どうなろうと後悔はしない
1
シャワーを浴びて、身なりを整える。
段取りのとおり、伝えられた番号に電話をかける。
近くのホテルにつながると聞いたが……。
「報告をうかがいましょう」
「……ボスが直々にでるのかよ」
「大事な仲間のことですので」
「そうか」
「『クノイチ』は?」
「いまは眠っている。拘束もしている」
「治っていませんでしたか」
行為の最中、拘束を脱して馬乗りになっていた。
「首にアザをつけられた」
「キスマークですか?」
「指のあとだ。窒息寸前まで絞められた」
なんとか攻守交代。
女が気を失うまで続行した。
「ご無事でなによりです」
「まだだ。まだ終わっていない」
眠ったていどで静まるような、淡い衝動ではない。
「では手はずどおり」
「場所は?」
「そちらに女をおくります」
「ここに?」
「そのほうが早いでしょうから」
たしかに手間は省けるが……。
「……あんたが来る、なんていうオチはないよな?」
「あなたがわたしを抱きたがっているのは重々承知していますが」
「違うということだな?」
「わたしほどではない女を用意しました」
「贅沢はいわない」
「『クノイチ』のあとに抱かなければならない女です。選抜は必要でしょう」
どんな女でも霞んでみえるだろう。
俺はいまから、見知らぬ女にも無礼な行為をはたらくわけだ。
「気に入らなければ交代もありです」
「わかった。それでたのむ」
女が気を失うまで抱いたあと、拘束して、別の女を呼びつける。
あの暴力親父がやっていそうな鬼畜の所業だ。
気が滅入る。
だが、すべて俺が選んだことだ。
あいつの寝顔を拝めたのなら、それで十分だろう。
どうなろうと後悔はしない。
2
呼び鈴が鳴った。
腹にかるく詰めこむ程度の時間しかたっていないが、女が到着したのか?
他に来客の予定はない。
さすがに『アール』ではないだろう。しばらくは元の住まいで荷物の整理をしているはず。
俺は女と見切りをつけて玄関口に移動した。
ドアの向こう側に害意は感じない。
香水の匂い。
やはり女。
世話になる相手だ。
こころよく出迎えるとしよう。
ドアを開けた。
「は~い、久しぶりね、ハニー♡」
「だれがハニーだ」
暴力親父の娘がいた。
「なんであんたがここにいる?」
「なんでって、あなたが呼んだんでしょう?」
「記憶にないな」
「抱くだけの女が必要なんでしょう?」
俺は黙って娘をみた。
娘は訳知り顔で肩をすくめ、物憂げな吐息をこぼした。
「チェンジだ」
「どうして!?」
「どうしてもこうしてもない。
そもそも『蛞蝓』と話をつけて、なんで『蛙』の娘が出てくる?」
「『蛞蝓』のボスとは、友好な関係を結んでいるわ」
「あの女と?」
もっとも嫌っている男の娘が?
「どうやって縁を結んだ?」
「旅に出て、世話になったの」
「ショッピングの距離でなにがあった!? もっと遠くへ出ていけ!」
帰るどころか入ろうとしやがる。
ドアの前で娘ともめていると、元凶があらわれた。
車から降りた、怖い女。
喪服を身にまとい、右眼には眼帯。
残った左眼が、不吉な印象を抱かせる。
思考を読ませない『蛞蝓』の女ボスが、護衛のメイドも連れずに、たったひとりで近づいてくる。
「なにか言いたそうな顔ですね。
いいでしょう。立ち話もなんですので中に入らせてもらいましょうか」
俺は、女ふたりを招きいれるしかなかった。
3
俺はコーヒーをいれる。
怖い女が『クノイチ』の様子を確認する。
娘が物憂げな態度で大人しく座り、いい女を気どっている。
「女を縛りつけて獣のように犯す……鬼畜ですね」
寝室のありさまを見てきた女の、第一声がそれだった。
否定しづらい所見ではある。
「後悔はしていない」
「おそらく彼女も同様でしょう。感謝します」
仲間には甘い女だ。
「わかっていると思うが、俺には時間がない」
「それでは手短に済ませましょう」
女は残された左眼を閉じて、コーヒーの香気を愉しむ。
淑女がいた。
不吉な輝きが消えれば、こいつはたしかに、絵になる女だ。
紅茶のほうが似合っている。
華やかな衣装で着飾れば、上流社会でも輝ける逸材。
喪服は少々、艶気がありすぎる。
「ますは紹介をすませましょうか」
いい女を気どっている、娘のほうをみる。
「出会いは?」
「領域内をうろちょろしていたので確保して尋問することに」
「……こいつが悪いな」
「手荒な真似はしていませんよ」
「だろうな。それで?」
「ある男をぶん殴りたいと」
「復讐の旅かよ」
「新たな恋のために必要な措置だと力説されました。そうなるとわたしも女です。敵対組織のボスの娘とはいえ協力のひとつも申し出たくなります」
「嘘つけ」
「男を始末する段取りをつけました。そうなると彼女も女です。敵対組織ではあれど力になりたいと申し出てくれました」
「それも計画のうちか?」
「彼女は『蛞蝓』と『蛙』をつなぐ連絡係……」
連絡係!?
