3周目のはじまり
《アルミナスの薔薇》
それがこの乙女ゲームのタイトルだ。
よりにもよって転生した先が、私が唯一達成率100%にできなかったこのゲームだなんてとんだ不幸だ……
世界観をざっくりと言うとヴァンパイア達の支配している世界で、人間はヴァンパイアの下僕食料扱いされているなかなかハードな世界だ。
乙女ゲームの主人公である人間のローズとヴァンパイア達との恋愛が楽しめるシュミレーションゲームなのだけれど、攻略キャラはヴァンパイアの3人+シークレットで、この攻略対象のヴァンパイア達はほぼ皆性格がキツめで、長男俺様ドS、次男ヤンデレ、三男ツンデレとなかなか曲者揃いなのだ。
私がこの《アルミナスの薔薇》の世界に3度目の転生を果たしたのは、今まで同様16歳を迎えてこのヴァンパイアの住うウィリアス邸の食料兼下僕として買われて働かされている女の子のリイルだ。
容姿は普通より少し可愛いかなといった程度で、同じく食料兼下僕として3年後にやってくる美少女主人公ローズのあくまでも引き立て兼サポート役の女の子だ。
1周目と2週目は私死亡エンドで終わり、3周目の始まりは、これまでと同じくここから始まるらしい。
「はぁ……入りたくない……」
この後のことを考えると、どうしてもこのドアをノックする勇気が湧いてこない。
手にあるトレーの上にはワイングラスと彼らの食料となる血液の入ったワインが乗っている。
1周目の初日はこのリアルな血の衝撃に気を失ったり気分が悪くなったりしてたのだけれど、繰り返して何年もこの生活をしていると私の場合は慣れてきて、おかげで余計なことを考える余裕さえ生まれている。
今日が3周目のその初日なわけではあるのだけど、どうしたものか。
これからの3年間はまだ主人公ローズが来る前で乙女ゲームが始まる前の話だ。
このゲームにそんな番外編みたいな話があるなんて、聞いたことことないよ……。
正直なところどう行動かすれば正解かがわからないけれど、何もしなくても死ぬ逃げても死ぬ運命は体験させられているので、とにかく主人公ローズを迎えて私が死なない物語を進めたいのだ。
幸いなことに、ゲームさえ始まればサブキャラが死ぬような展開は無かったはずだ。
まあ空気みたいな感じだった気もするけど……。
この扉の先には攻略対象のヴァンパイア長男のルーク様がいるのだ。
歳は現在の私リイルの3つ上で18歳。色々あるのだけどとにかく理不尽でドSで俺様。
これに尽きると思う。
このキャラ苦手だったんだよなぁ…
攻略していた遥かなる昔の記憶をしみじみと思い出す。
だけどスチルがとにかく綺麗なのよね。この人いや、ヴァンパイアは黙ってれば見目麗しいのに本当にもったいないよ。美麗スチルのために無心で攻略したものだ。
なんて、現実逃避してしまったが改めて姿勢を正す。
1周目2周目と同じと仮定すると、この扉の先にはそれはそれは不機嫌なルークがいるはずだ。
そして私が持ってきた血のワインを首からジャバジャバとかけられる嫌がらせをされて、血を吸われるんだよね……しかもすごく痛い。
そしてルーク様からの吸血は他の兄弟の誰よりも痛いのだ。
おかげでトラウマになった1周目の私は、それからこのヴァンパイア達には近付かないでおこうと思って、なるべく接触しない生活を送っていたら巻き添えの死亡エンドを迎えたのだ。
死亡エンド回避のためにもう逃げないとは決めたものの…
なにがあったのかは知らないけど、彼がイライラしてるタイミングでは行きたくなかったなぁとドアに手をかけため息をついた。
「失礼します、ワインをお持ちしました」
「遅ぇ、新入り。俺がワイン持ってこいって言って何時間かかってんだよ」
いや、5分もかかってないはずです……。
入って早々に整った顔立ちが台無し不機嫌丸出しのルーク様に思わずツッコミの言葉が喉から出かけて堪える。
「申し訳ございません」
注げと促されて私は大人しく血のワインをワイングラスに注いでルーク様にお渡しする。受け取ったワイングラスをくるりと揺らし香りを楽しんでいるが彼は18歳だ。お酒を飲むには若く見えるだろうけど、この世界の成人は12歳だから問題はないのだ。
ルーク様はじっくりワインの香りを楽しんだと思ったら、おもむろに不敵な笑みを浮かべて私に近づいてくる。
一歩一歩。
それと同時に私も一歩ずつ後ろへ下がる。
冷や汗が流れるのを感じながら視線を彷徨わせる。
この後のことなんてもう既に2度も予習済みなのだ。
このまま下がり続けても待つのは嫌がらせと激痛の吸血の未来のみだ。
私だって馬鹿ではない。これを回避するために必死で考えた。
勇気を出して歩みを止める。
「ルーク様、そちらのワインは貴族のお嬢様の血ですよ」
そういうと歩みを止め、ルーク様はちらりと手にしているワインに目を向ける。
「それに二等級クラスです」
だから嫌がらせでワイン浴びせて私の血を吸うよりも、そっちの味の方が千倍良いということをルーク様にすり込ませる。
短時間でこれを手に入れるのにどれだけ苦労したか!
