表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チープ  作者: 京本葉一
4/6

救いようのない、情けない話だ



 電話がジリジリと鳴りだした。


 この番号を知るやつは限られている。

 どこかの組織が、俺に仕事を用意したようだ。


 いつもどおり、七度めのコールで呼び出しに応じる。





 ローティーンの少年が、慣れない手つきでカップを差し出す。


 俺はカップを手にとり、コーヒーの香りをかいだ。

 余計なものが混じっている気配はない。

 そのまま口をつけた。


 周りにひかえる少年たちの顔に、尊敬の念が浮かんでいる。

 熱いコーヒーをブッラクで飲めるのが、大人の証とでも思っているのだろう。

 幼さが消えていない、甘やかされた小姓たち。


 俺は、好々爺にみえなくもない、組織の長をうかがう。


「それで、お忙しい『蛇』のボスが、俺を呼びつけた理由は?」


「ふふっ、警戒しとるのぉ」

「もっとも油断のならない相手だからな」

「変わっとらんなぁ……おかげで、こちらは安心できるがの」


 老獪なジジイが、茶菓子を口にほうりこんだ。


「たまには『シケモク』の顔も見ておかんとな。

 なに、ちょいと世間話をしたいとおもっただけじゃて」


「そいつは怖い」


 俺のまえに写真が差し出された。

 ちゃんと服を着たモザイク野郎が、ずいぶんとご満悦の様子だ。


「おたくの金づるだな。この男がどうした?」

「このまえ、昇進しよった」

「ほう、どんな悪事を働いたんだ?」

「なにもしとらん」


 老獪な『蛇』がいった。


「この男も、わしらも、なにもしとらん。

 こいつのライバル関係にあった男が、勝手に殺されよっただけじゃ」


 殺された男も、たいがいの悪党だった。

 財閥グループに悪影響を与えそうな、スキャンダルが洩れかけた。

 それをうまく防いだのが、モザイク野郎の手腕と認められた。


「運のいい野郎だ」

「勢いがあるのは間違いないのぉ」


 どの組織にも独自の情報網がある。

 野郎が『クノイチ』に仕事を依頼したのは、『蛇』も承知のはず。

 知っていて、あえて言わない。

 この件に関して、異をとなえる気はないということ。

 これは世間話の、枕のようなもの。


「野郎はいま、我が世の春といった感じかい?」

「浮かれておるよ」


 好々爺のような笑みをうかべて、『蛇』がぼやく。


「野心の強い男じゃから、まだまだこれからともおもっとるじゃろ」


 俺はコーヒーに口をつける。

 ジジイは茶菓子を口にいれ、まずそうな茶を飲んだ。


「まあ、金づるが出世したんだ。派手に祝ってやればいいんじゃないか?」

「そのへんは、うちの元気な連中がやるじゃろ」


「野郎好みの女を集めて、パーティーでもするのかい?」

「なんじゃ? おぬしも参加したいのか?」


「冗談はよしてくれ」

「まあ、おぬしには女がおるからのぉ」


 俺は沈黙を選んだ。

 渋い顔をした『蛇』がたずねる。


「『蛞蝓(ナメクジ)』の女を囲っておるようじゃが……。

 おぬし、あの無愛想な売女の……気色悪い眼帯女の、仲間になるつもりか?」


 どれだけ嫌いなんだ、このジジイ。


「俺はどの組織にも入る気はない。それに、女は預かっているだけだ」

「十日間も?」

「むこうの事情は知らん」

「ふたりも囲っておいてか?」

「『クノイチ』のほうは、ただの侵入者だ」


 渋い顔のジジイが、深々と溜め息をついた。

 本気で俺が『蛞蝓(ナメクジ)』に入るとまでは疑っていないだろう。


「いいように利用されよってからに」


 ぼやいたジジイが、俺に新たな仕事を言いつけた。





 俺は愛車に乗りこんだ。


 いつもどおり、見張られている。

 仲介役である俺の動きは、監視されて当然のものだ。

 だから、俺は隠れることなく動いている。

 監視役もまた、存在を隠さない。


 俺に気づかれずに動きを探ろうとする奴は、まずいない。

 いたとすれば、よからぬことを考えている奴にちがいない。


 俺はいつもどおり、ベビージープを走らせる。





