九話 「そっか。じゃあ、いっしょに勉強していこうな」
水場は、森の中に突然現れた。
周囲には木が生い茂っている中、ぽっかりとできた広い土地。
上を覆う木の葉などが無いことで生まれたその場所の中心にあるのは、透明度の高い水をたたえる泉であった。
泉の大きさは、ゴブリンツリーのある洞窟と同じくらいだろうか。
水際の部分は急激に下へ下っており、まるで巨大な縦穴の淵のようになっている。
りあむは身を乗り出して、泉を覗き込む。
透明度が高いおかげで、底の部分まで見渡すことができた。
深さはよくわからないが、ゴブリン二匹分程度はあるだろう。
「なんか、でっかい炊飯器の釜を地面に埋めたみたいだな」
りあむの感覚では、まさにそんなイメージだった。
どうしてこんな形状になっているのかはわからないが、ひとまず落ちたら大変そうだ、と身震いをする。
そこで、ふとある疑問が頭をよぎった。
「あの、ゴブリンって泳げるんです?」
「ごぶりん、うく。しずみにくい。およぐ、とくい」
隣にいたゴブリンに尋ねると、そんな答えが返ってくる。
この答えは、りあむがある程度予想していたものだった。
何しろ、ゴブリンは植物だ。
りあむの常識からいえば、植物というのは水に浮くものであった。
ならば、ゴブリンも水に浮くだろうし、浮くことができればある程度泳げるだろう、と予想したわけである。
だが、ゴブリンの泳ぎの得意さは、りあむの予想以上だったらしい。
「ごぶりん、こきゅうすくない。どうぶつより、すくない。おぼれにくい」
「ええ!? 呼吸が少ないって、どういうことです!?」
「きずなおすときいがい、あまりいきしない。だから、おぼれにくい」
それを聞いて、りあむは自分なりに仮説を立ててみることにする。
おそらくゴブリン達の呼吸は、動物のそれというよりも植物のものに近いのだろう。
酸素の消費は少なく、そのため、水中に居られる時間も長いのではないか。
もっとも、この世界に「酸素」があるかどうかは疑問ではある。
ここは異世界で在り、りあむの「常識」が通用するかはわからないのだ。
だが、恐らく考え方としては、大きく外れてはいないだろうと、りあむは判断した。
「ゴブリンって意外なところで高性能だよね」
ぽつりと漏れた声に、ケンタは後ろを振り向いた。
そして、自分にはわからないというように、首を捻る。
表情は読めないものの、りあむの目にその仕草は中々可愛らしく見えた。
ゴブリンの顔は、可愛らしいと思えるようなものではない。
身内びいきの感覚なのだろうと考え、りあむは苦笑を漏らす。
ケンタはますますわからないといった様子で、首を捻った。
そうこうしているうちにも、ゴブリン達は作業を進めていた。
拾ってきた枝や草を水に沈め、引き上げる。
しっかりと湿ったことを確認して、脇に積み上げていく。
りあむはその作業を見ながら、難しそうな顔を作った。
「これって、濡らしてもすぐに乾いちゃったりしそうだけど。そうならないから、してるんですよね?」
訪ねた相手は、このチームのリーダーだ。
リーダーはそうだ、というようにうなずいて見せる。
「きのは、たくさんみずふくむ。えだも、みずたくさんすう」
どうやら、集めてきた木の枝や葉は、特別に保水力がすぐれているらしい。
だからこそ、わざわざあの巨大な木の近くで収集をしたのだろう。
りあむは改めて、枝や木の葉に目をやった。
まだ濡らしていないものを見ると、ごく普通のものにしか見えない。
だが、泉につけたものを見てみると、なんとわずかに葉が膨らんでいるように見える。
どうやら、葉がスポンジのような構造になっているらしい。
外からの水を吸い込み、蓄えるようになっているようだ。
「多肉植物? それにしたって、葉から水分を吸収する植物なんて聞いたことないぞ」
葉っぱというのは、光合成、呼吸、蒸散、この三つをするためのモノだったはずだ。
アロエやセダムなどの、水を葉に貯える多肉植物というのはりあむも知っている。
だが、葉っぱから水を吸収して、蓄えていくというのは見たことも聞いたこともない。
そこで、りあむは「はっ」と思い出したような表情になる。
「そうか、異世界だもんな。そういうのもあるってことか」
なにしろ、ゴブリンが木になる世界である。
