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白雪と氷の境4

「バフッ、バフッ、バフッ!」

「だああああああああっ!」


 矢じりのような陣形で迫り来るスノウウルフ三体と、レイピアを構え走る田中以下略が激突する。


「ヴォフッ!」

「っしゃらあ!」


 先頭の一匹が大口を開けて飛び掛り、それを田中以下略が迎え撃った。

 攻撃をかいくぐるように回避しつつレイピアを斬り付けて交差。

 田中以下略はそのままの勢いで雪面を駆け抜け距離を取り、素早く振り返り叫んだ。


「おらっ、どうだ! やってやったぞこのヤロー! 伊達に引きこもりしてねえぞオラー!」


 険しい表情の田中がレイピアを振り回しながら、テンパって吼えた。

 傍目から見ればやぶれかぶれになっているようにしか見えないが、田中以下略の動きを見ていたアメリアは驚嘆していた。

 流れるような動きで素早くスノウウルフたちの懐にもぐりこみ、レイピアを匠に捌いた田中以下略はまるでその道の熟練者のようだったからだ。


(素早い! ……っていうか田中は引きこもりだったのか!)


 アメリアにとって始めて知る田中以下略のリアルの事情が実は引きこもりとは、中々に度し難いものがあった。


「グルルルル……」

「な、なんだよ、やる気か!」


 スノウウルフからすれば、恐らく田中以下略は容易い獲物だと感じていただろう。そんな相手が機敏な動きを見せた事で、初激に参加しなかった残る二匹は僅かに動揺していた。しかし、その瞳はすぐに憎悪に彩られる。