 俺は約十日ぶりに『蛞蝓(ナメクジ)』のボスと対面した。


 ボスの雰囲気は変わっていない。

 背後には、すらっとした体型のメイドがひかえている。


「これが『蛇』から預かった手紙だ」


 俺はメイドを介して『蛞蝓(ナメクジ)』のボスに手紙を渡した。


 内容は知らない。

 俺はただの使い走りだ。


「わかりました」


 手紙を一読してしばらく、怖い女はそういった。


「返信は?」

「必要ありません」

「それじゃ、俺の仕事はこれで終わりだな」

「いくつか確認しておきたいことがあります」

「かまわない。が、俺のほうも質問がある」

「いいでしょう」


 むこうが俺に質問をうながした。


「まず、『アール』はいつまで預かればいいんだ?」

「事が済むまでです」

「事というのは?」

「聞いていませんか?」

「なにを?」

「性欲処理の話です」


 俺は黙って女をみつめた。

 相変わらず、冷たい表情は微動だにしない。

 背後のメイドは、若干そわそわしている気もするが。


「それが、二つ目だ」

「はい」

「『アール』を襲わぬよう、俺の性欲を処理しろと『クノイチ』に命じたのか?」

「少し違いますね」

「実際は?」

「あなたを襲ってスッキリしてきなさいと命じました」

「おい」


 俺の反応を意に介さず、女は淡々と説明した。


 前々から『クノイチ』は性欲処理に悩んでいた。

 俺を襲うように命じたが、それを拒否した。

 聞けば、なにか理由でもないと襲えない。

 そこで『アール』を利用した。


「『アール』をあなたに預けることにより『クノイチ』はあなたのそばにいる理由ができました。あとは彼女があなたを襲うもよし。あなたが欲求不満になり彼女を襲うもよし。『アール』に襲いかかるあなたを『クノイチ』が襲うもよしです」


 いろいろとひどいな。


「……とにかく、俺に死ねといっているわけだな?」


「あなたなら大丈夫でしょう。

 あなたは彼女を抱いて生き残った唯一の男です。

 あなたしかいないのです」


「抹殺したい男なら、いくらでもいるだろう?」


「腐るほどいますがそれは無理です」

「なぜ?」

「彼女が嫌がりました」

「はあ?」

「あなたに捨てられてから、彼女は恋に臆病になったのです」

「いきなり妙な表現をはさむな」


 この女は、俺にどんな反応を期待しているんだ?


「あなたは彼女から逃げきった唯一の男です。獲物としてなのか恋心なのかはわかりかねますが、彼女はあなたを望んでいます。だからあなたしかいないのです」


「男を惑わして始末する。そういう業も極めた女だろうが」

「極めすぎてああなったのでしょう」


 俺はかつての情事を思い出した。

 抱けるというならいくらでも抱きたい、極上の女だ。


「……だが、死ぬな」


「あなたに死なれては困ります。

 彼女もあなたを殺したくはない。それはわかってあげてください」


「あいつが襲ってこないのは、そういうことか」

「自分から誘うのが恥ずかしいだけだとおもいますよ」

「そんな女じゃないだろう?」

「あなたに捨てられて、『クノイチ』は女になったのです」


 この女、どこまで本気なんだ?


「はやく女を満足させてほしいものです」

「命を懸けてか?」

「覚悟を決めて」


 変わらぬ冷たい表情で、『蛞蝓(ナメクジ)』のボスはいった。


「すでに十日が過ぎました。あなたの理性も限界なのでは?」


 俺は沈黙を選んだ。

 なにを語ろうが黙ろうが、まったく意味はないわけだが。


「獣欲を解き放つのも時間の問題ですよ。

 血をみると昂るのは、あなたも同じでしょうから」


 怖い女が宣告した。

 これで俺への説明は終わり、今度はあちらの聞き取りがはじまる。


 この怖い女は、老獪な『蛇』に劣らぬ、狡猾さを秘めている。


 相手の思考を誘導する。

 相手を意のままに踊らせる。

 そういう手合いだ。


 では、すらっと体型のメイドが背後でそわそわしているのは、罠だろうか? 

 目が合うと、胸もとで拳をつくったのは?

 唇の動きが「がんばって」と読めたのは?

