クエスト・真名の契約書と魂のインク3
食事が終わり大なべと食器は片付けられ、代わりに空いた場所にティーセット一式が置かれている。
各人の前にあるティーカップに注がれた紅茶から湯気が立ち芳香を放つ。だが、それに手を伸ばすものはまだ誰も居ない。
「では、本題に入らせていただきます」
シャロミーの一言に、アメリアらは神妙に頷いた。
アメリアと田中以下略のみ、頭に大きなタンコブが一つ出来上がっているのがいささかシュールではあるが、それについて言及する者は居ない。
言うまでも無く御剣がこしらえたものであり、じくじくとした痛みに耐える二人は十分に反省し尽くしているからだ。
「ですが、その前に軽く自己紹介をしましょうか。私の名前はシャロミー、歴史研究家です」
軽く目を伏せてシャロミーは礼をした。
「御剣だ。冒険者をやっている、職業はブレイドマスター。好きなものは武器全般だが、特に刀が好きだ」
御剣が物騒な自己紹介をはきはきと言う。
「……………………フェンサーの田中です、今後ともよろしく」
田中以下略は田中ドライバーZと名乗ろうかどうかかなり迷ったあげく、田中とだけ名乗った。
「ええと、その……アメリア、です。シャーマンとかやってます、はい……」
アメリアはおずおずとしながら答える。
アメリアは自己紹介という奴が苦手だった。人とのコミュニケーションが苦手というわけではないが、自分に自信があまり持てないので、自分をアピールするという事が昔から苦手だったのだ。
それは魔法が使えるようになり、大きな力を扱えるようになった今となっても変わりない。
「みなさんありがとうございます。突然のお呼びたてにも関わらずいらして頂き、感謝の念に堪えません」
一通りの自己紹介が終わり、シャロミーが本題に入る。
「早速ですが……スピル、あの本を」
「かしこまりました」
いつの間にかシャロミーの側に控えていた、本調子を取り戻したスピルが執事らしく慇懃な態度で答える。
シャロミーの命により部屋の外に出たスピルはさしたる間もなく、既に用意してあったのかアーチ状の取ってのついたトレイを足で掴みながら飛んで戻ってきた。
トレイの上には一冊の古ぼけた書物が置いてある。それをシャロミーが受け取ると、スピルは再びトレイを掴み飛びながら退出する。
(便利だなぁ……流石は自称執事ってところか?)
ふらつくことなく一定の高度を保つスピルの動きは安定していて、かなり馴れている様子だった。
図体の大きさの割りに器用な事をするなとアメリアが関心する一方で、シャロミーは古ぼけた書物をテーブルの中央に置いて話を続ける。
「では……私が依頼したい事についてお話する前に、まずこの本について説明を挟む必要があります」
表題らしいものもなく、恐らく革か何かで出来ているらしいカバーもぼろぼろだ。とにかく見た目からして恐ろしく古い本であろう事はなんとなく分かる。
一体何の本なのか、答えを知らないアメリアと田中以下略はシャロミーの次の言葉を待った。
「この本の名は、『真名の契約書』。ライブリラ下層の氷獄図書館でつい最近見つかったものです。……氷獄図書館にまつわる伝説は、ご存知ですか?」
シャロミーの問いかけに、一同は黙って頷いた。
氷獄図書館。その名はライブリラ下層に存在する広大なダンジョンの名であり、ライブリラの本質が下層にあるといわれる所以でもある。
その名を知らぬ三人ではない。
「氷獄図書館は元々、大昔にとある偉大な賢者が創り上げた図書館だっていう伝説ですよね?」
アメリアは「クロニクル」の設定を思い出しつつ言った。
「はい」
ゲーム時代での話になるが―――。
千年以上も昔、ノースマジックランドの気候は比較的穏やかであり、今現在のライブリラがある場所には、まだ凍っていなかった湖の底から突き出た巨大な岩山があった。
ある日のこと、世界を旅していたとある賢者がその岩山に目をつけ、岩山を自らが持つ書物の保管庫にしようと目論んだ。
賢者は巨大な岩山を掘り進んで、地下数階からなる図書館を岩山の中に作り上げた。
周囲は湖水に囲まれており、外を守る外壁は堅牢な分厚い岩石だ。
生半可な侵入者は寄せ付けぬ図書館の出来に、賢者はたいそう満足した。
図書館の完成後、賢者は世界各地からありとあらゆる書物を集め図書館に収め、生涯の殆どをそこで魔法の研究に費やしたという。
「―――ええ、そしてかの賢者は今尚解明されることのない、知られざる魔法の研究に着手しました。ですが……」
どんな魔法の研究が行われていたのかは定かではない。しかしその魔法はいかな賢者といえど、とうとう死の間際まで完成させる事はできなかったらしく、賢者はある賭けに出た。
「何か」と契約し力を得て、魔法を完成させようとしたのだ。
その「何か」、は未だに不明のまま。神とも悪魔とも、あるいは世界の創造主とも言われているが、契約した結果起きた出来事は、賢者が望む結果とは異なるものだった。
「―――結局、その賢者さんは失敗してしまった、と」
かつて四季折々が巡る平和な大地だったノースマジックランドは、賢者の契約執行後、永遠に冬の世界に囚われることとなる。
湖は凍り、土地は雪に覆われ、生き物は死に絶えた。その時岩山を中心に出来上がった氷の城が、今のライブリラ上層の原形である。
賢者は契約後姿を消し、後に残ったのは、主の命令に従い愚直に図書館を守護、維持し続けるゴーレムたちと、「何か」との契約の影響で図書館に永遠に生まれ続ける、異次元のモンスター達だけだった。
「―――そして永い時が過ぎ、やがて沢山の人々が賢者の残した知の遺産とでもいうべき蔵書を求めこの地に集まり、その結果首都ライブリラが生まれたというわけだ」
首都ライブリラが誕生するまでにそのような歴史が―――もとい、設定があったのだ。
「素晴らしい教養ですね。歴史研究家として、満点を差し上げたい所です」
「ありがとう、シャロミー嬢」
「いえいえ、これくらい常識ですから」
「あー、ははは……」
花が咲くように喜ぶシャロミーに対し皆が当然のように頷く中、アメリアは苦笑いで答えた。
(えー……何それ……俺全然知らないんですけど……つーか田中も何鼻高くしてんだよ……!)
