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改札を抜け、自宅を目指しながら私が考えていた事は、今夜の夕食をどう済まそうかという事だった。この時間では自炊する気も起きない。冷蔵庫の中身を思い出すけれど、碌なものは無かったはずだ。私は吸い寄せられるようにコンビニエンスストアに入り、お弁当と缶チューハイを買って外へ出た。夜の冷えた空気で耳と指の先が痛い。吐く息は白く、すぐに景色に溶けて消えた。
自宅に戻り、缶チューハイを空けながらお弁当をもそもそと食べる。私、上条加奈は申し訳が立たない位、平凡な人間だった。社会人になって3年目、延々と会社と自宅を往復する日々。要領は良いとは言えず、人手不足というのもあるけれど、残業続きで帰宅が深夜になるのは半ば当たり前になってきてしまっている。そんな生活だから疲れも溜まって、せっかくの休日も自宅に籠って睡眠に回すような有様だった。
……生活に潤いが欲しいなぁ。今度の土曜日は、どこかに出かけようかな。
あっと言う間に過ぎていく日々は変化に乏しくて、このままでは良くないぞと私は思う。磨かなければ心だってきっと曇っていくし、何より退屈だ。私は飽きっぽい上に面倒くさがりなので、これといった趣味が無い事も災いしていた。
よし、決めた。どこかに出かけよう。
こうやって強く決心しなければ、体を動かす事もままならない。これが大人になるってことなんだろうか。だとしたら私は大人になんかなりたくなかったな。自嘲気味にそう思うと私は食べ終えたコンビニ弁当の空箱をゴミ箱へ捨てた。
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そうして土曜日がやってきた。いつもより少しだけ遅く目を覚ました私はカーテンを開けてみる。曇り。どんよりとした天気では無いけれど、余り暖かくはならなそうだ。私は着替えを済ませ、申し訳程度にメイクをしてから家を出た。さて、どうしよう。買い物でもいい、何かを食べに行ってもいい。久しぶりに映画でも見ようか。何をするにしても、まずは駅に向わないと。
いつもの通りの道で駅に向かう。いつもの通り、しばらく歩いていたら、ふとある考えが思い浮かんだ。どうせなら少し遠回りをしてみよう。慣れ親しんだ道には刺激が無い。散歩なんて、どれ位していないだろう。いっそ隣駅まで歩いてみたらいいかもしれない。
少しだけ愉快な気持ちになって、いつもは決して通らない道の曲がり角を右へ進んでみた。無駄な事をするなと忠告する声が頭の中で響いたけれどそんないつも通りの私は無視だ。
ふと、視線の先に他の並びとは違う建物を見つけた。
あれ、こんなところにお店?あったかな、こんなお店。
モスグリーンの扉には「雑貨」と書いてある看板がかかっていた。ほんの少しだけ迷ってから、私はそっと扉を開く。店内は思ったよりも明るくて、こぢんまりとしていた。店内を見渡して私は思わず微笑んでしまう。雑貨というよりはアンティーク屋さんだなと感じた。可愛らしいカエルの時計やウサギの時計、ガーデニンググッズやグリーン、裁縫道具、そういったものが雑多に置かれている。
「あ。いらっしゃいませー」
声のした方を振り向いて、私は一瞬だけ呆気にとられた。
眉毛の無い女の子がこちらを見つめていた。あ、無いわけじゃない、でも限りなく薄い。
きっと高校生だろう。薄い色素の髪にラメのロゴが入ったTシャツ、太ももが露わになったホットパンツ。一目でギャルと分かる女の子だった。お店の扉と同じ色のエプロンをしていなければ先客と勘違いしたかもしれない。……それにしても眉毛が無い。
「……?……あっ」
女の子は私の視線に一瞬不審げな表情を浮かべてから、はっとしたように自分の眉毛を隠した。
「……普段あんまお姉さん位の歳のお客さん来ないんすよ。ちょっと油断したんで」
女の子は恥ずかしそうにひょこひょこと頭を下げる。すっぴんという事なのだろう。多感な年ごろの女の子をじろじろ見つめてしまった事を申し訳なく思う。
「あ、そう……なんですね」
「そうなんすよ」
何となくそのまま見つめ合っていると、開き直ったのか女の子は隠していた手を下ろしてにっこりと笑った。十代の女の子らしい、あどけなさの残る可愛らしくて眩しい笑顔だ。
