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第五話

 妹の名を騙ったあの日から、エルゼリカはずっと後悔していた。

 どうして自分はあんなことを言ってしまったのかと、早く誤解を解いて謝らなければと。

 しかし、それはいまだに叶わない。


「……どうしよう」

 仕事がひと段落して休憩をとっていた、エルゼリカは小さく呻く。

 どうしようもなにも、やるべきことはわかっているのだ。しかし、それを行うだけの意気地が出てこない。

(今更、私はシュレイディアじゃないなんて言ったら、嫌われるか、呆れられちゃうわ……最近は、グレイガルも私に笑いかけてくれるようになったけれど、それは私が美の女神だと思っているからだし……)

 そんな言い訳ばかりが頭に浮かんでしまう。自分の低俗さ、軟弱さに自己嫌悪を深めるばかりだ。

 けれど、それだけではない。

 何故これほどまでの醜態を犯してまでグレイガルに執着し、彼からの印象を気にして、彼の傍にいたいと思うのか、その理由に気づいてしまった。

「……グレイガル」

 彼が、好きだ。恐らくは一目見たその時から。

 その想いを自覚して胸に沸き上がったのは、目の前が開けたような解放感と引きずり落とされたような絶望感だ。

 冥界の統治者としてやらねばいけないことがあるのに、恋になんて現を抜かす余裕なんてないのに、自分は一体何をやっているんだと自責の念が押し寄せる。

 それなのに、彼のことを思わずにはいられない。

 今までずっと、冥界の為だけに尽くしてきた彼女には、その恋心を制御する術を知らない。この熱情を抑えつける方法がわからない。

「グレイ、ガル……」

 どうして彼はここにいないのだろう。こんなにも想っているのに、これほどまでに愛しているのに。

(……どうしたら、彼とずっと一緒にいられるかしら)

 もはや、お行儀よく傍にいられたらそれだけでいいだなんて思えなかった。彼を自分のもとに縛り付けるにはどうしたらいいか、そんなことしか考えられなかった。

 己を恥じ入る慙愧の思いと、狂おしいほどの恋慕がエルゼリカの中でぐるぐると渦巻いて止まらない。

「はあ……」

 エルゼリカは重いため息をついたが、ノックの音が聞こえて慌てて姿勢を正す。

「何かしら? まだ休憩時間は終わっていないはずだけれど」

「申し訳ありません。ヘガンナ様がいらっしゃいました」

「ヘガンナが?」

 ヘガンナとは伝令の神の名であり、冥界に訪れる数少ない神の一人だ。

 彼女が来たということは何か伝えることがあるのだろう。エルゼリカはすぐに彼女のもとに向かった。




「やあ、久しぶりだね。エルゼリカ」

「ええ、よく来てくれました、ヘガンナ」

 茶色い短髪に緑の瞳。動きやすさ重視の服に身を包んでおり、一見すると少年のようにも見える女神はエルゼリカに明るい笑顔を向ける。

「それで、今日は何の用でしょう?」

「あはは、その調子だと忘れちゃってるね。そろそろ祝祭の時期だから、その参加するか否かを聞きにきたのさ」

「ああ……」

 そういえばこの時期、祝祭の参加をヘガンナが神々に聞いて回っているのだ。例年あまり意識していない上に、今年はグレイガルのことばかり考えていたのですっかり頭から消えていた。

「その様子だと、今年も不参加でいいのかな?」

「ええ、そうね。それでお願いするわ」

「りょうかーい……あ、そうそう。これもどうぞ」

 てっきりすぐ去るものと思ったが、ヘガンナは何かを思い出したように一通の手紙をエルゼリカに差し出す。

 その手紙に心当たりがあるエルゼリカは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

「……受け取り拒否は?」

「勘弁してよ。僕が怒られる」

 エルゼリカは大きなため息をついて、仕方がなしげに手紙を受け取った。

 その場で手紙の中身を確認し、読み進めるにつれ眉間のシワが深くなっていく。それをヘガンナはおかし気に見守っている。

「なんて書いてあったんだい?」

「いつもと同じで、薄ら寒い口説き文句よ」

 文面に何度もつづられている「愛している」の文字。これが本気だったらエルゼリカももう少し別の感情を抱けたかもしれないが、ただの出まかせだと知っているのでそんなもの感じる余地がない。

