繰り返される決意
風紀委員棟はその重要性から生徒会棟に近い場所にある。
生徒会棟が天を突く様な縦長の建物に対し、風紀委員棟は陣を連想させる横長。
それは、風紀委員の職務上、死んで弱体化するわけにいかず、建物の構成を複雑にして一網打尽を防ぐためであった。
その陣の中央に位置する小部屋。
そこが風紀委員会の本丸。
風紀委員長――谷上法美が佇む部屋だった。
第三学年、法美を一言で表すなら法の体現者。
普段は温厚で寡黙だが法を犯す生徒に対しては一片の慈悲すら与えない。
それこそ夢宮翼であろうが法を犯したのなら容赦無く罰する。
例えるなら鬼神。
ゆえに法美は二重人格という噂が立てられていた。
「久しぶりですね、御神楽、そして新開地さん」
自らドアを開けて二人を出迎えるのは法美。
風紀委員長クラスとなれば、お付きの生徒がいてもおかしくないが、法美は拒否をしている。
「同じ生徒に上も下も無いでしょ?」
要するに法の下では生徒は皆平等ということである。
一応第一学年や第二学年といった区別はあるのだが法美曰く、人工的に作られた区分に分けるのはおかしい、とのこと。
ずれた論理だなど思う生徒は多いものの、それは法美の個性として黙認されている。
御神楽や法美を始めとした各々の生徒は矜持を持っている。
この姿形の変わらない世界においては、その矜持こそが個性であるがゆえにそれらを尊重しなければならなかった。
例として、誰だろうと夢宮翼を誹謗中傷する輩は許さないという矜持を持つ御神楽。
それが原因で生徒を殺してしまっても正当防衛として片付く。
詰まる所、生徒の数だけ法律の数がある状態である。
「相変わらず地味ねえ」
髪の毛を肩口付近に切り揃えた法美。
特徴といえばそれだけ。
目や鼻といった他の要素はありきたりすぎて表現することが難しい。
つまりノーマルの法美は、紹介を受けなければ、すぐに忘れてしまいそうな程普通の容姿だった。
「これが夢宮学園生の基本服装なのです」
「それはそうだけど……」
罰則のない“約束”を律儀に守っているのは法美だけだろう。
堅物である御神楽でさえ日本刀を常時携えている。
本来なら没収されてしかるべきものだが、御神楽本人は模擬刀だと言い張っていた。
……模擬刀なのに何故切れるのかは分かっていないが。
「やれやれ、あんたのお固さは凄いわよ」
真紅は腰まで伸ばした自慢の髪を掬い上げ、両耳に付けたピアスを見せびらかす。
約束破りの真紅に法美は内心イラッときたかきていないとか。
表情を偽装するのが得意な第三学年の心情など御神楽に分かるはずもなかった。
「ウフフ、やっぱり谷上は面白いわねえ」
理解できるのは同じ第三学年の真紅だけだろう。
「コホン。さて、御神楽。貴方は何用で私と面会を希望したのですか?」
一つの集団の長というだけある。
咳払い一つで周りの空気を重くした。
「元は第二学年の執行部隊長として在籍していたがゆえに、このような温情措置を行いましたが、本来ならありえないのですよ?」
「承知しています」
御神楽は法美の作り出した雰囲気に呑まれまいと日本刀を固く握りしめる。
「これまで培ってきた信頼を引き換えにしてでも知りたい情報がある」
「……」
御神楽の決意を法美はどう受け取っているのだろう。
視線を真っ直ぐに見据え、御神楽を観察する法美。
「――確認ですが、風紀委員長として生徒会が出すであろう法令に対してどのような態度で臨むのでしょうか?」
「――最高規則に違反しない法令である限り、風紀委員会は従います」
風紀委員は治安を守る存在であり、御神楽の持つ日本刀の様な“力”の象徴。
規則こそ絶対であり、そこに私情を挟むようでは風紀委員として失格である。
「そうですか」
額面通りの答えを受け取った御神楽はそれを下の上で転がした後、もう一度口を開く。
