ここではないどこかに
1
高画質の写真が、壁一面に映し出された。
成金趣味の高級クラブ。
派手に着飾った、さして美しくはない女たち。
ブスとブサイクの挟間で、裸体をさらすモザイク野郎。
「なんなんだ、この汚い絵面は?」
「こいつがあんたの交渉相手だ」
「……何者だ? B専の変態、というのはわかるが」
それ以外の情報がほしい。
俺の質問に、依頼主の男は溜め息をつく。
「こいつはB専じゃない」
「ほう、変態ではあっても、B専ではないと?」
「ああ、こいつは、ボスの娘に手を出しやがった」
ここの組織には詳しい。
当然、ボスのことも、その一族についても熟知している。
「……B専じゃねえか」
「てめえ、口を慎めやコラァ」
男の威嚇に、俺は両手をあげる。
「まあいい、あんたの仕事は簡単だ。
この変態野郎に、ボスの娘から手を引かせろ」
ほんとうにそれだけなら、若い連中にやらせればいい。
俺は沈黙を守る。
俺の考えることは、向こうもよくわかっている。
「こいつは『蛇』の金づるだ」
敵対組織が後ろ盾にいる、ということ。
俺に依頼する、シンプルな理由。
「このモザイク野郎は、これでも財閥グループの若手筆頭でな。
気前よく金をばらまいて、『蛇』の連中と仲よくやっているようだ」
「つまり、この男と直接交渉する前に、『蛇』に話をつけないといけないわけか」
「そういうことだ。頼んだぜ、『シケモク』さんよ」
2
外灯に照らされるベビージープ。
俺は愛車に乗りこんで、渡された資料に目をとおした。
「汚い仕事が好みのようだな、モザイク野郎」
じつに効率的に金を稼ぎ、遊びまわっている。
大画面で見せられたような痴態の数々が、何十枚もの写真となって資料に挟まっていた。
「これを交渉材料にできるなら、楽な仕事なんだがな」
俺は助手席に資料を投げやり、キーをまわした。
つまらない仕事だが、夜のドライブは、嫌いじゃない。
3
「あんた、『シケモク』かい?」
「ああ」
「それなら、べつにいい」
ピアスまみれの女マスターは、『蛇』の窓口案内人。
彼女の許可をもらって、バーの奥に足を運ぶ。
奥のVIPルームでは、話のわかる、穏健派の幹部たちがいた。若い連中も後ろにひかえていたが、口をはさむような無作法ものはいない。
「よお、『シケモク』」
「今度は、どんな用件だ?」
「仕事がないと来ちゃいけないのか?」
「お前がプライベートで来るはずがねぇだろ。
……どっちだ? 『蛙』か、『蛞蝓』か」
「『蛙』だ。そこのボスの娘に、おたくの金づるが手を出した」
「……ああ、あのB専野郎か」
「敵対組織のボスの娘に手を出すとか、本気で見境がねえな」
「女の素性を知らねぇんだろう」
「教えてなかったか……教える必要があったとはなあ」
「一応確認しておきたい……戦争、はじめる気は?」
「あの男に、そこまでする価値はねえな」
「まあ、ご機嫌取りくらいはしてやるがね」
やはり、話のわかる連中だ。
すぐに後ろの若いものに指示を出した。
カードゲームに興じる短い時間に、仕事は完了したようだ。
「あの野郎には、幹部の名を出して伝えておいた」
娘から手を引くこと。
この件に関して、『蛇』は一切関知しないこと。
「妙な言い回しだな。話はついてないのか?」
「ああ、渋っていやがる」
「男もそうだが、娘のほうもな」
俺は天を仰いだ。
「娘はいま、野郎といっしょにいる。
迎えがくるから大人しく待っていろ、とは伝えておいた」
「ああ、助かる」
面倒だが、これは俺の仕事だ。
俺は若いやつから、野郎と娘がいる場所を聞いた。
「貸しひとつ、と、『蛙』には伝えておいてくれ」
ただで動くほど、甘い連中ではない。
「ああ、文句は言わせない」
俺に依頼した時点で、こうなることは『蛙』にもわかっていたはずだ。
鬼熊と恐れられた男でも、娘には弱いらしい。
4
さすがは財閥グループの若手筆頭。
高層マンションの最上階からながめる夜景は、じつに美しい。
「おい、どこをみていやがる!?」
