プロローグ
ここはとある世界のとある大陸のとある魔王城。
城門の左右には石像の悪魔が見張りとして目を輝かせ、
城内へ続く庭には毒の沼や地雷式の魔方陣などの罠がふんだんに設置されており、
庭を超えた先にある黒い城は7階層に分かれ、各階層に魔王直属の幹部達が配置され、
そして城の最上階である第7層には魔王が待ち受ける、
まさに魔王城の中の魔王城。
そんな魔王城の最上階、謁見の間の、王が収まるべき椅子の上に、1人の男が鎮座していた。
膝まで伸びた漆黒の髪、漆黒の肌、側頭部からは羊のような漆黒の角が生えており、眼は赤く、瞳は漆黒だ。
体躯は2メートルを超え、身に纏う漆黒の鎧の下には、鍛え、絞り上げられた体が垣間見得る。背には自身ほどの大きさをもつ、巨大な漆黒の大剣を背負っている。
くどいくらいの漆黒に包まれたその男こそ、現魔王。
一万年生きた魔王【ルーヴェルト・グランツハイム】である。
「……いや、暇すぎるだろ!」
ルーヴェルトは唐突にそう叫んだ。
すると、謁見の間の門が開かれ、一人の女性が入って来た。
「ルーヴェルト様、魔王の仕事は勇者が来るまで玉座に座っていることですよ。」
謁見の間には玉座に座るルーヴェルトただ一人だけであったが、扉の外にも聞こえていたようだ。
ルーヴェルトとしては独り言のつもりだった。
しかし、その独り言に扉から入ってきた女性が答えた。
「ん? ああ、リリエッタかよ。」
ルシフェルの独り言に答えた彼女は、
魔王城の第4層を守護する悪魔、
白き絶影【リリエッタ・エスピサロ】である。
腰まで届く白い髪、白い肌、額から突き出た白い一角、それに反するように眼は黒く、瞳は赤色だ。
背丈は魔族にしては小柄な175センチほどで、線は細く、胸は小さい。絹でできた純白のローブを着ており、ローブには繊細な赤い刺繍が施されている。
「勇者が来るまで椅子に座ってろとかそれどんな拷問だよ! 痔になるわ!」
「ですが、勇者が艱難辛苦を乗り越えて魔王様のもとにたどり着いたのに"留守でした"では落胆を通り越してもはや恥ずかしいかと。」
「そんなもんアポとってなかった勇者が悪いだろ! 最低でも一週間前までにはあなたを殺しに行きますという旨の手紙くらい寄越せってんだよ。」
「それでは恐れをなして魔王様がお逃げになられるかもしれないじゃないですか。魔王エスケープですよ。」
「あれ、リリエッタ、お前、今、俺様のこと馬鹿にした?」
「うふふ、冗談ですよ。最強のルーヴェルト様が逃げる必要などありませんよね。」
「分かってんならそれでいい…。で、なんか用なんだろ?」
「人族の動向についてご報告に参りました。」
現在魔王率いる魔族と、人族は戦争中である。
現在、というより5000年以上前からだ。
もはや戦争のきっかけなどお互いに忘れているだろうが、ルーヴェルトの先代の魔王の時代から、今日に至るまで、休戦を幾度となく挟みながらも戦争が続いている。
「申せ…。」
ルーヴェルトはリリエッタに報告を促した。
そして、リリエッタは手元の資料を眺めながら報告を始めた。
「現在魔王軍の第五部隊が人族の国境にあるブエナ砦にて交戦中。戦況は芳しくないですが、第八部隊を増援に向かわせたのでいずれ陥落するでしょう。」
「ぬ、ブエナ砦は貴様が落としたのではなかったか…?」
「それは700年前の第4次人魔大戦ですね。現在は第5次人魔対戦なので、休戦中に立て直したのでしょう」
「そうであったか…。我と幹部共でじゃんけんをし、負けたものがブエナ砦を落とすという余興をしたのも700年も前になるか…。」
「まさか最初はグーがローカルルールだとは思いもしませんでした…。ルーヴェルト様も他の幹部も最初はパーをまるで打ち合わせしたかのように出してきたときは私を嵌めようとしているのかと思ったくらいですよ。」
「うむ、最初はグーはローカルルールだからな…。」
「ええ、己の見分の狭さを反省しましたよ。」
「…。」
「ルーヴェルト様? お体が震えてらっしゃるようですが大丈夫ですか?」
ルーヴェルトは、爆笑するのを堪えていた。
「気にするな…。」
無論、最初はグーはローカルルールではなく、ルーヴェルトがリリエッタを嵌めるために他の幹部と事前に打ち合わせしていたのだが、ルーヴェルトと幹部達の間で生真面目な天然扱いされているリリエッタはそれを信じてしまっていた。
「それと、人族領にて、新たな勇者が誕生した模様です」
「ほう…。」
勇者は、生まれながらにして体の一部に剣のアザを持ち、凄まじい潜在能力を秘めている。
大抵の場合、その勇者となった者は成長後に圧倒的な戦闘力を発揮し、魔王軍に大打撃を与える。
しかし、その勇者といえども魔王を倒すには至らない。
歴代勇者の中で、最も強いとされた初代勇者以降、魔王を倒せた者はいない。
なぜなら、初代勇者が倒した魔王以降は、魔族最強と謳われる現魔王ルーヴェルトが魔王の座に君臨しているからである。
「して、今代の勇者は我を殺せるのか…?」
ルーヴェルトは、魔王の椅子に座った瞬間から、今現在に至るまで、1度も敗北したことはない。
過去、3度勇者と一戦を交えたルーヴェルトだが、勇者の、人族最高戦力である者の圧倒的な力をもってしても、ルーヴェルトの体に傷を負わせることすら出来なかったのだ。
故に、魔王は落胆していた。
魔族のほとんどは戦闘意欲が強い傾向にある。魔王もその例にもれない。
つまり、ルーヴェルトはここ5000年以上もの間、自分より圧倒的に弱いものとしか戦ったことがなかった。それによって魔王が得たものは「退屈」である。
5000年もの間、魔王は退屈であり続けた。
強いものが生まれてくる可能性に掛け、あえて人族領を完全に支配することもなかった。常に人族にとっての最強の敵であり続けた。
しかし、とうとう現在に至るまで魔王の退屈を晴らす者は現れなかった。
だから、ダメ元である。
答えは分かっているが、訊かずにはいられなかった。
その勇者とは、自分の退屈を晴らす者なのかどうかと。
その意図を理解していたリリエッタは、申し訳なさそうな顔をして言った。
「まだ確定ではありませんが、おそらく、このまま成長したとしても、今までの勇者と大差ない力しか身につけないでしょう。」
「そうか…。」
ルーヴェルトは短く答えた。
それと同時に、
「なら、仕方ないな…。」
「え?」
ルーヴェルトはある決意をしていた。
もし今代において、自分を殺せるほどの力を持った者が現れなかったら、「自殺」をしようと。
「リリエッタ、今すぐ人族領へ向かうぞ…。」
「……人族領...ですか?」
リリエッタの頭に過ぎったのは、ルーヴェルトの圧倒的暴力によって滅ぶ人族領の姿であった。
リリエッタは、業を煮やしたルーヴェルトが人族を滅ぼすことを決意したのだと愚考した。
しかし、それは過ちである。
「誕生した勇者が魔王を殺せぬなら、」
魔王は決意したのだ。
「我が魔王を殺せる勇者を育ててやろう…。」
自らを殺す者を、自らが育てることを。