「では、谷上法美は友人である有馬口聖蘭に対してどう思っているのでしょうか?」
この答えこそが法美との信頼関係を無に帰してまで御神楽が得たい情報。
公でなく私にまで踏み込んだ質問。
御神楽が最も恐れる事態。
それは谷上法美が敵に回ること。
法美は知識だけでなく、武の方も名高い。
彼女単体で風紀委員の精鋭を同時に相手出来るほど。
御神楽など片手片眼というハンディを貰わなければ到底太刀打ちできないだろう。
そして何より法美は、御神楽を風紀委員会へ誘い、厳しく鍛えて頂いた師匠の様な存在である。
弟子が師匠に逆らう。
それは人が犯す罪の中でも最も重い罪の一つ。
殺人と同等、もしくはそれ以上の悪行であるが故、御神楽が躊躇うのも無理はなかった。
「……」
果たして法美はどう返答するのであろうか。
中立を保つのであれば問題ない。
非礼を詫び、そして最近までお世話になった事実に感謝を述べるだけである。
「……」
御神楽としてはそちらを切に願う。
法美は夢宮翼とまた違った大切な存在。
敵として相対するのは断固ごめんであった。
「…………御神楽、貴方にとって夢宮翼の理想を復活させることはどのような位置づけですか?」
長い沈黙の後、法美はそう口火を切る。
「それは生徒会長でないと出来ないのですか? 仲間がいないと不可能なのですか? もっと言うならば、環境が整わなければ達成できないと仰るのですか?」
「っ」
法美の言葉に御神楽は二重の意味で衝撃を受ける。
一つは夢宮翼の理想の位置付け。
どうやら御神楽は、夢宮翼の理想を復活させるには生徒会長であることが必須だと知らず知らずの内に考えていた。
それゆえまずは有馬口聖蘭をその座から引きずり降ろすことを当面の目標と捉えていた。
しかし、そうではないのだ。
生徒会長や有馬口聖蘭の存在は単なる一要素でしかない。
難易度の違いは出てくるが、出来ないわけじゃない。
本末転倒。
目的と方法を逆に捉えているという事実を指摘された御神楽は己の不明さについて恥じた。
――それが一つの衝撃。
もう一つの衝撃というのは。
「もし友人の有馬口聖蘭が助けを求めた場合、私は風紀委員長の座を降りて彼女に救いの手を差し伸べるでしょう」
師匠である谷上法美が敵に回る事実を知ったからだった。
聖蘭の欲望と夢宮翼の理想は決して相入れることはない。
ゆえに聖蘭とは遅かれ早かれ敵対しなければならないだろう。
それは同時に法美をも戦わなければならなかった。
「……どうしてですか?」
一筋の涙を流しながら御神楽はか細い声で問う。
「何故貴方の様な素晴らしい生徒が有馬口の親友なのでしょうか?」
最初から最後まで。
御神楽は法実に反感を持ったことはない。
ましては憎悪の感情など一瞬でも抱いた覚えもない。
そんな生徒が何故聖蘭の親友なのか御神楽には分からなかった。
「……何故貴方は田尾路と共にいたのですか?」
それが法美の答え。
「誰から見ても、自身でさえ気付いていたでしょう? 彼と共にいることは己にとってなんのプラスにならないと。けど、何故つい最近まで切らなかったのですか?」
「それは……」
反射的に御神楽は口を開くが、出てくる言葉が見つからずに口をパクパクする。
「分かっているでしょう、心地よいからですよ。風紀委員長として清廉潔白な私に疲れた時、聖蘭の傍にいると安心するのです。『ああ、自分は一生徒なのだと。特別な存在ではないのだと』気が楽になるのです」
法美の独白に御神楽は口を挟めない。
挟めるはずもない。
法美の苦悩は御神楽も自身の経験に刻み込まれている。
もし、今の法美を笑い飛ばせる生徒がいるとすれば。
「ふん、下らないわね」
その聖蘭とタメを張れた真紅だけだろう。
「自分を着飾るのに疲れましたと。何それ? それが疲れるのであれば最初っからしなけりゃいいじゃない」
真紅は御神楽の激しい敵意を受けながらも続ける。
