第七話
そこは精巧で品のある装飾品で飾り付けられ、テーブルには色とりどりに盛り付けられた豪華な食事とこの日の為に作られた美酒が所狭しと並んでいた。
それに舌鼓を打つ者もいれば、談笑に興ずる者もいる。
とても煌びやかで華やかで、エルゼリカは自分がここにいるのは場違いなような気分になった。
「姉さん! これも美味しいわよ! 食べてみてよ」
「ああ、ありがとう。いただくわ」
シュレイディアから軽食を受け取り、口に運ぶ。
彼女の言う通り、絶品であるがエルゼリカはそれをじっくり味わう余裕などなかった。
エルゼリカとシュレイディアの父である天上神・アヌヴィル、天界に存在する彼の神殿こそが祝祭の会場である。
どの神殿よりも広大だとされるそこは、あらゆる神が集い、数多くの眷属が給仕を行っても手狭に感じない。
だが、これほどまでに神々が集まっているのを初めてみるエルゼリカは、どこか落ち着かない気持ちになってしまう。
それは先ほどから寄こされる周囲の視線も原因の一つだった。
好奇心、値踏み、観察。
視線に含まれている意図はそんなものだろうか。
エルゼリカは冥界から出ることが滅多にない為、彼女の姿を見るのは初めての神も多い。しかし金髪で虹色の瞳を持つ神はアヌヴィルの系譜の者だけだし、シュレイディアが「姉さん」と呼んでいるので、誰なのかはすぐに検討がついただろう。
流石にじろじろと目線を見せる不躾な者はいないが、それでもちらちらと視線を向けられて、いい気分にはない。
それでも思っていたよりも気にならないのは、グレイガルのことが気になっているからだろうか。
「ねえ、シュレイディア。そろそろお父様に挨拶に行くべきではないかしら」
「ええー、いいわよ別に。どうせ私たちが行こうが行くまいが、気にしないわ」
「そうだとしても、私たちが行かないわけにはいかないでしょう?」
「でも私、一度も挨拶しに行ったことないわよ?」
「駄目じゃない!」
乗り気ではないシュレイディアを引きづるように伴いながら進んでいくと、その神はいた。
黄金の神に虹色の瞳。それはエルゼリカ達と同じものであるはずなのに、二人よりも放つ存在感や神々しさが比ではない。
彼こそが神々の頂点に君臨する存在にして、二人の父、アヌヴィルである。
アヌヴィルは娘たちの存在に気づくと、優しい微笑みを向けた。
「ああ、二人とも、よく来てくれた。特にエルゼリカ、久しぶりに会えて嬉しいぞ」
「はい、お父様。私もお会いできて嬉しいです」
「シュレイディアも、君の噂はよく他の神から聞いていたが、こうして挨拶に来てくれるのは初めてだな。実に喜ばしい」
「あー、はい。私も喜ばしいです」
軽薄な態度のシュレイディアをエルゼリカは軽く小突くが、アヌヴィルは気にした様子もなく笑みを深める。
「年に一度のこの祝祭を、君たちも存分に楽しみなさい」
「はい、ありがとうございます」
アヌヴィルに頭を下げ、二人はその場から離れた
そして、彼の姿が見えなくなったのを確認するとシュレイディアはわざとらしいぐらい大きなため息をつく。
「あー、疲れた。父親といっても、あの人と接するのはいつまで経っても慣れないわ」
「……仕方がないでしょう。あの方は神の中でも特別だもの」
シュレイディアをたしなめるエルゼリカだったが、本音としては彼女と同意見だった。
神の王であるアヌヴィルには、いかなる噓や誤魔化しが通じず、その心に秘めているものさえも暴かれてしまう。
だから神々は彼を敬うと同時に恐れる。
当然それもアヌヴィルは気づいているだろうに、そのことに関して何か言うことはなかった。
見逃しているのか、許しているのか、何とも思っていないのか、娘とはいえエルゼリカにその心情を察することはできない。
「ねえねえ、次どこに行く? あっちでは大道芸や舞が披露されているのよ」
気を取り直したようにそう言って手を引くシュレイディアに、エルゼリカは申し訳なさげに眉をさげる。
「ごめんなさい、シュレイディア。その、他の神と会う約束をしてるの」
「ええ! 誰?! 姉さんにそんな約束するような仲のいい神なんていたっけ?」
「……失礼なこと言わないでちょうだい」
小さく反論するも、はっきりいると言えないところが、エルゼリカの交友関係を示唆していた。
「とにかく、その約束した相手のところに行くから、またあとで合流しましょう」
