七話 「そっか。じゃあ、俺も一緒に行くよ。連れてってくれるかな?」
特別なゴブリン、ケンタが完熟したことで、りあむはようやく洞窟の外へ出ることができるようになった。
やり方は、既に「木の記憶」で調べてある。
まず、特別なゴブリンの後ろに回り、両肩に手を置く。
後は肩に掴まっている感覚を維持しつつ、ゴブリンの動きに身を任せる。
そうすると、精霊の体は勝手にゴブリンにくっ付いていく、らしい。
りあむはさっそく、試してみることにする。
ケンタの後ろに回り、その肩に掴まる。
「ケンタ、ちょっと歩いてみてくれるかな?」
りあむに言われ、ケンタはこくりと頷いた。
ゆっくりと歩き出すと、それに釣られるようにりあむの体が動き出す。
「おおー!」
全身が引っ張られているような、流れるプールに身をゆだねて流されているような、不思議な感覚だ。
りあむは思わず、はしゃいだような声を上げた。
何しろ、木の精霊になってからこっち、全く娯楽が無かったのだ。
休んだという実感もないし、ずーっと働きづめだった気さえする。
そんなときにもたらされた新たな不思議感覚は、りあむにとって十分娯楽になり得たのだ。
「面白いなこれー! すーって動く! あははは!」
なんだか楽しそうなりあむをちらりと見て、ケンタは歩く速度を少しずつ速めていった。
最後は走るような速度になるが、りあむの体は問題なくケンタにくっついていく。
「よし、もういいよケンタ! 有難う!」
ケンタは速度を緩め、りあむの方を振り向く。
満足そうな様子のりあむは、目を輝かせながら何度も頷く。
「なんかいいな、コレ! 走ってるときも特にきついとか感じなかったし!」
走っているときも止まったときも、特に強い抵抗は感じなかった。
激しく動いているときに振り払われる、等と言った心配はなさそうだ。
これなら、一緒に行っても問題なさそうである。
「この後は、外にいるゴブリン達と合流するんだっけ」
りあむの言葉に、ケンタはこくりと頷く。
ゴブリンは木になっている間に、ある程度の知識をゴブリンツリーから与えられている。
完熟して地面に落ちた直ぐ後でも、自分が何をすべきなのかわかるのだ。
「そとに、ごぶりんいる。そこへいく。しごと、いっしょにする」
「そっか。じゃあ、俺も一緒に行くよ。連れてってくれるかな?」
りあむの問いかけに、ケンタはこくりと頷いた。
嬉しそうな笑顔を作ると、りあむはさっそくケンタの後ろに回り、肩に手を置く。
ちらりと後ろを振り向いてそれを確認したケンタは、早速というように洞窟の出入り口である穴に向かって歩き出す。
りあむにとっても、ゴブリンにとっても、初めての外の世界だ。
不安もあったが、どちらかというと楽しみな気持ちが強い。
「いかん、いかん。気合を入れて行かないと」
そうつぶやいて、りあむは大きく首を振った。
遊びに行くわけではないのだ。
ケンタ達ゴブリンにとっては、危険な世界への第一歩でもある。
りあむは木の精霊であり、その役割はゴブリン達に指示を出すこと。
それは、命を預かるということに他ならない。
浮かれている場合ではないのだ。
気持ちを切り替え、りあむは引き締まった表情を作る。
ケンタはそれを見ながら、不思議そうに首を捻った。
一人でころころと表情を変えているりあむを見て、思うところがあるのかもしれない。
だが、取り立てて口に出すつもりはないようだ。
洞窟の中を進んでいると、その先に光が見えてきた。
どうやら、外へたどり着いたようである。
りあむは緊張と期待の入り混じった表情で、僅かに体を強張らせるのであった。
洞窟の外は、まさに荒れ地と言った風情であった。
荒涼としていて、植物などはちらほらと見受けられる程度。
ところどころ地面が黒く見える場所は、よく見れば水があるらしいことが分かる。
だが、全体的には乾いた土と岩があるばかりであり、生物の気配はほとんど感じられない。
洞窟の方へ目を向ければ、岩山があるのが分かる。
山脈の一部、といった感じだろうか。
横に長く伸びた山々は、まるで地面を寸断するようになっている。
斜面は中々にきつく、登るにはなかなか苦労しそうだ。
一部崖のように切り立っている場所があるのだが、恐らくそこが、ゴブリンツリーの真上にあたるのだろう。
再び荒野の方へ目を向け、今度は遠くの方へと視線を投げる。
洞窟の出入り口である穴は、少し小高いところにあるらしく、かなり遠くまで見渡せた。
目に映るのは、一面の緑だ。
延々と続く森林は、霞んで見えなくなるずっと先まで続いている。
りあむにとって、初めて見る地平線であった。