「何かお探しっすか?ちょっと今私しか居ないんすけど、一応レジとかは打てるんで、
気にしないで買ってってください」
「あ、ありがとう。えっと、何となくお店の雰囲気に惹かれて入ってみたので……」
「え、マジすか?はじめてっすか?」
女の子はびっくりしたらしく目を見開いた。表情がくるくると変わって可愛らしい。
これだけのやり取りなのにきっと素直な子なんだろうなぁと思えて、自然と口元がほころぶ。
「家が近所なんですけど、余りこっちまでは歩いてこないんです。今日は散歩していて、それで」
「マジっすか。ふらっとうち入る人めったに居ないんで。そっすか」
女の子はまじまじと私を見つめて、また笑顔になった。私も笑みを返す。
「……あ、あ!!せっかくなんで、あの、おすすめ見ます?」
女の子は慌てたように店の奥を指さす。戸惑いは一瞬で私は頷いた。一生懸命にお客さんの相手をしようとする女の子の気持ちが伝わってきて、すんなりと提案を受け入れる。
「あーっと、お姉さん今腕周り何も付けてないじゃないですか。ここら辺どうすか」
その一角を見て私は彼女の意図を理解した。その一角だけ、お店の雰囲気とは違うものが置かれていたのだ。アンティークものでなく、恐らくハンドメイドのアクセサリー。
「……もしかして、これって手作りですか?」
反応は明らかなものだった。女の子の顔が真っ赤になる。
「やっぱ分かっちゃいます!?いや、うちも流石に周りの商品と比べて浮くかなーって思って置いたんすけどね、置いたらマジで浮いてて……逆にもう置いちゃえみたいな。そんな感じで。いや、でもだからおすすめしたわけじゃないんすよ。お姉さんに似合うかなって思ったんで」
捲し立てるようにそういって女の子が差し出したのはシルバーのブレスレットだった。
作りはシンプルだけれどところどころに綺麗な碧色の石がはめ込んである。
「……これ結構自信作なんすけどどうすか?」
女の子は少しだけ得意げな顔をした。
「……既製品のが綺麗なのは知ってるんすよ。そっちの方が一から作るよりも安くあがんのも。でも一回作ったら妙にハマっちゃって。お母さんに無理言ってここに置かせてもらってるんすよ。……これがまた全然売れないんすけど」
そもそもこういうもの目当てでうち来るお客さんが居ないっすからね。女の子ははにかみながらも少しだけ寂しそうに笑う。
「……凄い」
私の呟きが聞こえなかったらしく、女の子は「え?」と首を傾げた。
「……凄いね!こんなに綺麗なもの、自分で作るだなんて」
「え、マジすか」
「うん、凄いと思う」
それはお世辞でも何でもなく、心からそう思える感想だった。
再び真っ赤になって照れている女の子を見つめながら私は迷わず決心した。
「これ買います」
「……え!?マジすか?いいんすか!?」
私は女の子に笑いかける。彼女の笑顔の何分の一でもいいから、伝わって欲しいと願う。
「うわ、やった。すげえ嬉しい!!お姉さんありがとー!!」
満面の笑みではしゃぐ女の子の様子に、何だか私まで嬉しくなってしまって、思わず声を上げて笑ってしまった。
「あの、うち今まで結構漠然と作りたいから作ってたんすよね。でも何かお姉さんが今日買ってくれたから、こうやってお客さんの顔見られるの、凄いって思って。だからもっと綺麗で可愛いの作るんで。……っつーか、今度はお姉さんのイメージで作るんで、また来てください」
女の子はそう言いながらお店の外まで見送りまでしてくれた。私が曲がり角を曲がるまで、ずっとにこにこ笑いながら。
きっとその日はお母さんの代わりにお店に出ていたのだろう。あの日以来、休日に何度かお店を覗いても彼女の姿を見る事は無かった。その代わり、お店の隅にあったアクセサリーコーナーの棚が増えていて、桜色の鉱石をはめ込んだブレスレットや指輪がひっそりと置かれているようになった。
これが私のイメージなんだろうか。こんなに可愛らしくは無いと思うのだけど。私は努めて表情を崩さないように気を付けながら、可愛らしい指輪を持ってレジへ向かう。
今度またあの子に会った時は、きっと可愛らしくメイクもして、しっかり眉も描いた姿で会えるのだと思う。なら私はあの子が見つけてくれた私の姿で会いたい。そんな再会を密かに願いながら、私は今日もいつもとは違う道を通る。あの曲がり角を曲がって、何か素敵なものに出会えたらと思いながら。