑罰だ。

 因果応報である。

 わかっていてもなお、涙は止まらなかった。



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