初日のこと1
それは唐突に訪れた!
ある日突然、オンラインロールプレイングゲーム、「クロニクル」をプレイしていた人間が全員、ゲームの世界にプレイヤーキャラクターとして生まれ変わってしまったのだ!
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「うおああああああああなんじゃこりゃあああああああっ!」
全裸のアメリア―――この物語における主人公である―――は姿見の前で堪らず大声を上げた。
「ある! ない! 声が違う!」
胸に手を当てれば小さいもののふにゅりとした柔らかい感触があり、股間に手を当てればあるべきものがない。
そして我が声は、かつて聞く汚物とまで形容されたあの汚らしいだみ声ではなく、まるで鈴を鳴らすような愛らしい少女の声である。
「ほあああああ。ほああああ。童貞を守り通して三十数年、何時までたっても魔法を覚えやしないと絶望に明け暮れる毎日でしたが、まさか女を知る前に女になってしまうとは!」
姿見に映る美少女の裸体をたっぷり三十分は観賞する。なにせ自分自身なので犯罪じゃないのがいい。
ウェーブの掛かった金髪と透き通るような美しい肌に思わずうっとり。
手を閉じたり開いたりすれば、鏡の中の美少女もぐーぱーぐーぱーするし、ぎこちなくウインクをしてみればその愛らしさに思わず恋をする所であった。
この姿はまさしく、自らがプレイしていた「クロニクル」のプレイヤーキャラクターであるアメリアの姿そのままであった。
「何この子、誘ってるの……。……はっ、いかんいかん、これは俺だろう何を考えているんだバカチンめ」
危うく倒錯的な世界が開きかけたが、ハッとして己を取り戻す。
とにかく何かしら服を着たほうがいいなと、アメリアは身体の確認のために一旦脱ぎ捨てていたパンツを拾い、それを乱暴に履いた。
サイズは不気味な程ぴったりだった。元々履いていたものだから当然といえば当然なのだが。
「パソコンが急に光ったと思ったら女になっていたとかそれなんてラノベだよ。しかも、この部屋って間取りとか家具の配置的に、『クロニクル』の俺の飛家じゃないのか?」
少女趣味のフリルをたっぷりとあしらったベッド、家具、壁紙、大きなぬいぐるみ等々。
美少女らしいアメリアの姿に合わせた内装だ。
これらを全て集めて配置したのは三十台の男性であるという事実も踏まえて、全てが「クロニクル」のアメリアの自宅そのままの配置である。
「まさかゲームの中に入り込んでしまったとか……いやいやそんな馬鹿な、だがしかし……もしそうなら……」
アメリアは呟きながら腕を組み、悩んだ。
美少女になってしまった事で過去最高に興奮したアメリアだったが、冷静に考えてみれば今の状況はあまりにも異常である。
まさか。そんな。
そういった思いが脳内で渦巻くが、クロニクルというゲームに慣れ親しんだアメリアの目に映るこの部屋はどう見ても自分の飛家の部屋の中。
男だった自分が女になってしまった事も考えると、ゲームの中に入り込んでしまったと考えたほうがむしろ自然ではないかと思える程だ。
「……まあいいや、考えるのは後にしてとりあえず服を着よう」
アメリアは頭を振って考えるのを止めた。あれこれと考えるのはあまり得意としない所だからだ。
それよりもパンツ一丁であるよりかは、何かしら服を着たほうがいいだろうと考えた。
「さてと、もし本当にゲームの中なら……」
思い当たる事があるのか、アメリアはタンスを開く。
「黒っ! ってことは、やっぱりか」
開けたタンスの中は漆黒の闇で満たされていた。まっくろくろすけだ。
しかしそれはゲーム中でも全く一緒の状態である。
「うっ……それっ!」
多少不安ではあるものの、ゲームと同じならば問題はないだろうと意を決して手を突っ込む。
続けて中をまさぐってみるものの、何の手ごたえも感じられない。
「……おかしいな、クロニクルだったら適当にがさごそしたらアイテムを引っ張り出してたんだけど」
クロニクルであれば、タンスをクリックするとタンスの中に収納しているアイテム一覧が表示され、それをダブルクリックする事で操作キャラクターがタンスの中からアイテムを取り出すという動作を行っていた。
しかし、アメリアが同じような動作を真似てみてもそれらしき一覧のような物は表れないし、何の反応もない。
「あー……アイテム! ゲット! ウインドウ!」
色々と叫んでみるものの反応はない。
