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終幕、そして来世

 夢宮学園を舞台にした全面戦争。

 あちこちから火の手が上がり、所々で衝突していた。

 学園の治安部隊が相手をしているのは侵入してきた翼の一団だけでない。

 日頃から鬱憤していた反抗勢力や真紅の残党、反社会的集団といった大小様々な組織の蜂起。

 それによって夢宮学園内の秩序は完全に失われ、弱肉強食の様相を呈していた。

「……」

 鈴蘭達一行に守られている翼は生徒同士が殺し合う姿を痛々しげに見つめている。

 翼の苦悩は痛いほど分かる。

 この夢宮学園は元々人間のために造られた。

 鬼や時間といった人間を苦しめる要素から守るために作られた要塞。

 なのに今はその人間同士が殺し合う修羅場の舞台となっている。

 こんなはずじゃなかった。

 どうして争いあうの?

 そんな翼の心の叫びが表情となって表れていた。

「……」

 今の翼の心境を理解できないほど御神楽は野暮でない。

 彼は翼を悲しませているこの状況に対して怒っている。

 叶うのなら今すぐにでも悲しみしかないこの場所から翼を遠ざけたい。

 無理だとしても、この光景を変える手伝いをしたい。

 だが、それは許されない。

 何故なら、御神楽は無傷で法美の元へ辿り着かなければならないから。

 一時の感情で万が一を起こさせてしまえば後悔しても後悔しきれない。

 今、感情に任せれば確実に翼を悲しませる。

 その未来が御神楽の理性を保たせていた。


「が……ああ」

 生徒会棟の入り口付近。

 ここまで来ると第三学年しかいない。

 個人の武も組織の動きも優れた第三学年との闘い。

 死を覚悟している御神楽の集団といえども、質も量も勝り、果ては地の利さえも向こう側にあるがゆえ相対するのは難事だった。

 翼と御神楽を守る集団は百人以上。

 だが、生徒会棟の入り口に突入する頃にはほとんど全員が何かしらの傷を負っていた。

「結構厳しいな」

 生き残りの鈴蘭がぼやく。

 彼の武は貴重ゆえ止めに使われる。

 一撃が二撃なため一度の戦闘は少ないが、如何せん戦闘回数のケタが違う。

 覚えているだけで確実に百は越えていた。

 が、それで鈴蘭達が絶望しているわけでない。

 翼の言う通り、第三学年達は己の生命を第一においているため、気迫の差でこちらが押していた。

「もうそろそろ地下に繋がる扉だよ」

 翼の言葉通り、転位装置がある地下へと続く扉が目に入る。

 鈴蘭達は死闘を重ねながら扉の前に辿り着き、そして開けると――。

「っ! 鬼がいる!?」

 ある生徒が叫び通り、扉の奥から何十体もの鬼が飛び出してきた。

 鬼達は第三学年と違い、命を失うことを恐れていない。

 ゆえに力を失った生徒達は文字通り足手まといと化していた。


「さすが有馬口さん」

 焦りと焦燥を浮かべながら鬼と応戦する鈴蘭達を見つめながら翼は見えぬ敵を称賛する。

「人の盲点を突くのが上手い」

 自分達に痛みと恐怖を与えてきた存在。

 通常の感覚ならそんな鬼を扱おうなんて夢にも思わないだろう。

 だが、聖蘭はやった。

 転位装置へと続く道を鬼で満たすことによって翼達の足止めに成功した。

 このままだと聖蘭の目論み通り、翼の目的は挫折しただろう、が。

「全員! 引くよ!」

 翼の号令に合わせて御神楽達は退却する。

 退却する先は生徒会棟の入口。

 いや、正確には続々と集まってきた学園側の生徒達めがけてだった。

「お、鬼がいるぞ!」

「うわ! くるな!?」

 鬼の欠点は知能が低いこと。

 翼の集団も学園の生徒も鬼から見れば違いはない。

 ゆえに翼は鬼の集団を学園の生徒達になすり付けた。

「……さあ、行こうか」

 阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出した翼は一瞬だけ顔を顰めたものの、すぐに気を取り直す。

