そのあと1
「…………ん」
アメリアは気だるい身体を意識しつつ、ゆっくりと目を覚ました。
どうやらベッドの上で寝かされていたらしく、背中はふわふわとした感触に包まれていた。
「ここ……どこだ……」
体中の血液でもごっそりと抜かれてしまったかのように、身体が重く動かない。
起き上がるのも億劫だったので、アメリアは視線だけを動かして周囲を確認する。
「……本当にどこだよ」
部屋は全体的に落ち着いた雰囲気の家具が配置されており、どことなく品がある。
アメリアには審美眼というものがまるでなかったので、多分高級そうなのだなという事までしか分からない。
少なくともアメリアは、この世界に来てからそんな物と接点を持った記憶は無かった。
高級そうな家具達を眺めつつ視線を前方に戻して天井を見ると、赤い垂れ幕のようなものが掛かっているのが見えた。
(違う……これ、天蓋つきベッドってやつじゃないのか……!)
アメリアの意識が急に覚醒していく。
重たい身体を無理やりに動かして起き上がると、自分の服が女物の寝巻きに変わっている事に気がつく。
自らが寝かされていたベッドは、三人で寝てもまだまだスペースがありそうなほど大きいもので、おぼろげな知識からキングサイズというやつなのでは、とアメリアは判断した。
「……」
何で自分が物語りのお姫様のような扱いをされているのかはさておいて、アメリアは脳内に意識を向けてパーティーチャットを開始した。
「(……田中? ……御剣さん?)」
今この場に他の二人は居ないが、どうしたのだろうか。
まだパーティーを組んだ状態であれば通じる筈。
そう考えてアメリアはパーティーチャットを使用したのだが、期待した返答はすぐさま脳内に大音量で飛び込んできた。
「(アメリア! 目が覚めたのか!?)」
「(やっと起きたか!)」
耳元どころか脳内で聞こえる大声はアメリアの頭脳をがんがんと打ち鳴らす。
「(ぎええええ!)」
顔をしかめたアメリアは脳内で絶叫した。
「(あ、悪い……)」
「(……すまない)」
かなり声量を抑えた、しゅんとした声が二人分脳内に響く。
「(い、いえ、大丈夫です……。あの、私は何処に居るんでしょう? 二人は今どこに……?)」
「(ああ、動かないで待ってろすぐに行くから)」
「(うむ)」
「(あ、ありがとう!)」
二人の返答を聞いて、アメリアはほっとする。
それに動くなと言われても、身体が言う事を聞いてくれないのでどうせ出歩けない。
大人しく二人が来てくれるのを待つ事にしたアメリアだが、どうして自分がこんな状況に置かれているのかが不思議になった。
(……たしか、氷獄図書館を攻略していて、地下四階まで進んで……『魂のインク』を見つけて……気を失った……んだよな?)
自らの記憶を遡りながら、ライブラリキーパーが氷獄図書館の本棚を粉砕しながら姿を現したシーンを思い出す。
その後アメリアの頭部に何かが飛んでくるのが見え―――そこで記憶は途切れている。
状況から察するに、自分は気絶したのだろうと考えるのが自然だと思えた。
(じゃあ、二人に助けてもらったのか……?)
でなければ、アメリアはこうして生きてはいないだろう。
あるいは既に一度死んでしまっていて、復活の像の元で蘇った可能性もあるが、それは二人に聞いて見なければ分からない。
(……でも、それならなんでこんな場所に?)
アメリアにはそれが理解できない。
気絶していた自分を介抱してくれたのだとしても、こんな高級そうな部屋で寝かせてやる意味はない。
(クエストの成功祝いに、御剣さんがポケットマネーで高級宿を取ったとか?)