「くそう、せっかくの美少女なのにパン一はあんまりだろ!? せめて服の一つでも着させてくれよ! 普段の俺の装備とかさぁ!」
ヤケになったアメリアは叫んだ、するとその瞬間、タンスに突っ込んでいた手元に何か布のような手触りが感じられた。
もしかすると、これは。
確信を抱いたアメリアはそれを一気に引き抜き、それを見た。
「シャーマンドレス……」
それはアメリアの普段使いの装備の一つ、「シャーマンドレス上」だった。
確かに服である。しかし「シャーマンドレス上」という名が表すように、この装備にはセットとなる下の装備が存在する。
上の装備だけだと裾が短すぎて常時パンチラ状態になるし、下の装備だけだと上半身が丸裸になってしまう。
ひとまず何かを着るというのであれば理にかなっているが、どうせなら下も着たい。
そう考えたアメリアは再びタンスに手を突っ込む。
「さっきのは最後の言葉に反応したのかな……? ……ええと、シャーマンドレス下をくれ!」
単純にそう考えて言ったアメリアだったが、それは正しかったようで、またも手に布の感触が当たる。
むんずと掴み取ったそれを取り出せば、それは「シャーマンドレス下」だった。
自らの職業、シャーマンがレベル三十に達した時にお祝いとしてもらえるシャーマン専用装備のセットが揃った。
「なるほどゲームじゃねえの」
ゲームってすごいなぁと納得しつつアメリアはそれらを着た。
何故か普段から着慣れているかのようにするすると服を着れたのが少々不気味ではあったが、この際それは無視する。
ゲームだから。で何でも説明のカタがついてしまうような気がしたからだ。
「服も着たし……まずは何があったのかを調べないとな」
ひとまずは情報収集だ、そう考えたアメリアは自宅を出る。すると目の前は雲の海であった。
「おお! すごい景色……つかさっむううううううっ」
ところで、飛家とは読んで字の如く飛ぶ家である。
ゲーム内では眼下に雲が見下ろせるほど高く空を飛んでいた飛家だが、実際それほどの高度まで飛んでしまえばかなり寒いという事を今アメリアは思い知った。
「ここ、凍え死ぬ! 高度、高度を下げるのはどうすればいいんだ」
普段は下降用エレベーターを呼び出す為のパネルに近づくと、それは様々な色のパネルと小さな操舵輪があるだけだった。
ご丁寧にボタンごとに、下降やら上昇やら日本語で書き示してある。
「これか?……うわわわっ」
下降のボタンを押した瞬間、飛家は急降下を始めた。
エレベーターで下りる時のような浮遊感を激しくしたものがアメリアを襲う。
思わずパネルにしがみつくが、どうやら飛家自体になんらかのオーラ的力場が働いているのか、飛家から弾き飛ばされるような事はなかった。
ぐんぐんと地表を目指し下降する飛家に、まさか激突するんじゃないだろうなとアメリアが不安に思った頃。
「おっ……スピードが下がってきた」
飛家がじんわりとスピードを緩める。
そのおかげでようやく安心して辺りを確かめられるようになったアメリアは、目を見開いた。
「すげ……」
それは飛家の大行進だった。
アメリアと同じように、飛家が次々と雲海から雲の尾を引きながら降りてくる。
向かう先には下部に取り付けられたプロペラによって中に浮く案内板がレールのように続き、そこに家の形が様々な飛家がずらりと並んでいた。
そもそも家ではなく城じみたものもあるが、それらが並ぶ先は飛家用の空港だ。
家先から顔を出す家主たちは殆どが超のつく美少女と美少年ばかり。
皆一様に不安げな表情を浮かばせていた。
自動操縦になっているのか、アメリアの飛家もその列に続く。
「おーい! アメリアかー!? アメリアだよなー!?」
「んあ?」
驚きの光景を前に口を半開きにしていたアメリアがその声に視線を向けると、隣に並んだ飛家から顔を出す美少女が居た。
アメリアにはこんな北欧系銀髪超絶美少女の知り合いなど居ない。
しかし、顔の形とその美少女の服装からして思い当たる所があった。
「も、もしかして田中ドライバーZか!?」
―――田中ドライバーZ。
本人の自己申告を信じれば、性別は男。
「クロニクル」ゲーム内のアメリアのフレンドの一人である。
何故田中なのか、何故ドライバーなのか、そのケツについたZの意味とは。
意味なんか無いとは本人の談だが、かといってキャラクターの造形が所謂ネタキャラじみたものではなくガチで作っているあたりに、田中ドライバーZなりの自キャラクターへのこだわりがあるらしかった。
