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第十二話

 神々は奉納戦の優勝者に対し、惜しみない拍手を送る。

 その中でも、エルゼリカは少しでも彼を称えるように力強く両手を打つ。

 初出場にして初優勝という快挙を成し遂げた彼は、まるで雨のように降り注ぐ拍手と歓声に少し居心地が悪そうにしながらアヌヴィルの前で膝をつく。

「素晴らしい活躍だったぞ、グレイガル」

「ありがとうございます、アヌヴィル様」

「それでは、勝者の褒美を与えよう。何が欲しいか、告げてみよ」

 アヌヴィルの言葉にグレイガルは迷わず答えた。

「では、貴方の娘と二人で話させてください」

 グレイガルの言葉に周囲はざわつき、エルゼリカも言葉を失う。

「ああ、よかろう。ただし、相手の承諾を得るように」

「はい」

 それ以上、彼の言葉を聞きたくなくてエルゼリカは立ち上がった。

「姉さん!?」

 シュレイディアの声が聞こえたが、それでも立ち止まることなく走り出す。

(ああ、やっぱり……グレイガルもシュレイディアを好きになってしまったんだわ……!)

 グレイガルが求めた相手。それはきっと、妹のことに違いない。

 だってそうだろう。

 誰からも好かれる美の女神と、ずっと自分に嘘をついてきた冥府の女神。優勝した貴重な報酬として、どちらを求めるかなんて考えるまでもない。

「う、うぅ……」

 それでも、流れる涙を止めることはできなかった。

(グレイガル……グレイガルぅ……)

 泣いているところを見られたくないのと、好きな相手が自分以外の者を求める姿が見たくなくて逃げ出してしまった。

 恐らくだが、シュレイディアはグレイガルを受け入れることはないだろう。彼女は奔放だが節操なしではない。姉が気になっている男性と関係を持つのは、避けるはずだ。

 つまりグレイガルは自分と知り合ったがために、好意を持った相手と二人で話すことが出来ない。

(グレイガルは……後悔するかしら。私と過ごした日々を……私と、出会ったことを)

 自分には大切な思い出が、彼にとっては足枷となる。そのことが苦しくてたまらない。

 無意識に誰もいない方に進んでいたのか、周囲に神や眷属の気配はない通路を一人とぼとぼと歩いていく。

 もうこのまま冥界に帰ってしまおうか。

 そんなことを考えていると、不意に手を引かれる。

「え……?」

 振り返ると、そこにいたのはガレムドラであった。

「なっ……」

「よう。何かあったみたいだが、俺が慰めてやろうか?」

「結構よ、離して」

 今は誰にも会いたくないのに、よりにもよってこの男と会ってしまうだなんて。

 エルゼリカは精一杯睨みつけるが、ガレムドラはニヤニヤと笑うだけだ。

「そういうなよ。妹に男をとられて傷心してんだろ?」

「……っ!」

 やっぱり最低だ、この男。

 唇を噛みしめるエルゼリカに構わず、ガレムドラは言葉を続ける。

「まあ、しょうがねえさ。相手は美の女神なんだから、冥府の女神じゃあどうやったって勝ち目はねえよ。そう気を落とすなって」

「……」

 少しでもガレムドラを視界に入れたくなくて顔を俯けるが、それをどう解釈したのか彼の機嫌は上向きとなりますます饒舌になった。

「だがまあ、安心しろよ。お前には俺がいるだろう?」

「え?」

 思わずエルゼリカが顔をあげると、そこにはしたり顔のガレムドラ。

(え? 何? どういうこと?)

 先ほどまでの会話の流れからどうしてそうなったのかわからず混乱するエルゼリカだが、相手はそれに気づかない。

「何、結婚後も俺は冥界のやりかたに口を出すつもりはねぇよ。好きにやれ。お互い悪い話じゃないだろう?」

 その言葉に、エルゼリカはようやく理解する。

 どうやらこの男、散々人の気持ちを踏み荒らしていたのは口説いていたつもりだったらしい。

 あんなのでなびく女がいるとでも思っているのだろうか。

 しかも彼の言い分は、自分は冥界の王という権威を好きに使うが、その責務は一切果たすつもりがないという身勝手なものだ。

 エルゼリカにとっては到底、許容できる話ではなかった。

「ふざ、けないでっ」

 冥界の仕事は、その労力に比べ、報われることが少ない。けれども、この世界を支える大切な役目だ。

 少なくともエルゼリカはその冥界の女神という役割に誇りを持っている。

 それを、こんな男に都合よく利用されてたまるか。

「誰がお前のような者を夫に据えるものか。思い上がるな! そんなことをするぐらいなら、一生独身でいた方がましだわ!」

「はあ!!」

 エルゼリカの言葉にガレムドラの顔は怒りで赤く染まっていく。

「てめぇ、人が優しくすればつけあがりやがってぇ!」

「いっ!」

 激昂したガレムドラがエルゼリカを掴む力を強め、その痛みで彼女は顔を歪めるも彼が力を緩めることはない。

「陰気臭い冥界の女神が、偉そうな口叩いてんじゃねえぞ! 調子に乗りやがって! このガレムドラ様を、馬鹿にすんじゃねぇ!」

「やめ……離しな、さい……」

「シュレイディアとは似ても似つかない醜女のくせに! 冥界の女神なんて地位がなかったら、誰にも見向きもされないのがわからねぇのか! 思い上がりやがってるのはてめぇだろうが!」

