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第四話

 常に暗い冥界に昼も夜もないのだが、便宜上、昼夜の区分は存在している。

 その区分を作った張本人たるエルゼリカは、周囲の見本になれるように、その時間に合わせて行動するようにしていた。

 時間帯が早朝とされる頃、起床したエルゼリカはさっそく身支度に取り掛かる。眷属達にみっともない姿を見せるのが嫌で、自分で出来ることは自分でするようにしているのだ。

 しばらくすると扉がノックされる。

「エルゼリカ様、お食事をお持ちしました」

「ありがとう、入ってきて」

 エルゼリカが声をかけると、眷属の一人がトレイを持って入ってきた。

 トレイに乗せられているのはパンと野菜のスープと果物のみ。

 素朴で慎ましいともいえるが、地味で乏しいともいえる食事メニューは今日だけ特別というわけではなく、いつもの献立である。

 食事に限らず、冥界の統治者であるエルゼリカの生活は、その身分から見ると驚くほど質素である。

 食事も装飾も、地上や天上の神格の低い神々と比べても、華やかさに欠けていた。

 エルゼリカ自身、派手過ぎる物は好まないものの、自ら望んでその生活を送っているわけではなく、そうせざるを得ないのだ。

 それは人間からの供物の少ないのが理由である。

 人間たち、特に時の権力者や金持ちは生きている間に神の加護を欲する。例えるなら、勝利、栄光、財産、繁栄、長寿など、そういったものを求めて神殿を建てたり、供物を捧げるのだ。

 はっきりいって、死後のことなど二の次である。

 その反面、死後に幸福を見出す者もいた。例えば、貧困に苦しむ者や、助かる見込みのない怪我人や病人などがそれだ。

 彼らの祈りは真摯だが、捧げられる供物は決死て多くない。

 エルゼリカの神格の高さと身分、生活の豊かさのちぐはぐさはこうして生まれてしまった。

 冥界を統べるという役割に不満はない。エルゼリカは冥界という場所を愛しているし、この世界に尽くしていく覚悟はあった。

 だが、働きと報酬が釣り合っていないのではないかと思うことはある。自分だけではない、眷属たちだってそうだ。エルゼリカでさえこれなのだから、眷属たちはもっと質素な生活を余儀なくされている。

 冥界の為に尽くしてくれる彼らに、そのような生活をさせていることがエルゼリカには不甲斐なかった。

(でも、人間からの供物なんてどうやって増やせばいいのかしら……冥界の神である私が生者に加護なんて与えられない)

 他に考えられる手としては、供物を多く捧げたものには生前の罪を軽くしたり、死んだ者を一人生き返らせたりだろうか。

 しかし、これはエルゼリカとしてはやりたくない手だ。これだと地上と同様、富める者が優遇され貧しい者はその恩恵に与れないことになる。

 生まれによって生じる差というものはいつの時代にもついて回るので、せめて冥界では、そのような優劣はつけたくないのだ。

 だがこれ以外の方法は思いつかない。

 エルゼリカは小さくため息をついた。

 それに気づいた眷属が心配そうに声をかける。

「エルゼリカ様? どうなさいましたか?」

「あ、いいえ、何でもないの。気にしないで」

 眷属の気づかいにエルゼリカはしまったと思い、自分を責めた。

(何をやってるの、私。私が自分が塞ぎこんでいたら眷属たちが不安になってしまうんだから、しっかりしないと)

 冥界の支配者として、腑抜けたところを見せてはいけない。彼女はずっとそう思って、自分を律してきたのだ。

「さあ、今日も仕事をこなしましょう」

「……ですが、お疲れのようでしたら休まれた方が」

「いいえ、その必要はないわ。片づけをお願いするわ」

 心の中で己を戒めたエルゼリカは、背筋を伸ばして振り返ることなく仕事に向かう。

 だから、少し寂しげな眷属の眼差しには気づくことはなかった。




「ふう……」

 その日の仕事を終え、エルゼリカはベッドに寝っ転がった。

「疲れたぁ……」

 以前だったらこのまま眠っていただろうが今の彼女には日課があるのだ。

 最近は常にベッドサイドに置いてある手鏡を手に取ると遠視の魔法をかけて、地上を覗き見る。

(今日はどこにいるのかしら?)