 懺悔は後にすれば良い。

 今は聖蘭の野望を止めること。

 止めなければ全てが終わってしまうのだから。

「「「「……」」」」

 いつも笑顔を浮かべていた翼が常に厳しい表情を保ち続けるこの状況。

 御神楽を始めとした鈴蘭達は、必ずしも目的を達成しなければならないと心に誓った。


 溜まっていた鬼を外に出したとはいえ、全ての鬼が出て行ったわけでない。

 進めば進むほど鬼の残党が御神楽達を苦しめた。

「戦いたい」

 後方を振り返った御神楽は歯ぎしりして唸る。

 前方の鬼だけでない。

 後方から追撃してくる第三学年の存在が嫌らしい。

 前門の鬼、後門の第三学年と御神楽達は挟み打ちとなっていた。

「このままじゃキリがねえ」

 先頭を切り開いてきた鈴蘭は立ち止る。

「作戦を変える! 一度も死んでねえ奴は翼と共に前へ進め! それ以外の奴はここに残って足止めだ!」

 鈴蘭の考えは一理ある。

 鬼達は一定の力がなければ倒せないが、第三学年が相手だと生きていれば良い。

 詰まる所、刺し違える覚悟があるのなら残るべきであった。

「鈴蘭君」

「そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ翼」

 鈴蘭の意図を理解した翼は心配そうな視線を向けるも、鈴蘭はニカッと笑って。

「俺は俺の役目を果たす、それだけだ――御神楽!」

「何だ?」

「絶対に目的を叶えろよ! もし無理だったら俺が絶対殺してやる!」

 ここでいう殺すというのは比喩表現の一種。

 つまり御神楽が失敗すれば鈴蘭は永遠に御神楽を許さないと。

「了解した」

 そこまでの意図を読み取った御神楽は力強く応える。

 散々翼に苦労を掛けてきたのに、ここにきてまた期待を裏切る。

例え鈴蘭が、翼が許したところで御神楽自身が許せないだろう。

「阿鼻地獄に落ちても構わない」

 翼の望みを果たせるのであれば、その代償として無間地獄に落ちようと後悔はなかった。

「そんなことは言うものじゃないよ!」

 が、無間地獄の苦しみを知っている可能性のある翼は間髪入れず叱ったが、残念なことに御神楽の決意を翻せなかった。


「……これは」

 御神楽はポツリと呟く。

 最後の鬼を倒し、辿り着いた先にあった部屋――否、空間の前に御神楽は呆然とする。

 この空間に入ったのは翼と御神楽の二人だけ。

 三木達はここに来る前の戦闘で力尽きていた。

 が、全くの無駄死にではない。

 彼等は約束通り、御神楽に刀を抜かせることなく送ることが出来たのだから。

「俺達は頑張ったよな?」

 彼等の笑みが御神楽の脳裏に焼きつき、何とも言えない激情を心の内から沸き立たせていた。

「空?」

 ここは夢宮学園の地下である。

 それも地底の奥深く。

 間違っても空が見えるはずがない。

「……完成させてしまったんだね」

 転位装置のシステムを完全に知っている翼は悲しそうに答える。

「どうしてこんなことをするのかなあ?」

 聖蘭のことを言っているのだろうか。

 翼の心境を知らない御神楽は状況から判断するしかなかった。

「――その答えは貴女が良く御存じなのでは?」

 カツン。

 廊下に靴音が響き渡る。

「最も貴女の近くにいた私の考えなどすべてお見通しなのでは?」

 ショートカットの黒髪に白磁の肌。

 計算された顔のパーツに底知れない光を放つ黒眼。

 日本人形を彷彿させる美の極致に立つ女子生徒――有馬口聖蘭。

 御神楽を追放したその日と全く変わらない姿が闇から現れた。

「谷上さん、貴女もなんだね」

「……」

 もちろん聖蘭一人だけでない。

 護衛として谷上法美が付き従っている。

 翼の悲しそうな視線を受けた法美は何を考えているのだろうか。