 仲間に傷を負わせたコイツは許さない。そう言わんばかりに犬歯をむき出しにして威嚇する。


「……?」


 しかし、スノウウルフの一匹が、そういえば攻撃された仲間はどうしたのだろうと振り返った。そして、それを見て硬直した。


「―――だから言っただろう。遅れは取る事はない、と」


 腕組みをしながら一連の流れを見物していた御剣もまた、雪面に横たわるそれを満足げに見ていた。


「うっ」


 アメリアもそれを見てしまい、堪らず口元を押さえる。


「……ヒュー……ヒュー……ゴボ」


 下あごと両前足を切り落とされるという致命傷を負った、最早虫の息となったスノウウルフがそこにいた。

 残った上あごがピノキオの長い鼻のように見えて不気味だ。

 口元と足の断面からは血が面白い程流れ出て湯気を立てる。

 もうどうあっても助からないスノウウルフは、数度痙攣した後にその命を終えた。


「…………えっ、えっ、ええええっ?」


 そんな凄惨な光景を作り出した当人である田中以下略は、血の殆どついていないレイピアとスノウウルフの死体とを見比べていた。

 自分がこのような凄惨な光景を作り出した張本人である、という自覚が全くないのだ。


「お、俺殆ど斬った感触しなかったのに……」


 田中以下略が呆然と呟く。


「スノウウルフのレベルはせいぜい十五、六程度。対して田中ド―――田中はレベル三十七のフェンサーだ、負ける道理なぞある筈もない」

「な、なるほど」


 レベル制オンラインゲームでは、レベル差二十以上という数値の開きは絶望的なまでの戦力差がある。

 その理由として、レベル制限のかけられた上位武器防具の装備の有無。覚えているスキル、魔法の強さと取得数。そして単純かつ分かりやすいステータスの差がある。

 それらを考慮するとスノウウルフと田中以下略とではまるで勝負にならない。

 無残な骸を晒すスノウウルフと、傷一つない田中以下略の姿がその証拠だ。

 実際の所、田中以下略はスノウウルフを倒す為に武器なんて要らなかった。

 拳で殴るだけで、その頭をトマトか豆腐を爆砕するが如く粉みじんに砕く事が可能だったのだ。

 御剣はそれを理解していたが、田中以下略に経験を積ませる為にあえて黙っていた。


「……お、おおお、おおおおお。マジか……!」


 田中以下略が戦慄(わなな)いた。


「キャウン!」

「ハルルルルルッ!」

「田中危ないっ!」


 その瞬間、残るスノウウルフ二匹は一匹が脱兎の如く逃走。もう一匹は抱いた憎悪をそのままに突撃する。アメリアの警告を受けて、田中以下略は慌てて構えた。


「スキルを使え!」

「は、はい!」


 御剣の激が飛ぶ。それとほぼ同時に、スノウウルフが田中以下略を射程範囲内に捉えた。


「ガアッ!」


 飛び掛ったスノウウルフのアギトが田中以下略の顔面を食い破らんと迫る。

 仲間の敵を討つ。そんな思いを抱いていたかもしれなかった一撃はしかし、果たされる事はない。


「《ニードルストライク》!」


 フェンサーの基本的な攻撃スキル、ニードルストライクが発動した。

 田中以下略の体と腕、それに手が凄まじい速度で動き、回避不可能な速さでもってレイピアをスノウウルフの腹に突き立てる。


「ギャンッ!」


 見事な体捌きと素早さにより空中で捉えられたスノウウルフは、まるでモズのはやにえのようだ。

 単純にレイピアで突いたように見える動作だが、ニードルストライクはそれに高速の捻りが加えられている。

 その動きは周りの空気を絡め取りレイピアに纏わせる為のものだ。

 纏わりついた空気は風の刃と化して、レイピアで貫いた物を内部からズタズタに切り刻み破壊する。


「吹き飛べっ!」


 田中以下略の言葉と共に、風の刃が解き放たれる。スノウウルフの腹が不自然にぽこっと膨らみ、はじけた。

 身体を内部から文字通り八つ裂きにされたスノウウルフは、断末魔を上げる間も許されず絶命する。

 それを見届けた田中以下略は、レイピアを振り血を飛ばし、地面の雪で数回拭ってから鞘に納めた。

 時間にして一分少々。戦闘は田中以下略の圧勝という結果であっけなく終了した。


「見事だ。田中ド―――田中よ」

「ほ、本当すげえよ田中! 実はフェンシングとかやってたのか!?」


 離れて戦いを見ていた二人が近づく。御剣はズカズカと、アメリアは湯気を立てるスノウウルフの残骸と血を踏まないようにして気をつけて近づく。


「…………は、ぁ」


 返り血の一つも浴びていない田中以下略は、顔を紅潮させていた。

 それは単に興奮しているから、というわけではない事をアメリアと御剣は既に経験済みだ。


「どうだった? 初めての戦闘と、スキルの発動は」


 御剣の問いかけに、田中以下略は濡れた瞳を向けて答えた。


「…………癖になりそう、です」


 田中以下略が、唇をぺろりと舐め上げた。

 それを見た御剣は「うむ」と頷き、アメリアは目を(またた)かせた。


(い、色っぽい……って田中は元男だろうが何を考えてんだ俺)


 頭を振って邪な考えを追い払う。

 このまま田中以下略を見ているとへんな気分になりそうだったので、アメリアは気を逸らす為に話題を変えた。


「えーと……、御剣さん。これで何はともあれ無事に済んだことですし、先に進みませんか?」

「ふむ。アメリアの実戦経験がまだなのが少し気にかかるが……もう魔法の使い方は覚えたな?」

「大丈夫です、ばっちりです」

「ならば他は追々慣れていけばいいな。襲い掛かってきたモンスターを練習台にすれば、磐石とはいえないまでも土台は出来上がるだろう。―――ほら、戻って来い。いつまでもイッてないで、出発するぞ」


