白雪と氷の境3
入国管理局を出た一行は、そのまま国境の検問に直行する。
「……たしかに拝見いたしました。それではどうぞお通り下さい。くれぐれも入国許可証は紛失したりする事の無いようお願い致します。あと、恐縮ですが握手をして頂けますか?」
「うむ」
御剣の名声効果の影響かどこまでも慇懃な態度の門番兵の見送りを受けて、三人はとうとうノースマジックランドの地に足を踏み入れた。
そして、ここからが本当の意味で「試される大地」なのだという事を思い知る。
白雪と氷の境、という街の名前は言葉どおりの意味を持っていた。
「さささささむさむさむさむさむさむさむいさむいさむいさむいさむいさむいってば!」
「ちょ……ちょっとシャレにならんでしょ……これは」
「ふぅむ……」
三人が通ってきた街をアメリアは振り返る。
国境の高い壁に阻まれて街自体は見えないが、その上の雪雲から降る穏やかな雪はここからでも良く見える。
で、再び振り返りノースマジックランド方面を見る。
意外な事に、雪は殆ど降っていない。かなり遠くまで辺りを見渡せるほど視界は良好だ。
しかしながら、感じる冷気は格が違う。身体の芯から凍えてしまいそうなほどだ。
この極寒の冷気を思えば、白雪と氷の境の街の寒さなんて鼻で笑うようなものだろう。
「ううううううう~~~!」
既に「熱塊石」は使用している。懐炉と同じように暖かいそれを懐に入れ、冷気抵抗力を重視した装備でいてもなお、身もだえするような寒さだ。
アメリアでさえそうなのだから、田中以下略はもっと寒いに違いないだろう。
「駄目。駄目だってこれおかしいってこんなの人が生活するとととところじゃないでしょぇいっきし!」
かちかちと歯を鳴らしつつくしゃみをし更に喋る、と忙しい奴だがやはり相当に寒いようだった。
「……そんなに寒いのか?」
そんな田中以下略を見かねたのか、流石の御剣も気遣って声をかけた。
その手に道具袋から取り出したバナナと釘が握られていなければ、純粋な気遣いだと受け取れたものをつくづく惜しい女である。
「御剣さん、液体窒素の実験じゃあるまいしすぐには凍りませんよ」
「……そうか」
御剣はあからさまにしょぼくれる。
「バナナなんかど、どうだっていいですよ。それよか、ほ、本当にヤバイです。こここんなのたどり着く前に死んじゃいますって。乗り物か何かを借りるなり、しししましょうよ」
田中以下略はもう涙目だ。鼻水も垂れている。否、垂れた鼻水はもう凍っていた。
バナナと釘を道具袋にしまった御剣が「ふむ」と頷く。
「しかしな。徒歩で移動するのは、寄って来たモンスターと戦い戦闘に慣れて欲しいという目的もあるんだぞ」
言われてみれば、アメリアと田中以下略はこの世界に来てから戦闘というものを経験した事がない。
二人のキャラクターのステータスは「クロニクル」全体のユーザーと比較すれば中堅どころである。ステータスがそのまま実力に反映されるのならば、この辺りの地域のモンスターに遅れを取る要素は殆ど無い。
しかし実際の戦いはゲームの戦いとはまるで違う。戦いまで発展しなかったものの、迷い人の酒場で恐怖のあまり怯えて動けなかった事は記憶に新しい。
そんな二人がこのままでは、いざという時に足手まといになってしまう。だから戦闘に慣れろという御剣の提案ももっともだった。
肝心の戦闘に関してだが、御剣は言うまでもなく経験している。でなければ迷い人の酒場で躊躇なく「クロニクル」の必殺技とも言えるスキルが発動できるはずが無い。
しかし、何もこんな場所でやらなくても、とアメリアは思う。
「……でもこのままじゃ田中があんまりですよ。俺が貸した『火トカゲのマフラー』見てくださいよ、まるで砂漠の住人みたいに顔に巻き付けてる」
「かか、顔に風あたると冷たくて痛いんだよ」
田中以下略がくぐもった声でそう言った。
「それはいいけど、鼻水をマフラーにつけないでくれよな」
「あ、ああ」
「うーむ」
御剣が悩むそぶりを見せる。
「アメリアはジョブがシャーマンだっただろう。たしか、シャーマンには属性の抵抗力を上げる魔法があった筈だが、それを使えばいいんじゃないのか?」
「あっ……そういえば……」
御剣の提案にハッとする。何故今の今まで気がつかなかったのだろう。
アメリアが修めているジョブのシャーマンは、「クロニクル」に存在する基本六大属性である火水風土闇光の内、火水風土の四つの属性を司る精霊の力を借りる魔法が習得できる。
覚えられる魔法もまた、それら四つの属性に即した魔法であり、その中には対応した属性の抵抗力を上げる魔法があった。
ゲーム時代ではそれを当たり前のように使っていたのだが、御剣に指摘されるまで考えもしなかった事が情けなかった。
(自分で考えもしない。言われた事しか出来ない、いや、言われた事もしっかり出来ない奴)
いつか誰かに言われたその言葉が脳内でリフレインする。
暗い出来事が多かった人生を象徴するかのような言葉だった。
この言葉を思い出すと、アメリアはいつも気分が落ち込んで嫌な気持ちで一杯になる。
しかし、今は落ち込んでいる場合ではない。
(―――いや、今の俺はそんなどんくさい■■■■じゃない。アメリアだ。冒険者のアメリアだ。今の俺は違う、そうだろう?)
