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プール回(ただしプールに行くとは言ってない)

 それは、夏休みに入ったばかりのある晩のことだった。


 少し前であれば、日中こそ暑くても夜には多少楽になるものだった。しかし、気象庁が梅雨明け宣言というスターターピストルを響かせるが早いか、絶好のスタートを切った熱帯夜は毎晩嬉々として関東圏へ襲い来るようになっていた。


 夕飯をとり終えた後部屋に戻った柊は、まとわりつくような蒸し暑さに耐えられず、エアコンのリモコンに手を伸ばす。一度慣れてしまえば戻れなくなるのは人間の性というもので、今季初エアコンをマークしてからというものの、毎晩の連続エアコン記録を順調に伸ばしている。


 エアコンのありがたみを全身で感じつつ、寝転がって小説投稿サイトのマイページを開く。今日は週に一度、柊の好きなファンタジーが更新される日のはずだ。

 ブックマークの更新をチェックした後、新着短編欄を読み漁っているところで、柊のスマホに着信があった。21:00ちょうど。ルールにしたわけではないが、何もなければこの時間に電話をするというのがここ数日の暗黙の取り決めになっていた。


『柊くん、こんばんは!』


「こんばんは」


 電話をかけてきたのは、桜高の誇る難攻不落のかぐや姫、姫川薫子。通称の割には、最近誰かに落とされてしまった気がしなくもないが、柊にとってお姫様なのは変わりなかった。

 否、柊にとって「だけの」お姫様になったというのが、本当のところかもしれない。


『今日はなんかあった?』


 彼女との通話はだいたいこの一言で始まる。何せ柊の家には小学生(クリーチャー)が2人もいるもので、何も起きない日というのは基本的にない。楓の友だちが家に来てうるさかっただの、梓と六枚落ちで将棋を指したら負けてしまっただのと、くだらない話を楽しそうに聞いてくれる。


