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初日のこと4

 ―――何を馬鹿な。

 もともとの自分の名前なんて簡単に思い出せる。

 そう、自分は三十四歳独身童貞会社員のドンくさい男。

 ■■■■という立派な、親から頂戴した名前が、ある、はず。


 ―――■■■■?


 ―――■■■■って、誰だっけ。


 ―――俺って、なんていう名前なんだっけ?


「名前……? 俺の名前は田中ドライバーZ……って違うだろ、そうじゃなくて……。ちょ、ちょっとまてよ、なんで、何で思い出せないんだ……」


 田中以下略が顔を青ざめさせて呆然と呟く。


「……うっ」


 急に催した吐き気を、アメリアは抑え切れなかった。


(やばい、吐く)


 部屋を飛び出して飛家の玄関口にたどり着くと、そこでげえげえと吐いた。

 嘔吐なんて一体何時振りだろうか。成人式を迎えた日の夜に、同窓会で酒に酔いつぶれた時以来かもしれなかった。


(焼き菓子、おいしかったのに、もったいないな)


 益体もない事を考えながら吐き気が治まるまで待っていると、アメリアの背に手が触れた。


「大丈夫か。ほら、水だ」


 御剣だった。


「……ありがとう、ございます」


 アメリアは御剣からコップを受け取り、それで口をゆすぐ。

 御剣が優しく背中を撫でてくれる。しかし殺されかけた手前、御剣の気遣いは嬉しいが素直には喜べない。

 とは言え気持ちが悪かったので、アメリアは御剣の気遣いに甘えてされるがままにしていると、そのうちに御剣が喋り始めた。


「……私も始めは愕然としたさ。本名がどう頑張っても思い出せないのだからな」


 落ち着いた吐き気が再燃しそうになる。

 両親の顔。通った学校。友人の名前。誕生日。好きなアニメのタイトル。それらは何の問題もなく思い出せる。

 しかし、自分の名前だけはどうしても思い出せない。

 ■■■■という名前だけが頭の中から抜け落ちてしまっていた。

 自らが送ってきた人生と言うパズルを完成させるための大事な最後のピースが、なかった。


「恐らくだが、乱心して殺人に及んだ例のプレイヤーも、この事に気がついてしまったんだろう。本名が思い出せない事に」


 本名が思い出せない。それがどうしてこんなにも恐ろしいのだろう。

 言霊という概念がある。

 それは言葉そのものに力が宿るという考えなのだが、もしかすると、自らの本名に宿されていた力が失われた事に対し、生き物として原始的な恐怖を抱いているのかもしれない。

 かつて歩んできた人生が空虚な物に思えてしまう、わけもわからない不安感がその証拠なのだろうか。


「―――そして、この事に殆どの『クロニクル』プレイヤーは気がついていない」


 続く御剣の言葉に、そういえば、とアメリアは思い至る。

 空港で見かけた大量のプレイヤー達は皆不安な表情を浮かべてはいたものの、今のアメリアのようなレベルまで取り乱した者は一人も居なかった。


「あ……」

「だが、いつかは必ず気がつく。アメリアのようにな。すると、どうなると思う?」


 嘔吐する程の恐怖、不安感。

 それが万を越えるプレイヤーの間で同時多発的に発生する。

 その結果は、考えるまでもなかった。


「……パニックが、起きる?」

「うむ」


 名前が思い出せない。その事実に至った時、アメリアは嘔吐した。

 それはある意味奇跡的な結末と言える。

 すぐ近くに田中ドライバーZと御剣という、同郷の人間が二人居たからこそそれで済んだのだ。

 では他のプレイヤーは?

 御剣が伝えたウィスパーチャットやアイテムオープンの方法を知らず、ゲーム内フレンドと連絡も取れず孤独になった者、あるいは初対面の相手ととりあえず群れて行動しているプレイヤーたちは?

 程度の差こそあれ、確実に精神的にダメージを受ける。酷ければ人殺しに走るかもしれない。

 しかも最悪なのは、それが一人だけで済まない事だ。

 名前が分からないという事に気がついたプレイヤーは、必ずそれを他者にも伝えるだろう。

 それは連鎖的に伝播し、凄まじい速さでプレイヤー間に伝わる。

 数日後には、アクロニアの都市は大混乱に見舞われるだろう。 


「―――しかしまあ、そんな事知った事ではないのだがな。むしろこの事実をじゃんじゃん広めて欲しいぐらいだが」


 そんな未来を予想してもなお、御剣はあっけらかんと言い放った。


「えっ?」


 またも飛び出た神経を疑う一言に、アメリアは御剣の方を向く。

 御剣は、ぞっとするような。それでいて儚い美しさを湛えた笑みを浮かべた。


「そうすれば大半のプレイヤーはパニックに巻き込まれ身動きが取れなくなる、願っても無いことだ。その間、どんなダンジョンも、遺跡も、マップも調べ放題だ。ポップした宝箱、レアアイテム、個数限定装備、全てが手に入る。どうだ! 素晴らしいだろう?」