あまりに広大な景色に、りあむは思わずため息を吐く。
りあむが景色に気を取られている間に、ケンタはきょろきょろと洞窟の周囲を見回していた。
目当てのものは、すぐに見つかる。
洞窟の周囲を囲むよう、等間隔で立っているゴブリン達だ。
彼らは、洞窟を護衛しているゴブリン達だろう。
りあむとケンタを指さし、なにやら声を掛け合っている。
「りあむ、どうくつでた。なぜだ」
「トクベツなごぶりん」
「じゅくしたごぶりん、とくべつなごぶりん。そとにでられる」
ゴブリンツリーが特別なゴブリンを作っている、という話は、りあむからゴブリン達へ説明されていた。
そのゴブリンが熟したら、外へ出る予定だということももちろん話している。
外へでてきたりあむと見慣れないゴブリンの姿と、そういった情報から、護衛のゴブリン達は素早く状況を判断したのだ。
ケンタはゴブリン達を観察し、一番長く生きているであろう個体を見つけ出す。
古いゴブリンを見分けるのは、そう難しいことではない。
緑が鮮やかなゴブリンほど新しく、茶色みがかるほどに古い個体になる。
寿命近くまで生き残った個体は茶色一色に近い色味になるのだ、そこまで生きる個体はまずいない。
護衛をしている中で一番古いであろうゴブリンも、ほかに比べれば緑が褪せている、といった程度のものだった。
ケンタは一番古いと思われるそのゴブリンに近づくと、片手を上げて挨拶する。
相手のゴブリンも、同じように片手を上げた。
ついで、ケンタは周りのゴブリン一匹ずつに顔を向け、片手を上げる挨拶をしていく。
周りのゴブリン達も、やはりそれを返した。
それまで景色に圧倒されていたりあむも、ようやくゴブリン達が挨拶をしているのに気が付いたのだろう。
慌てた様子で、挨拶をする。
それが終わったタイミングを見計らって、ケンタは古いゴブリンに話しかけた。
「さっき、じゅくしておちた。ちーむに、ごうりゅうする」
「わかった。わたし、ちーむのりーだー」
「めいれいけんに、ふくする」
チームというのは、一緒に行動するゴブリン達の集団のことを指している。
なので、おおよそ三交代制で活動するゴブリン達は、三つのチームに分かれていた。
そのうちの一つが、今、洞窟の警備にあたっている彼らであり、そのリーダーがこの古いゴブリンという訳だ。
リーダーは、チームの中で一番経験豊富なゴブリンが選ばれる。
大抵の場合は、チームで最古参のゴブリンが選ばれるものであった。
このチームでも、やはりそうであったようだ。
「あ、事前に説明してましたけど、私はケンタにくっついて皆さんの活動を見学させて頂きますので。よろしくお願いします」
おずおずとした様子で言うりあむに、古いゴブリン、リーダーは大きくうなずいて見せた。
ゴブリン達から話を聞くついでに、りあむは事前に今後の予定を伝えていたのだ。
その時に、狩りなどの仕事への同行許可も取ってあった。
断られるかと思ったりあむだったが、どのゴブリンもあっさり承諾してくれている。
少し拍子抜けしたが、彼らの働きは、ゴブリンツリーの今後に直結しているのだ。
邪魔にだけはならないようにしようと、りあむは考えていた。
なんでゴブリン達には敬語で、ケンタには敬語を使っていないのだろう。
と、りあむは我が事ながら疑問に感じた。
数秒考え、恐らく生まれの順番によるものだろうと、りあむは答えを出す。
ケンタ以外のゴブリン達は、りあむよりも先にゴブリンツリーから生み出されている。
先輩であり、言ってみれば兄姉にあたるのだ。
一方ケンタは、りあむよりも後に生まれているので、弟妹にあたる。
そのあたりのことが、無意識下に影響を及ぼしているのかもしれない。
単に日本人的な「初めての人には敬語」精神が出ているのかもしれいないが、まあ、その辺はどっちでもいいだろう。
とりあえず、今後は「先輩には敬語」「後輩にはため口」で行こうと決めるりあむであった。
「いまは、ごえいしてる。まわり、みはる」
「わかった」
リーダーの指示に従い、ケンタは入り口から少し離れた場所へと向かった。
ゴブリン達の配置は、洞窟の入り口から等間隔の半円状になっている。
洞窟の出入り口から同心円状に線を引き、その上に等間隔でゴブリンが立っている状態だ。
ゴブリン達が立ってるのは森側だけで、山側には配置されていなかった。
急勾配になっているので、配置する必要が無いからだ。
そちらから敵が襲ってくることは無いだろうし、もし襲ってきたとしても、遮るものが無いのですぐに発見することができるのだろう。
ケンタが立ったのは、山側に近い場所であった。