馬鹿にされ続けた過去を振り払うようにそう念じると、いくらか気持ちが晴れる。
己の本名を切り捨てるような物の考え方は危うい気がしたが、気分が晴れるならそれでもいいとアメリアは思った。
「……すみません御剣さん、気がつかなくて」
「気にするな。どちらにせよ魔法の使い方を教えるつもりだったから丁度いい。アメリア、杖を構えるんだ」
「たた、頼むぞ、アメリア」
御剣に言われて気を引き締めたアメリアは、背中の杖の「エレメントスタッフ」を引き抜いて構える。
「基本的にスキルも魔法も発動手順は同じだ」
「はい!」
アメリアは御剣の説明を一言も聞き逃すまいと集中した。
かつての日本でのアメリアの評価をマイナスとするならば、今のアメリアはせっかく全てがリセットされゼロに、いやむしろプラスとも言える状態になったのだ。
自分の評価を下げたくない、価値を下げたくない、この世界では無能者の烙印を押されたくない。
日本で日陰を歩いてきた自分は、この世界でならきっと日向を歩いていける。
そしてこれは、そんな素晴らしい日々を歩む為の第一歩だ。
「俺はやってやるんだ」。そんな風に考えられたのは、もうずいぶんと久々の事だった。
「使いたいスキルや魔法を脳内に強く思い浮かべる。すると力が集まるような感覚があるから、次にそのスキルや魔法の力を、言葉に乗せるようなイメージで声に出すんだ。そうすると後は勝手に身体が動いてくれる」
「脳内に思い浮かべ、力を集めたら、その力を言葉に乗せる……」
やけに抽象的だが御剣が断言する以上、間違いはないのだろうとアメリアは大人しくそれに従う。
「……」
アメリアは脳内で、ある魔法を思い浮かべた。
水の精霊の力を呼び寄せ、その加護を得る魔法だ。
いわゆる支援魔法の一つであり、その効果は水と冷気の抵抗力上昇。
(魔法魔法魔法魔法魔法……)
アメリアはその魔法のエフェクトを思い浮かべ続けてみるが、どうにも変化は訪れそうに無い。
(想像しているものが違うのか?)
それならばと。水、氷、流水、滝、池、海と、片っ端から水に関係しそうな光景を浮かべてみるものの、やはり何も起きない。
(クソ……なんで何も起きないんだよ!)
焦りが顔に浮かぶ。
水に関連する物を連想ゲームのように思い浮かべ続けても……やはり、何も起きない。
(ここは普通、スムーズに魔法が使えて『……流石だな、やはり天才か』とかなる場面だろ! なあ!)
ゲームならゲームのように、唐突に解法に思い至ってもいいのではないだろうか。
例えるならば、頭上に電球が出現しぴこーん、と光るような感じで。
(何か……何か起きろってば!)
しかし、そうアメリアが願った所で結果が変わるはずもなく、構えた「エレメントスタッフ」はうんともすんとも言わない。
(俺はこの世界でも無能なのかよ……くそっ……いや、待てよ?)
その時だ。アメリアの脳裏に光明が射した。
(魔法自体の説明文にはたしか、水の精霊の力を呼び寄せる魔法って書いてあったよな。ってことはつまり、俺が最初に思い浮かべるべきなのは水の精霊の姿なんじゃないか?)
