第六話
その後はもうグレイガルと何を話したのかさえ曖昧だった。
彼と別れたエルゼリカは急いでヘガンナに連絡を取り、祝祭への参加を希望した。
一日と経たず、決定を覆したエルゼリカにヘガンナは訝しげだったが、それでもエルゼリカの参加を喜んだ。
そして上機嫌に問いかける。
「ねえ、君は祝祭で行われる奉納戦って知ってる?」
「いいえ、何かしらそれは?」
「君のお父上、アヌヴィル様の前で力自慢の神々が武を競うんだ。優勝者にはアヌヴィル様が一つだけ願いを叶えてくださるから、皆真剣で毎年すごく盛り上がるんだよ」
「まあ、そうなの」
武を競うという言葉に、戦神のグレイガルの顔が浮かんだ。
彼が出場するのなら見てみたいと思ったが、彼がこんな余興に興味を示すとも思えないので、それは叶わないだろう。
「君も見たらきっと気に入るよ」
ヘガンナの言葉にエルゼリカは、曖昧に笑って誤魔化す。
彼女には申し訳ないが、きっと自分はその奉納戦を楽しむような余裕はないだろう。なにせ、グレイガルを丸め込むのに必死になっているはずだから。
次にエルゼリカが祝祭に行く為に行ったのは、自分が地上に向かっても問題ないように仕事を片づけることだ。
しかし、彼女一人ではどうやっても無理である。そこで、眷属達にも手伝ってもらうことにした。
私欲で彼らに仕事を押し付けることに関しては、悩みもした。
けれど、今回だけだからと自分に言い聞かせて踏み込んだのだ。
ただ、眷属達の反応が心配ではある。
急に仕事を増やしたら当然不満を感じるだろうし、非難もあるだろう。それをどうやって説得するか、エルゼリカは頭を悩ませた。
「仕事を任せたいとは、本当ですか?」
「ええ……その、今年は祝祭に参加しようと思っていて、それで、悪いけれど一時的に仕事をお願いしたいの」
呼び出したのは眷属の中でも仕えている年月が長く、優秀でエルゼリカも信頼を置いている者だ。
そんな相手から、失望や呆れの眼差しを向けられるのは辛い。
しかし、宴に行きたいからという理由で仕事を休もうとしているのだから、当然と言えば当然である。
(とにかく、祝祭に行くためにはこの者を説得しなくては……例え強引な手を使ったとしても)
今まで権力を振りかざして眷属達を無理やり従わせることはしなかった。しかし、今回は拒否されればそれも辞さないつもりだ。
「どう、かしら? お願いできる?」
きっと嫌がられるだろうと予想しながら問いかけるエルゼリカだったが、眷属の反応は思いもよらぬものだった。
「それは勿論です! エルゼリカ様の信頼に必ずや答えて見せましょう!」
力強い返答は彼女にとって願ってもないものが、あまりにすんなりと受け入れるものだから喜びよりも戸惑いの方が強くなってしまう。
「え、ほ、本当にいいの? 仕事が増えるのよ? 嫌ではないの?」
「当たり前です。ようやくエルゼリカ様のお役に立てる時が来たのです。それを嫌がるなんてとんでもない」
エルゼリカは眷属の言葉がすぐには理解できなかった。
その言い方では、まるで眷属達が今まで役にたって来なかったみたいではないか。
「なにを、言っているのです。あなたたちはずっと、私を支えてきてくれたではないですか」
「我々がしてきたことなんて、エルゼリカ様に比べれば微々たるものでしかありません。エルゼリカ様が冥界だけではなく、我々眷属のことも考え、いろいろと手を尽くしてくださっていることは知っていました。けれど、私たちはエルゼリカ様に何も返せず、ずっと歯がゆく思っておりました」
「……そう、だったの」
まさか眷属達がそんなことを考えていたなんて知らなかった。
人間からの信仰を集められず、冥界の状況も改善できない、不甲斐ない統治者だと思われていると、そう思っていたのに。
「ですから、嬉しいんです。エルゼリカ様がこんな風に我々を頼ってくださるなんて」
「……でも、祝祭に行く為よ? ……遊びに行くようなものだし」
ここまで持ち上げてもらって情けないことだが、エルゼリカが彼らに仕事を任せるのは冥界の為ではなく、眷属達の為でもない。私利私欲の為である。
けれど、眷属は微笑みながら首を横に振った。
「エルゼリカ様がずっと遊ぶことも戯れることもなく、働いてきました。そんなあなたが休むことに誰も文句なんて言いませんし言わせません。むしろ、これからはもっと休息をとってください。これは私だけではなく眷属達皆の総意です」
「…………ありがとう」
自分が行っている仕事の一部を眷属に任せることは以前から考えてはいた。けれどそれに踏み込めなかったのは、自らの決断力の無さと今以上に状況が悪化したらどうしようかという不安、そして眷属たちの反応を気にした意気地のなさが原因である。
至らないばかりの上司であるが、これからもう少し眷属たちを頼ってみよう、そう思った。
『そうか、それは良い眷属を持ったのだな』
その夜、エルゼリカはグレイガルに今日の出来事を話した。
勿論、所々適当に誤魔化してではあるが。
「ええ、皆本当に良く出来た眷属達だわ。私にはもったいないほど……」
『彼らがそこまで尽くすのは、そなただからだろう。そなたが今まで頑張ってきたからこそ、彼らがそれに応えようとしているのだ』
「……そんなこと、ないわ」
『いや、そうだろう』
グレイガルの言葉は、エルゼリカには過大評価に感じた。
自分がそんなに立派な神ではないは、誰よりもわかっている。
けれど、そんなエルゼリカの事情など知るはずもないグレイガルは不思議そうに問いかけた。
『前から思っていたが、そなたは少々卑屈なところがあるな。噂を聞く限りは、もっと自分に自信を持っているのかと思っていたが……』
「……っ!」
彼の言葉にエルゼリカはとっさに反応できなかった。
そうだ。シュレイディアはいつだって、自分というものに絶対の自信を持っていて、誰に対してもへりくだった態度なんてとらず、後ろ向きなことも言わない。
なのに先ほどの受け答えはまるで逆。どうやって誤魔化そうかと頭を巡らせるが、上手い言い訳が思いつかない。
だが、エルゼリカが何かを言う前に、グレイガルは「噂など当てにならないものだな」と一人納得している様子を見せる。
「……噂と違って、がっかりした?」
『そんなことはない。確かに卑屈だが、そなたはそれ以上に、真面目でひたむきで、むしろ好ましいと思っている』
「っ!」
彼の言葉にエルゼリカの胸は締め付けられるようだった。
しかし、舞い上がりそうになったエルゼリカに理性が囁く。
グレイガルが好ましく思っているのは美の女神であり、決して冥界の女神ではないのだ、と。
(そんなこと……わかってるっ!)
彼は誤解している。
本当に真面目でひたむきなものが、こんな愚かしいことをするものか。
しかし、自分を慕う妹の名を騙り、知人の気遣いを無下にし、自分に尽くしてくれる眷属達を利用し、愛する人に噓を重ねて、それでもなお、手離しがたいものがあるのだ。
「……そういってもらえると、嬉しいわ」
エルゼリカの言葉に、グレイガルは口元を緩める。その眼差しの柔らかいこと。
今その瞳に写っているのは紛れもなく自分なのだと思うと、彼女の体は震えるほどに歓喜で満ちる。
ああ、彼と共に過ごすこの時間が永遠に続いてくれるのであれば、何を犠牲にしても構わないのに。
そう思いながらも、夜が更けていくのは止められない。
祝祭が、もうすぐ始まる。