二匹ほど隣には、山の側面がある。
黙って周囲を監視するケンタとは対照的に、りあむはきょろきょろとせわしなく周りを見回していた。
「はぁー。やっぱすっごい広大だなぁ」
改めて見ると、山の連なりはかなり遠くまで続いていることが分かった。
荒野は、それに沿うような形で伸びている。
森の方も、同じような形だ。
荒野と森の境目は、まるで線でも引いたようにキレイに分かれていた。
境目は山の連なりと平行になっており、それを見たりあむは不思議そうに首をかしげる。
「何で植物が生えてないんだ? やっぱり何か原因があるのかな」
大きな樹木が生えなくても、草原位は広がってもいいのではなかろうか。
水場のような場所もあるのだから、植物の生育環境として問題はなさそうに、りあむの目には映る。
そもそも、少し離れたところには森が見えているのだ。
山に向かって侵食してきてもよさそうなものだと思うのだが。
「ま、考えたってわかんないか。そういうのは専門家に任せよう。うん」
りあむは早々に、悩むのをやめた。
考えても分からなさそうだし、それよりも今はゴブリン達のことを見学しなければならない。
そのために、洞窟から出てきたのだ。
気合を入れ直したりあむは、改めて周囲を見回し、目当てのものを探し始めた。
洞窟の出入り口近くにあるという、水が染み出しているという場所だ。
情報源はもちろん、ゴブリン達である。
近くにある水場について聞いたときに、存在を教えてもらったのだ。
「あれかな? なんか湿ってるっぽいし」
それは、洞窟の出入り口から少し離れた、山の斜面にあった。
影のようになっている場所のすぐ下で、その周囲だけ黒く湿っているように見える。
距離があるのでそれ以上詳しくはわからない。
だが、ゴブリン達の話では、浅い沢のようになっているそうだ。
あまり深くないので水をくむことができず、水場としては使えないらしい。
それでも、りあむはその場所を一度確認してみたいと思っていた。
ゴブリン達が見て「使えない」と判断した場所でも、りあむから見れば違うかもしれないと考えたからだ。
こればかりは、実際に行ってみるしかないだろう。
とはいえ、今は行ってみるわけにもいかない。
ケンタに頼めば見に行ってくれるだろうが、しばらくはゴブリン達の仕事を見学する予定なのだ。
基本的なことが分からなければ、この先何を改善できるかなど、わかる訳もない。
とりあえず、今後見に行きたい場所として、水の湧いている場所を心に留めておく。
「さて。そっちはいいとして。こっちか」
ついで、りあむはゴブリン達の方へと目を向けた。
警護にあたっているゴブリン達の様子を、確認するためだ。
「木の記憶」には、特に危険はなく、警備というより休憩としての意味が強いというようなことが書いてあった。
だが、ゴブリン達は皆真剣に警備をしているように見える。
「めちゃめちゃ真剣な表情だもんなぁ。ん? いや、まてよ。表情?」
りあむは、ケンタの顔をじーっと見据えた。
そして、隣に立っているゴブリンの顔へと視線を向ける。
更に別のゴブリンの顔にも目を向け、ケンタの顔と交互に見比べていく。
しばらくそうしていたりあむだったが、何事か頷きながら納得した様子でつぶやいた。
「ダメだ。ぜんっぜん表情が読めない。何考えてるかわかんないじゃん、これ」
ゴブリンは、大体いっつも同じような顔をしており、そもそも表情が変わるようなことが極端に少なかったのだ。
多少眉をしかめるようなことはある。
だが、笑ったり怒ったりと言った、大きな変化はほぼほぼないのだ。
ただでさえそうなのに、「退屈そう」とか「真剣」と言った細かなところが、読み取れるわけもなかった。
もしかしたら、見慣れてくればある程度は読み取れるようになるのかもしれない。
しかし、少なくとも今のりあむには、それは難しいようであった。
「あーもー。ゴブリンの個体差ぐらいなら、顔見ればわかるのになぁ」
りあむはぼやくように呟くと、考え込むように唸った。
ここ数日で、りあむは顔だけでゴブリンの見分けがつくようになっていたのだ。
ゴブリンツリーの所へ来たゴブリン達と会話をし続けた、成果である。
ちなみに、ゴブリン達の顔の造形の違いは、普通の人間には見分けのつかないものであった。
人間から見ればどれもこれも似通っており、ゴブリンの専門家でもない限り判別をつけるのは不可能なレベルだ。
もちろん、ゴブリン同士であれば、見分けは簡単につけることができる。
同じ人間でも人種が違えば顔の判別が難しい、というアレに近い感覚だろうか。
