三話 「ママじゃなくて、せめてりあむって呼んでくれよ。りあむって」
あなたは、突然ゴブリンっぽいなにかに「ママ」と呼ばれて、テンパっていますね?
開いたページの最初の一文が、それである。
確かにテンパっている訳だが、「木の記憶」という本っぽい何かにそれを指摘されると腹が立つな。
と、りあむは思った。
腹立ちまぎれに「木の記憶」をぶん投げてやろうかとも思ったが、ぐっとこらえる。
今は「木の記憶」しか頼る相手がいないのだ。
りあむは意を決して、続きを読み始めた。
ですが、焦る心配はありません。
実際、あなたは彼らのママなのです。
なので、襲われたりする心配もありません。
むしろ、守ってくれます。
一体どういうことなのか。
順を追って説明しましょう。
あなたは、食虫植物というのを知っていますね?
大まかに言えば、「虫や小動物を捕まえ、栄養にする植物」です。
実はあなたと私の本体でもある木は、その食虫植物の一種なのです。
食虫植物には、獲物を捕まえるための特殊な構造がありますよね。
この木の特殊な構造とは、いったい何なのでしょうか。
もう、察しがついたかもしれません。
その通り、あなたの目の前にいるゴブリン達こそが、「獲物を捕らえるための特殊な構造」なのです。
「マジかよ……」
読んでいるうちに嫌な予感はしていたものの、改めて突きつけられると中々にこたえる。
りあむは片手で頭を掻きむしりながらも、続きを読み進めていく。
木に、ナスのような実がなっていますね?
その中に、ゴブリンが収まっています。
ゴブリンが完全に熟れ、行動可能になると、実は落ち、中からゴブリンが現れます。
ゴブリン達は洞窟を通って外へ行き、獲物を取ってきます。
枯草であったり、昆虫であったり、小動物であったり。
時には、中型の動物であることもあります。
ゴブリン達はそれらを、木の根元にまいたり、埋めたりします。
木はその栄養によって、生き、成長するのです。
あなたも見てわかるように、この洞窟は育成に良い場所とは言えません。
光も少なく、土には栄養もほとんどありません。
生きていくためには、ゴブリン達がとって来る獲物が、必要不可欠なのです。
「獲物って……」
りあむは顔を上げ、恐る恐るゴブリン達の方へ視線を向ける。
ゴブリン達は、地面に穴を掘っていた。
手で器用に穴を掘り、そこにほかのゴブリンが手に持っているものを入れている。
目を凝らしてよく見れば、手のひら大の虫が十数匹はいるようだった。
嫌悪感を覚えそうなものだが、不思議と気持ち悪いなどと言った感情は湧いてこない。
もしかしたら、精霊になった影響だろうか。
ゴブリン達の様子を眺めていたりあむだったが、別の疑問に思い至り、「木の記憶」に視線を戻した。
「獲物って、動物は必要なの? 草とか動物のフンで十分なんじゃ?」
りあむの疑問に、「木の記憶」が光り始める。
慌てて、そのページを開いた。
この木は、実は日の光をあまり必要としません。
だからこそ、こんな洞窟でも生きていけるんですね。
ですが、代わりに別のモノを必要とするようになりました。
それは、魔力です。
魔力とは、この世界にあるエネルギーの一種です。
あなたが住んでいた宇宙には、存在しない。
あるいは、あなたの知識の中では「現実にはあり得ない」力です。
木はそのエネルギーを使い、生命活動を維持しているわけです。
魔力は、多く持つ生物が限られています。
植物にも魔力は宿っていますが、あまり多いとは言えません。
その点、昆虫や動物は、豊富に持っている場合が多いのです。
また、魔力を持つ生物は、特殊な能力を持つ場合が殆どです。
「生きるためには魔力が必要で、魔力を得るためには動物なんかを取ってくる必要があるってことか。なんて木だよ、チクショウ」