「私達は瞬間瞬間で変わっているのよ? その絶対的な法則を無視して各一画に固定する前提がおかしいわ。まず守るべきは大元となる法則。それを根本に行動すればあんたらみたいにメソメソする必要はなくなるわよ」
本能の塊にも拘らず第三学年まで上り詰めた真紅なだけある。
不良生徒の鈴蘭よりも本質を得ていた。
「さすが第二生徒会を立ち上げたことがありますね」
そんな真紅に対し、法美は素直に称賛し。
「だからといって夢宮翼の理想を壊そうとする言動は許容できないけどな」
御神楽は悔し紛れにそう呟いた。
「さて、大分時間も押していますね」
法美の言葉で御神楽は時計を確認する。
本当だ。
決められた刻限から少し過ぎている。
「他に何かありますか?」
「いえ、もうありません」
もう少し法美と話したい御神楽だが、その願望を表に出すわけにいかないので首を振る。
「ありがとうございました」
そういった複雑な感情を噛み殺すために御神楽は深く頭を下げた。
立ち上がり、ドアへと向かう御神楽と真紅。
二人とも背を向けているので法美の表情は分からない。
「御神楽」
ゆえに二人は声で判断するしかなかった。
「私は貴方を次期風紀委員長にしたかったのですよ」
「っ」
御神楽は反射的に振り向きそうになる。
師である法美から告げられた言葉。
そこまで己に多大な期待をかけて頂いた事実に対する感謝と、それを実現しなかった己の不明からくる罪悪感。
とにかく今は法美の傍に駆け寄りたい。
そんな衝動に駆られる御神楽だが。
「無粋なことをしては駄目よ」
隣の真紅が御神楽の頭を掴んで阻んだ。
「すでに選択の時は過ぎ去った。“時”を逃した行動は裏目に出るだけ。ここは何も聞かなかったことにしなさい、それが互いのためよ」
真紅の言葉に一理ある。
ゆえに御神楽は渾身の精神力を使ってドアノブを握りしめ、唇を噛み締めながら風紀委員長の部屋から退出した。
「何と言うか……疲れたわね」
天を仰いだ真紅は疲れた様子で呟く。
空はすでに夜の帳が下りており、灯りは学園から発せられる光のみ。
通常の生徒はすでに帰宅の途に付いており、校舎に残っているのは残業をしている生徒のみだった。
「私はもう帰って寝るけど、あんたはどうするの?」
目を真っ赤にはらしている御神楽に真紅はそう尋ねる。
「あんたのことだから、突然降って湧いた自由時間をどう使って良いのか迷っているのでしょう?」
「そうだな」
真紅の言葉に肯定の意を示す御神楽。
何せ御神楽は学園が出来てから今までずっと働いていた。
こうして定時に終わり、何もすること無いというは初めての経験である。
詰まる所、御神楽は与えられた時間を持て余していた。
「少し街を見てこようかと思っている」
ここでいう街とは娯楽施設が建っている区画。
ゲームセンターやディスコ、飲食店など夢宮翼の思想に関係のない、暇つぶしのための場所だった。
「有馬口君と相対するためには、まず一般生徒の生活を知らないといけないからな」
書類上の生活ではない。
現場に密着した、生徒の吐息が聞こえるような現場を知りたい。
「まずはそこからだ」
夢宮翼も、一般生徒の思いからかい離した政策や方針は砂上の楼閣であり、百害あって一利なしだと断じていた。
「やれやれ、遊びに関してもあんたは固いわねえ」
御神楽の言葉に真紅は呆れたように首を振る。
「けど、まあ良いわ。愉しんでらっしゃい」
このままここでお開きになると思われたが。
「ああ、そうそう」
何を思ったか真紅は立ち止り、振り返って一言。
「もし性質の悪い生徒に絡まれたら私の名を出しなさい。それで大抵のトラブルから避けられるはずよ……と、言っても」
ここで真紅は御神楽の顔、そして日本刀へと目移りさせた後に。
「日本刀を携えている生徒を絡む様な輩なんてまずいないし、何より元生徒会長であるあんたから金を巻き上げようなんて誰も考えないでしょうね」