そういった意味で、りあむの感覚はすっかりゴブリンのそれに近づいていると言って良いだろう。
にもかかわらず、未だにりあむにはゴブリンの表情変化がいまいち掴めないのだ。
ことほど左様に、ゴブリンの表情は読みにくいものなのである。
「うーん。あ、そうだ。ねぇ、ケンタ。ちょっと笑ってみてくれる?」
りむに促され、ケンタは首を傾げた。
だが、特に文句も言わず、りあむの方へ顔を向ける。
りあむはその顔をじーっと観察するが、特に変化は感じられなかった。
「え、今、笑ってるの?」
「わらっている」
ケンタの自己申告を信じてもう一度観察するが、違いが分からない。
試しに、隣のゴブリンに声をかけてみる。
「あの、彼って笑ってるように見えます?」
「すごい、えがおだ」
どうやら、本当に笑っているらしい。
確認をしてくれたゴブリンと、ケンタの顔を見比べてみるりあむだった、が。
やはり違いは感じられない。
ゴブリンの表情を読むというのは、どうやらりあむにとっては中々に困難な作業の様だ。
りあむが唸りながらゴブリン達の顔を覗き込む、という作業をしていると、ふと視界の端に白い靄のようなものが飛び込んできた。
一体なんだろうと思い、りあむはそちらの方へ顔を向ける。
「うをぉう!?」
そして、思わず驚きの声を上げてしまった。
視線の先にあったのは、身体の各所から湯気を立ち昇らせているゴブリンがいたのだ。
「え? な、マジか。うっそ、え? そ、それ、え、どうなってるのそれ」
「けが、なおしてる。なおるとき、ゆげでる」
混乱するりあむに、隣に立っているゴブリンが親切に教えてくれた。
言われて、りあむはよくよく目を凝らしてみる。
すると、湯気が出ているの箇所は、切り傷や擦り傷といった、傷口のようになっているのが分かった。
じっと観察していると、徐々に傷口はふさがっていき、それに応じて湯気の量も少なくなっていく。
それだけ見ていると怪奇現象じみた何かを感じるが、りあむはそれに心当たりがあった。
「木の記憶」に書かれていた、傷を治すうんぬんというくだりだ。
「警護をしているときに傷を治すって言ってたけど。こんな感じだったのか」
実際には「治す」というより「塞ぐ」といったイメージらしいのだが、見た目的な違いはりあむにはわからなかった。
それにしても、なぜ湯気が上がっているのか。
「あれって、どうなってるんです?」
「けがふさぐ。ゆげが、たくさんでる。みず、ほしくなる」
どうやら、ゴブリンは怪我を治そうとすると、湯気が出るらしい。
そして、水がほしくなるようだ。
恐らくあの湯気は、水蒸気の類なのだろう。
急速に傷口を塞ぐために、大量の水を消費するらしい。
水が欲しくなるというのは、恐らくその影響だろう。
「栄養と魔力を消費して回復するって言ってたけど、水も消費するのか」
水場は、森の中にあるらしい。
傷を塞ぐのに水を使うのであれば、洞窟の近くに水場があるのが理想的ではあるのだろう。
だが、残念ながらそういった場所はなさそうである。
先ほど見付けた水が染み出している場所を何とかすれば、水場として利用できるようになるかもしれない。
水は、ゴブリン達が使うだけではなく、ゴブリンツリーにも必要なものである。
森の中からではなく、洞窟の近くで水を手に入れられるようになれば、ゴブリン達はずいぶん楽になるはずだ。
「見学始めて早々、課題一つだね。幸先がいいんだか悪いんだか」
りあむが苦笑交じりにそういうと、ケンタは振り返って首を傾げた。
その様子が面白く、りあむの笑いが苦笑から楽しそうなものに変わる。
「まあ、ボチボチやるしかないか、とりあえずは。いっしょに頑張ろうね」
りあむがそういうと、ケンタはゆっくりと頷いた。
それを見たりあむは、満足げに何度も頷く。
ひとまずは、狩りや採集へ出かけているゴブリン達を待つしかない。
その間にヒマだからと、りあむはゴブリン達に話しかけることにした。
話しかければ、どのゴブリンも律儀に言葉を返してくれる。
片言でつたない発音だが、彼らは案外おしゃべりが多いのだ。
リーダーも、時々りあむに声をかけてくれる。
そうしている間にも警戒を怠らないのは、ゴブリン達の素晴らしい美点と言ってよいだろう。
りあむとゴブリン達の会話を、ケンタは黙って聞いている。
意外におしゃべりなりあむと、寡黙なケンタ。
彼らは案外、丁度いい組み合わせなのかもしれない。
りあむとゴブリン達との会話は、採集を行っていたゴブリン達と仕事を交代するまで続いたのであった。
やっとこさ七話
今後はボチボチ書いていく予定ですよっと!