「……わかった。でも気を付けてよね。姉さんって意外とドジっていうか、騙されやすいところがあるから」
「……大丈夫よ」
騙されているのではなく騙している方だとは言えず、エルゼリカはシュレイディアと別れ、グレイガルと待ち合わせている場所に向かう。
早く早くと急き立てる心をなだめながら、宴を楽しむ神や働いている眷属にぶつからぬよう早歩きで進んでいく。
(ついに、彼と会うんだわ……)
恐ろしいのに待ち遠しくて、嬉しいのに逃げ出したい。
そんな名状しがたい気持ちを抱えて歩くエルゼリカだったが、あともう少しで待ち合わせ場所にたどり着くというその時、その目の前に誰かが立ちふさがった。
「よお」
まるで知り合いかのように声をかけられるが、エルゼリカは彼を知らない。
「どちら様でしょうか?」
なんとなく嫌な感じがしたので一歩引くエルゼリカだが、目の前の男はそんなこと気にも留めずにニヤニヤと笑う。
「おいおい、そんな顔するなよ。やっと会えたっていうのに」
「……本当にどなたなの?」
再度の問いかけでようやく彼は自分の名を口にした。
「わからないのか? 俺だよ、ガレムドラだ」
「っ!」
その名前を聞いた瞬間、エルゼリカは自分の顔が引きつったのを理解する。
ガレムドラ。
それは、あの誠意の欠片もない恋文を自分に送ってきた男の名だ。
「返事一つ寄こさないからなんて女だと思っていたが、まさかいきなりこうして俺に会いに来るなんて、思いもしなかったぜ」
「……何の事かしら」
よくわからないが、この男はとんでもない勘違いをしているらしい。エルゼリカの中で嫌悪感が募る。
「照れるなよ。冥界に引きこもっていたお前がこうして祝祭にやってくる理由なんて、それぐらいだろう」
「……違うわ」
エルゼリカは周囲を見渡すも、グレイガルがシュレイディアと鉢合わせにならぬよう神殿の片隅を指定したのが悪かったのだろう、周りに人影はない。
「あの、私急いでるから……」
「おい、待てって」
彼の横をすり抜けようとするも、腕を掴まれてしまう。
咄嗟に振り払おうとするも、痛みを感じる程強く握られてエルゼリカは眉を寄せた。
「離してちょうだい、私急いでるの」
「だから俺に会いに来たんだろ?」
「そんなわけないじゃない、おかしな勘違いしないで!」
「はあ? じゃあ会う約束してる神って誰なんだ?」
どうやらシュレイディアとの会話を聞いていたらしい。一体いつから目をつけられていたのか、考えるだけぞっとする。
「あなたには関係ないでしょ、離しなさい」
「……おい、あんまり調子に乗るなよ」
エルゼリカの言葉が嘘でも冗談ではないとようやく気付いたのだろう、ガレムドラが苛立ち始めた。
(どうしよう、早く行きたいのに……)
とにかく、この場から逃げなければ。
そう思っているのに、ガレムドラの腕はびくともしない。
「おい、さっさと誰か言えよ」
「だからあなたには関係ないって言っているでしょう!」
「んだとぉ」
「そこで何をやっている」
突然かけられた声に、エルゼリカだけではなくガレムドラも驚いて振り向く。
そこにはエルゼリカが会おうとしていた神の姿があった。
「グレイガル……」
そう呟いたのはエルゼリカではなく、ガレムドラの方だった。
「あぁん、てめぇいつもは祝祭に不参加のくせに、なんでいやがんだ」
「……ガレムドラ、女性を手荒に扱うのは止めろ」
「うぜぇんだよ、俺に指図するんじゃねえ! ここがアヌヴィル様のお膝元じゃなきゃあ、てめぇなんてぶっ飛ばしてやるのによぉ!!」
ガレムドラは忌々しそうに舌打ちするとエルゼリカの手を放し、去っていく。
その背中をエルゼリカは安堵の気持ちで見つめた。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとう」
そして顔を向き変えれば、愛しい者がそこにいる。
鏡越しとはいえ何度も会ったはずなのに、エルゼリカは彼に見入ってしまった。
体は火が灯ったように熱くなって、息が苦しくなる。
(……グレイガル)
今すぐ走り寄りたいのに、なんだか恥ずかしくて近寄れない。
そんな固まって動けないエルゼリカをどう思ったのか、グレイガルはふっと笑みを見せて、口を開く。
「やっと会えたな」
グレイガルの言葉にエルゼリカは小さく頷いた。