グッバーイ。
今度こそ真紅去っていく。
手を挙げ、そのまま闇の中へ消えて行った。
夢宮学園において外郭付近にある区画。
そこは最も夢宮翼の理想からかけ離れた場所であろう。
怠惰と享楽がその場を支配し、刹那的な快楽が尊ばれるこの区画。
御神楽が最も嫌悪した場所であった。
「まさかここに足を踏み入れる日がこようとはね」
その思いは今も変わっていない。
だが、ここを避けるわけにはいかない。
ゆえに御神楽は自己暗示をかけながらこの区画を歩くしかなかった。
が、どうやらへんな場所まで来てしまったようだ。
「あら、可愛い坊やね」
軽く陽気な雰囲気だった通りを歩いていたはずなのに、気付けばネオンの明かりが眩しい妖しい場所。
声の先にいたのは色気たっぷりの大人の生徒で、彼女は魅惑的な瞳で御神楽を見つめていた。
人は自身の経験から未知の出来事に対する対処法を決める。
このような事態に御神楽は遭遇した覚えがない。
では、どうするか。
「悪い、連れが待っているんでね」
そそくさと退散することである。
「およ、会長さんじゃないですかー」
一息ついた時にかけられる陽気な声。
「いえ、今は元会長さんですよねー」
ショートカットで目が大きく、活発的な雰囲気を持つ人物といえば、御神楽の中で一人しかいない。
「粟生香苗君か?」
「はい、その通りですー」
生徒会庶務、粟生香苗。
彼女はニカッと笑って御神楽を出迎えた。
「生徒会はどうした?」
普段の香苗ならまだ生徒会室に残っている時間である。
なのに何故ここにいるのか。
「辞めましたよ、生徒会は」
吐き捨てるように出た言葉が全てである。
「あの有馬口とかいう生徒、代理に来て早々私と鈴蘭さんを追い出したのですよー」
「……随分と簡単に従ったな」
香苗の言葉を聞いた御神楽は腕を組む。
「あれほど入念の打ち合わせたはずなのに、何故一日も持たなかった?」
御神楽の約束日は一週間。
それだけの期間、何が何でも聖蘭を縛り付ける策を練ったはずである。
「化け物ですよ、あの有馬口は」
悔しそうに香苗は唇を噛み締める。
「私も色々な第三学年と接してきましたが、彼女は別格ですー」
「……」
香苗の言葉に御神楽は腕を組んで考え込む。
粟生香苗。
新開地真紅。
何れも御神楽自身が信頼した生徒。
問題は多々あるが、それでも能力は折り紙つきである。
なのに聖蘭は軽々とその上をいった。
「これは思っていた以上に骨の折れる仕事になりそうだ」
御神楽は聖蘭の評価を上方修正する。
もしかすると、夢宮翼の理想を達成する以上に聖蘭を倒すのは難しいのではとまで思ってしまった。
「元会長ーも不良になっちゃったんですねー」
と、ここで場の空気を変えるつもりか、香苗はニヒヒと嫌らしい笑みを浮かべながら続けて。
「こんな危険な場所を一人で遊びに来るなんてー」
「遊びじゃない、視察だ」
御神楽は頑強に否定する。
「一般生徒は普段どんな娯楽で一日を過ごしているのか気になったんだ」
御神楽は嘘を言ったつもりなどない。
自棄になどなっておらず、むしろ逆で使命に燃えている。
夢宮翼の理想をとうの昔に忘れ果てた生徒達にもう一度希望を吹き込むのが目的だった。
「んまあ、そういうことにしておきましょうかー」
だが、香苗にはそれが言い訳だと捉えているらしく、それが御神楽にとって無性に悲しい。
「夢宮翼もこんな気持ちだったのだろうな」
仕方ないので御神楽は尊敬する人物の苦労を想像し、己を慰めて平静を取り戻した。
「初心者ならここがお勧めですねー」
香苗は一つの店を指差す。
ここも例によって客引きの生徒がいる店である。
「メニューの値段も安く、そこそこ良い娘を揃えていますー。百戦錬磨の猛者になりたいのなら、まずはここで腕を磨きましょうー」