 これらの行為を予測したうえで、自らの背後に配置したのだろうか?


 喪服をまとう眼帯女。

 この女の思考だけは、なにもつかめない。





 観葉植物が増えたリビングで、『アール』がハイボールを飲んでいる。

 女はひとり。

 もうひとりは外にでている。


「ねえ、『シケモク』」

「なんだ」

「いつになったら、『クノイチ』さんを誘うわけ?」


 どうやらそこそこ酔っている。


「興味ないんじゃなかったのか」

「ないといえばないんだけれど、我慢してる理由がわからないからさ」


 俺は小さく息をついた。

 女ボスにつづいて、『アール』からも男を問われている。


「あれはいい女だ」

「そうだね」

「俺にはもったいないぐらいな」

「そんな感じではあるけれど、言い訳は禁止の方向でよろしく」


 俺に対する評価が辛いが、まあ、仕方がない。


「世の中には、処女でなければダメだという男がいる」

「ん? つまり、『シケモク』も?」

「俺はそのあたりにこだわりはない。好きかといわれれば好きだがね」

「そうなんだ」

「独占欲が満たされる」

「へえ」

「とはいえ、初めての女はやさしくていねいにあつかう必要がある。昂っているときは慣れた女のほうがいい。こっちが飢えているときに、じっくりていねいに喜ばせるのは難しいものがあるからな」

「そう」

「女を満足させたときが、男に生まれてよかったと感じる瞬間だ」

「ふ~ん」


 まったく興味のない顔をしやがる。


「……あいつも、処女を好む男に近いものがある」

「『クノイチ』さんも?」

「あいつの場合、最後の女、というものに興奮をおぼえるらしい」

「ん~、つまり、男にとって最後の女でありたい?」

「そうだ」

「浮気は許さない?」

「そんなレベルじゃない。

 あいつのはもっと病的……殺人衝動におそわれる」

「……つまり?」

「最後の女になるために、相手の男を殺しにかかる」


 無邪気な子どものように。

 喜々として。

 命を奪いにくる。


「基本、『クノイチ』が男と寝るのは仕事のとき、相手の男を殺すときだった。

 殺人衝動にかられても問題はなく、本人の自覚も薄かった」


 仕事をはなれた男と女。

 誘い、誘われての、一夜の戯れ。

 俺の勘違いでなければ、好意はあっても、殺意はなかった。


「……あれは精神病の一種だ。本人にも止められない」


「……『シケモク』は? 『クノイチ』さんとやっちゃったんでしょ?」

「表現がひどいな」

「そのときも、殺されかけたわけ?」

「まあな」


 激しい行為のあとだった。

 こちらは疲労しているのに、相手は溌剌としている。

 つやつやした女が、刃物をちらつかせて襲いかかってくる。


「死力を尽くして逃げた」

「その表現もたいがいじゃない?」


「死ぬ気で窓から飛び降りた」

「うん、必死さは伝わるよ」


「命懸けの鬼ごっこだ。街中を逃げまわった。時間がたてば衝動もおさまるとおもったが、そんな気配もない。まともではなく、あいつのボスでも止められそうにない。正直、殺すことも考えた。あきらめて死ぬことも考えた」


 殺せば、俺は死にたくなる。

 殺されれば、女は悲しむかもしれない。


「そんなとき、娼館に逃げこんで気づいた」

「……もしかして」

「最後の女でなくなれば、衝動がおさまるかもしれない」

「……結果は?」


 見つかるのは時間の問題。

 スピード勝負にあせりはしたが、行為の最中、襲撃はなかった。


「あいつは娼館の出入口で俺を待ちかまえていた。見慣れた無表情をみて、正気にもどっているのはすぐにわかった」

「正解だったわけだ」

「そのあと強烈なビンタをもらい、浮気者、と捨て台詞を吐かれたがな」

「……しかたないよ」

「たしかに、それですんでよかったと思うしかない。たとえ、それを見ていた娼館の女たちに軽蔑されてもな」

「……うん、しかたない」


 女に刺されそうな行為で、自分の命を救ったという話。


「救いようのない、情けない話だ」

「うん、そのとおりだとおもう」


 俺は小さく息をつき、『アール』はちびりと酒を飲んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