向かいのソファーに、一組の男女がくっついて座っている。パズルのピースのように、ぴったりとくっついて、ひどい絵面をつくっている。
「ちょっとした目の保養だ。気にせず話をつづけてくれ」
「話はもう終わってるんだよ!」
「そうよ、私たちは愛し合っているの。パパのことなんて関係ない」
「おたくらの言い分はわかった。だが、説得しないといけないのは俺じゃない。あんたのパパだ。本気で付き合うというなら、とりあえず家に帰って、親子の縁を切ってくれるよう、パパを説得することだ」
娘の表情が歪んだ。
「親子の縁を切ることはないじゃない。
私とハニーが結ばれれば、『蛙』と『蛇』は同盟を結べる」
「あんたのハニーに、あんたと釣り合うほどの価値はない」
どうやら、頭は悪くない。
娘のほうは。
「話は、終わりだと言ったよな?」
モザイク野郎が、俺に銃口を向けていた。
「だめよ、ハニー! 銃をおいて!!」
「こんなやつ、『蛇』に頼むまでもない」
「ハニーが殺されちゃう!」
「心配しなくていい。『蛙』は動かない。
僕を殺したら、『蛇』と『蛙』は戦争になるんだからね」
「今回、『蛇』は動かないと知っているはずだが?」
「ふん、お前ひとりを殺したくらいで……」
「だめ!! このひと、『シケモク』よ」
対立する三つの組織の、仲介役。
俺のことを知っているとは、さすがはボスの娘。
野郎に、置かれた立場の危険性を伝えることができる。
「……あなた、『シケモク』よね?」
「ああ、そうだ……」
いまのところは。
落ち着いてきた娘が、モザイク野郎を説得した。
奴の手から銃を取りあげて、一度、パパのもとに帰ると告げた。
野郎は不満そうだったが、それが娘には嬉しいようだ。
「必ず、ここにもどってくるから」
娘は手荷物ひとつで、俺とともに野郎の部屋を離れた。
5
恐れを忘れた女は、敵対組織の間に新たな秩序をもたらす気でいた。
「愛はすべてを解決する」
「よし、とりあえず、黙ろうか」
色恋で頭がボケている女は、とにかく機嫌がよかった。
エレベーターで降りる間、三回は注意したが、まったく黙ろうとしない。
地下の駐車場でも、燃え上がる愛を訴える。
俺の愛車、ベビージープに乗りこむ。
女は助手席に乗せる。
モザイク野郎の資料が邪魔だった。
「そこのは後ろにやってくれ」
「なに、これ?」
話を聞かない女は、遠慮もためらいも知らない。
資料を広げる。
空気が変わって、女は黙った。
俺はキーをまわし、エンジンをかけて、車を走らせる。
「ねえ、ちょっと、車、止めて」
「断る」
「戻ってほしいの」
「断る」
「だいじょうぶ、忘れ物をしただけ」
「嘘をつくな」
「一発、ぶん殴ってくるだけだから」
「せめて、殺意を、隠せ」
さすがは鬼熊と恐れられた男の娘、確実に殺る気だ。
「まあ、これで解決だな」
愛は冷めきった。
女は男を忘れて、二度と近づかない。
男は女と離れ、べつの女で遊ぶだろう。
「あぁ、恋がしたい」
終わっても面倒な女だ。
「するのは勝手だ。報われるかどうかは別だが」
「贅沢は言わない。私だけを愛してくれるなら」
「贅沢だ、あきらめろ」
「ひどくない?」
「冗談だ。まあ、心配するな。世の中にはB専という言葉がある」
「ねえ、ほんとにひどくない?」
世の中はひどいものだ。
男も女も関係なく、美しいものが望まれる。
「でも、ほんとにいるのかしら、
私を好きになってくれる、いい男なんて」
「どこかにいるだろう、ここではないどこかに」
「ここではないどこかに?」
「そう、ここではないどこかに」
「じゃあ、どこに行けば会えるの?」
「さあな。弥生にでもいけば会えるんじゃないか? 縄文なら確率は高そうだが」
「それって地名? なんか聞き覚えはあるけど、地名なの?」
旅に出たい。
そういって女は静かになった。
黙っていても面倒な気配を漂わせる、そんな女を助手席に乗せたまま、俺は車を走らせる。
夜が明ける。
空が明るさをましている。
前方から、朝陽が射しこんでくる。
美しい、やわらかな光だ。
仕事は面倒だが、こんな時間のドライブは、嫌いじゃない。