一体何の腕を磨けというのか。
御神楽は思わず顔がひきつる。
まあ、それはともかく、御神楽は一つ咳払いをして平静に戻る。
「粟生君。確認しておくが、君はこの店に雇われているということはあるまいな?」
案内人が特定の店から金銭を貰っているケースはよくある。
その場合、大抵が悪質な商売を営んでいる店ゆえ、鵜呑みにするわけにはいかなかった。
が、香苗は心外だとばかりに首を振って。
「とんでもありませんよー、尊敬する元会長ーを嵌める様な真似なんてしませんし、何よりー」
香苗は続けて。
「元風紀委員会の生徒なんて向こうからお断りですよー」
「まあ、そうだろうな」
今の御神楽を嵌めた所で何の旨みも無い。
報復という可能性も考えられたが、つい最近まで共にいた香苗が今になって動きだすというのも変な話である。
そう納得を付けた御神楽は一つ頷き、誘われるままに店の中へ足を踏み入れた。
「こんな作りになっているのだな」
初めて足を踏み入れた御神楽は興味深げに辺りを見回す。
全体の雰囲気は暗く、薄いカーテンで部屋を区切っている。
そこらから笑い声と猫なで声が聞こえ、例えるならホテルの一室に迷い込んだ気分だった。
「周りを見渡すのはマナー違反ですよー」
そんな御神楽に香苗は注意する。
互いに知り合っても後悔するだけなので、周りの生徒を詮索しては駄目ですよー」
「そうなのか、気を付ける」
この場では香苗の方が先輩。
ゆえに御神楽は香苗の言に従う。
「えーと、この娘とこの娘をお願いねー」
入口で香苗は何人かの女子生徒を指名する。
受け付けられた男子生徒は呼ぶかと思いきや、困った表情で。
「お客様、申し訳ありませんが、ナンバーワンとナンバーツーはただいま別の方がご指名中でして」
丁寧であるがハッキリと拒否を示す。
先客がいるのなら仕方ない。
なので御神楽は香苗が誰を指名するのか興味を持ったが彼女は唇に手を当てて。
「んー、支配人に粟生香苗が来たといってちょうだいー」
支配人を呼ぶよう注文した。
「はあ……」
首を傾げながらも店員は奥へと引っ込んでいく。
「さてと、行きましょうかー」
香苗は店員の帰りを待たず、店の奥へ足を踏み入れる。
そのまま香苗が向かう場所といえば。
「おい、粟生君。ここは不味いだろう」
他の部屋と明らかに装飾が違う、特別待遇の部屋であった。
「大丈夫大丈夫―」
御神楽の懸念をよそに香苗は手を振る。
何故そんなにも余裕なのか尋ねようとしたとき。
「はいはい、香苗ちゃんお待たせしましたー」
「きゃー、久しぶりじゃない香苗ちゃん」
先客がいるはずの二人がやってきた。
キララはウェーブ状の長い髪を持ち、顔もほっこりとしている。
マイナスイオンを発しているようで、隣にいるだけ心が癒されそうである。
そしてショウは全体的に軽い雰囲気を放つ遊び人。
ストレスなく付き合えそうな女子生徒である。
「おー、キララちゃん、ショウちゃん待ってたよー」
両手を広げてその二人を迎える粟生香苗。
その様子は客と店員というより既知の仲と表現した方がしっくりきた。
「粟生君、君は何者なんだ?」
どう見てもここは男子生徒が女子生徒とのお喋りを楽しむ場である。
そして、それを抜きにしても何故この店は香苗をVIP扱いするのか。
「んふふ、機密事項ですー」
香苗は指を振って悪戯っぽく笑う。
まあ、人に知られたくない過去など御神楽も持っている。
だからこれ以上聞くのは野暮だと考え、これ以上の追及を止めた。
「こういう空気は初めてだな」
ナンバーワンであるキララを横に侍らした御神楽はとりあえずグラスを傾ける
飲まなければ何をして良いのか分からないのである。
「元会長ー。そんな畏まらなくても良いですよー」
見かねた香苗がフォローに入る。
「あくまで自然体。元会長ーが思うがままにやっていいんですよー」
「そうなのか?」