 御剣が田中以下略の首筋にチョップを入れる。


「あいたっ……。はれ?」


 正気に戻ったらしい田中以下略を置いて、御剣が歩みだす。


「……ほら、田中。行くってさ」

「お、おう?」


 アメリアが手招きをすると、いまいちしまりのない様子の田中以下略が大人しくついて来る。

 兎にも角にも。付け焼刃ながらも戦い方を覚えた二人は、御剣に従いノースマジックランドを目指す。



「それでは、戦利品の分配に移る」

「ラジャーっす」

「はい」


 針葉樹林に周囲を囲まれた中で、不自然に明かりを灯す箇所が一つあった。

 それは大きなテントで、中心から放たれる光を受けて三人の人影がテントの表面に映っている。言うまでもなく、アメリアと田中以下略と御剣の三者だ。

 外には未だ火が燻る焚き火と、そこに組み立てられた鉄棒の上に乗る大きめの鍋、そして散乱する骨がいくつか。わかりやすい食事の跡があった。


「スノウウルフとホワイトベアーの肉は食べてしまったから、毛皮と爪だな」


 御剣が丸められた灰色と白色の毛皮、そして大小さまざまな大きさの爪を前にして言う。

 一行は何度か「《ウンディーネの寵愛》」の魔法をかけなおしながら、徒歩でノースマジックランドを目指していた。

 外で寝ていても凍死しないほどの高い冷気抵抗力を得た一行ではあるが、だからといって雪面をかんじきやスパイクのついた靴といった装備もなしに、楽に進めるかどうかといえばそれは別の話。

 身軽ではあるが歩みが遅く、加えて経験を積む為に襲い来るモンスターを一々倒していたせいで、ノースマジックランドに到着する前に日が暮れてしまったのだ。


「俺、解体作業とか始めて経験しましたよ。っていうか魚の三枚卸しすら出来ないのになんであんなにスムーズに出来たのか不思議でしょうがないです」


 脂をこそぎ落とし、最低限の下処理が加えられた毛皮と爪を受け取りながらアメリアが言う。


「本当にな。まるで初めから知ってるみたいな感じだった。……出来れば、倒したらポンッと素材が落ちてくれれば楽なんだけどな。正直なところ解体作業はエグい、あまりやりたくない」


 同じく毛皮と爪を受け取り、道具袋に詰め込んだ田中以下略が神妙に頷く。


「現実だから仕方がない、そのうち慣れるだろう、というより慣れろ」


 最後に自分の取り分を道具袋に詰め終えた御剣が淡々と言い、紅茶を啜った。


「……だが料理に関しては楽が出来なかったのが残念でならん。まあ、料理は『ワンダーシェフ』のジョブの専売特許でもある。出来なかったとしても不思議ではないが、やはり残念だ」

「……ま、まあその辺は練習すればきっと人並みになりますって」

「そうですよ……多分」


 御剣を除く二人の表情が歪む。

 モンスターの解体作業や、テントの組み立てといったものは事前に訓練されたような洗練されたレベルで済ませられた一行だったが、料理となるとその自動操縦のような動きはまるで起きなかった。むしろド素人といっていいレベルだったからだ。

 焚き火はアメリアの魔法で簡単に火が起こせた。鍋も何故か奇跡的に持っていた。土台もとりあえず作れた。

 ―――ならば、試しにモンスターの肉を調理して食べてみよう。

 とは御剣の提案だった。

 ゲーム時代のモンスターの肉は、簡単なフレーバーテキストが添えられている以外には少量のHP回復効果や一時的な微量のステータス上昇効果しか無かったのだ。

 一行が手に入れたのはスノウウルフとホワイトベアーの肉で、両方とも「焼くと美味しい」だとか「燻製にすると美味い」だとか「HPが三十回復」という、ワンダーシェフ用のヒントメッセージ以外特筆すべき内容のないアイテムである。

 それぐらいならば、しょせんスーパーの豚肉や牛肉とそこまで変わらないだろう。

 そう思っていた一行が試しにスノウウルフの肉を焼いた時、目の前に出来上がっていたのは黒焦げとなった得体のしれない何かであった。

 何故焼くだけなのにこうなるのかと、何度も試行錯誤を重ねてみるとほんの僅かな技術の向上が見られるが、黒焦げとなるのは変わらない。

 ならば、と肉を煮てみたところ。やっぱりというかなんというか、出来上がったのは何故か黒焦げとなった何かであった。


「焼いても駄目、煮ても駄目。十数回目にしてようやく口に出来るレベル、か。お前らには料理は絶対に出来ない、といったある種の、(うんえい)の思惑らしいものを感じてしまうな」

「ううん……ゲーム時代でも、ワンダーシェフ以外はNPCに頼まないと料理出来なかったし……もしかしたらそのせいかもしれないんじゃ……」

「その線も十分ありえるな。あれは不思議すぎる……。火にかけてからずーっと見ていたのに、気づいたら黒焦げだもんなぁ……つうか煮てるのに焦げるってなんだよ、意味がわからん」