葉っぱがスポンジのように水を吸収する、なんてこともあるのだろう。
ある程度の常識はもちながらも、柔軟かつ臨機応変にものを考える。
相当に難題だが、りあむに求められているのは恐らくそういうことなはずだ。
「また難しいことを」
こちらの常識が通用しないのに、何かうまい方法を考えてゴブリン達の役に立てろ。
まさに無理難題の類である。
だが、今のりあむはすでに「ゴブリンツリーの精霊」なのだ。
無茶苦茶だろうがなんだろうが、やらなければならない。
全く難儀なことである。
そんなことを考えながら、りあむはゴブリン達の作業を眺めていた。
周囲には、ゴブリン以外の中型、大型動物の姿は見えない。
だが、小型の鳥や虫などの姿は見受けることができた。
それらは水の近くに寄ってくると、何かを警戒するように動き周り、水を飲んでいる。
これを見たりあむは、泉の中を覗き込んだ。
よくよく目を凝らせば、小さなものが泳いでいるのが分かる。
小魚のようではあるが、動きが素早くよく見えない。
「んー。なんか泳いでるけど。よく見えないな、コレ」
りあむが目を見開いたり細くしたりしていると、作業を終えたリーダーが近づいてきた。
泉の淵にしゃがみ込むと、水中に素早く手を突き入れる。
何かを捕まえたように握りこんだ手を開くと、そこには小さく、細長いものが跳ねていた。
どうやら、りあむが見ていた何かを、捕まえてくれたらしい。
「おお! すごい! ありがとうございます!」
りあむは嬉々として、それを観察することにする。
魚かと思われた細長いそれは、よくよく見ると魚とは異なる特徴を持っていることが分かった。
尾びれの部分が体に対して縦ではなく、横についている。
細かな脚が付いているが、あまり機能しているようには見えない。
全体的に透き通った体であり、中心部に骨らしきものが見当たらなかった。
代わりに、全身が殻のようなものでおおわれている。
「これ、甲殻類か。エビみたいな」
水中を器用に泳ぎ回っていたそれは、エビや昆虫などに近い外見をしていたのだ。
外骨格を持つそれは、しかし、りあむの知識にはないほど泳ぎに特化しているように見える。
「あの、これはなんていう名前なんですか?」
「かたい、こざかな」
「小魚?!」
「やわらかいのも、いる」
そういうと、リーダーは手にしていた「こざかな」をケンタに渡した。
再び泉の端に近づくと、また何かを掴み上げる。
りあむとケンタの前で開かれた手のひらに乗っていたのは、メダカによく似た小魚であった。
「やわらかい、こざかな」
「おおー。すっごい」
りあむは思わず、感動の声を上げる。
この世界全般で言えることかはわからないが、少なくともこの泉には二種類の「こざかな」がいるらしい。
一つは、甲殻類と思しきもの。
もう一つは、りあむもよく知る魚類と思しきものである。
魚と同じぐらい泳ぐのが得意な甲殻類、というのは、りあむの知識にはない。
元の世界にはいない種類のものではなかろうか。
と、りあむは考えた。
やはりこの世界では、りあむの常識は通用しない部分もある様だ。
「これをたべる、さかないる。おおきい。そのさかな、たべるどうぶつ、いる。みずのそこ、どうぶつたべるもの、いる」
「動物を食べるもの? どんなのです? それ」
りあむの疑問に、リーダーは泉の中心付近を指さした。
何かがいるようには見えなかったが、よくよく観察してみると、その姿が浮かび上がってくる。
水の底に張り付いている、甲殻な体を持った生き物だ。
砂地に体を少しうずめており、全体を確認することは出来ない。
見えている部分でいうと、甲殻に覆われた円盤のような体に、二つのハサミ。
まるでカニのように見えるが、それよりもっと丸っこい。
エイを固いからで覆い、爪を付ければ、丁度こんな形になる。
と言ったような外見であった。
「あれ、およぎ、とくい。そこのほうから、すいめんのとり。しょうどうぶつ。おそう。みずにひきずりこんで、たべる」
「肉食なんですか。あれ。結構大きいですよね?」
水の中に居るものなのでよくはわからないが、恐らく平均的なゴブリンの半分ぐらいだろうか。
凶悪そうな外見から、確かに危険な生き物らしいことがうかがえる。
「でも、あれってやっぱりゴブリンのことは襲わないんですかね?」
「ごぶりん、くそまずい。おそわれない」