少なくとも試す価値はあるだろう。
アメリアは思い浮かべるものを切り替える。脳内に描いたイメージは、「クロニクル」公式サイトで目にした水の精霊ウンディーネのイラストだ。
一般的なイメージでいう人魚の姿を持つウンディーネを思い浮かべる。
(ウンディーネ、頼む……俺に力を貸してくれ……っ!)
わらにもすがる思いで願い続ける、すると。
(―――きた)
何かが、脳天から体の中心に向けて、すこん、と落ちた。
アメリアはそれが、直感的にウンディーネの力であると察した。
「ほう」
「おおっ」
不可視の力を感じ取ったのか御剣と田中以下略の驚いた声が聞こえるが、それはアメリアの耳に入らない。
(これが、魔法の力)
ウンディーネの力を得たと同時に、アメリアが今まで感じた事の無い力、魔力が現れる。
身体の芯から湧き出た魔力はウンディーネの力と合流し両手を伝い「エレメントスタッフ」の先端に集結していく。
「クロニクル」と同じようにマジックポイントが消費されているのか、謎の喪失感を味わうがそれも気にならない。
魔力が肉体を伝う熱い感覚と、これから自分が魔法を使うのだという事実を前に味わう極度の興奮感を前に、アメリアは知らず知らず頬が緩んでいた。
「……水の精霊ウンディーネよ。我が契約に従いその加護を我らに授けたまえ」
思わず、ちょっと気取ったセリフを言ったりして格好つけてみたりする。
だが、魔法だ。魔法を使うのだ。これぐらいやらずして何が魔法か。
「エレメントスタッフ」の先端に集まった魔力が、臨界点に達する。
ここだ。そう直感的に思ったアメリアは、告げた。
「《ウンディーネの寵愛》!」
言葉に宿る力を解放の鍵として魔力が解き放たれ、魔法が完成する。
「エレメントスタッフ」の先端から水色の光の粒子が噴出し、ウンディーネの姿を形どる。
空中に現れた、美しい人魚であるウンディーネが穏やかに微笑み両手を差し伸べると、一人一人の身体の表面をカバーする皮膜のような、水色のオーラが形成される。
水の精霊の加護を授かった三人を満足そうに見たウンディーネは、やがて光の粒子となって消えていった。
「おおお…………」
幻想的な光景を前に口を開けてぽかんとしていた田中以下略は、次いで何かに気がついたのか声を上げて驚いた。
「す、すごい! 寒さが減ってる!」
頭に巻き付けていた「火トカゲのマフラー」を解いた田中以下略が叫ぶ。
身体を小刻みに震えさせていた田中以下略だったが、今やそれも落ち着いている。
鼻水も垂れていない。
「ふむ……。なるほど、指輪を一個外しても何も変化がないという事は、冷気の抵抗力が上がっている証拠だな」
一方で御剣は冷静にメモを取る。
そして肝心のアメリアといえば。
「…………ふぁ」
恍惚としていた。
ぞわりと背筋を駆け上る快感と達成感に身をゆだねたまま、中空を見つめる。
身体の中がじくじくとした熱を持つ。心臓は破裂しそうなほど跳ね回っている。
ぴくぴくと勝手に動く指や足先が、制御できない。
「…………こ、こんなの、反則だろ。こんなの味わったら、もう日本なんか絶対戻れないって」
魔法を使った。人類の誰もが空想し、求め、しかし成しえなかった超能力の魔法を、俺なんかが使えた。
その事実はアメリアの精神を狂おしいほどの快感に包み込む。
―――すごい。すごい。すごい。すごい! すごい! すごい!