 御神楽と違い、感情を完全に制御できる法美の様子からその心中を察することは困難を極めた。

「目的を果たしても構わないでしょうか」

 だが、それはそれであり、これはこれ。

  御神楽の目的は法美の排除ゆえ、戦闘態勢を取る。

「慌てては駄目ですよ、元生徒会長」

 そんな御神楽を挑発するかの様に聖蘭は静止をかける。

「折角の邂逅。千年もの歳月の果ての再開なのですから、もう少し語りましょうか」

「……」

 そんな暇はないと御神楽は視線で翼に訴える。

 ここで時間を稼がれ、転位装置が起動したら目も当てられない。

 他にも後ろから第三学年が到着するかもしれない。

 時は聖蘭の味方なのである。

「そんな無粋なことをしません」

 御神楽の思考を読み取った聖蘭はやれやれと首を振る。

「初歩的教養しか身に付いていない第二学年の貴方では、遊びなど理解できないでしょうね」

 ここで言う遊びとは世間一般で言う時間の浪費でない。

 つまり知性を使っての思考の探り合い。

 最も近しい例をあげるとすれば、戦前の将軍同士による舌戦といったところか。

 武将が行うのが舌戦だとすれば、賢者が行うのが遊びである。

等活地獄の刑期は二兆年弱」

 聖蘭がお題を出す。

「気が遠くなるような時間をよくぞ私達は生きて来られましたね」

 しみじみと聖蘭は言葉を噛み締めるように呟く。

「普通なら気が狂う。いえ、気が狂ってもすぐに正気へと戻されますか。もし神とやらがいるとすれば、随分と私達に構ってくれますね」

 死ぬことも狂うことも許されない。

 御神楽達は正気を保ったまま二兆年近い歳月を過ごさなければならなかった。

「神なんていないよ、あるのは生命の法だけ」

 答えといわんばかりに翼は語り始める。

「生命は常に成長することを求めている。だけど、その成長の方向性を決めるのがその法。この世界は私達に罰を与えるための法となっているから苦しいんだよ」

 死ねない。

 忘れられない。

 逃げられない。

 何故なのか。

 それはこの世界が支配している法ゆえ。

 生命はその法に従い、そして生命は御神楽達の存在の根本である。

「相変わらず興味深い言葉を紡ぎますね」

 翼の答えに聖蘭はにっこりとほほ笑む。

「適うならばずっと貴女と遊んでいたいのだけど」

 聖蘭は申し訳なさそうな表情を作って。

「生憎と私と貴女では考えが違い過ぎるのです」

 聖蘭は能ある者が優先的に救われるべきと考え。

 翼は万人が救われるのが当然だと信じている。

 到達点が同じであろうと、出発点が違うため協力できることはない。

 唯一の共存方法は不干渉を貫くことであった。

「……もうよろしいでしょうか?」

 遊びが終わったと判断した御神楽は翼に確認をとる。

 御神楽の腰にさした刀がわずかに音を鳴らす。

「私は一向にかまいませんよ」

 許可の言葉は翼でなく聖蘭の口から。

 彼女はホホホと口元を隠しながら。

「夢宮の番犬との異名を持つ谷上法美、現夢宮の番犬である御神楽圭一――新旧の番犬が戦えばどちらが勝つのか興味がありますね」

「……」

 聖蘭は戦いを望んでいる。

 御神楽からすれば願ってもいない申し出だが、意外なことに彼は顰め面を作った。

 何せここで戦っても喜ぶのは聖蘭であり、肝心の翼を苦しめる。

 戦う前に気を削がれてしまった御神楽。

 だが、この一瞬がいけなかった。

「御神楽君⁉」

「っ」

 僅かに集中力を途切れさせた一幕を突くことは法美にとって造作もないことである。

 地面を蹴り、あっという間に間合いを詰めた法美は抜刀し、すぐさま御神楽の体を真っ二つにするところだったが。

「させるか!」

 法美は左利きなのが幸いした。

 鞘を少し動かすことによって剣線をずらし、体の両断を避けることができた。

