吐き気のするほど邪悪な存在は大抵強者だ
「建前上は、僕が実現したい生徒会において君の能力は必要とされていなかった」
御神楽は語り始める。
田尾路を生徒会に入れなかった本当の理由を。
「だが、実際は田尾寺君が傍にいると何も変わらないと恐怖したからだ」
悔恨に顔を歪ませて御神楽は声を絞り出す。
御神楽にとって田尾路の存在は己の影。
無くてはならない存在であると同時に、これ以上己を縛り付けるものはない。
事実、田尾路と共にいる間は御神楽にとって心地よかったが、代わりに向上心を失いいつまでも第二学年のままだった。
そう、夢宮学園が建設されてから今まで上がりも下がりもせず、ずっと現状の維持の状態。
周りは上がるか下がるかしているのに変化のない自分の存在に御神楽は恐怖した。
「もしかすると、僕が生徒会長に立候補したのは、君と別れる理由が欲しかったからなのかもな」
自嘲するように御神楽は嘯く。
それが全てとは御神楽も思っていない。
最大の理由は夢宮翼の思想の復興だと今でも断言できる。
が、その陰に隠れた理由も否定できない。
呆れを通り越し、哀れにさえ思える自己保身。
田尾路と再開するまで気付かなかったが、こう相対すると全てが白日のもとに晒されてしまった。
「軽蔑したか? 田尾寺君?」
話し終えた御神楽はそう水を向ける。
「生徒会長という座を、夢宮翼という名を最も汚していたのは他ならぬ僕だったのだからな」
断言できる。
今の御神楽はこの世界の中で最も弱い。
正義だと信じていた事柄に裏切られた時、人は最も脆くなるものだから。
「……」
御神楽の言葉を、姿を見た田尾路は何を思っているのだろう。
あらゆる感情を呑みこんだ瞳で田尾路は御神楽を見つめていた。
「……もし僕が御神楽さんの立場なら」
田尾路は己の感情をそのまま言葉に紡ぐ。
「目的を果たした以上、さっさと帰ります」
御神楽も田尾路も、あてもなく共にいることを嫌う。
基本的に二人は孤独でいることが多い、が。
「田尾寺君……」
例外に当たるのは二人が共にいる時。
この場合は何日でも、何か別れる理由が出来るまで離れることはない。
今、田尾路は一般の生徒と共にいる場合を口にした。
その意図とは。
「僕を他人扱いするのだな」
御神楽を例外から外し、一般枠へと置くことである。
「御神楽さんのいる場所はここでありません」
御神楽の悲しみを余所に力強く田尾路は言い切る。
「だから一刻も早く夢宮学園に戻って下さい」
「田尾寺君……」
御神楽は何か言いたそうな様子を見せるが。
「僕のことを心配する余裕なんてあるのですか!!」
田尾路はそう怒鳴ることによって抑え込む。
「御神楽さんにはやるべきことがある! なすべき課題がある! なのに何故ここでメソメソしているのですか!?」
「っ?」
「僕のことは大丈夫です」
田尾路は晴れやかに笑う。
「この世界で死ぬことはないんです。どうなったって生きることは出来ます」
確かにこの世界は“死”がないゆえに、物理的に別れることはない。
しかし、今の様に精神的に別れることが出来てしまう。
心と心が離れていく感触に御神楽は顔を歪める。
「僕はもう行きます」
田尾路はそう前置きして立ち上がる。
ズボンに付いたほこりを払い、屈伸を開始する。
「世界の果てを見てきます」
田尾路が指差す先にあるのは、誰も到達したことのない秘境。
あの先には今までと一線を画す鬼達がおり、その強さは御神楽の力を持ってさえ幼児扱いとなってしまう。
受ける苦痛も十倍以上。
地獄を越えた地獄。
夢宮翼がいなかった時でさえ、そこに行くのは禁忌とされていた。
が、御神楽が心配しているのはそこでない。
「僕のことを想ってなのか?」
今は夜。
鬼達の活動が活発となり、視界も狭まる魔の刻。
賢明な者ならば朝まで待つのが通例である。
なのに何故今、行くのか。
それは踏ん切りがつかない御神楽のためである。
「答える必要はありません」
もうそれだけで答えとなってしまう返事。
「ただ、僕はこれ以上御神楽さんといるべきじゃない」
その言葉は本心から述べているのだろう。
長年の付き合いである御神楽はそう直感した。
「御神楽さん」
背を向けた田尾路は最後にこう一言。
「夢宮翼を非難した件、あれは僕の本心ではありませんよ」
あれは激昂する余り口走ってしまった言葉。
田尾路の言葉であることは疑いないが、それでも本気でそう思ったわけではない。
そのことは御神楽自身も良く分かっている。
だからこそ。
「ああ、知っていた」
簡潔にそう答えた。
「それじゃあ」
田尾路は振り向かず、闇を掻き分けて進む。
「……」
恐らく田尾路と会えることはもうない。