御神楽は片眉を挙げる。
御神楽の自然体というのは型物そのものであり、この浮ついた雰囲気とは相いれない。
なので自重すべきだと御神楽は考えていたが。
「ンフフ、元会長ー。この二人はプロですよー」
教え子を諭す教師の様に香苗は笑みを湛える。
「政治や経済から美味しいご飯まで、あらゆる話題を網羅しています」
香苗曰く、ただ容姿が綺麗だったり、そっち系が上手だったりする者は三流。
一流というのは客ですら気付かない要求すら察知し満たす。
「どんな話だろうが必ず盛り上げてくれますー」
確かにこういった店は客の愚痴や弱音を吐き出すのが目的である。
ゆえに聞き上手であることは必須項目。
そして、その店のナンバーワンならば、その能力も期待して良いだろう。
「じゃあ、始めるか」
御神楽は意を決して語り始める。
夢宮翼の理想が如何に素晴らしいかを。
「キララ、だっけ?」
御神楽がそう確認を取ると。
「そうですよ、けど。呼びにくいなら長田で大丈夫です」
御神楽が名字で呼ぶことに拘りを持つ性癖であることを短時間で察したキララ。
さすが香苗の認める人物であると御神楽は内心舌を巻く。
「僕は夢宮翼のことなら何でも知っている」
「そうですか」
続きを促す絶妙な間。
「夢宮翼は僕達に何を与えたと思う?」
そんな御神楽の問いかけにキララは唇に人差し指を当て、考え込む素振りを見せた後。
「希望、私達に明日を齎した」
「その通り」
我が意を得たとばかりに御神楽は頷く。
「夢宮翼は僕達を解放した。恐怖、怠惰、苦痛……僕達を地に伏せさせていたあらゆる鎖を断ち切り、未来への希望を示した」
夢宮翼が御神楽達に与えたモノは計り知れないぐらい大きい。
数えるのも億劫なほど永い時を生きてきた御神楽達。
それに比べれば千年など刹那の出来事の様なもの。
なのに御神楽達はこの千年の方が幸せだと断言できる。
量じゃない。
質という要素において夢宮翼は大きく貢献していた。
「だが、最近はその理想が風化し始めている」
ここで御神楽は憂いを帯びた表情になる。
「発展という観点から見れば確かに進歩している。だが、肝心の内面はどうだ? 僕達は幸せだと言えるのか? 夢宮翼がいた頃の僕達に対して胸を張れるのか?」
言葉を紡ぎながら御神楽は笑う。
断言できる。
肉体や技術面はともかく精神面では確実に劣化している。
その原因はとにかく、皆が夢宮翼の思想を軽んじているからだと御神楽は考えている。
「夢宮翼は絶対に差別しない」
御神楽は言葉を紡ぐ。
「どんな働きであれ、未来を紡ごうと努力する生徒に対し、最大限の尊敬の意を示し、反対に、他人の不幸の上に幸せを築こうとする輩には絶対に許さなかった」
その仕事は未来に繋がっているのか。
それが夢宮翼が持つ絶対の判断基準である。
「さすが御神楽さんですね」
そこまで聞き終えたキララは感心気に頷く。
「それに比べて私達は何でしょう? とてもじゃないですが、夢宮翼に対して胸を張れませんね」
罪悪感を持った響でシュンとなるキララ。
相手の自慢話に脱帽し、それに比べて自分はと卑下する。
敢えて弱みを見せることで相手を虜にする
これが彼女の常套手段なのだろう。
事実、この手段によって多くの生徒を堕とし、ナンバーワンの座まで上り詰めた。
一般の生徒ならこれで通用しただろう。
が、今回の相手はあの御神楽。
理想を叶える為に親友を切って生徒会長へ立候補し、さらに己が間違っていたとわざわざ謝罪しに外部へ赴くという常識では考えられない行動を取る御神楽。
一門の生徒とはいえ、一般生徒であるキララの常識に収まる人物ではなかった。
「何を言ってるんだ?」
御神楽は心底分からないという風に首を傾げる。
「恐らく僕よりも君の方が夢宮翼の心を知っていると思うぞ?」
「え?」
その迷いなき言葉にキララは目をパチクリさせる。