「そっちは?」


『うーん、今日は普通に部活行ってかるたしてきたけど、何かあったかなぁ』


 のんびりと話す彼女の声は、風鈴の音のように柊の心に心地よく響く。


『あ、そう言えば部活のみんなでプール行こうって誘われたよ』


「プール?」


 まったりと伸び縮みしていた心臓が、突然でんぐり返しをしそうになる。薫子の部活には男子もいたはずだ。


「行くの?」


 なるべく何も気にしていないような口ぶりで、訊ねてみる


『行く』


 聞こえてきた言葉は予想外だ。断ってくれたんじゃないかと密かに期待していた柊は、勝手に裏切られた気分になる。


『……って言ったら、柊くんは嫌?』


 言葉の続きを聞いて、ひとまず胸をなで下ろす。


「そりゃ、嫌、かな……」


 語調が弱々しくなってることが自分でも分かる。


『じゃあ、行かない』


「え、いいの?」


『うん、()()が嫌って言ってたら行かないよ、そりゃ』


「そ、そっか……」


 好きな人からそう呼ばれるのは、未だに耐性がつかない。今も、突然顔に血が上ってきて少し熱い。


『てか、実はその場で断っちゃったんだけどね』


「……何で聞いたの?」


『あはは。柊くんが嫉妬してくれたら嬉しいなってちょっと思っちゃって』


 思わずスマホを放り投げて、枕に顔を埋める。


『あれ、柊くん? 柊くん? おーい』


 顔は枕に埋めたまま、スピーカーの音を頼りにスマホを持ち上げ、耳にあてがう。


「俺今結構モヤモヤしたんだけど」


『あはは、ごめんなさい』


 謝罪から誠意が感じられないので、返事を保留してみる。


『ごめん、もうしないから。ちょっと魔が差しただけなの!』


「……はぁ、可愛いから許す」


 必死に謝られると、そう頑なにもなり難い。


『え、聞こえなかった、もう一回言って!』


「嘘つけ」


『えー』


 そんな会話をして、ひとしきり笑い合ったあと、薫子が再び切り出してくる。


『逆にさ、柊くんはプールに行きたいなーとかって思う?』


「……薫子と一緒に?」


『うん』


 薫子の声は少し照れくさそうだ。プールということは、水着。興味が湧かないわけがない。


「ちなみに、薫子は?」


『私は、柊くんとならどこでも行きたいから……』


「そ、そっか……」


 このお姫様は、無自覚でこういうことを言ってくるのが性質の悪いところだ。


『あ、泳ぐの苦手だったり、しないよね?』


「えっと、クロール平泳ぎはできるけど、バタフライはあんまり得意じゃないな」


『……え、プールに遊びにいってバタフライするの?』


「あれ、しないのかな。プールってどれくらい泳げれば大丈夫なんだろう? 高校生がクロールって変じゃない?」


『確かに……え、ほんとかな。私プールってあんま行ったことないから分かんないや』


「俺もよく分かんない」


『……とりあえず、椿ちゃんに聞いてみるね!』


「そうだな」


 彼女に相談すると、大抵のことはなんとかなる。中学生の頃からそうだった。




 * * *





『――っていう会話があったんだけどね』


「仲が良さそうで何より」


 ねえかおるん。いくら記憶力良いからって、今の会話忠実に再現する必要あった? 胸焼けしそう。


『でね、高校生としてはプールにいくならやっぱりバタフライくらいできた方が良いのかな?』


「いやいや」


 なんだろう、この2人。頭脳は学年ツートップのはずなんだけどなぁ。


「かおるんさ、プールって飛び込み台があってレーンが仕切られてるようなプールをイメージしてる?」


『え、違うの……?』


 違うよ! デートで仲良く競泳プールって、水泳部カップルでも行かないでしょ普通!


「かおるんさ、柊とプール行きたいの?」


『うん』


 ちょっと照れてしおらしくなってるかおるん、可愛い。抱きしめたい。


「じゃ、私も一緒に行こっか?」


『え、それは……』


「2人ともそんな感じじゃ、大変でしょ? 1回行ってみて、次から2人で行けば良いじゃん」


『あの、そうじゃなくて……その、ほら、椿ちゃん可愛いし、胸とかも私よりあるじゃない?』


 あー、そういうこと。かおるん、意外と独占欲強いのね。いや、自信無いだけか。


「柊がうっかり目移りしちゃわないか心配だと?」


『うん……』


 なんていうかなー。


「その言われ方は、面白くないなー」


『えっ』


「私には脱がないと魅力がないって言ってるんでしょ?」


 言うても胸なんてどんぐりの背比べだし。まだこれからっしょ。

 てか水着姿こそかおるんに勝てる気1ミリもしないわ。全体的な色気が違いすぎる。


『そういうことじゃないよ!』


「いや、そういうことっしょ」


 びしっと言ってやると、かおるんは押し黙る。


「かおるんはさ、ちゃんとかおるんの魅力で、(あいつ)を勝ち取ったんだよ。今更水着姿一つで揺らぐと思う? あいつの気持ち、もうちょっと信じてやりなよ」


『うん……』


「その感じじゃ、会話とかも合わせてばっかなんじゃない? 話したいこと話せてる?」


『むぅ』


 見える! ほっぺを膨らませてるかおるんが見えるぞ! かわゆいなぁ。


「そんなんじゃ、逆につけ込まれるからね。梨紗ちゃんとかに」


 あと私とかね。


『え、それは()!』


「じゃあもう少し、自分の魅力と、あいつの気持ちを信じなさい。自分を卑下したって、誰の得にもならないんだから」


『……はい』


「心配しなくても、あいつかおるんのこと大好きだから。少なくともかおるんが柊のこと好きなのと同じくらいには」


『そうなのかな』


「うん、そう」


 でなきゃとっくに奪いにいってる。

 まあ説教はこれくらいでいっか。


「とりあえず、水着買いに行こうか」


『え、水着くらい私持ってるよ』


「学校の授業で使うやつ?」


『うん』


 さすがに頭抱えたよね。




 * * *




 今晩もまた、連続熱帯夜記録と、連続エアコン記録は当然のような顔で更新されていた。

 そしてもちろん、薫子からの電話も昨日と同じようにかかってくる。


『プールの件、椿ちゃんも一緒に来ることになったから』


「おお、それは心強い」


『明日水着買いに行くんだー』


「そ、そうなんだ」


 薫子はどんな水着を買うのだろうか。露出度は抑えて欲しいような、少し攻めて欲しいような。


『あはは、楽しみにしておいて!』


 柊の心の裡を読んだかのように屈託なく笑う薫子。


「うん、すごく楽しみ」


 実際のところ、薫子なら何を来ても似合うのだから、楽しみでないはずがない。


『それとね、他にも夏休みの間に行きたいとこあって……』


「いいよ、どこ行く?」


 聞く前に承諾してしまう。薫子とならどこへだって行きたいのは、柊だって同じなのだ。


『えとね、』


 何か不安なことでもあったのか、柊の返事にほっとしたように彼女の声が弾む。

 映画館。電波塔とショッピングモール。アニメのコラボカフェ。etc.


 どれも、薫子から提案してくれなければ想像もしなかった場所ばかりだ。


 いつも通りの蒸し暑さ、いつも通りの電話。

 だが、遠慮がちに列挙する薫子の声は、いつもよりも楽しそうに響いて、なんだか柊まで楽しい気分になった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 薫子ちゃんがとにかく可愛いです…っ [一言] 柊くんと薫子ちゃんの電話にほんわかした気持ちになったのも束の間、椿ちゃんに感情移入しまくってしまってちょっと下唇を噛みましたが、結局椿ちゃんの…
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