「……っ」

 随分なことを言われている。しかし、痛みで何も言い返すことが出来ない。

 そしてその痛みと悔しさで目じりに涙が貯まる。

「は、なしてよ!」

 どうにかして一矢報いたくて、腕を滅茶苦茶に振り回す。

 すると、その無軌道な動きはガレムドラの虚をつくものだったらしく、掌が彼の頬にあたった。

「なっ」

 その一撃に対した威力などない。ましてや戦神である彼に、痛みを与えらることもできなかった。

 しかし、だからこそガレムドラには屈辱である。

 誰よりも戦いに秀でているはずの自分が、こんな非力な女に頬を打たれるだなんて。

 怒りで目の前が真っ赤になる。頭は火がつけられたように熱くなるのと裏腹に、体の芯は冷えていくようであった。

「てめぇ……殺してやる」

 ガレムドラは背負っていた武器に手をかけ、それをエルゼリカに叩きつけようとする。

 エルゼリカは振り上げられたメイスに身がすくみ、悲鳴すら上げられない。

 けれど、それはエルゼリカに振り下ろされることなく、ピタリと止まった。

 不審に思って見てみると、ガレムドラの後ろにいる誰かが、メイスを掴んでいるのが見える。

「グレイガル……」

 彼の呼吸は荒く、余程急いでここに来たことが伺える。

「……彼女を離せ」

 感情を押し殺したような低い声は、エルゼリカが初めて聞くものだ。

 どうしてここに、とエルゼリカが問いかけるよりも先に、ガレムドラが舌打ちをした。

「はあ? 何でてめぇがこんなところにいやがる」

「いいから早く、彼女を離せ」

「あぁん? てめぇには関係ねぇだろ。あ? ……ああ、シュレイディアにフラれたからこっちに目をつけたのか? 残念だが、俺が先客だ。引っ込んでな」

「…………」

 グレイガルはガレムドラの言葉に何も答えない。しかし、メイスを放すこともしない。

 不意に、ミシリと何かがきしむ音がした。

「え?」

 それは、エルゼリカとガレムドラのどちらの口からこぼれ出た声かわからない。

 二人の意識は、グレイガルの握力で形が歪んでいくメイスに向けられていたのだから。

「いいか、もう一度だけ言ってやる……彼女を離せ」

 それが最後の警告なのだと、その鋭い眼光は語っていた。

「……………………くそっ」

 長く沈黙を貫いたガレムドラだったが、小さく悪態をついてエルゼリカを離す。

 エルゼリカはよろけながらも、ガレムドラから距離をとる。

 グレイガルの方を見れば、彼はほっとしたように表情を一瞬浮かべるも、すぐにまたガレムドラを睨みつけた。

「……なんでだ」

 ぽつりとガレムドラが呟いた言葉には、先ほどまでの傲慢さも荒々しさもない。

 どこか打ちひしがれているようにすら感じられた。

「なんで、てめぇなんかが……ろくに加護を与えないような奴が、俺よりも、上なんだよ……!」

「……お前は加護を与えた人間がその後どうなったか見ていないのか? 誰も彼も、悲惨な末路をたどったのだぞ。あれで信仰が集まるものか」

 エルゼリカは黙って二人の会話を見守る。これは自分が介入していい問題ではないと察したからだ。

「知らねえよ、俺の加護に耐えきれねえそいつらが悪いんだろうが! 俺は求められたから応じただけだ!」

「そのやり方が間違っているのだ。己の所業を顧みない限り、お前の力は変わらぬぞ」

「ふざけんじゃねぇ……信者に加護を与えるっていう神として当然のことをしてるのに、なんで俺が反省しなくちゃいけねぇんだよ!」

 ガレムドラは踵を返して去っていく。エルゼリカもグレイガルも、それを追いかも引き留めもしない。

 自分よりずっと大きいはずのその体が、何故だか小さく見えたのはエルゼリカの気のせいだろうか。

「エルゼリカ」

 名前を呼ばれて、グレイガルを見る。

 彼は、まっすぐに彼女を見つめていた。

「少し話したい。構わないか?」

 その言葉を、どうして拒否出来ただろう。

 エルゼリカは小さく頷いた。


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