彼女の達者な見識は、御神楽の言がおべっかでなく本心から言っているのだと推測がついてしまう。
「夢宮翼は長田君のように人をやる気にさせるのが抜群に上手かった」
御神楽は語り始める。
ある生徒がどんなに絶望と恐怖で満たされていようとも、夢宮翼と話し合おうと必ず回復する。
やる気を取り戻し、勇んで再挑戦しようとする。
御神楽自身も何度彼女に癒され、発奮されたことか。
「君達の仕事もあまり変わらないだろう?」
疲れ果てた生徒の話を聞き、その胸に溜まっていた不満を吐き出させる。
その発散方法によって、生徒はどんなに嫌なことがあろうともまた明日を頑張ろうと気合を入れることが出来た。
「……」
キララは御神楽の言葉に沈黙する。
キララの行いは夢宮翼ほど崇高ではない。
確かに不満を聞いているがそれはおまけであり、本来の目的は一般生徒をもう一度来店させて金を吐きださせること。
欲望を刺激するという浅はかな行為でしかないとキララ自身が痛感している。
だが、キララは夢宮翼のことを尊敬している。
遥か昔、夢宮翼がいた頃は彼女になろうと憧れていた。
それが何故このような結果となってしまったのか分からないが、それでも昔の自分を笑う気にはなれない。
今、この時でさえ消えた炎が燻り始めていた。
「そろそろ時間ですよー」
「うん?」
その言葉で御神楽は我に返る。
どうやら相当長い間キララと話していたようだ。
「……結構飲んだな」
いつの間にかテーブルの上にはグラスが所狭しと並んでいる。
これらを全て精算すると幾らになるか考えたくもない。
「やれやれ、しばらく節制に努めるか」
少なくとも数日は外食出来ないなと御神楽は肩を落としたその時。
「大丈夫ですよー」
心配するなとばかりに香苗は親指を立てる。
「私がいるから十割引ですー」
「……」
香苗の言葉に御神楽は沈黙する。
「君、相当酔っているな」
幾らなんでもそれはないだろう。
そう考えた御神楽は水を組んだグラスを差し出すが。
「嘘じゃありませんー、ね?」
「はい、その通りです」
振られたショウはコクコクと頷いた。
「この店どころか付近一帯の店は香苗ちゃんから金を取ろうなんて思いません」
「……」
ショウの口調は真剣そのものであるから冗談ではあるまい。
一体香苗は何者なのだろうかと気になる御神楽。
だが、他人の過去を詮索することは褒められる行為でないためそこはグッと我慢する。
世の中には知らなくて良いこともあるのだと御神楽は自分に言い聞かせた。
そのまま二人は立ち上がり、出口へと向かおうとしたその時。
「あの……御神楽さん」
「うん?」
キララが御神楽を引き留めた。
「もっと御神楽さんのお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
どうやら夢宮翼のことを詳しく知りたいらしい。
その願いなら断る必要はないと御神楽が頷きかけた時。
「はーい。ストップストップ」
二人の間に体を割り込ませて仲裁する香苗。
「キララちゃん、元会長ーと連絡を取りたかったら私を通してねー」
まずはキララにそう言い含めた後。
「……安易に頷かない方が良いですよー、ここで働いている生徒はリピーターを作るのに血道をあげていますからねー」
御神楽にこの業界の常識を諭した。
「そうだったのか」
自分がカモにされちゃ堪らない。
騙される寸前に救ってくれた香苗に御神楽は感謝の意を示す。
「それでは、これで」
「ばいばーい」
そして二人は店から出て行く。
その後ろ姿は他の客と同じなものの、発せられるオーラに誰もが一目置かずにいられなかった。
御神楽の朝は鍛錬から始まる。
まだ陽の出ていない時刻におき、刀を振るって心と体を目覚めさせるのが日課である。
「……大分なまったな」
自宅にある道場の中央で御神楽はポツリと呟く。