ゴブリンのまずさは、ゴブリン達自身も認識しているレベルらしい。
「あれがおそうの、ちいさいどうぶつ。おおきいどうぶつ、おそわない」
どうやら、あの動物が襲うのはそもそも小さなものだけらしい。
二重の意味で、ゴブリン達にとって脅威とはならないようだ。
「なるほど。あ、それにあれか。動物を食べるんなら、なおさらゴブリンは襲われないのか」
そもそもゴブリンは、動物ではない。
植物である。
肉食生物がゴブリンを襲うことは無いのだ。
「すごいなぁ。ゴブリン」
りあむがリーダーから説明を受けている間に、ゴブリン達の作業が終わったらしい。
あとは、ゴブリンツリーのある洞窟へ向かうだけである。
数匹のゴブリンが、水をたっぷり吸った枝と葉を持つ。
その周りを、残りのゴブリン達が囲む。
運搬の為に両手がふさがっているゴブリン達を、守るためである。
初めて作業をするケンタは、護衛役を任されることとなった。
両手を使うことができなくなる運搬は、熟練を要する作業らしい。
森の中は足場も悪く、ものを持って歩くというのは、なるほど困難な作業と言っていいだろう。
よく見てみれば、枝と葉を運んでいるゴブリンは、ほかのゴブリンよりもたくましい気がする。
とはいっても、筋肉があるとか、身体が大きいといった意味ではない。
ゴブリンの肉体的最盛期は生まれた直後であり、その後は衰えていくだけである。
だが、身体を動かすための技術などは、経験の中で習得していくものであった。
身体能力こそ若いゴブリンの方が高いのだが、技術などは古いゴブリンの方が上なのだ。
その差を、りあむは「たくましさ」として感じ取った訳である。
「やっぱり歴戦のゴブリンは違うよね」
りあむはどこか満足げな様子で、ケンタに言った。
始めはほとんどわからなかったゴブリンの個体差が分かるようになってきて、うれしくて仕方が無いのだ。
まだ表情は読めないのだが、それもいつか分かるようになってみせようと、りあむは勢い込んでいる。
そんなりあむの心情を知ってか知らずか、ケンタはこくりと頷いた。
森を出るまでの道中では、特に変わったことはなかった。
小型の動物は時折見かけたものの、中型や大型のモンスターに襲われることもなく、森と荒れ地の境界へとやってくる。
ここで、りあむはふと枝と葉を持つゴブリンの方へと目を向けた。
そこで、何かしら違和感のようなものを覚える。
一体何がおかしいのだろうと首を捻っていたが、間もなくその正体に気が付いた。
スポンジのように膨らんでいたはずの葉っぱが、普通のサイズに戻っていたのだ。
いつの間にか、乾いてしまったのだろうか。
そう思ったりあむだったが、すぐに別のことに気が付く。
枝の折れた断面が、濡れているのだ。
ものによっては、そこから極々わずかずつ水滴が滴っている。
それを見て、りあむは「そういうことか」とつぶやいた。
おそらく、葉に貯えられた水は、枝の方へと吸収されたのだろう。
葉で雨を受け止め蓄え、そののちに枝を通して幹などに送るのかもしれない。
実際のところはわからないが、りあむはそう予想を立てた。
きっと、そう的外れな想像ではないだろう。
「世の中、変わった木があるんだねぇ」
りあむはそう、ケンタに話しかけた。
ケンタはりあむの方を振り向き、不思議そうに首を捻る。
「き、みたのはじめて。かわってるか、わからない」
言われて、りあむは「そっか。それもそうだね」と頷いた。
確かにその通りだろう。
なにしろケンタは、生まれたばかりなのだ。
変わっているも変わっていないも、見るものすべてが初めて見るモノなのである。
比べる対象を知らないのだから、変わっているも何もない。
そこで、りあむはふと、「それは自分も同じではないか」と思った。
考えてみれば、りあむはこの世界の「普通」を知らない。
前世の、地球の知識や常識は持ち合わせてはいるものの、この世界の「普通」はまるで知らないのだ。
ゴブリンツリーに生み出されてから、ケンタが完熟するまで、外に出たことはなかった。
と言うことは、この世界のことについては、りあむとケンタは同じ程度の知識しかもっていないことになる。
りあむがゴブリンツリーから教えられたことは、それに生っていたケンタも知識として持っているということだ。