こういう時、最初の転生の時にこの屋敷のヴァンパイア達のことを調べといてよかったと心底思う。当たり前だけど、細かいところってゲーム情報だけじゃ分からないことって意外と結構あるのよね。
あの時はトラウマを植え付けられたあとに、自衛の為にと情報収集に躍起になってたのだ。
……結局死んじゃったのだけれど。
でもまあルーク様の一番好きな味なのだから無駄になることはないはずだ。
ヴァンパイアによって血の味の好き嫌いがあるらしい。主にどの階級の人間の血が好きなのか、等級は最上位の一等級から最下位十等級まであって魔力の質がどの程度なのかを表している。
このゲームの主人公のローズは最上位の一等級クラスだ。
そして主人公パワー炸裂、ヴァンパイアを虜にするような万人受けする美味しい素晴らしい血らしい。
ゲーム中でも私のような激痛でのたうち回るような表現はしてなかった。もしかしたら我慢してただけかもしれないけれど、このゲームの主人公はローズなのだ。
とにかくローズが来るまでの三年間をなんとかやりくりすれば良い。
ちなみに余談だけれど私の血はマズいらしい。
一度目の転生の時、あんなに痛い思いをして血を吸われたのに、顔をしかめられマズいの一言で済ませられたものだから、余計に無駄なことなんてしたくない。
「へぇ、新入りにしては気が利いてるな。悪くねぇ」
歩みを止めると私を上から下まで探るように視線を滑らせそしてニヤリと笑った。ワインを側のテーブルに置き一気に間を詰められた。
「お前を俺専属の食料にしてやるよ」
その一言に私は激しい目眩に見舞われる。
いや、待って。どうしてそうなった?
ルーク様の専属なんて地獄以外に何があるよ。
あの恐怖の吸血を思い出すだけで頭を抱えたくなる。
この世界における専属の食料とは、そのヴァンパイアに庇護してもらえるということで、身の安全が保障されるのだ。その代わりに血の供給はもちろん身の回りのお世話から全てを奴隷のように尽くさなければならないのだけど。
ゲームの中では、人間にとってはとっても憧れることらしいんだけど、これは攻略対象キャラとローズが最終的に恋に落ち結ぶ契約のはずだ。
今のところルーク様が私を好きになった要素はなかったはずなのだけど、どうなってるのこれ。普通に下僕が欲しくなった?とはいえ、攻略対象であるルークはローズと結ばれるルートもあるわけで。とここまで考えて私は一つの可能性に行きついた。
これ私死亡ルート直行の奴じゃん!三年後ローズがやってきて邪魔な私が殺される。そういうことね。
この世界はどうしても私を殺したくて仕方がないようだ。
自分の命の為だ。ここで流されるわけにはいかない。
「それはお断りします!」
真っ直ぐにルーク様の瞳を見て私はキッパリと言い放つ。
どうせ従順に命令を聞いていたって死亡ルートに直行するのだ。それなら今はその可能性のあるフラグを折っていくのが最善だろう。
すると予想していなかったのか目を見開かれる。
そしてみるみるうちにその表情は不機嫌へと変貌していく。今にも死亡ルート直行しそうな雰囲気に私は急いで言葉を続けた。
「えっとですね、私の血は平民の血なのでルーク様の好みとは程遠くて……」
しおらしくちらりと側に置かれているワイングラスに目を向けると、ルーク様は視線の先を追ってまたニッと口の端を上げた。
「ああ、知ってる。お前の血は不味かったな。下僕補充の時の試飲の一口でこんなに不味い血もあるのかって知ったくれぇだし」
「ぐっ……」
いや、不味くて結構ですけど!飲みたくないなら、むしろ願ったり叶ったりだけど!あまりにも不味い不味い連呼されるのも良い気分ではない。
「まあいいか、俺が言うことを復唱しろ」
何故か機嫌の良くなったルーク様に隠れて安堵する。
「私の血は不味いのでルーク様のお口に合うようにこれからは精一杯努力します」
「…………………」
そんな安堵も束の間ルーク様は訳のわからないことを言い出した。
これを復唱しろと?
自分で不味いと言えと?
引きつった笑みを浮かべて私は固まる。
「ほら、言えよ」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて私の言葉を促す。
お断りよ!とハンカチでも投げつけたくて仕方がないが、ここで再び喧嘩を売るのはそれこそ死亡ルート直行だ。
さすがにそれは避けたい。
「……私の血は不味いので、ルーク様のお口に合うようにこれからは……努力します」
「精一杯が抜けてんな、最初から。俺は馬鹿な下僕にも優しいからもう一回チャンスやるよ。言え」
そういえばルーク様はゲームでもこんな奴だった。
昔スチルの為だけに心を無にしてボタンを連打したのを思い出す。
ローズはこういうのを好きになれるなんて本当に尊敬できる。早く三年間経ってルークを貰ってもらいたいものだ。
反応を見て楽しんでいるのか口の端を持ち上げている上機嫌の彼を、軽く睨むように見つめて、もう半ばやけになって叫ぶ。
「私の血は不味いのでルーク様のお口に合うようにこれからは精一杯努力します!!」
「良い心がけだな。仕方ねぇから、哀れな下僕のお前の血もたまには飲んでやるからこれからはもっと努力しろよ」
ククッと喉を鳴らして笑ったと思うと、側に置いてたワインを一気に飲み干し、何故か上機嫌でそのまま部屋を出て行ってしまった。
とりあえず血を吸われるのは阻止したけれど、これって成功したの?失敗したの?
状況がいまいちわからない。
状況が掴めないまま私は空になったグラスを見つめることしかできなかった。