りあむは「木の記憶」を空中に置くと、両手で頭を掻きむしる。
木の精霊に転生するとは聞いていたが、まさかこんな木だとは思わなかった。
もし知っていたら、どうしていただろう。
「いや、知ってても変わらないか」
あの不動産屋のような場所で、自分が精霊になるのが、どんな木なのか聞いていたとしよう。
それでも、やはりりあむは転生すると言っていたはずだ。
でなければ、りあむの記憶は消えていただろう。
死ぬか、ゴブリンの成る木の精霊になるか、どちらかを選ぶとするならば。
やはりりあむは、木の精霊になることを選んでいた。
「とはいえ、覚悟が出来なかったのはちょっときっついわ」
溜息を洩らしながら、りあむは木の枝に座り込んだ。
どうしたものかと考えるが、なにをどう考えていいのかもわからない。
混乱のさなか、と言った状態である。
そんなりあむを、虫を埋め終わったゴブリン達が見上げていた。
お互いに顔を見合わせていたゴブリン達の一匹が、首をかしげながらりあむに声をかける。
「まっま」
「ママじゃなくて、せめてりあむって呼んでくれよ。りあむって」
りあむは思わず苦笑しながら、疲れたような声を出した。
声をかけてきたゴブリンは、今度は反対側に首をかしげる。
そして、りあむのことを指さし、もう一度口を開いた。
「りあむ」
「そうそう。りあむ。りあ、え? り、りあ、え? ちょっ、ちょっとまって。喋るの!?」
りあむは思わず木の枝から滑り落ち、慌てて空中で体勢を立て直した。
ゴブリンが喋るとは思っていなかったからだ。
しかも、りあむのことを指さして「りあむ」と言っているではないか。
これは、こちらの言葉を理解しているということなのでは。
りあむは頭を振って、何とか自分を落ち着けようと深呼吸をする。
が、精霊だからだろう、息を吸えている感じはしなかった。
それでも、「深呼吸をする」という動作自体の効果で、りあむは僅かながら落ち着きを取り戻す。
「落ち着け、俺。そうだ、そもそも喋ってたんだよ、ママって。ってことは、言葉はしゃべるってことだよ。しゃべるってことは、俺の言ってることだってわかったっておかしくない」
そこまで口に出してから、りあむは眉間にしわを寄せた。
本当に、言葉が分かっているのだろうか。
オウム返しにしているだけで、意味は分かっていないのでは。
確認するべく、りあむは枝から降りて、ゴブリンの方へと少しだけ近づいてみた。
「えーっと、これは?」
言いながら、りあむは自分を指さす。
ゴブリン達は一斉にりあむを指さし、それぞれに口を開いた。
「まま」
「まま、ちがう。りあむ」
「りあーむ」
「りあむ」
「おい、マジかよ。さっきのやり取りで覚えたってことか」
次いで、りあむはゴブリン達のことを指さす。
ゴブリン達はそれに合わせるように、自分達を指さした。
「ごぶりん」
「われわれ、ごぶりん」
「ふくすういる。ごぶりん」
「なんで微妙に偉そうなワードが出てくるんだ。いや、そんなことはどうでもいいわ。じゃあ、あれは?」
言いながら、りあむは木の方を指さす。
「き。まもる、もの」
「ごぶりん、うまれる」
「えいよう、とってくる」
「守るべきもので、自分達が生まれる所であり、養うべきものってことか。すげぇ。ゴブリンって賢かったのか。いや、この世界のゴブリンが賢いのか?」
ゴブリン達の返答を聞いて、りあむは考え込むように腕を組んだ。
りあむの零した言葉に、ゴブリン達は照れくさそうにはにかんでいる。
どうやら、賢いという言葉がうれしかったようだ。
「いや、まてよ。そもそもどうしてゴブリンの言葉が分かるんだ? ゴブリンが日本語を理解してるってこと? んなことあるか? いや、っていうかそもそも、しゃべってるのって日本語なのか?」
りあむは慌てて、「木の記憶」の下へと戻った。