 ははははは。と御剣は無邪気に笑う。

 美しすぎる物は、時として恐怖感を煽るのかもしれない。

 アメリアは、思った。


(―――この女、いかれてる)


 燃え盛るような赤い髪と、扇情的で露出だらけのビキニアーマーを着込んだ絶世の美少女が、正体不明の怪物のように見えた。


「というわけだ。田中ド―――田中も、アメリアも、私を手伝ってくれるよな?」


 御剣が背後を振りむく事なく言った。

 アメリアが後ろを見ると、いつの間にか田中以下略が玄関脇に立っていた。顔色は未だ青いままだ。

 御剣は視線を向ける事無く、田中以下略の気配だけで気がついたようだった。

 こいつ本当に人間かと、アメリアの御剣に対する警戒度が上昇していく。


「誠心誠意お断りいたします」


 と言った瞬間に首を跳ね飛ばされる光景がアメリアには容易に想像できた。

 ついさっきまでは、ちょっとズレているもののとっさの状況にも対応できる頭の切れる人、との印象を御剣に抱いていたアメリアだが、今やその印象は只の狂人と化している。

 こんな頭のおかしい女に付き合う理由なんてない。

 何が素晴らしいものか、一人で勝手にやってくれ。

 アメリアはそう言いたかったのだが―――どうやら友人の田中以下略は違ったようだ。


「御剣さん……俺は……」


 田中以下略は俯きながら、搾り出すように言った。


「本名が思い出せないと知ったとき、ショックを受けました。それはアメリア程ではなかったにしろ、確かに大きい衝撃を受けました」

「うむ」

「ですがそれ以上に、もっと恐ろしい事に気がついたんです」

「ほう」


 おや。とアメリアは不思議に思う。なにやら田中以下略の雰囲気がおかしい。


「どうあっても俺の本名が思い出せない。それはつまり―――この世界で生きる以上、一生『田中ドライバーZ』という名前で生きていくしかないっていうことですよね」

「まあ、そうなるな」

「…………あー」


 それは田中以下略の魂の慟哭であった。

 美少女として生まれ変わった己が、何故シャルルだとかノトーリアスだとかエレナだとかの無難な名前ではなく、ウケ狙いでつけた田中ドライバーZというトンチンカンな名前で呼ばれなければならないのか。

 これから先、何が起こるかはわからない。

 しかし、自己紹介の度に田中ドライバーZと名乗らなければならない事の、なんと恥ずかしい事だろう。

 本名が思い出せたのなら、その名前を自らの名として、田中ドライバーZという忌むべき名を隠す事も出来ただろう。

 だがこの世界は「クロニクル」が現実と化した世界。フレンド機能やウィスパーチャットを使う為には、どう足掻いても田中ドライバーZという名がついて回ってしまう。

 「クロニクル」のシステムにガチガチに固められた、回避し様の無い仕様を前に、田中以下略はそれを受け入れる事など出来なかったのだ。

 名前はおちゃらけていても、キャラクター自体はとびきり可愛い娘にしようと頑張ってキャラメイキングしたため、余計にだった。


「俺はそんなの嫌です。役所―――この世界にどんな役所があるか知りませんけど、そこで何かを申請するたびに『田中ドライバーZ』と毎回書いて、職員に『田中ドライバーZさん? 田中ドライバーZさんはいませんか?』なんて呼ばれるなんて死んでもお断りです。俺はどうしてもっとまともな名前をつけておかなかったんだろうかって、今死ぬほど後悔しています。仮に、仮にですよ? この世界で結婚して子供を産んでしまった時、俺は子供に『田中ドライバーたけし』とか名づけなきゃいけないかもしれないんですよ、キラキラネームどころの騒ぎじゃないでしょう!」