 唸る御剣に、さしもの二人も同意した。

 ちなみに、料理に失敗した黒焦げ肉はテントの周辺に適当に放ってある。

 腹を空かせたモンスターか動物やらが適当に喰うだろうという目論見があった。

 

「少数精鋭が良いと思っていたが、これは本気でワンダーシェフの加入を検討する必要があるか……?」


 御剣のその呟きはあまりにも小さい声だったので、ううむと唸る二人には聞こえていなかった。


「まあ、その辺も追々情報を集めて行く。ひとまずは身体を休め明日に備えよう」

「そうですね、MPはもうとっくに回復したと思いますけど、なんていうか気疲れしました」

「俺も思ったわ。なんだかんだモンスターに気をつけながら進むってのは神経使うよなぁ」

「ゲーム時代では気を払う必要すらなかったからな。ワンクリックで済んだモンスターとの戦いも、今や全ての神経を使い身体を動かす必要がある。前のように何時間もダンジョンに篭る、というのは厳しくなるだろうな……」

「御剣さん、もうダンジョンに行く気だったんですね……」

「当たり前だ。―――ああ、早くダンジョンに潜りたい。宝箱。隠し部屋。レアドロップ。ボスエネミー。私を魅了して止まない、あの仕方のない子たちが、私を呼んでいるんだ」


 御剣の瞳が恋する乙女のように、きらきらと輝く。


「(ひそひそ)なあ、寝ようぜ。長くなるかもしれん」

「(ひそひそ)そうだな、賛成だ」


 その様子から危険を察知したアメリアと田中以下略はいそいそと自らの毛布に包まり、寝入りにかかる。


「まったく。倒して欲しい、獲って欲しい、暴いて欲しいと切なく訴えているあの子達の声が聞こえるかのようだ。据え膳喰わぬは男の恥と言うだろう、そう思わないか二人とも……ってなんだ、もう寝たのか?」

「す、すぴー。すぴー」

「ぐごごご」

「……仕方ないな。では、おやすみなさい」


 実はまだ二人は起きている上に、かなりわざとらしい寝言だが、御剣はそれと気づかず二人に習い毛布にくるまって、あっと言う間に寝入った。


「……すぅ」


 驚く程の寝つきのよさだった。

 少し間を置いて、まだ起きている二人が毛布からひょっこり顔を出した。


「……えっ。御剣さんもう寝たのか? 嘘でしょ、流石に早くねえ?」

「わからん、わからんが、しかし……御剣さんだからなぁ」

「……御剣さんならもしかしたらありえるわ、うん」


 御剣さんならしょうがないな。

 まだ付き合いの浅いアメリアと、付き合いがそれなりにあるとはいえ、今日だけで色々と御剣に対するイメージが変わってしまった田中以下略。

 両者共に感じた、御剣ならそうかも、と思ってしまう御剣のよくわからない凄みがあった。


「……すぅ……ふふ…………まて…………やらせろ…………」


 楽しい夢でも見ているのか、御剣が寝言を言いつつ微笑む。

 果たして「やらせろ」の「や」の部分が何なのかが気になる。その部分の漢字次第では、夢の内容が本当に楽しいのかどうか疑わしい所だ。

 恐らくは、「殺」なのだろうが。


(黙っていれば只の美人なのに……寝顔も綺麗なのに……)