「この鞘、特別製なのだけどな」

 その斬撃を受け切った鞘は無残にも破壊されてしまう。

 抜刀術を使えなくなったのは痛いが、それでも先頭不能になるかは遥かにまし。

 御神楽は己にそう言い聞かせ、右手に刀を握り締める。

 このまま戦闘モードへ入りたい御神楽だが、万全の状態にさせてくれるほど法美は甘くない。

 すぐさま追撃しようと構えるが。

「少しは落ち着け」

 御神楽は右足を軸に体を半回転させ、その遠心力で蹴りを見舞う。

 もちろん普通に躱した法美だったが、リズムを崩され、後退を余儀なくされた。

 法美の靴音が響き、静寂が訪れる。

「どれだけの距離を詰めてきたんだか」

 冷や汗を垂らしながらそう呟く御神楽。

 目算でも二、三十メートルの距離があった。

 それを一歩で詰めてきた法美。

 この脚力。

 さすが学園最強と謳われたことだけある。

「私からも言わせてもらいましょう。よく反応できましたね」

 返礼とばかりに法美はそう称賛する。

「あそこまでいけば絶対に反応できませんでした」

 法美は脚力だけでなく抜刀術も高い。

 神速の抜刀術は結果のみを残し、過程はおろか前兆など察知できないはずであった。

「これでも色々と経験を積んできたのでね」

 夢宮学園を追放された御神楽は外部で鬼との死闘を繰り広げていた。

 鬼とは力一辺倒の単純な存在ではない。

 意識を操った似せたりなどあの手この手も使用し、御神楽たちを惑わせていた。

「これぐらいで負けたらとてもじゃないが生きてられないさ」

「なるほど……」

 御神楽の言葉に得心がいった法美。

 その瞳は弟子の成長を喜ぶ師匠のそれと酷似していたことを追記しておこう。

 この場面だけ切り取るなら美しい師弟の絆。

 だが、現実には守るべき主が違う対立関係の二人。

 主のため、眼前の敵を排除することに第一に置いた双方の目に憐憫の感情は浮かんでいなかった。

 御神楽と法美。

 激しい死闘を繰り広げている脇で翼と聖蘭は語り続ける。

「楽しいわね」

 聖蘭は両手を広げて喜びを表現する。

「互いの信念と信念がぶつかり合うことによって生まれるエネルギー。その内の一つに立っていることが堪らなく嬉しいわ」

「どうして有馬口さんは上から目線なのかな」

 頭を振りながら翼は問う。

「頭も良いしカリスマ性もある。その力を皆のために使えば素晴らしいことができるのに、何で自分のためにしか使わないのかな?」

 聖蘭のスペックは他の生徒――第三学年の中でも突出している。

 その余りある能力を何故周りの生徒のために使用しないのかと翼は嘆く。

「ふん、馬鹿馬鹿しい」

 翼の問いに対する聖蘭の答えは冷笑。

「何で愚か者達に奉仕しなければならないのです」

 時間の無駄だと。

 何も分からず、頓珍漢な行動しかしない愚人のために動くのは聖蘭自身が耐えられない。

「有馬口さん、貴女も始めはその愚人だったんだよ?」

 翼は続ける。

「貴女は他人より少し早く気付いただけ……早いか遅いかの違いだけなんだよ」

 何も変わらない。

 時間が経てば聖蘭が愚か者と切り捨てた生徒も彼女と同じ位置まで上がってくる。

「頭が良い有馬口さんは昔のことを忘れてしまったの?」

 文字を一読しただけで暗記できるほど記憶力も高い聖蘭なら昔のことも覚えているはず。

 その当時の記憶を呼び起こそうと懸命に訴える聖蘭。

 果たして効果はあるのだろうか。

「っ」

 一瞬顔をしかめた様子から、少しだけはあったようだ。

 しかし、すぐに気を取り直し、表情を繕う。

「あの時は思い出したくもありません」

 聖蘭は苦いものを噛み締めたかのように震える言葉で。

「もし出来るならその時の自分を抹消したいです」