 田中以下略は、泣いていた。

 悲しいかな、哀れな男の涙が零れ落ちた。

 正しくは女であるが。


「御剣さん!」


 田中以下略が御剣にかけより、はっしと手を掴んだ。


「キャラクターの名前を変える方法を知っていますか!?」

「知っているぞ」

「えっ、あんの!?」


 アメリアは驚いた、寝耳に水である。

 御剣が自作ホームページで公開していた情報にそんなものはなかった。

 どうやら御剣は保有する全ての情報をホームページで開示していたわけではなかったらしい。


「それはどうすればいいんですか!?」


 血眼になった田中以下略が、御剣により一層顔を近づける。下手すればキス一歩手前だが、それだけの必死さが伺えた。


「教えるのはやぶさかではないが、交換条件として私の手伝いを―――」

「やります! やらせてください!」


 コンマ一秒の即答だった。


「即決かよ!」

「うむ、よい心がけだな。では田中ド―――田中の希望に答え、始めは名前を変えられるクエストの調査にしようじゃないか」

「はい、ありがとうございます! ボス!」


 びしっと敬礼する田中以下略と、からからと笑う御剣。

 ―――ああ、なんてことだろう。田中以下略が狂った女の手先に堕ちてしまった。

 二人はがっしりと握手をし、お互いに頷きあう。

 考え直したほうがいいんじゃないか、とはいえない雰囲気だった。


「さて、田中ド―――田中は快く了承してくれたが、アメリアはどうだ?」


 御剣が朗らかな笑みを浮かべて問いかける。アメリアにはそれが悪魔の誘いのようにしか見えなかった。


「あー……その……えー……」

「ちなみにだが、決めるなら今にしてくれ。私はもう出発したくてウズウズしているんだ」


 個人的には真っ平御免と思うアメリアだが、フレンドの田中以下略が参加するとあっては少々話が異なる。

 何せアメリアが一番親しいフレンドは田中以下略しかいない。

 他にも少ないとはいえフレンドはいるが、大体がフレンドリストに名前だけ載っている、パーティーを組んだときにその場のノリで名刺交換的にフレンド登録をした連中ばかりだ。

 なので、アメリアが今一番頼れる相手は、田中以下略と御剣しかいない。

 街に戻り他のプレイヤーと交流を図るという手もあるが、この初日に上手い事信頼のおけるプレイヤーとフレンドになれる自信はなかった。

 おまけに、後数日のうちにパニックが発生するという予想付きである。


(どうしよう。こんな人について行った場合嫌な予感しかないけど、かといって俺が一人でこれから先生きていけるかと思うと……)


 二人についていけば、まず間違いなく恐ろしい目に遭う事は想像に難くない。何せ御剣がいるのだから。

 しかしここで首を縦に振らなければ、二人はアメリアの元を離れどこか遠くに旅立ち、一人残されたアメリアは頼れる者のいないアクロニアの街で生きていかねばならなくなる。

 どちらをとっても、嫌な未来予想図しか浮かばなかった。


「んな急に言われても……うう……」


 うじうじと悩んでいるアメリアを見かねて、田中以下略が言う。


「アメリア。これはあくまで俺が俺自身の為に決めた事なんだ、だからお前は無理に付き合う必要はないんだぞ。……だけどまぁ、来てくれたら、ちょっと嬉しいかな」

「田中、お前……」


 友の優しさが胸に染み渡る。田中以下略が本当は男じゃなければ、今頃惚れている所だった。


(まあ今は女なんだけど……)


 ともあれ、結局の所最終的な判断を下すのは他人ではなく己である。

 アメリアは悩みに悩んだ。十分は悩んだ。

 御剣が早く決めろと急かし、そして、結論を出した。


「―――わかりました、俺もついて行きます」


 最終的にアメリアの中で、御剣が持つ潤沢な知識と行動力、そして経済力に軍配が上がった。

 性格に難ありとはいえ、御剣が持つ「クロニクル」の知識はまさに生き字引。

 この世界に来た時点で行動を起こし、ウィスパーチャットの方法やアイテムオープンの手法を確立する行動力と発想力の高さ。

 加えて、一メガ金貨をまるで小銭のように扱える経済力の高さ。

 それらを併せ持つ御剣は、実はすごい人物なんじゃないか? とアメリアは思ったのだ。

 そして、そんな御剣についていけば恐ろしい思いをする以上においしい思いが出来るのでは? というコバンザメ的な結論に至ったのである。

 右も左も分からない世の中だ。リーダーシップを発揮する人間についていくだけなのは、とても気が楽だ。

 何かあったときは自分の責任じゃない、言われた通りにしただけなんだと理論武装も出来る。

 小賢しいがよくよく考えてみれば、名案じゃないかと思うアメリアであった。


「おお、やはりそう言ってくれると思ってたぞ、アメリア」


 御剣がアメリアの手を握り、頼りがいのあるニヒルな微笑を浮かべた。


「……は、はい」


 アメリアの頬がぽっと顔が赤らむ。

 頭のおかしい女とは言え、美少女かつなかなかにナイスな身体をしている。

 そんな女性に微笑まれては、心臓の鼓動が早まるのも致し方ない事。

 顔が熱くなる理由はそういうのがあるのだと、アメリアは心の中で言い訳した。


「そうと決まれば出発だな!」


 御剣が飛家のコントロールパネルに颯爽と近づく。

 が、しかしすぐに戻ってきた。


「そういえば飛家は家主以外のプレイヤーがいると飛べないんだったな、すまないが各自の飛家まで戻ってくれるか」


 御剣はほんの少し照れくさそうだった。

 「クロニクル」に詳しすぎるほどの御剣らしくないポカミスに、恥ずかしくなったのだろう。

 アメリアと田中以下略は言われるままに飛家から降りようとしたが、そういえば、と田中以下略が聞いた。


「御剣さん、目的地は名前を変えられるクエストを受けられる場所なんですよね? それってどこなんですか?」

「ああ、言うのを忘れていたな。―――目指すは北。雪と本に埋もれた魔法の国。ノースマジックランドの首都ライブリラだ」



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