 彼と会ってからすでに一か月。各地を転々としているらしい彼を必ず見つけ出せるわけではないが、それでもおおよそどこにいるのか見当がつくようになった。

 毎日毎日、探し回って付け回した結果である。これを努力と呼ぶか、執念と呼ぶかは、あえて言及しない。

(……いた)

 彼を見つけたのは、戦士たちの鍛錬所だった。

 夜の暗闇の中で僅かな火の光を頼りに鍛錬を続ける人々を、彼は空の上から見下ろしている。

「こんばんは」

『ああ、こんばんは』

 最初の頃こそ、声をかけるだけで失敗したが、今は普通に挨拶を交わせるまでになっていた。

 彼だっていい加減、エルゼリカが自分を付け回していることに気づいていそうなものだが、余程鈍いのか、あるいは興味がないのか、態度が変わる様子がなく、名前を聞くことさえない。

 エルゼリカのしつこさと、彼の無関心さによって、互いの名前さえ知らない二人の閑談は続いているのだ。

「この前もここに来ていたわよね、こういうの見るの好きなのかしら?」

『うむ、そうだな。やはり、戦士たちが互いに切磋琢磨し、鍛錬に勤しむ姿は見ていて好ましい物だ。戦場で戦っている姿とは別の良さがある』

 表情こそ変わらないものの、その声色はどこか楽し気である。

 その横顔を見て、エルゼリカは何故だか嬉しい気持ちになった。

 こんな気持ちになるのは、今回が初めてではない。

 彼が嬉しそうだったり楽しそうだったりすると、それだけでエルゼリカも嬉しくなるのだ。

(でも、それだけじゃないわ)

 眷属達の前では統治者として弱気な一面など見せず気丈に振る舞わねばならなかったし、シュレイディアと一緒にいる時は劣等感を刺激されて自己嫌悪を覚えてしまう。

 しかし、彼といる時はそれがなかった。

 冥界の女神ではなく、美の女神の姉ではなく、ただのエルゼリカでいられる彼の隣が、とても居心地が良いのだ。

(あと、どれくらいこの時間が続いてくれるのかしら……)

 この長く続かないことはエルゼリカだってわかっていた。

 次からはもう会えなくなる可能性だってあるのだ。

 だから、この時間を大切にしたかった。といっても、大したことはしない。

 ただ、一緒にいてたまに話すぐらいだ。

 それだけでエルゼリカは十分に幸せを感じていた。


 エルゼリカがどんなに惜しんでも時間の流れは止められない。

 もう夜も更け、別れを告げなければいけない時間だ。

「あの、今日も話せてよかった。それじゃあ」

『なあ』

 さようなら。そう告げるのを彼が遮った。

 こんなことは初めてでエルゼリカは瞠目する。

「え? な、何? どうしたの?」

 問いかけながらも嫌な予感が止まらない。

(も、もしかして、私と一緒にいてもつまらないから会いたくないとか? それとも鬱陶しいから話しかけるなとか? そんなこと言われるのかしら!?)

 そんな悪い想像しかできず、判決を待つ罪人のように、息を呑んで彼の言葉を待つ。

『いや、そういえば我らは互いの名も知らない、ということに気づいてな』

「え、ええ、そうね」

 予想とは違う、しかし想定はしていた言葉にエルゼリカは少しだけ落ち着きを取り戻す。

(そうか、名前。名前を聞きたかったのね、なんだ……)

『流石にそろそろ名乗るべきだと思ったのだが……どうだろうか?』

「そうね、その通りだわ」

 本来なら名前なんてもっと早く知るべきものだろうに、ここまで一緒にいながら知らないのは珍しいことだろう。

 エルゼリカ自身、彼の名前を知りたいと思いながらも己の臆病さゆえに聞き出せずにいた。

 それも今夜、終わる。

『俺は戦神のグレイガルだ』

「……グレイガル」

 そうやく知りることが出来た名を、口の中で転がす。それだけで何だか胸が温かくなったように感じる。

 彼は名乗った。次は自分の番である。

「私、は……」

 エルゼリカ。たった五文字が口から出てこない。

 早く名乗らねばと焦れば焦るほど、何も言えなくなる。

 そんな彼女の焦りが伝わったのか、彼が口を開く。

『なあ、もし間違っていたら申し訳ないんだが、もしやそなたはシュレイディアではないか?』

「……え?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

『金色の髪に七色の瞳。伝えに聞く女神と同じ風貌だったので、そうだと思ったのだが、違うのか?』

 その言葉に、エルゼリカは得心する。

(……そうか、彼は美が理解できないから、私を妹と勘違いして……)

 でなければあり得ない。冥府の女神と美の女神を間違えるなんて。

「わ、私は……」

 訂正しなければ。自分はシュレイディアではなく、姉のエルゼリカだと。

 頭ではそう、わかっているのに。

(彼は、私が、美の女神だと思ってる……否定したら、がっかりされるんじゃないかしら……そうよね、冥界の女神より美の女神の方が知り合えたら嬉しいもの……それに、今までシュレイディアと会ったことがないというなら、この先も、会うことがないかもしれない……)

 ぐるぐるとそんなことを考えるエルゼリカは端的に言うと混乱していて、何が正しいのかわからなくなっていた。

 そしてこのような場合、得てして間違った選択肢を選んでしまうものだ。

「そう、そうなの。シュレイディアよ」

 エルゼリカの言葉に、グレイガルは口元を緩めた。それは、初めて見る笑顔だった。

『よろしく頼む、シュレイディア』

「……ええ」

 妹の名で呼ばれた瞬間、胸に悲鳴があがりそうなほどの痛みが走るもエルゼリカはただただ、頷くことしかできなかった。



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