 黒歴史だと。

 思い出すことは禁忌だと言わんばかりの態度を取る聖蘭。

「……そっか、有馬口さんは許せないんだね」

 得心がいったように翼は微笑む。

「昔の自分と同じ言動をとる他の生徒が憎くて堪らない。そしてもっと憎いのが愚かな昔の自分なんだね」

 何故聖蘭は執拗に無能な生徒を嫌うのか。

 それは、その生徒を通して過去の自分を映し出すから。

 思い出したくもない忌まわしい過去を蘇らせる、愚かな生徒の存在など聖蘭は消してしまいたかった。

「っ、余裕ですね」

 形勢の不利を悟った聖蘭は他の出来事――御神楽と法美の決闘に意識を移す。

「貴女の犬が劣勢ですよ」

 聖蘭の言う通り、御神楽の状況はあまり芳しくない。

 最初で鞘を壊されたこともあるが、何より基本能力は法美の方が上。

 時間が経てば経つほど御神楽が劣勢になるのは当然のことだった。

「うあ⁉」

 御神楽が声を上げたのは法美のフェイントに騙され、左腕を無防備にしてしまったから。

 当然法美はその左腕を狙う。

 その結果、左手を斬られた御神楽は両手で刀を扱えなくなってしまった。

「勝負ありですね」

 間を取った法美はそう告げる。

「刺し違える覚悟を持った貴方の剣は立派でした。しかし、片腕を封じられればそれは適わないでしょう」

 実は御神楽。

 最初から捨て身で仕掛けていた。

 傷つくこと恐れず、己の体を差し出してまでも隙を作ることに腐心した御神楽。

 加えて強固な信念。

 この二つの要素が御神楽を法美と互角に戦えるまで引き上げていた。

 だが、それももう出来ない。

 物理的に、これ以上相対することを許さない。

 斬られた左腕だけでない。

 最小限の動きで法美の攻撃を避けた結果、御神楽の体は血まみれだった。

 血を失い続けた結果、油が切れかけた機械のように御神楽の身体は動くことを拒否している。

 決着。

 誰が見てもそう捉えるだろう。

 御神楽の瞳は死んでいないが、もはや精神力で補えるレベルをとうに越していた。

「まあ、褒めてあげましょうか」

 厳かな調子で聖蘭が告げる。

「私達の遊びが終わるまで耐え切れた。第二学年とはいえ、その強さに敬意を表しましょうか。

「……」

 お前に褒められても嬉しくとも何ともない。

 御神楽の瞳はそう訴えていた。

 さて、翼はこの状況をどう思っているのだろうか。

 唯一残った剣である御神楽が満身創痍状態に陥った。翼では法美に勝てる可能性など万に一つもない。

 絶望という言葉が最もよく似合う場面だろう。

「――御神楽君」

 翼が彼の名を呼ぶ。

「っ!……分かった」

 静かな、しかし決意の籠った声音に御神楽は何かを読み取ったようだ。

 一瞬信じられないとばかりに首を振った御神楽だが最終的に了承する。

 もはやこれしか勝つ手段はないといったように。

「何をしようとしているのでしょうか」

 二人のアイコンタクトに法美は眉根を上げる。

「君達には絶対できないことだ」

「……」

 御神楽の闘志の籠った言葉に勘ぐる法美。

「ハッタリよ、法美」

 見に回った法美を聖蘭はそう叱咤する。

「相手はもう何もできない、牙を抜かれた獣状態。一気に決めちゃいなさい」

「分かりました」

 法美は乗り気でないが、主である聖蘭が所望するなら従うほかない。

 体を沈み込ませた法美は納刀する。

 抜刀術。

 法美の十八番の技。

 神速の技はこれまで敵対してきた鬼や生徒を葬ってきた。

 フッと法美の輪郭がぶれる。

 攻撃態勢に入ったようだ。

 一瞬後には御神楽の体が真っ二つになった光景が出現するのだが。

「え?」

 法美が呆けたのも無理ないだろう。

 刀が御神楽を捕えるより先に、翼が彼の前に躍り出たのだから。