あの暴力親父に手紙を届けられる人材!
「『エンジェルB』です」
「……Bとはなんだ!?
厳しいはずのエンジェルが一気に霞みやがる!!」
そしておまえの目的はなんだ!?
俺になにを期待している!?
「BはBです」
「えっ? ビーストのBでしょう?」
「おまえは騙され、いや、ビーストもたいがいだな!?」
ひどいな、この眼帯女。
あの暴力親父の娘とはいえ、容赦なく蔑みやがる。
「『エンジェルB』は長いので『ビー』にしましょう」
どうとでもしてくれ。
「あなたの協力もあって『ビー』の復讐は成就しました」
「ボスとハニーのおかげで大満足よ」
「よってこれからも『蛞蝓』に協力してくれるそうです」
「今回の一件で理解できた。『蛞蝓』のボスは信頼できる女……『蛙』を裏切るような真似はできないけれど、ふたつの組織の懸け橋となれるなら、よろこんで協力させてもらうわ」
「ありがたいことです」
この娘、絶対に利用されるな。
「『ビー』はもはや『蛞蝓』の一部といえなくもありません。そして信頼には信頼でこたえるのが礼儀というもの。わたしは『蛞蝓』の秘密事項である『クノイチ』の殺人衝動について打ちあけることにしました」
「……それで?」
「『蛞蝓』のために一肌脱ぐと」
俺は黙って性悪女をみた。
気だるげな態度を崩そうとしない『ビー』もみた。
「がんばってくれたハニーのためだもの。
私がなにもしないわけにはいかないじゃない?」
おまえの女としての自信はどこから湧いてくる?
洗脳か?
この性悪女に洗脳されて、すでに利用されているのか?
「あなたの懸念はごもっともです。
どうやら『ビー』は自身を餌にしてあなたを『蛙』に引きこむつもりです」
「あら? バレていたの?」
「わたしを甘くみてもらっては困ります」
この性悪女は、俺の反応も利用して話をすすめている。
どういう計画だ?
「べつに『蛞蝓』を裏切る意図はないわよ? 私はボスのことを気に入っているし、信頼しているのも嘘じゃない。連絡係はきちんとこなして、『蛙』との抗争は避けるように努める」
「それも承知しています。『ビー』はあくまでもフェアに勝負する女……どうしてわたしがここまで足を運んだとおもっているのですか?」
「どうしてなの?」
「わたしと『ビー』のどちらかです」
この性悪女……。
「どちらを抱くか選んでもらいましょう」
「女として、フェアな勝負をしようというの?」
俺の命がかかった状況で、この女、なんてことを企みやがる。
「いかがですか?」
「おもしろい。受けて立つわ」
極上の女をたっぷりと抱いた。
いまの俺に、性的な渇望などありはしない。
たとえ激しい渇望があったとしても、『ビー』はきつい。
「もちろんわたしを抱くというなら『蛞蝓』に入ってもらいます」
「私を抱くなら『蛙』に、ということね」
もしも女が喪服をはだけて柔肌をさらせば、もう一戦、という気になるかもしれない。性悪女と『ビー』。『蛞蝓』と『蛙』のどちらかを選べ、という体裁をととのえておきつつ、実質は『蛞蝓』の一択でしかない。
「話はつきました」
「あとはハニーが選ぶだけ♡」
俺は深々と溜め息をついた。
「ちょっと娼館に行ってくるから、留守番をたのむ」
俺は女たちに背中をみせる。
女の小さな舌打ちと、わめき声が響く。
俺は気にせず準備をはじめた。
「逃がしませんよ?」
怖い女が立ちはだかる。
「俺はどこにも入る気はない」
「情勢は変わります。いつまでも仲介役のままではいられません」
かもしれない。
もっとも危惧すべきは『蛇』の後継問題。
あのジジイが倒れたら、おそらく『蛇』は割れるだろう。
二派、三派と割れたなら、『蛙』や『蛞蝓』も動き出す。
秩序はあっさりと崩壊する。
「……先を見据える野心家が、そろそろ動くか」