アメリアはそのキャラクターの姿形を良く覚えていた。美少女だからだ。そして数少ないフレンドの一人だからだ。
そんな彼、いやもはや彼女を見るに、アメリアのように女になってしまったらしかった。
「……お、おう!」
果たして正しかったのだろう。
田中ドライバーZは微笑み返してくれたが、その笑みがやけに引きつっているように見えたのは己の錯覚だろうかと、アメリアはいぶかしんだ。
「なんてこった。この世界に来ていたのは俺だけじゃなかったんだな」
「いやあ俺もえらく吃驚したが、どうやら俺達だけどころの話じゃなく、もしかしたら『クロニクル』プレイヤー全員がこの世界に着てる可能性があるぜ」
「ど、どうしてそんな事がわかるんだよ、田中ドライバーZ」
「…………」
「…………? どうしたんだよ田中ドライバーZ、教えてくれよ」
「それ、フルネームで呼ぶの止めてくれないか」
「えっ」
「せめて田中までにしてくれ」
田中ドライバーZは苦虫を噛み潰したような表情でそういった。
従わない理由もないので、アメリアは素直にそうする。
「えーと、じゃあ田中よ。一体どうして?」
「聞くよりは体験したほうが早いな。<ウィスパー・トゥ・アメリア>」
田中以下略がなにやら呪文めいた言葉を口にした。
「(聞こえるか?)」
すると田中以下略が口を動かしていないのに、頭の中に田中以下略の清らかな声が響いたのだ。
催眠音声じみて響く少女の声に、思わずアメリアはどきりとする。
「お、おおっ! 頭の中で声がするっ!?」
「(ウィスパーチャットだよ。つまり個人同士の秘密会話。俺はこれで他のフレンドさんから情報を得たんだ)」
「へ、へえ~っ! なるほど……」
「クロニクル」、というよりもオンラインゲーム全般に言える事だが、チャット機能というものがある。
チャット、と一口に言っても様々で。
周囲に聞こえるオープンチャット、パーティメンバーにしか聞こえないパーティーチャット、クランという団体のメンバーにしか聞こえないクランチャットといったものが例としてある。
その中で、一人と一人が他の誰にも聞こえないように会話できるチャット機能の事をウィスパーチャット、と言うのだ。
ゲーム内では、ウィスパーチャットを始めたい場合、whisper to キャラクター名、というコマンドを入力する事でウィスパーチャットウインドウが開く仕組みになっていた。
つまりそれを口語で言う事が、コマンド発動という意味合いになっているのだろう。
「ちなみに終わらせたい時は頭の中で線を断ち切るようなイメージを浮かべればいい」
「それも、フレンドさんから?」
「ああ、どうやらこの状況に陥ってから真っ先にいろんなことを試してたみたいでね、色々と教えてもらったよ」
「へぇ……すごい人がいるんだなあ」
アメリアは素直に感心する。
使えない奴と罵倒されてはいたが、これでも会社勤めの身である。
率先して道を切り開いていった人物は大抵、上へと昇っていったものだ。
田中以下略の語るフレンドさんとやらに、アメリアは自らにはない才能を感じてほんの少し劣等感を覚えた。
「っと、話してるうちに列が進んだな」
そうこうしているうちに、気がつけばアメリアと田中以下略の飛家は最前列にいた。
空港手前の検問所である。
青い制服に身を包んだ、汗がだらだらの青年が二人、空飛ぶスクーターのような機械にのって近づいてくる。
顔には強い疲労の色が浮かんでいる。
恐らくこの長蛇と貸した飛家の整列と処理を二人だけで行っていたのだろう。
だらだらと垂れる汗と、切れ気味の息がそれを物語っていた。
それでも職務を遂行しようと、二人の青年はぎこちない笑みを浮かべて、力の無い声で言った。
「す、すみません、冒険者の方ですよね。ヒューム共同国家の入国許可証か或いは冒険者証をお見せ願いますか」
「許可証!? ちょ、ちょっと待ってもらえますか?」
アメリアはそれを聞いて、今しがた学んだばかりの機能を使った。
「<ウィスパー トゥ 田中ドライバーZ>(田中、俺多分それ持ってるけど持ってないよ!)」
「<ウィスパー トゥ アメリア>(落ち着けアメリア。所持アイテムは、アイテムオープンと言えば確認と取出しが出来る)」
「(ありがとう!)ア、アイテムオープン……」
言われた通りにアイテムオープンと呟けば、アメリアの手元に大きな袋が現れた。
(冒険者証、冒険者証!)