前人未到の領域に己が立った事を自覚すると、凄まじいカタルシスを感じる。
思わず身体をかき抱き、腕にツメを立ててしまう。
そうやって痛みでも感じていないと、嬉しさと興奮のあまり本当に狂ってしまいそうだった。
「――――――あ。……ま、まって、うそでしょ、わっ、わっ、わあっ!」
だが、その程度のささやかな抵抗では、強烈な快感は到底抑えきれるようなものではなかった。
とうとうアメリアは立っていられず、地面にへたり込む。
身体がびくん、びくん、と震える。
一定のリズムを刻むそれは、アメリアの肉体を駆け巡った。
「―――――っ」
波のように迫るそれを制御する術がなく、アメリアは身悶えしながらそれが過ぎ去るのをひたすらに待つ。
「おいおい……」
そんなアメリアの姿に何を思ったのか、田中以下略が赤面する。御剣は無表情のまま。
そのまま痙攣が続く事数十秒が経過して、田中以下略がとうとう気まずさを感じた頃。
「……はあっ、はあっ、はあっ、す、すご……」
ようやく収まりのついたアメリアは荒い息を吐いて、自らを落ち着かせる。
「た、立てるか?」
田中以下略がどぎまぎとしながら手を差し出す。アメリアはその手をとり立ち上がった。
「だ、大丈夫。……ありがとう」
「……ど、どういたしまして」
額は汗に濡れ、金糸のような金髪がしっとりと張り付いている。
頬は赤らみ、息が荒く、視線もやや不安定。
そんな様子のアメリアを田中以下略は間近で見てしまう。
「……」
見てはいけない物を見てしまったかのように、田中以下略はわざとらしく明後日の方向を向いた。
「ふむ。どうやらアメリアは相当に感覚が敏感らしいな」
一方田中以下略とは違い、アメリアの様子をつぶさに観察していた御剣が冷静に分析を始める。
「私の時もかなりの快感を味わったが、アメリア程じゃなかったぞ」
御剣の言い分だと、どうやらアメリアが体験したものは予想できた物らしい。
先にそれを言わない御剣も人が悪いが、恐らくは調査の為だろう。
その証拠に、御剣は取り出したメモに何事かを走り書きしていた。
「う……」
「お、おい、大丈夫かアメリア!」
「な、なんとか」
フラついたアメリアを心配した田中以下略が肩を貸そうとするが、それをやんわりと断り、アメリアは自力で立つ。
(やっば。なんだよこれ、超恥ずかしいだろ……魔法が使えたのはよかったけど、俺、あんな……うあああああ!)
顔が信じられない程熱い。いくら興奮したからとはいえ、あんな醜態を晒してしまった自分が恥ずかしい。
恥ずかしくなったアメリアは、両手で顔を覆い隠した。
「もうお婿にいけない……」
「……お嫁だろ、少なくとも今は」
「うるせえ、バカ……」
友人の普段と変わらないツッコミが今はありがたい。
下手なフォローをされるよりも、何倍もマシだった。
「さて。冷気抵抗力も上昇した事だし、次は田中ド―――田中の番だが……」
「えっ。俺もアメリアみたいに『らめええええ』ってなっちゃうんですか」
「らめえってなんだらめえって、おい」
「どれ程になるかは私も知らんが―――おっと、丁度いいタイミングだな、二人ともあれを見ろ」
二人を置いて淡々と言った御剣が指し示す先。そこには灰色の狼が三匹おり、こちらに近づいているようだった。
近づくにつれて全貌が明らかになっていく。
灰色の毛並みと鋭い目つき。逞しい四足で雪を蹴散らしながらこちらへ駆けて来る狼は、紛れもなくモンスターの姿。
寒冷地に出没する獣系モンスター、スノウウルフだ。
「田中ド―――田中よ、あいつらを一人で倒してみろ」
「えっ、えええっ!?」
いきなりの無茶な提案に、田中以下略が狼狽する。
「ステータス的に言えばあいつらに遅れは取らんだろう? 何より、前衛は習うより死んで慣れろが私の信条だ。危なくなったら助ける。だから行って来い」
「そんなっ!? 御剣さんそれはゲームだったから通用する話で今は―――」
「問答無用」
うろたえる田中以下略を半ば無視しつつ、御剣が背中を押し飛ばした。
「うおわっ!」
押し出された田中以下略はたたらを踏む。慌てて顔を上げると、もうすぐ近くまでスノーウルフは迫ってきていた。
しかしどうすればいいのか分からない田中以下略は、助けを求めて振り返る。
「みつるぎさんたすけ」
「行け」
「…………ハイ」
しかし世の中は無常だ。
スパルタ式教育方針の上司はただ一言を口にするのみである。
敵前逃亡は許されない。まさに前門の狼、後門のブレイドマスターである。
「…………ちっくしょおおおおおおおおおっ! やったらおんどりゃあああああああっ!! スノウウルフがなんぼのモンだあああああああ!!」
やぶれかぶれになった田中以下略がレイピアを引き抜いて飛び出していく。
田中以下略の目端から零れ落ちた涙の雫が、空中で凍りきらきらと輝いた。
悲壮感漂うその姿に、アメリアは哀れみを感じずにいられない。
「うむ。その意気だ。やはり前衛はこうでなくてはな」
決死の突撃をかます部下を前に、御剣は非常に満足げのご様子である。
「……無茶しやがって……田中、死ぬなよ」
もし死んだら高レベルのプリーストを探してきてやるからな。
そう思いながら、アメリアは田中以下略に向けて敬礼した。