御神楽の足元には半径十cmほどの丸太が転がっていた。
「“先祖返り”すら出来ないとは……」
御神楽は天を仰いで自嘲する。
先祖返りとは刀技の一つ。
あまりに早く正確に物を斬った場合、斬られた断面を繋ぎ合わせると接着することがある。
それを意図的に発生させることが刀技における奥儀の一つであった。
「たった半年、されど半年か」
生徒会長に就任してからこれまでの半年。
仕事に忙殺され、修行する暇がなかった。
千年近い年月から見ると半年などあっという間に過ぎない。
だが、それだけの期間を怠っていただけで御神楽は五十年以上の前の自分に弱体化してしまっていた。
「勘を取り戻すだけで一年はかかりそうだな」
結構な月日だが御神楽の表情に険はない。
生徒会長でなくなった御神楽には時間がたっぷりある。
夢宮翼の思想の素晴らしさを宣伝するついでに修行ぐらい出来るだろう。
そんな予測が立つゆえに御神楽は晴れ晴れとしていた。
「よし、朝食でも食べるか」
とりあえず本日の鍛錬は終了。
真水で体の汗を流した後、用意してあった朝食を食しに御神楽は道場から退出した。
「元会長ー、お久しぶりですー」
「久しぶりも何も、会ったのは一週間前だろうが」
ある日の昼下がりの午後。
昼食が終わり、午前の成果を整理していたその時、チャイムと共に香苗が現れた。
「寂しくて寂しくて仕方なかったのですよー」
「……」
香苗のわざとらしいシナに御神楽が半眼で睥睨したのは言うまでも無い。
「今日はとっておきの情報を届けに参りましたー」
御神楽の白目に気付いているのかいないのか。
香苗はいつものテンションで続ける。
「一週間前、私と夜遊びしましたよねー?」
「人聞きが悪い言い方は止めて欲しいが、概ねその通りだ」
ここで訂正を求めても御神楽が疲れるだけ。
たった半年の付き合いだが香苗の性癖を御神楽は理解していた。
「あの二人が夢宮翼のことをもっと知りたいと言ってきたのか?」
「おお、その通りです」
御神楽の先読みに香苗は拍手を送る。
「これだけで用件を察するなんて、素晴らしいですねー」
「……粟生君、それは褒めているのか?」
香苗の称賛に御神楽は渋面を作る。
「生徒会長を半年でもやっていれば、これぐらい察せられるようになる」
生徒会長は夢宮学園における最終判断を行う生徒。
文面には表れない生徒の本音を汲み取る能力が求められる。
察することは御神楽にとって不得意だったが、それでも半年もやればそれなりに身に付けることが出来た。
「元会長ーのお話を聞きたいのは事実ですけどー、実は二人だけではありませんー」
「うん?」
香苗の言葉に眦を挙げる御神楽。
「キララちゃんとショウちゃんは何人かの同僚に声をかけたみたいでー、十人前後集まる予定ですー」
「ほう、それはそれは」
自ら望んで話を聞きに来る者が十人も現れるとは。
御神楽は唇が綻ぶのを抑えきれない。
「なのでちょっとした集会を開きたいのですがよろしいでしょうかー?」
「無論だ」
何を躊躇う必要があるのだろう。
夢宮翼の理想を聞きたいのであれば御神楽は時と場所を置かず駆け付ける。
それが今の御神楽の使命である。
「一応日程は明後日の十四時ですねー」
香苗は集会を開く予定日を確認する。
「彼女達はー、夜のお仕事だから陽が昇っている時間での開催になりますがー」
「特段問題無いぞ」
今の御神楽は常時フリーな状態。
いつでもOKだった。
「それでは、場所の地図を置いておきますねー」
香苗はそう断りを置いて一枚の紙を置く。
「楽しく、ためになる集会にしましょうー」
最期に香苗はそう言い残し、御神楽に何も言わせず立ち去って行った。
「……」
後に残された御神楽はポツリと一言。
「あいつ、確定事項を伝えに来ただけなのか?」
御神楽は香苗が自分に相談せず、一人で全て決めた印象をぬぐい去ることが出来なかった。