 法美はすでに攻撃態勢に入っていた。

 キャンセルなど出来るはずがない。

 攻撃は決められた動作に従い、法美の剣線は御神楽の代わりに翼の体を真っ二つにした。

 翼は法美の元主。

 昔の自分が思い出された法美は混乱し、一瞬の空白を作り出す。

「……!」

 もちろんその決定的な隙を御神楽が見逃すはずもない。

 残された右腕を操って刀を一閃させ、法美に致命傷を負わせた。

 袈裟斬りされ、真っ赤な花を咲かせながら倒れこむ法美。

 これまで培ってきた力が失われていく感覚を法美はどのような心境で感じているのだろうか。

 御神楽に分かるはずもなく、疲れ果てた御神楽はその場にどうっと倒れた。

「お疲れ、御神楽君」

 再生が終わった翼は彼の額に手を置く。

「君の役目は十分に果たせたよ」

 最強の法美を失った聖蘭にもはや盾はない。

 本人もそのことを承知しているのだろう。

 張り付けた笑顔の裏で冷や汗をかいていた。

「後は任せて」

 翼はそう言い残して御神楽に背を向ける。

「また、会えるといいね」

 その言葉を最後に、血を失いすぎた御神楽の意識は途絶えた。

「きりーつ、礼、ありがとうございました」

 学級委員の言葉で全員が立ち上がり、礼をする。

 心中で何を抱いているかは関係ない。

 構築されたプログラムのように体が勝手に動いていた。

「はあ……」

 一日の授業が終わり、皆が部活やら帰宅やらで騒がしいこの時期。

 生徒の一人である御神楽はどれにも交わらず、窓の外を眺めていた。

「……変な夢だったな」

 物憂げな表情で考えるのは今朝方見た夢のこと。

 等活地獄という場所で夢宮翼と名乗る人物と出会い、学園を作り、そして守った夢。

 それだけならほかの夢と変わらないのだが、あれは違う。

 時が経とうとも薄れることはなく、かえって鮮明になってくる。

 まるで体験談のように。

「馬鹿馬鹿しい」

 そんな思いを振り払うかのように御神楽は頭を振る。

 死後なんてあるはずがない。

 死んだら無に変える、それで終わりなんだ。

 と、御神楽はそう自分に言い聞かせるのだが、心はあれが真実だと叫んでいた。

「あれー? どうしたの?」

 御神楽の憂鬱を振り払うかのように掛けられた声。

「粟生君か」

「ふふーん、正解」

 香苗はにぱっと笑う。

 この学園に入った時、同じクラスになったことをきっかけに仲良くなった女子生徒。

 風のように自由な彼女はこうして御神楽の思索を中断させるのが常である。

「で、何の用だ?」

 まあ、御神楽としては、その思索が大抵ろくでもないことなので、中断してくれたほうがありがたい。

 ゆえに邪険に扱わず、一人の友人として接していた。

「いやあ、実はねー」

 ニコニコと笑いながら香苗は続ける。

「この近くにいい店ができたのですよー。で、偵察も兼ねて行ってみようかなーって」

 情報通を自認している香苗はこの手の話題が大好物。

 ゆえに事あるごとに御神楽を誘う。

「鈴蘭君もか?」

「もちろん」

 鈴蘭留也とは三人の内の最後の一人。

 粗暴で協調性がなく、常に一人な時が多いという生徒。

 なのに何故か御神楽や香苗と共にいる。

 三人とも変だとは思いつつも、納得できる答えが見つからないため、為すがままに任せた結果、いつも三人でそろっていた。

「さあ、早く行きましょうかー」

 御神楽が行く気になっているのを確認した香苗はそう急かす。

 気が変わらないうちに引っ張っていくのが香苗のスタイルである。

「分かったからそう急かすなって」

 香苗の強引な態度に御神楽は辟易しながらも従う。

 一年の付き合いで香苗の性分は大体把握していた。

「それでは、校門前に待っていてくださいねー」

 鈴蘭を捕まえに行ったのだろう。