考えうるに、アメリアはそれが一番妥当な線だと思えた。
(だったら、御剣さんが来たら御礼を言わないとなぁ)
そう思いながら、ふわふわのベッドの感触を確かめていると。
「アメリア!」
「うむ!」
部屋の扉がぶち壊れかねない勢いで弾かれ、田中以下略と御剣の両名が姿を現した。
「田中! 御剣さん!」
「身体の調子は? なんともないか?」
「腹は減ってないか、喉も渇いてるだろう、飲み物もあるぞ」
「わ、わちょ、二人ともま、ぶみゅ」
二人はどかどかとアメリアの元までよってくると、タオルやら篭に入ったサンドイッチやら瓶詰めの水やらをどさどさとアメリアに押し付けてくる。
その物量に押されてアメリアはつぶれてしまった。
「……ぶはぁ。ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてよ、息も出来ない」
「わ、悪い」
「すまないな、ようやくアメリアが意識を取り戻したものだから、つい」
押し付けられた物品の山から顔を出したアメリアを見て、二人とも申し訳なさそうにする。
「……ようやく? ようやくって、私、大分長い間気を失ってたんですか?」
御剣の口ぶりからすると一日二日は寝たきりだったのかもしれない。アメリアはそう思ったのだが。
「一週間だ。アメリア、お前は一週間もの間こん睡状態……と言っていいものか、まあとにかくそういう状態にあった」
「いっ……しゅうかん!?」
アメリアは開いた口がふさがらなかった。
同時に、脳に何らかの障害が発生してはいないかと不安になる。
この世界にMRIといった精密検査の出来る機械が存在していないので調べようがないのかもしれないが、流石に一週間も目覚めずに居た、というのは何か重大な損傷を脳に負っていてもおかしくない。
早急にプリースト等の、回復魔法のエキスパートに頼んで頭部を重点的に癒してもらうべきだろう。
「そんなにも長い間、気を失ってたんですか……。すみません、お世話をかけてしまって」
ともあれ、一週間気を失っていた間、二人はアメリアの面倒をずっと見ていてくれた事になる。
その事に深く感謝して、アメリアは頭を下げた。
「気にすんなって、何はともあれ無事だったんだしさ」
「うむ。それに、礼を言うのならば私たちにではなくシャロミー氏に言うべきだからな」
「シャロミーさん?」
何故ここでシャロミーの名が出てくるのだろうか。
疑問に思うアメリアに、二人は一週間前の話を聞かせた。
「あーと、俺達は氷獄図書館の最下層で『魂のインク』を手に入れて、脱出したんだけど……ほら、入り口にいた警備兵達を覚えてるか? あいつらに包囲されたんだ」
「包囲って……。何か悪い事でも?」
「全然違う。口々に『賢者の再臨だ!』だのなんだの喚きたててな、アメリアの身柄引渡しを要求された」
「は、はぁっ!?」
―――二人の話を要約すると、以下のようになる。
気を失ったアメリアが一時的に賢者アルキメデスと名乗る存在に憑依され、極大レベルの魔法を行使した。
その時、首都ライブリラの上層では魔法研究に身を置く学者たちの間で、蜂の巣をつついたような大騒ぎが起きていたらしい。
観測至上未だかつて無い規模の魔法の発動を受け、これは間違いなく賢者に関連した仕業であると学者たちは判断。
即刻氷獄図書館に包囲網が敷かれ、内部に侵入していた冒険者達―――無論アメリアらの事だ―――の情報が照合され、唯一魔法を扱う事の出来るアメリアがその極大魔法の行使者である可能性が高いとされた。
その結果、氷獄図書館を脱出した一行はアメリアの身柄引き渡しを要求されたのである。
ちなみにだが、アメリアは死んだわけではなかったと聞かされて、その点だけは少しほっとした。
「なにそれ……」
アルキメデスに憑依されただとか、極大魔法だとか、アメリアにそんな記憶はまるでない。
あまりにも現実味がなさすぎて、二人が冗談を言っているのではないかと思ったが、話し方からしてそんなつもりは微塵もなさそうだった。
「ああ、でもな? 引渡しには応じなかったぜ?」
「え、でもそれじゃあどうやって私はここに……?」