なにせ自分自身が記憶していたのは、始めの「賢者が図書館云々」という部分までだったのである。
続きをシャロミーや田中以下略や御剣らが、さも「当然だろ?」、と言わんばかりに話を進めるので、内心では無知がばれないかとひやひやしていたのだ。
(っかしいなぁ……何度か氷獄図書館で狩りしたりクエスト進めたりしたのになぁ……)
頭をひねってもひねっても、まるで脳みそはカラカラに乾いた雑巾のようで、記憶が絞りだせる気配はまるでなかったのだった。
「それだけ理解しているのでしたら話は早いです。この『真名の契約書』なのですが」
シャロミーの声にアメリアの意識が引き戻される。
小さくタメを作ったシャロミーは、少しもったいつけて言った。
「……かの伝説の賢者が、自ら書き上げた契約書! …………らしいのです」
途中までは興奮しながら、最後は尻すぼみな感じで、言った。
「……らしい、ですか?」
田中以下略が聞く。
「……はい」
「なんでそんな自身無さ気な」
「……見ていただければ、わかるかと思います」
「はぁ」
シャロミーが、すっ、と『真名の契約書』を田中以下略の元に差し出した。
受け取るがまま、田中以下略は『真名の契約書』を開いてみる。
「……真っ白じゃないですか」
ページを何枚捲っても、白、しろ、シロ。
ちょっと大きなメモ帳ですと冗談交じりに言われたら信じてしまいかねないほど、白一色だった。
「では次に、何処でもいいのでページを開いたままにして、片手に羽ペンを持ってください」
「……はぁ」
シャロミーから手渡された羽ペンを持ち、田中以下略は言われた通りにする。
「で、これに一体何の意味が……んん?」
言いかけていた田中以下略は、目を見張った。
「文字が、浮かびあがってきた!?」
あれほど真っ白だった『真名の契約書』のページに、内側から染み出すようにして文字が浮かび上がってきたのだ。
「読み上げてみてください」
「は、はい」
シャロミーに促され、田中以下略が恐る恐る文字を読み上げた。
『我は真名の契約書。世界と契約せし白紙の名札なり』
『己が真名を否とし、新たに真名を欲する者よ。汝の望みを叶えたもう』
『魂魄の血通う黒墨と共に、新たな真名を我が身に刻め』
『父母と神を裏切る価値がその名にあるのなら、賢者アルキメデスの名の下に契約は果たされる』
田中以下略は読み上げると続けざまに言った。
「っておいおい、もしかしてシャロミーさん、このアルキメデスさんってのが賢者って書いてあるから、伝説の賢者の契約書だって言ってるんじゃあ……」
田中以下略が呆れながら言うと、シャロミーは首をぶんぶんと振って否定した。
「いえいえいえいえ! そんなまさか! 確かに賢者というネームバリューはあまりに大きすぎて、偽者の類が見つかる事はままありますがこの本は違います! ちゃんと鑑定もしてもらってます! ……アメリアさん!」
「……はひぇ!?」
成り行きをぼけっとしながら見守っていたアメリアは、急に水を向けられた事で驚いて奇声を上げてしまう。
「アメリアさんはシャーマンでしたよね?」
「はっ、はい!」
「でしたら、この契約書に触れてみれば内部に潜む強大な魔力が感知出来る筈です、触ってみてください!」
「は、はぁ……」
ずいと身を乗り出したシャロミーに驚きつつも、アメリアは言われるまま『真名の契約書』に手を触れてみる。
「…………っ、こ、これはっ!」
すると手が触れた途端、アメリアの背筋をぞわりと駆け上がるものがあった。
魔法を使えるようになった自分だからこそ分かる、恐ろしい程の魔力の奔流を『真名の契約書』から感じる。
これはまさに規格外だ。
例えるならば、超小型の核爆弾に触れているようなものだろうか。
『真名の契約書』から感じる魔力は、それほどの力強さを感じさせた。
「田中、お前これに触ってなんともなかったのか?」
アメリアは聞かずにはいられなかった。
「……いや、特に何も?」
「……うっそだろ、これアカンやつだぞ。素人が下手に使ったらSAN値直葬しかねないくらいのヤバさを感じる」
「げえっ!?」
田中以下略が驚いて手を離す。すると『真名の契約書』に浮かんでいた文字は消え去った。
「分かって頂けましたか?」
「……確かにシャロミーさんの言うとおり、この契約書には凄い力がありますね」
「でしょう!?」
シャロミーが興奮するが、そこに御剣が口を挟む。
「そこまで分かっていながら、何故『らしい』と表現を濁さざるをえなかったのか、だな」