 御神楽が静止する間もなく香苗は風のように消えていった。

「……ったく」

 香苗が去った方角を見ていた御神楽は頭をかく。

 相変わらず自分勝手。

 だが、それに悪い気がしない自分に対して呆れる。

「何で僕は粟生君や鈴蘭君と仲が良いんだ?」

 自分でもいうのもなんだが御神楽は風紀委員に所属する謹厳実直な性格。

 自由奔放な鼎や不良生徒の鈴蘭とよくつるむ理由がわからない。

「もしかするとあの夢が。いや、まさかな」

 咄嗟に浮かんできた答えを御神楽は否定する。

 三人が一緒にいる理由を夢に求めるなど愚の骨頂。

 そう考えた御神楽は頭を振って思考を切り替える。

 少しの間現実から意識をそらしていたからだろう。

「きゃっ!」

「うお⁉」

 曲がり角からやってきた女子生徒と正面衝突をしてしまった。

 向こうの方が速度を出していたせいか、吹っ飛んだのは女子生徒でなく御神楽。

 無意識中に受け身をとって軽減させたが、それで混乱から立ち直るわけじゃなかった。

「ご、ごめんなさい」

 ダメージの少なかった少女は両手を合わせて謝る。

「まさか人がいるなんて思わなくて」

 その言葉からそそっかしい生徒だと御神楽は推測する。

「いや、大丈夫だ」

 御神楽は向こう側に怪我なくて良かったと安堵する。

 中学まで県道で腕を鳴らした御神楽。

 この程度のハプニングなどどうでもよかった。

 制服についた埃を払いながら立ち上がる御神楽。

「ごめんなさい、私、もう行きます!」

 その生徒はよほど慌てているのだろう。

 御神楽が何も言う暇もなく走って去ろうとする。

「早く行かないと有馬口さんが大変な目に合うんです!」

「有馬口?……ああ、彼女か」

 御神楽は得心する。

 この学園の名物生徒、有馬口聖蘭。

 容姿端麗、才色兼備と高スペックなのに運がとてもつもなく悪い。

 その悪さは自身だけでなく周りも影響を受ける。

 彼女と友人になると酷い目に遭うという都市伝説まで出回っているぐらい報告が相次ぐいた。

 彼女とお近づきなるのは剣道の全国優勝者の谷上法美ともう一人だけだろう。

 そのもう一人の名前は。

「もしかして、貴女は夢宮翼先輩ですか?」

 その事実に思い当たった御神楽は思わず彼女の肩をつかむ。

「およ、そうだけど」

 肩をつかまれたにも拘らず翼は表情を変えない。

「私の名前は夢宮翼、それがどうしたの?」

 翼からの肯定の言葉。

 単なる音。

 しかし、それが御神楽の遠い記憶――過去世の経験を呼び起こす。

「あ……ああ」

 唇を震わせた御神楽は両手で翼の肩をつかむ。

 見知らぬ生徒の両肩をつかむなど普段の御神楽は絶対に行わない。

 そうなのにあえて行った理由はただ一つ。

「この時を……待っていました」

 それは統括地獄での記憶。

 法美を倒した御神楽は精根尽き果て、その場に崩れ落ちた。

 そのあとどうなったのだろうか。

 一度死に、無力となった翼はどうやって聖蘭の野望を打ち砕いたのだろうか。

 その過程は翼しか知らない。

 しかし、結果はわかる。

 御神楽や香苗、鈴蘭がこうして転生している以上、出た答えは。

「その通りだよ御神楽君」

 にっこりと。

 翼はあの時の笑顔で応える。

「君達の活躍によって君たちはあの地獄から解放されたんだよ」

 赦された。

 御神楽が崇拝する翼は皆の希望通り、目的を達成した。

 だが、御神楽が鳴くのはそんな理由だけでない。

 もう一度会えた。

 しかも平和なこの時期に。

 当時の御神楽が望んでいた願いが叶っていることを知り、御神楽は止めどなく泣き続けた。


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