会ったとしても、それは他人の関係と変わりないだろう。
その事実に御神楽はあふれる涙を止めることが出来ず、田尾路の姿が消えた瞬間、獣のように慟哭した。
御神楽は田尾路と再会した。
結論から言うと、田尾路と会う意義はあったと思う。
おかげで自身でさえ気付かなかった本音を見つけ、また一歩前進できた。
「そう、だからこれで良かったんだ」
御神楽は穏やかな口調でそう呟く。
しかし、物事にはメリットだけではない。
必ず何らかのデメリットも出てくる。
御神楽は生徒会長の仕事を放棄してまで田尾路を探しに行った。
メリットは過去からの決別。
そしてデメリットはというと――
「『規定により、御神楽圭一から生徒会長の地位を剥奪する』か」
学園の掲示板に貼られた訓告を御神楽は抑揚なく読み上げた。
「理由を聞いても良いか?」
その足で生徒会室に向かった御神楽は唯一生徒会室にいた人物に問う。
そう、生徒会長の席に座っている有馬口聖蘭に。
「理由ですか?」
書類に目を通していた聖蘭は顎を上げ、御神楽を見据える。
人形の如く無機物的で、かつ底の見えない瞳が御神楽を映し出す。
「学園規則第八十七条を参照になさってください」
「それは分かっている」
御神楽は感情を交えず答える。
「あれは生徒会長が失踪してから一ヶ月以上が過ぎた時のだろう」
学園規則第八十七条。
生徒会、若しくはそれに準ずる責任のある役職を持つ生徒が失踪し適切な期間が過ぎた場合、その生徒の役職を剥奪する。
「僕は正式に不在届を出していたはずだが」
御神楽としては規則に則り学園を後にしていた。
ゆえに失踪と当たらないはずなのだが。
「ああ、その件ですが、手違いにより受理されていませんでした。ゆえに失踪と見なされます」
「なっ!」
冷淡にそう述べる聖蘭に対して御神楽は目を剥く。
「これを見てもか?」
御神楽は預かった証明書を出そうとするが。
「うふふ、良い顔ですね」
聖蘭の不気味な言葉に御神楽の手が止まった。
「悔しさや怒り、呆然といった種々の表情の源泉は何かしら? 生徒会長の座を奪われたことによる怒り? 強引な方法なのに生徒がそれを許容している事実に対する悔しさ? それともやはりあれかしら? 田尾路と会うために学校を開けたことを悔いているの?」
ニヤニヤと。
細い眼を更に細め、いやらしい笑みを浮かべながら続ける。
「色々と言いたいことはあるけれど、私からはこう言おうかしら――よく頑張ったわね」
「っ!?」
聖蘭の言葉の意味が分からない御神楽はその真意を探ろうとする。
が、聖蘭は御神楽の葛藤をあざ笑うように両手を広げ、そして聖母の様な笑みを浮かべながら続ける。
「第二学年なのに全生徒のトップに立ち、慣れない仕事に深夜までかかる。なのにその苦労を生徒達は全く分かってもらえず、労わるどころか少しの判断ミスを容赦無く弾劾――辛すぎますね?」
御神楽は聖蘭の言葉を否定できない。
これまでの間、生徒会長としての仕事は決して楽でなかった。
ミスを反省するどころか謝罪する時間すらあらず、次々に決裁書類が回ってくる。
己に厳しいことを誇りに思っていた御神楽でも数えきれないぐらい仕事を投げ出そうと考えたか。
理想がなければ絶対に諦めていただろう。
「……」
そこまで考えた御神楽の表情から険が取れる。
あの辛く苦しい日々から解放されたと、肩の荷が下りた気分になる。
このままだと御神楽は項垂れ、生徒会室を退室して終わっただろう、が。
「ああ、何度見てもその表情は最高です」
聖蘭の陶然とした様子に御神楽の足が止まった。
「力量に見合っていない役職、期待、仕事を背負わされた生徒の重荷を取っ払う瞬間の表情。絶望と諦観、そして解放が入り混じった顔を見る度に私はえも言えぬ快感を味わうわ」
「……」
聖蘭のその言葉に御神楽の瞳に光が戻る。
「有馬口君、僕は聞き逃せない言葉を聞いたのだが?」
「ん? どういうことでしょうか?」
御神楽が次に何を言うのか予想しているのか否か。
聖蘭は慈悲の笑顔を浮かべたまま先を促す。
「君は……人が絶望する顔が何より好きなのか?」
絶望。
それは気力が無くなり、何もする気が起きなくなる感情。
この感情の前には自殺など、まだ死のうとする意志があるだけまし。
本当の絶望の前には死さえ取るに足らない一要素と化してしまうのだから。
「ええ、その通りです」
あっけらかんと聖蘭は肯定する。
「自分を過信する生徒、高ければ高いほどそこから落ちた時の落差は大きい。御神楽さんも一度ご鑑賞になられては? 高慢な第三学年が第一学年へ降格する際の表情の前は素晴らしいわよ? そう、夢宮翼の理想すら取るに足らない妄想へと変わる程に」
「……」