これから先、りあむとケンタは一緒にこの世界のことを学んでいく、ということである。
「そっか。じゃあ、いっしょに勉強していこうな」
りあむがそういうと、ケンタはこくりと頷く。
どうしてだかそれがうれしく感じ、りあむはニコニコと笑顔を作るのであった。
森を出たところで、ゴブリン達は荒れ地を歩き始めた。
荷物を運ぶゴブリン達は、森の中以上に足元に気を使いながら歩いている。
聞けば、荒れ地は森の中以上に、歩きにくいのだという。
地面が固く、石などが多いため、足元をとられやすいらしいのだ。
これが、ほかの動物、例えば人間にも言えることなのかはわからない。
だが、少なくともゴブリンにとっては、森よりも荒れ地の方が歩きにくいのだそうだ。
「ごぶりん、しょくぶつ。もともとは、もりのもの。きっと。だから、もり、あるきやすい。あれち、あるきにくい。たぶん、そう」
そう言ったのは、リーダーであった。
ゴブリンは元々、森で生きているものだったのだろう。
だから、荒れ地よりも森の中の方が歩きやすいのではなかろうか。
と言うことらしい。
リーダーの考察に、りあむはなるほどと思わず納得してしまう。
少なくとも、破綻のない考えのように思えた。
ゴブリンツリーは光を必要とせず、代わりにゴブリン達に獲物をとってこさせることで生きている。
食虫植物のような生態を持つことで、生存競争の激しくない、厳しい環境でも育つことができるのだ。
だが、その生きるために必要な獲物は、森の中などで手に入れなければならない。
ゴブリンツリーが荒れ地などに根を下ろしていたとしても、ゴブリン達は森などの生物が多い場所へ行く必要がある。
ならば、生き物が少ない荒れ地よりも、森の中で動きやすい体になっている方が都合がいいに違いない。
「効率よく出来てるんだなぁ、ゴブリンの体って」
感心したようなりあむの声に、ケンタもこくりと頷いた。
未だにゴブリンの表情が読めないりあむだが、今のケンタの顔は、少し驚いているようにも見える。
なんとなくだが、りあむはケンタの表情が、少しだけわかってきたような気がした。
このせいかもしれないが、なんとなくでもわかった気になるというのは、りあむにとっては嬉しいことである。
そうこうしているうちに、ゴブリン達は洞窟の前へとたどり着いた。
警備をしているゴブリン達に挨拶をして、荷物を運ぶ役のゴブリン達が洞窟の中へと入っていく。
採集してきた枝と葉を、埋めに行ったのだ。
そのゴブリン達が戻ってくるのを待って、すぐさま件の「デカい木」を目指し、出発する。
休憩は必要ないらしく、どのゴブリンにも疲れの色などは見えない。
結局、採集はこの後二回行われ、合計で三回往復することとなった。
「木の記憶」が説明していた通りの回数である。
三回目の採集を終えると、リーダーは洞窟の前で待機するようにと指示を出した。
狩りに行っているゴブリン達が、まだ戻ってきていないのだ。
遅れているのかと思ったりあむだったが、どうやら採集の仕事が少し早く終わっただけだったらしい。
間もなく、森の方から、狩りに行っていたゴブリン達が戻ってくるのが見えた。
目を凝らして見ると、獲物らしきものを抱えている姿も見える。
りあむは目をよくよく凝らして、戻ってくるゴブリンの数を数えた。
狩りに行くゴブリン達の数を、りあむは事前に覚えておいたのだ。
どうやら、全てのゴブリンが無事に戻って来たらしい。
それを確認して、りあむはほっと胸を撫で下ろした。
「彼らが戻ってきたら、今度は俺達が狩りだね。足引っ張んないようにしような」
りあむがそういうと、ケンタは大きくうなずいた。
いささか、緊張の色が見て取れる。
それは、りあむも一緒だった。
ものを拾う採集と狩りとでは、危険度が大きく違ってくる。
緊張もしようと言うものだ。
それでも、遠くに見えるゴブリン達が戻ってくるまでには、覚悟を決めておかなければならない。
大丈夫、ケンタもいるんだし。
りあむは自分にそう言い聞かせ、ケンタの頭の上にあごを置いた。
特に触っている感触はないはずなのだが、ケンタはどこかむずがゆそうに肩をすくめる。
そんな姿を見て、りあむは思わず笑ってしまう。
ケンタがいることで、ずいぶん気が楽になっている。
それに感謝しながら、りあむは狩りに行ったゴブリン達の到着を待つのであった。