敵となりうる存在は消してしまえ。抗争の機運が高まれば、それが主流の発想となる。どこにも属さない俺の立場は、これから危険度を増していく。そして仲介役であるかぎり、呼び出されたら行かねばならない。殺意のこもった、罠があろうとだ。
「そうなるまえに決断を」
「まだ早いだろう」
俺もこの女も、あのジジイも、秩序をのぞんでいる。
俺の命を狙うことはない。
この女にいたっては、俺の身を案じている。
「俺が『シケモク』だからこそ、あのジジイは動かない」
俺がもっとも勢力の小さい『蛞蝓』に寄っているのは、『蛙』も『蛇』も理解している。俺を中立とはみていない。そしてそれは正しい。俺が中立であると素直に信じているのは、あの暴力親父ぐらいだろう。
「あの『蛇』を、甘くみるなよ?」
「……『蛞蝓』も力をつけています。今回はわたしも本気です」
「つまり?」
「周囲に護衛のメイドたちを配置しています」
「……俺を敵に回すと?」
「あなたに女は殺せない」
「……無抵抗なわけじゃない」
「昇格希望のメッセンジャーも幾人か配しています。武器を持たぬ少女たちが身体を張ってあなたを捕えるでしょう」
「容赦ねえな、おい」
周囲には『蛙』と『蛇』の目もある。
騒動を起こせば、仲介役に危害を加えたとみなされる。
それは避けたい。
ローティーンの少女を襲ったという情報が流れるのも避けたい。
「メイドを抱かせてもらおう。時間がない。車を借りる」
「それはふつうに嫌ですよ? せめて自分の車でしてください」
「俺もそれは嫌だ」
「わがままです。わたしのメイドを抱くなら『蛞蝓』に入りなさい」
「それもわがままだ。断る」
「わかりました。ちょっとメイド服を借りてきます」
「そういう話じゃねぇんだよ」
「メイドに欲情するのでは?」
「そんな趣味はない、はずだ」
「ねえ、ちょっと」
静かだった『ビー』が俺たちを呼んだ。
どこかをじっと見つめながら、俺たちに注意をうながした。
「さっきから、なにかいるんですけど?」
そのなにかが気配をあらわした瞬間、背筋に怖気がはしった。
死の気配と対峙する。
視線のさきに、裸の女がいた。
自力で関節をはめ直す、笑みをたたえる女がいた。
少女のようにあどけない、『クノイチ』がいた。
4
獲物をうかがう視線から、視線を外せない。すこしでも隙をつくれば、どうなるかわからない。刃物の類は遠ざけてあるが、素手でも致命傷は負うだろう。
動きをとめた『クノイチ』。
俺は動けない。
いくつもの修羅場を知る、女ボスも動けない。
野獣の血筋、その本能でわかるのか、『ビー』も動けない。
「どの程度のものか確認しておきたいとはおもっていたのですが……」
こういう状況も計画のうちか……。
となると、メイドを配したのも、本筋は『クノイチ』の捕獲か?
「これほどですか」
理解できただろう。
ここに護衛の連中を呼んだとしても、役に立たない。
犠牲者が増えるだけだ。
「護衛を呼びよせる程度の余裕ならあるとみていたのですが……これが最高潮の『クノイチ』。ぜひとも支配下におきたいところです……それにしてもつやつやですね」
「ほんと、うらやましい」
「余裕かお前ら!?」
くそっ、少しばかり距離をつめられた。
「とにかく説得を試みましょう。わたしの声が聞こえていますか? 『クノイチ』……催眠療法の際に語っていたではありませんか。あなたは殺したくないはずです。あなたは激しく犯されたい。もっと様々なプレイを楽しみたいはずです。いろいろやって飽きたときに殺せばいいのです」
変化はない。
声が届いていない。
「無駄だな。俺が微妙に傷ついただけだ」
「いまの、地味に『クノイチ』も傷つくんじゃない?」
説得は不可。
緊張感が高まってゆく。
高まるエネルギーが、暴走の時を待っている。
呼び鈴が鳴った。
三人が、一瞬、身体をふるわす。
警戒したのは『クノイチ』も同様。
誰が来た?