聖蘭の言葉を聞いた御神楽は沈黙する。
正確には、表こそ無表情なものの、裏では怒りが煮えぎたっている。
今、聖蘭は夢宮翼を愚弄した。
その事実が御神楽の体に居座っていた虚無を怒りへと置きかえらせる。
「覚悟は出来ているな」
即断即攻。
聖蘭の顔面に刀を叩きこんでやろうと御神楽は足に力を込める。
「無駄なことは止めておきなさいよ」
それを止めるのは生徒会室へやってきた新開地真紅だった。
彼女は諦めたように首を振りながら。
「今、有馬口を害せば全第三学年を敵に回るわよ」
夢宮学園における主要な委員会の幹部はほぼ第三学年で占められている。
そして、その第三学年を掌握した聖蘭に逆らうことは、夢宮学園に逆らうことと同義。
つまり現在、聖蘭はこの学園における神的存在だった。
「さあ、行くわよ」
真紅は御神楽に退出を促す。
「ここで押し問答しても時間の無駄」
「いやに冷静だな」
真紅の淡々とした態度に御神楽はジト眼を向ける。
「もしかして君もそちら側なのか?」
御神楽の目論みは己が不在の間、聖蘭と真紅が潰し合うことによって時間を稼ぐ戦略だった。
この戦略の大前提は二人が犬猿の仲だということ。
もし手を組んでしまえば、今回の様に敗北することになる。
「馬鹿言わないでよ!」
が、真紅は心外だとばかりに首を振る。
「誰があんな奴と組むもんですか!」
日頃から裏表の少ない真紅のこと。
その線は恐らく無いだろう。
と、すると。
「あら? 副会長さん? その言葉は生徒会長に対する言葉遣いですか?」
聖蘭の実力が御神楽の思惑を大きく上回っていたのである。
「いくら同じ第三学年といえども礼節は弁えないといけませんよ?」
一般論を装いつつ優越感丸出しの言葉。
「……」
真紅はギリリと奥歯を噛み締め、ワナワナと震える。
勝者と敗者。
聖蘭は勝ち誇った顔を。
真紅は苦渋に満ちた表情を。
それぞれ余すことなく表現していた。
「……僕は無視か」
面白いのは当の本人である御神楽の存在が弾かれていること。
最も被害を被ったはずの御神楽が置いてけぼりとなっていた。
が、幸運なことにこの状況が御神楽を冷静にさせる。
傍観者として、第三者としての目で因果関係を把握し、これから取るべき手段を整理する。
今、何をするべきか。
正確にはこの状況から生徒会長の座に居座る有馬口聖蘭を引きずり降ろすにはどうすれば良いのか。
御神楽の中でパズルが構築されていく。
「よし」
一段落ついた御神楽は一つ頷く。
「これでいこう」
そう気合いを入れた御神楽は生徒会室を後にする。
そして残されるのは二人だけ、と思いきや。
「吠え面かかせてやるわ」
彼の後を真紅が追った。
「ウフフフフ……アーッハッハッハッハ!」
普段冷静な聖蘭が珍しく、棟全体に響きそうなほどの高笑いした。
「ったく、あんたって底抜けの馬鹿ね」
道中真紅が不満を口にする。
「よりにもよって何故聖蘭に権利を渡したの? 少し頭が働けばこうなることぐらい分かるじゃない?」
「僕から言わせてもらうとなあ」
言われっぱなしは御神楽の性ではない。
振り返って顰め面を向けながら。
「新開地君が一週間すら持たせられなかったのは計算外だったぞ」
つい半年前まで学園全体を巻き込んだ抗争を繰り広げた二人である。
なのに何故こう簡単に真紅は敗北を喫したのか。
「……第三学年はあちらの味方よ」
真紅の答えが全てを物語る。
つまり真紅は己より弱い存在――第一学年や第二学年からの信望は厚いが、同格または格上となるとあまり支持を得られていないようだった。
「全学年を一緒くたにしたならば勝てるわ」
「……」
御神楽は真紅の言葉の意味を考える。
聖蘭の方針によって格差が拡大し、第一学年の人数が増えてしまった。
そして、その状況ゆえに新開地真紅が台頭する。
もし通常の状態ならば彼女が出てくる可能性は低かっただろう。
「実体と影との闘いか」
詰まる所、聖蘭が真紅を目の敵にしているのは己の嫌な部分を見せつけられるため。
強者を誰よりも好む聖蘭からすれば、弱者を纏める真紅の存在は許容できないのだろう。
だが、その状況を作り出したのは他ならぬ聖蘭自身。
皮肉としか言いようのない出来事に御神楽は笑うしかなかった。
「あんた、どこに向かおうとしているの?」
ようやく真紅が御神楽の行動に疑問を持つ。
行くあてもない御神楽がこう自信たっぷりに歩を進める様子が真紅には分からなかった。
だが、御神楽が以前何処に所属していたのか、まで考えが及ぶと自然に見えてくる。
御神楽が行く先とは。
「風紀委員棟だ」
かつて御神楽が所属していた委員会。
学園の治安を守り、歴代生徒会の干渉を撥ね退けてきた当会を訪れるのは当然と言えば当然だった。