「……あいつらの態度が不愉快だったからな、ふん」
御剣が不快げに鼻を鳴らした。
ただそれだけで、御剣がどんな行動に打って出たのか、アメリアにはなんとなくわかったような気がした。
「……御剣さん」
「……暴れてないぞ。ちょっと脅しただけだ、ほんのちょっとな」
アメリアの生ぬるい視線を受けた御剣が、ほんの少し照れくさそうにそう言った。
そんな御剣の態度が面白くて、アメリアはくすりと微笑む。
「ふふ、そうですかっ」
「ああ、そうだ」
穏やかな雰囲気を漂わせる二人を前に、田中以下略が話を続ける。
「えーとだな、それで、なんとかして包囲を破った俺達は一旦落ち着ける場所を探したんだけど、何処もかしこも学者と衛兵の目があってさ、おちおち宿にも泊まれない状態だったんだ」
「で、そんな時に私たちの前に現れたのが、スピルだった」
一連の騒ぎを既に察知していたスピルとシャロミーは、アメリアの保護を買って出てくれたのだ。
「灯台下暗しってな! クエストの依頼主の家に隠れているなんて、まさか思いもしなかったんだろ。簡単に家捜しされた後はもう二度と衛兵達は来なかったんだぜ」
「そうだったんだ……」
「私達は白雪と氷の境まで逃走してしまった、という欺瞞情報をシャロミー氏に伝達して貰えたおかげでもあるがな。まあ、その代わりに私達はシャロミー氏の家にずっとカンヅメになってしまったわけだが」
つまり、この高級家具が並ぶ一室は、シャロミーが用意した客間か何かだということになる。
「うっ……ごめんなさい、私なんかの為に……」
二人はなんて事はなさそうに言うが、一週間も家にこもりっきりというのは御剣にとっては特にかなりのストレスだった筈だ。
田中以下略は元引きこもりだからまだいいとしても、御剣はアイテムやマップ、ダンジョンの調査を当初の目的としていた。
そんな御剣が自分の為に一週間も……と思うと、恥ずかしいやら申し訳ないやら嬉しいやらで、アメリアの胸は一杯になる。
「だから気にすんなってば!」
「田中ド―――田中の言うとおりだ。さぁ、水を飲め、飯を喰え。何せお前に聞きたい事が山ほどあるんだからな……」
「……? は、はい」
御剣の声が一瞬だけ不穏な気配を帯びたが、アメリアは言われて初めて気がついたのか喉の渇きと空腹を覚え、素直に言うとおりにする。
「……じゃ、じゃあ俺はシャロミーさんとスピルにアメリアが起きたって伝えに言ってくるから……。い、急がなくていいからな? ほんとに……うん……」
「う? うん」
アメリアはハムサンドイッチを小さく齧りながら、やけに挙動不審な田中以下略を見送る。
御剣は部屋を出て行こうとせず手近な場所にあった椅子を引っつかむと、それをベッドの脇に持って来て置き、優雅に腰掛けた。
「御剣さん?」
「いいから喰え。ゆっくりと、時間をかけてな。時間はたっぷりあるんだから」
「は、はぁ」
―――なんだか妙に威圧されているような気がするが気のせいだろうか。
気まずさを覚えながらアメリアは食事を続ける。
「おかわりもあるぞ」
御剣は足を組み、男なら誰でも胸が打ち抜かれそうな極上の笑みを浮かべながらそんな事を言う。
そのセリフに、以前田中以下略が放った伝わりにくいネタの事を思い出す。
田中以下略が言ったのなら笑い飛ばせたのに、御剣が言うと微塵も笑えなかった。
ただの偶然だろうか。
「……じゃあ、一個だけ」
「ほら」
御剣が手ずから、バスケットの中からサンドイッチを取りだす。中身はレタスだった。
(……ナーバスになってるのか、私の気のせいかな?)
心の中ではそう思っても、次の瞬間には御剣が抜刀して喉元に刀を突きつけてくるのではないか、という想像が頭をもたげてくる。
(……考えすぎだろ、うん)
アメリアの第六感らしきものが警戒音を発している気がするが、それも気のせいだろう。
(そうに違いない、うん)
そう考えながら食事を終えたアメリアは、やっぱり気のせいなんかじゃなかったと大いに後悔する事となる。
この後アメリアを待ち受けているのは、小一時間にも及ぶ御剣の尋問だったのだから。