「この男、シュレイディアにも言い寄っていることを私が知らないとでも思っているのかしら……」

 そう、この手紙の主は妹にも同じようなことをしているのだ。それもエルゼリカ以上に熱烈に。

 どうしてそれを知っているかと言えば、シュレイディアが以前しつこいと愚痴っていたからである。

「まあ、君の所に通ってるってシュレイディアは言いまわったりしないから、親しくない神は知らないと思うよ」

「それでも、姉妹揃って秋波を送るなんて、普通であれば遠慮するものでしょうに」

 エルゼリカが手の中にある手紙をぐしゃりと潰した。ヘガンナもそれを咎めることはせず、苦笑を浮かべるに留める。

「それじゃあ、今度こそ失礼するよ。本当に今回の祝祭にも不参加でいいんだね?」

「ええ」

「そっか。まあ、気が変わったら言ってよ」

「そんなこと……」

 ありえない。

 そう言いたかったのに、言葉が詰まったのは、グレイガルのことが頭に浮かんだからだ。

「……ねえ、一つ聞きたいのだけれど、私以外にも祝祭にいつも参加しない神っているのかしら?」

「ん? ああ、いるよ。戦神なんだけど、いつも戦場や戦士を見守るばっかりで、それ以外の事には興味ないって奴が一人。グレイガルって名前なんだけどね」

「そう……」

 ということは、今回も彼は祝祭には参加しないだろう。

 エルゼリカは安堵の息を小さく漏らした。

「だけど、それがどうかしたの?」

「なんとなく気になっただけよ」

「ふうん?」

 ヘガンナは興味深げな眼差しを向けるが、エルゼリカがそれを無視するとそれ以上追究しようとはしなかった。

 彼女は好奇心が強く楽しいことが好きだが、他者に深入りもしない。そんな性質とエルゼリカの根暗な性格により二人は友達ではなく、知り合いでしかないのだがこの時ばかりは、それに助けられた。

 もっと踏み込まれたとして、ちゃんと説明できる自信がエルゼリカにはないのだから。

「それじゃあね、バイバイ」

「ええ、さようなら」

 去っていくヘガンナを見送って、エルゼリカは自室に戻る。

(今日もあそこにいるかしら)

 早く彼に会いたい。

 はやる気持ちを抑えながら、手鏡を覗き込む。

(いた!)

 グレイガルはすぐに見つかった。

 というのも、最近の彼はいつも同じ場所にいるのだ。

 非常に険しい山の頂上。そこにはグレイガルの神殿があり、人間の戦士たちはその山を聖地としてあがめているらしい。

 何故エルゼリカがそれを知っているかというと、グレイガルが教えてくれたのだ。彼女はそれを信頼の証だと思っている。それは彼女に喜びも与えたが、それ以上に罪悪感を深めた。

「お待たせ、待たせたかしら?」

 すでに神殿の前にいた彼に声をかけると、彼は静かに指を横に振る。

『いや、俺も今きたところだ』

「そう……今日はどこに行くの?」

『山を二つ超えた向こうの海を跨いだ先の島だ。そこの戦士たちを見に行く』

「わかったわ」

 名前を騙ったあの日から、二人の距離は急速に近づいた。

 美を理解できなくとも、美の女神とはお近づきになりたいのだろう。そのことに関して失望出来たらよかったのに、エルゼリカの気持ちは一切揺るがなかった。

『そういえば、そろそろ祝祭が始まるな』

 道すがら、グレイガルはそんなことを言った。

「えっ!? あっ、そうね」

『俺は今まで、特に興味もなかったから出なかったんだが、そなたはいつも出ているのだろう?』

「……そうよ」

 もしかして祝祭について聞かれるのだろうか。

 エルゼリカだって一度も祝祭に出たことがないのに、あまり突っ込んだことを聞かれたら答えられない。

(で、でも、彼も祝祭に出ないんだから、適当にそれらしいことを言えば誤魔化せるはず……)

 そう自分に言い聞かせるエルゼリカだったが、彼の言葉は彼女のそんな空しい願いを一蹴した。

『なら、会えないか?』

「え」

『こうして遠くから会話だけするのも悪くはないが、直接会って話がしたいのだ。どうだろうか?』

 彼と会う。それも祝祭で。

 もう、駄目だと思った。

 ここで会うことを拒否したとしても、理由を問われる。自分は参加しないからと言っても、どうして今回だけと疑われるし、本物のシュレイディアは出るのだから、あとから嘘だとバレてしまう。

 いつか来ると思った時が、とうとう来てしまったのだ。

 しかし、エルゼリカは自分でも想像していなかったほどに、往生際が悪かった。

(シュレイディアに会う前に、彼と接触すれば、なんとかなるかもしれない……!)

 いつまでも騙しきれないことなんてわかっているのに、こんなことがいつまでも続くはずがないことなんてわかっているのに、早く噓をついたことを白状し謝罪した方が賢明だとわかっているのに、それでも彼女はまた誤った選択をしてしまう。

「…………ええ、いいわ。会いましょう」

 自分はこんなに愚かだったのかと、頭の中で嘆く声が聞こえたような気がした。


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