袋の口を開けて中を探ると、液体の入った細長い瓶や、葉っぱ、良く分からないものがいくつかある。
どれもクロニクルの中で見覚えのある物ばかり。
それらを避けて袋の中をまさぐってみると、目的の物はすぐに見つかった。
鉄製の薄いプレートである。
運転免許証のようなそれは、ご丁寧に日本語でアメリアの名と職業、レベル、所属クラン名―――空欄である―――と、精巧な顔写真とが綴られていた。
記憶が正しければ、これはクロニクルでは必要事項が刻印されただけの鉄の延べ板のような扱いであった筈である。
えらく変わっているなと驚きつつも、アメリアはそれを青年の一人に落っことさないように恐る恐る手渡した。
「……は、はい、クラスB冒険者のアメリア様ですね。拝見いたしました、どうぞお通り下さい」
何やらほんの少し顔を赤らめた青年が冒険者証を返す。
近くでは田中以下略がアメリアと同じように冒険者証を手渡し、また受け取る所だった。
「はい、田中ドライバーZ様ですね」
と、大真面目に答えられた田中以下略は沈痛な面持ちだ。
そこでようやく、なるほど、とアメリアは田中以下略の思惑を察した。
(クロニクルの名前が、この世界では本名として扱われてしまうのか。当然といえば当然か)
通りで田中ドライバーZと呼ばないでくれ、と言うわけである。
アメリアは、自らの名をアメリアと名づけて本当に良かったと思った。
本名系プレイヤーではないが、かつての■■というありがちな日本人男性の名のまま女に生まれ変わっていたら、ちぐはぐな事この上なかっただろう。
「…………ん?」
その時、アメリアの脳内で何かが引っかかった。
しかしそれはすぐに霧散して消える。
「アメリア、とりあえず空いてる駐家場に飛家を留めたら迷い人の酒場に行こう、そこでフレンドさんと落ち合う事になってるから」
耳元に手を当てた田中以下略が言った。
件のフレンドとウィスパーチャットでもしているのだろうか。
「了解……でも田中よ、これ見てみろよ。俺達さ、酒場まで辿りつけるのか?」
「…………ううむ、微妙?」
「だよなあ」
自動操縦で進む飛家から身を乗り出して辺りを見下ろす。
そこはまるで夏と冬に開催される大型コミックイベントを思わせる人の海だった。
色とりどりの髪、服装の美少女と美男子の群れがこれでもかと言わんばかりにすし詰めとなって進んでいる。
何千、あるいは万以上か。
無数に集う、アニメやゲームの世界から飛び出してきたような姿の人間たちが放つ雑談、足音が大音量となってアメリアと田中の耳を打つ。
「これ、全員がそうなのかな」
「でしょうともよ」
「なんともまあ……」
冒険者達の首都が存在するヒューム共同国家に、「クロニクル」プレイヤー、総数四万五千とんで十一人が、集結していた。