 なんでこんな残念な美人さんなのだろう。

 もしかして、この世界に来る前は何か問題を抱えていた女性だったのだろうか。

 そうであればこの残念さにも少しは納得が行くようなものなのだが。

 世の不条理というものを感じながら、アメリアは再び毛布に包まった。


「寝よう、起こすと怖い」

「そうだな、本当にな」


 寒さとは別の意味で震えた二人は、それで話を打ち切り眠る事にした。

 テントの明かりが落ち、暫しの間明るかった周囲も完全に闇に溶け込んだ。



 それからしばらくして、テントに近づく影があった。


「フシュルルル……」


 闇夜の中でさえ白さの映える熊。ホワイトベアーだ。

 ホワイトベアーは久々に感じた人間の気配に、美味しいご馳走が食べられると期待に胸を膨らましていた。

 ―――あの人間のメスたちは、たしかこのあたりにいるはず。

 鼻をならして近づいたホワイトベアーは、さして迷う事もなくそのテントを見つける。

 その中からは、三匹の人間が立てる寝息の音が良く聞こえていた。


「フシュッ。フシュッ。フシュッ」


 獲物を前に興奮し、涎が溢れる。

 ―――どうやってこのメスたちを食べようか。頭からまるかじりか。それとも、生きたまま手足を食べるか。

 頭の中で食事方法の算段を立てるホワイトベアー。しかし、その足が止まる。


「フゴッ?」


 月明かりに照らされて、それが目に入ったのだ。

 なにやら黒い物体が、いくつも周囲に散らばっている。

 見たことのない異常な物体に危機感を感じたホワイトベアーは、鼻面をよせその黒い物体の臭いを嗅いで見る。


「フンフン……ゴホッ!?」


 ホワイトベアーはその臭いの正体を知り、勢い良く後ずさった。

 ―――なんだあれは! あれは、あれは俺達の同胞のにく(・・)だ!

 おお、なんと恐ろしい。この人間のメス共は、あろう事か同胞を殺したあげく、そのにくを喰わずに黒いよくわからない何かに変貌させてしまったのだ!


「フシッ、フシッ、フシッ」


 ―――ここに居てはまずい。俺も黒い物に変えられてしまう。

 ホワイトベアーはまるで臆病なラッキーラビット達のように、情けなくも走り逃げた。

 野生生物はリスクを極力犯さない。

 生物の本能ゆえに、人間とあらば襲い掛かる者が大半ではあるが、彼はその点で言えば他の生物よりもほんの少し優れていた。

 強者の存在を感知する能力。

 それは弱肉強食の世界で生きる者にとって、何より最優先される必須技巧。

 ―――くそくそくそ。せっかくのご馳走が!

 心中で憤りつつも、彼は自らが生きる為直感に従い逃げる。

 そして、それは正しかった。

 彼が襲いかかろうとしていた人間のメス三匹は、今日だけでスノウウルフとホワイトベアーを合わせて三十匹以上も殺していたのだから。


「んがが……んなぁ……」

「すぴゅう……」

「ふむ……逃げたか」


 テントの中、いびきですら可愛い美少女二人組みの側で御剣は目を覚ましていた。


「小賢しいやつめ、命拾いしたな」


 包まった毛布の中で、既に刀に手をかけていた御剣はその手を離す。

 そして、くすくすと笑った。


「ふふ……まったく楽しみすぎて眠れないとは、遠足前の小学生か何かか」


 実の所、御剣は初めから寝てなどいなかった。アメリアと田中以下略の失礼な話も聞いていたし、寝言も演技だった。

 この世界のありとあらゆる何もかもが感動に満ち溢れ、嬉しくて、楽しかったから、まだまだ寝たくない、起きていたい。

 遊園地から日常へ帰る事を駄々をこねて拒む子供のように、御剣はまだ起きてこの世界を感じていたかった。

 それが知られてしまうのが恥ずかしくて、する必要も無い演技をしていたのである。

 しかし、だからといって寝ないわけにもいかない。

 寝ろと勧めた二人の手前、自分が寝ないのは少し悪い気がしたし、何より明日も予定が控えている。このまま起き続けていれば明日に支障が出る。


「ああ―――願わくば、これが夢であってくれるな。この世界が、明日も正しく現実であってくれ」


 御剣が祈りにも似た懇願を告げる。

 果たしてそれを聞き届けてくれる存在がいるのだろうか。

 答えは誰にもわからない。

 廃神と呼ばれた御剣でさえ、それは知りようが無い。

 一度は手を離した刀を手繰り寄せ、それを抱き枕のように抱えた御剣は愛おしそうに瞳を閉じる。

 現実世界と化した「クロニクル」の初めての夜は、新たなる総数四万五千とんで十一人の様々な想いを抱えながら、更けていった。

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