やはり一部のページが輝いており、急いでそこを開く。
ゴブリン達が喋っている言語は、ゴブリン達独自の言葉です。
もちろん、あなたが喋っているのもゴブリン語です。
日本語もあなたの中に残っているでしょうが、かなり過去の記憶的なものになっており、思い出すのが困難かもしれません。
言われてみれば確かに、口に出しているのも考えるときに使っているのも、日本語ではなかった。
今のりあむにとって日本語とは、「よくよく思い出せば、使えるような気がする言語」になっているのだ。
少々寂しい気持ちにはなるが、それ自体に支障はない。
何せ、日本語で話さなければいけない相手がいないのである。
寂しさはあるものの、今は感傷に浸るよりも大切なことがあるのだ。
「そうだ、ゴブリン達ってどのぐらい頭いいんだ? あと、武器は使えるかとか」
すぐにページが輝き、りあむはそこを開いた。
基準が難しいだけに、どのぐらいというのは難しいでしょう。
ただ、言葉を理解し、ある程度の長期記憶を持ち、武器の使用を学習する程度の知能はあります。
人間でいうと、三歳から四歳。
動物でいうところの、チンパンジーやゴリラ、豚やイルカ程度の能力があるものと思って構いません。
また、仲間意識が強く、群れを作り、集団で狩りをすることも覚えるので、ある意味ではそれ以上と考えてもいいでしょう。
これはかなりすごいことなのですが、逆に言えば、そのぐらいじゃないとこの世界では生き残れないということも意味しています。
恐ろしい世界ですね。
それと、武器についてですが。
こん棒や石など、簡単な鈍器を使うことは出来るでしょう。
ですが、新しい武器を作るのは難しいでしょう。
「チンパンジーやブタって。あれって相当頭いいはずだよな。それで社会性もあって武器も使えるってかなりすごいはずだぞ」
だが、それぐらいでないと生き残れない、らしい。
剣と魔法の世界だという話だが、かなり厳しい世界なのだろう。
りあむは、思わずため息を吐いた。
木の精霊というから、ぼうっとしていればよいと思っていたのだが。
どうもそういう訳にもいかないらしい。
「にしたって、何をどうすりゃいいんだ、これ」
何かをしなければいけないのだろうが、その何かが分からない。
どうしたものかと頭を抱えるりあむに、ゴブリン達が声をかけてきた。
「りあむ。われわれ、かりにいく」
「むし、しょうどぶつ、とってくる」
「ちいさいやつ、ねらう。あと、くさ」
「あ、そうか。そうだよな、そうしてもらわないといけないんだ」
ゴブリン達はりあむに向かって片手を上げると、外へとつながっているらしい洞窟へと入っていく。
りあむはゴブリンに倣い、片手を上げてその姿を見送る。
「気を付けてー。なんか、怪我とかしないようにねー!」
ゴブリン達は振り返り、片手を上げてりあむに答えた。
姿が見えなくなるまで見送ってから、りあむは「木の記憶」を抱えて枝に座り込んだ。
「当面の目標を考えなきゃなぁ。まず、なにをしなくちゃいけないのかが分からないし」
ゴブリンの木の精霊としての、りあむの役割。
それが分からないことには、どうにもしようがない。
知識を得るためには、「木の記憶」に質問する必要がある。
まずは何を質問すべきだろう。
「知識を得るための質問をするために、質問の内容を考えなくちゃいけないのか。なんかどっと疲れて来たわ」
それでも、何もしないわけにもいかない。
木の精霊の役目を早く知り、それを果たさなければならないのだ。
でなければ、木が枯れることになってしまうかもしれない。
それはりあむにとって、二度目の死が訪れるということを意味する。
「やだなぁ、それは」
りあむは両手で顔を叩くと、気合を入れ直す。
そして、改めて「木の記憶」を顔の前に持ち上げる。
表情を改めると、最初の質問を考え始めるのであった。