家の周囲はメイド姿の護衛がいる。
不審者ではないはず。
ドアが開いた気配。
鍵を持っている? 『アール』か!
早すぎるだろう!?
くそっ、こんなときに……。
近づいてくる。
来た。
「そろそろ終わったかなあと思って帰ってきたら、メイドの人たちに様子を見てくるよう頼まれたんだけど……なにをやってるの? お客さん? 『クノイチ』さんは……全裸?」
素人の『アール』には、危険が感じとれない。
「逃げろ」
「……もしかして、修羅場?」
修羅場の意味が正しいのか、確認している余裕はない。
俺は『クノイチ』から注意をそらせない。
なにをしているのか、『アール』が動いていないのは気配でわかる。
「よし」
なにかを決断した『アール』が、焦りをつのらせる俺に歩み寄る。
俺の身体にふれ、顔を近づける。
「ん」
女の唇がふれた。
なんとも素っ気なく、不器用な口づけだった。
とっさの出来事に思考が停滞する。
一瞬。
すぐに戦闘態勢にもどし、『クノイチ』と対峙した……わけだが。
「……浮気者」
見慣れた無表情の『クノイチ』が、捨て台詞をはいて部屋にもどっていった。
……なぜだ?
なにがあった?
どうして殺人衝動がおさまっている?
茫然としている俺に、横から『アール』が告げた。
「殺したいくらい自分のモノにしたいんでしょう?
そこまでこだわる女なら、キスでも許せないのは当然じゃないの?」
なるほど、とうなずく女たちがいたが、俺はそう易々とは認められなかった。キスで衝動がおさまるというなら、あの日の俺の苦労はなんだったのか? いままでの俺の葛藤はなんだったのか?
俺の腕をとる『アール』が、妙に得意げに笑っていた。
5
シャワーを浴びて身支度をととのえ、『クノイチ』は去った。
ボスも『ビー』も出ていった。
家にいるのは、俺と『アール』のふたりだけだ。
俺はリビングにある一人掛けのソファーに身体を沈めている。非常に狭く感じるのは、『アール』が俺のとなりにくっついて座り、腕をからめて離さないからだ。
「……これは、どういう状況だ?」
「ん? 危機を救ったご褒美じゃないかな?」
俺と腕をからめている姿は、去った女たち全員が見ている。
「暗黙の了解? 『クノイチ』さんも」
「無表情だからわかりづらいが、いい気分ではなかったと思うぞ?」
かるく振りはらう程度では離れなかった。
気力の減退が著しく、されるがままになっている。
「『クノイチ』さんは、最後を狙っているから」
酔っているのか?
「また来るだろうから、それまでは、ね」
「……こういうのに、興味ないんじゃなかったのか?」
呼吸が乱れつつある女がいて、俺と対面する形で膝にのる。
「うん、ぜんぜんなかったんだけど、『シケモク』にキスをしたあとの、『クノイチ』さんの変化をみていたらさ。なんかこう、ゾクゾクっとくるものがあったんだよね」
こいつ、男を奪うことに興奮したのか?
「……俺は疲れている」
「すごく激しかったんでしょ?」
興奮度が増しやがった。
「俺は『クノイチ』に惚れている」
「それは知ってる。私のことは、そんなに好きでもない」
「そうだな」
距離が近づく。
「それでいい」
「よくはないだろう?」
「それがいいと感じてる」
下腹部が密着する。
「ああ、ひどい女だね、私は」
「否定はしない」
「うん、じゃあ、しよう」
「じゃあの意味がわからないんだが?」
吐息がふれる距離で、『アール』が笑っている。
「キスしてくれないの?」
「さっきもいったが疲れている。性的欲求も乏しい」
「じゃあ、ちょうどいいね」
「なにが?」
「私は初めてなんだ。処女だから、男を知らない。やさしくていねいに扱ってほしい。独占欲を、満たしてあげるからさ」
もしもこの世の中に、どうなろうと後悔はしない、などと考えている男がいるとしたら、そいつはきっと、殴られても仕方がない男にちがいない。とりあえず俺は、自分を殴りたい。
「ここでキスをして、そのあと、寝室に運んでほしい。『シケモク』のベッドね。上書きしたいから。『クノイチ』さんと寝たところで、満たしてよ」
人生は後悔の連続だ。
だからせめて、言い訳はここらでやめるとしよう。