御剣の指摘を受け、シャロミーの姿勢が一転して気落ちしたものとなる。
「うっ……そ、それはですね……。『真名の契約書』の使い方は分かっているのですが、使う為に必要な道具がないので……ちゃんと効果が発揮できるかどうかの検証が出来ておらず……」
「ああ、なるほど。つまりシャロミーさんは、この『真名の契約書』が本物であると証明する為に必要な道具を俺達に取ってきて欲しいと、そういうわけですね」
「ええ、ええ……。歴史研究家として、この契約書がかの賢者の物である事はほぼ断定できますが、私たちの業界では『ほぼ』は認められないんです。確実、絶対、百%でないといけないんです……、九十九%ではダメなんです……」
消え入るような声で言ったシャロミーは、最後に「はぁ~」と溜息をついてしおらしくなる。
シャロミーが醸し出す雰囲気から、どうやら並々ならぬ苦労があるのだと察せられた。
(学者って大変なんだなぁ……)
派閥だとか学派だとか上下関係だとか、そういったしがらみもあるのだろうか。
アメリアには想像も付かない世界だが、兎にも角にも今のシャロミーはアメリアから見て少し可哀想に見えたのだった。
「(ついでに一応補足しておくが、この『真名の契約書』は紛れもない本物だ。何せ私のフレンドが以前、これで名前を一度変えているからな)」
御剣がパーティーチャットを用いて、口に出さずに言った。
「……話は分かりました。その必要な道具を取って来る事に異論はありませんけど、一応その契約書がどういう効果を持つのかだけ教えてはもらえませんか?」
既に答えを知っているが、田中以下略が確認の為に問いかける。
「……効果は真名の改名です。ですが、それは単語の意味で言う改名とは大いに異なります。
真名というのは魔法的研究学において度々言及される、『サーバー』と呼ばれる仮想の領域に存在する、全ての生命体一つ一つに根付いた真の名前の事です。
私たちが普段使う免許や通行許可証の類は、持っている人物と対応する真名を『サーバー』から直接呼び寄せて転写するので、偽名での登録が不可能だというのは有名な話ですよね?」
「……そ、そうですね」
田中以下略が少し間を空けて頷く。その頬がほんの少し引きつっているのを、アメリアは見逃さなかった。
「(なんだそれは、知らんぞ)」
「(俺も初耳ですよ!)」
「(っていうかサーバーって……そのまんますぎじゃない?)」
こういう時にパーティーチャットは便利だ。
少なからず動揺しているものの、裏で素早く簡単に会話が出来るため動揺を最小限に抑えられる。
「真名が『サーバー』に根付くのは、新しく生まれた子供が親から名を名づけられてから、およそ七年後と言われています。
それは他者から真名で呼ばれることで真名に力が宿り、人間としての個性や存在としての力が確固たる物となるのに、おおよそそれだけの時間がかかるせいとも言われています。
そんな真名ですが……今日に至るまで真名を改名できた人物は一人としていません。
偽名を名乗る事は可能でも、一度『サーバー』に根付いてしまった真名は、どうあっても改名できなかったからです。ですが、それがもし出来るとしたら……」
「かの伝説の賢者ならあるいは、ということか」
御剣が神妙に頷いた。
「そうなります」
「なるほど…………御剣さん」
「うん? ―――ああ、いいぞ」
田中以下略の視線を受け止めた御剣がその意を察する。
「わかった、その依頼、受けさせていただこう」
御剣が立ち上がり、右手を差し出した。
「本当ですか!?」
シャロミーが喜び立ち上がって、その手を握る。
「ああ、その代わり依頼の報酬についてなんだが」
「報酬ですか……そうですね、もし望むあれば手の届く限りで何でもご用意―――」
シャロミーの嬉々とした声を御剣は手で制す。
「彼、田中ド―――田中にその契約書を使わせてやってはくれないだろうか」
「えっ?」
きょとんとしたシャロミーが田中以下略を見て、御剣を見た。「そんな事でいいの?」と表情が物語っている。
「契約書の効果が本物であるかどうかも確かめられるし、私達に報酬も支払える。一石二鳥だと思うが?」
「は、はぁ……。本来は私自身で試そうと思っていた事ですから、別に構いませんが……本当にそれでいいんですか?」
「それで、お願いします」
田中以下略が重々しく頷く。
「……? では、お願いします」
そうして、一行はシャロミーから無事クエストを受諾したのだった。